今日で生まれ落ちて、二十もの年月が過ぎ去りましたが、特段代わり映えしたことなど無く、ただ今日も今日とて一日を浪費しました。とは言っても何か特別な一日を望んでいたわけでもありません。
私は元よりこの誕生日というものを好ましく思ったことなど無く、純粋無垢で高潔な存在としてこの世界に生を受けてから、二十年の歳月も穢され続けたのだと嫌でも再認識するより他にはなかったのです。
ぎりぎり、ぼろぼろ、ぎりぎり、ぼろぼろ。
只管に魂は摩耗し、命が朽ちていく音がします。
「ハッピーバースデイ」
お誕生日おめでとう、生まれてきてくれたことに感謝(感謝される覚えなど無いが)、今年も一年良い年にしてください。内実そのような意図で使われているのでありましょう。実際にも私は数多くの人間からその言葉を頂きました。
初めは本にありがたいことで口の端を吊り上げながら感謝の辞を述べたりするものなのですが、自室に戻り、独りでその言葉を反芻させてみますとどうにも恐ろしい気持ちで夜も眠れなくなるのです。
やっと眠りに落ちることが出来きましても、夢の中でさえぎりぎり、ぼろぼろ、ぎりぎり、ぼろぼろそんな音が耳から離れません。結局飛び起きてしまい布団に私形の絵を残してしまうこともありました。
私は集中してしまうと周りの声も自身の中の雑念も忘れてしまう質で、せっせと給仕に励むことでどうにか正気を保つことが出来ました。しかし、そうしている時でさえ、やおら近づいてきた知人(近づいてきたこと自体は気づきませんでした)がそっと囁いた言葉だけははっきりと聞き取ることができました。
「ハッピーバースデイ」
瞬間、私にはその知人が死神であるのかもしれないと思えてきました。背後からはあの音が迫っており、逃げ出したい気持ちでいっぱいになるのです。ぎりぎり、ぼろぼろ、ぎりぎり、ぼろぼろ。
ただ浪費され朽ちていくだけの命です。歳を重ねれば死の接近を感じ、魂の風化を実感します。そんな私にはどうやったって死神の囁きが聞こえてしまうのです。
「早く死ね」と。