一人の男が石造りの城門の前に立っていた。金属製の扉は閉じている。その男は一言で言うなら衆目を集めていた。
二十代半ばくらいの男だ。一見して珍しい亜人に見えるが、それにしては多種族の特徴を持っていた。
この辺りでは見かけない黒瞳黒髪に、薄茶色をした肌。その皮膚は鱗とも毛皮とも見えなくないが、ぬめりからか光を反射して輝いている。その上から纏っているギャンベゾンは見かけこそそれなりの物だが、よく見るとよれよれだ。作業用なのか手袋もしており、出陣の準備をしたまま外に出たかのように見える。本来鬼族だけが持つといわれる額から生える二本の角は、あるべき純白ではなく漆黒である。体の割に腕が大きく、特に手袋で覆われた手は常人の一、五倍ぐらいの大きさはありそうだ。そしてこれまた人ではありえない尾骶骨から生えている二股の尻尾の先端には虹色の炎が灯っている。その上少し尖った耳の上からは飾り羽のような二本一組の刃物のような突起が伸びている。ついでに言うならば肩甲骨の辺りからは二つの突起が飛び出していた。
「何者だ」
門の両側に立っている門番は男に槍を構えた。二人ともまだ若い門番だ。
「太皇太后に呼ばれてきた。入らせてもらおう」
男は要件を告げるが、門番は耳を貸さなかった。
「お前のような不審な奴が太皇太后陛下に呼ばれただと。冗談を言うのもいい加減にしろ」
「そうか」
次の瞬間、男の姿はそこになかった。どこに行ったかと、門番はきょろきょろ辺りを見渡すが、どこにも男の姿はなかった。二人の門番が辺りを確認するも、その男はどこにもいない。慌てふためく門番の一人が報告するために急いで門の扉を開けた。
報告をしに戻った門番は隊長にあったことを報告した。だが、答えは門番の想定外なものだった。
「そのことについては知っている。すでにこっちで通した」
「ですが、あんな不審な奴」
通すことはできない、と話を続けようとした門番の口を隊長は手でふさいだ。門番はしばらくまごついたが、落ち着いたのを確認すると隊長は手を離した。
「お前はいまいくつだ?」
突然の質問に門番はまごついた。
「今年で十七になります」
「なら、大厄災を知らんな。あの方は大厄災の英雄様で太皇太后陛下が懇意にしている方だ。無礼を理由に斬られなくてよかったな。今回あの方を呼んだのも天使関連だろう。それにあんな姿になったのも上位天使と戦うためらしい」
「……そうだったのですか」
大厄災、三十年ほど前に生じた大戦争だ。
敵は突然空からやってきた。敵は天使と呼ばれた、小さくて無機質な翼を持つ生命体だった。彼らは人類を、否世界そのものを侵略した。十年ほどかけて当時の人々は一丸となって彼らを撃退したが、全滅させることはできなかった。そのため、今でも天使との小競り合いが時折行われている。
「そうだ。次からは気をつけろよ」
「わかりました」
「分かったなら仕事に戻れ」
「はっ」
門番は兵の待機所から出て行った。残った隊長はひとり呟く。
「あの方と対立してもしものことがあったら……おお怖い怖い」
下手打てば帝都は消し飛んでいた、と脳裏に浮かんだ凄惨な状態に隊長は体を震わせた。
「太皇太后陛下、オルランド・アークレイン様がお見えになりました」
メイドが待ち望んでいた客人が来たことを告げる。自室で本を読んでいた太皇太后は顔を上げた。先代太后というだけあってその動作には気品がある。
「そう。案内してくれるかしら」
「はい」
すでに八十を超えている太皇太后は本を置く。その代わりに皺だらけの手で杖を握り、椅子から立ち上がった。そして書棚に向かい、幾重も折りたたまれた紙を取り出し、懐に入れる。その動作は力が入っており、杖はいらなさそうにも見える。
メイドの案内のもと、太皇太后は歩を進める。部屋の入り口で待機していた兵の一人が、護衛としてその後ろを歩き始めた。
「お客様、太皇太后陛下がお見えです」
客間で待たされていた異形の男、オルランド・アークレインは声がしたほうを向いた。扉の向こうには太皇太后がいた。
「二人きりにしなさい」
「分かりました」
太皇太后の指示のもとメイドが部屋の外に出る。太皇太后はオルランドの隣に座った。
「久しぶりね。大厄災以来かしら」
先に口を開いたのは太皇太后だ。それに対してオルランドは気さくに返す。
「そうだな。門番が俺の顔を覚えていないぐらいには久しぶりだな。それに二十年前と比べてそっちはすっかり老いたようで」
太皇太后の髪はすでに真っ白だ。あちこちに皺もできており、十分老婆である。実際彼女の年齢は八十三であり、孫が帝位を継いでいた。
「あなたに言われたくはないわ。それに門番が顔を覚えていなかったらどうやって入ったのよ」
「テレポートを使って正々堂々と正面から入っただけだ。城に入った後は詰め所の顔見知りに話しかけるだけでいい。それにそっちが俺を呼んだんだから勝手に入っても文句はないだろ」
オルランドの答えに太皇太后は諦めたようだ。門番が入るのを拒否しようとしたところで、力任せに突破されるのは目に見えていた。門番がやられなかった分、まだましだろう。
オルランドの非常識な様子を見慣れているため、太皇太后はオルランドを責めることはしなかった。それにオルランドの身体的特徴を教えなかった人にも非があったからだ。
太皇太后はここに来る前に懐に入れた紙を取り出し机の上に広げた。本題に移るためだ。机いっぱいに広げられたそれをオルランドはしげしげと眺めた。
「本当は、奥さんに見てもらいたかったのだけど、これ。どう思う?」
「これは今問題になっている異世界から戦士を呼ぶ召喚術か」
「写しだけどね。神殿が言うには特定の時間に使えば異世界から戦士がやってくると信託があったと言うけど、信ぴょう性はあるかしら。転移術式に詳しい人たちは多忙だから、頼みたくても頼めないのよ」
しばらく魔法陣を眺めていたオルランドは、慎重そうに口を開いた。
「知っていると思うが魔法陣は俺の専門外だ。それでもこの程度ならある程度は分かる。
……基本はただの召喚術式だが、その割に要求魔力はずいぶん多いな。術式自体は式に書かれている座標から魔法陣の場所にそのものを持ってくる。本当に単純なものだ。だが、座標が問題だな」
「座標が?」
「そうだ。座標が意味不明だ。ていうか術式の半分以上を座標指定に使っている。そのせいで魔法陣にしてはかなり歪だ。それに必要な魔力の大半を向こう側に繋げることに使っている。とにかく俺から言えるのは、この魔法陣は『この星以外』から何かを連れてくる術式だということだということだな」
「何かを?」
太皇太后は眉をひそめた。
「ああ、この術は座標こそ指定してあるが、持ってくるものを指定していない。つまりその座標にあるものを丸ごと持ってくる訳だ」
「丸ごと?」
「そうだ。そこにあるもの全部だ。だから何が出てくるのか誰にも見当がつかない。せめて呼ぶ物の指定さえあれば良かったんだが。これじゃあ、警戒は必須だろう。
とにかくこんな式は始めて見た。これはルーシアに見てもらったほうがよさそうだ」
そう言ってオルランドはあらぬ方向に手を伸ばした。自身の持っている異空間収納のアビリティを用いて、ものを取り出すのだ。
取り出したものは紙に書かれた魔法陣だった。さらに異空間からものを取り出す。
「それは相互性のもので、魔法陣の上に乗せたものを対となる魔法陣に送る術ね。希少な術を使うのね。そしてそちらは緊急連絡の道具ね」
転移術式──それには召喚術式も含めるが──これらはすこぶる希少である。何しろ魔法陣に関する一流の技術を得た人材が知識と経験、そして緻密な計算によって構築するものであり、簡単に習得できるものではないからだ。帝国に転移術式を作れるものは十人もいないだろう。
そしてオルランドが用意した受話器とフックだけしかない道具は魔法陣と同じく、対となる受話器と連絡するための道具だった。この道具を開発したルーシア曰く、受話器ごとに個体識別を決め、それを入力するようにしたら理論上は複数の受話器間でやり取りができるらしい。しかし現状は価格や設備の問題、それに加えて多数の物を用いることで生じる影響を調べきれておらず、実用化はまだまだ難しいらしい。
「そういうこと。詳しいことは俺には分からないからルーシアに解析してもらうしかないのさ」
オルランドは受話器を取り連絡する。
しばらくするとオルランドが敷いた魔法陣が輝き、十代後半の女性が現れた。その手には箱形をした金属製の鞄が握られている。その鞄の中には護身用の武器や簡単な実験道具、工具などが入っていることを太皇太后は知っていた。
彼女は出てくるとすぐに面倒そうに言葉を発した。
「異世界から戦士を呼ぶ式がわからないって? やっぱり私が来るべきだったのね。急に呼び出したのは癪だけど、一度見たかったから文句はないわ。はいこれ」
女性──ルーシア──はオルランドに自分がやってきた魔法陣と鞄を渡し、椅子に座る。その衝撃で椅子は嫌な音を立ててきしんだ。そして異世界から戦士を呼ぶ式を眺める。彼女は当代一の技術者であり、転移術式にも精通していた。
「確かに。これはこの星以外の場所からそこにあるものを呼び出す式だね」
「で、どうだ。分かるか」
「大体はわかるわ。呼ぶ場所は別空間よ」
「別空間?」
オルランドが口を開いた。
「分かりやすく言ったら、別の宇宙、もしくは異世界ということよ。教会が異世界と言っているなら異世界だと思うけど、この世界のことすらよく分かっていないのに別の世界の話を出されてもねぇ。何とも言えないわ。別の学者にやってもらうか、数百年後に研究しようかな。
それと一からこの式を作るとなると人にはほぼ不可能ね。だって向こう側の事情は分からないのに、発動の時間まで指定……つまり私たちからは見えない未来を読んで魔法陣を作るなんて人の技術じゃないわ。そうなるとこの式を作ったのは私の知らない天才か、神様ぐらいしかいないわ。そういうことで、神官が作ったという説は完全否定できるわ。神殿の言うことを信じてみるのもありかも。
本当にこの式を動かすなら同じ時間に相互利用の式を使ってこっちからも送りたいわ。でも向こうからこっちに帰還するための魔法陣を作るのに間に合いそうにないわね。数百年先、人々が忘れた頃に研究するわ」
「どうせ、その時の転送役は俺だろ」
ぼそりというオルランドにルーシアが返す。彼女は机を降りながら、
「あなたはもったいないわ。被検体を募るわよ」
二人のやり取りに、太皇太后はやれやれと首を振った。
「不老不死のお二人さんの話は規模が大きいことで。それで、この式は安全ですか?」
「向こう側はともかく、こっちは安全ね。でも何が呼び出されるか分からないから対策はしないといけないわ」
太皇太后の疑問に、ルーシアが答える。
「そう、それなら問題ありません。最悪、その場で斬り捨てればいいだけです。……万が一を考慮してあなた達も召喚術の起動に居合わせることを認めます。何が呼ばれるか分からない以上、万全の対策はしておきたいから」
「それはありがたき幸せ」
「ありがとう。そうそう、それと実際に異世界から戦士が呼ばれたら何人か連れて帰っていい?」
突然のルーシアのお願いごとに、太皇太后は眉を顰める。
「つまり、実験体ですか?」
「そう。帝国にとっても利益があると思うけど」
「……まぁ、いいでしょう。男女一組ずつ預けましょう。ただし、二十人以上呼ばれることを条件とします。そして相手方との合意も必要とします」
太皇太后の言葉にルーシアは太皇太后の手を握る。その眼は新品の仕事道具をもらったなら見習いの様だった。
「やった。マリア様、ありがとう」
ぶんぶんと手をふるうルーシアに、太皇太后はため息をついた。
「その言い方はやめなさい。私はあなたより年上なのですよ」
「たった五歳ぐらいいいじゃない」
「人にとって五年は大きいのよ。それにあなたと私は身分が違います。幼少期から苦楽を共にしたオルランドならともかく、あなたに名前を呼ばれる筋合いはありません」
「マリア様ったらつれないなぁ。それに人にとっての五年は大きいと言うけど、五年なんて研究をしていたらあっという間に経つから、長いとは思わないわ」
ルーシアは手を放す。ルーシアとオルランドは不老不死の霊薬を飲んだとはいえ一応人間である。
「はいはい、あなたはそうでしょうね。私だって政治やら外交やらで……あれ?」
当時は忙しく長い時間が経っていたと感じても、今思いなおすと一瞬のように感じる。思い出とは大体そういうものである。太皇太后はうつむいて咳払いをした。その表情は心なしか赤面しているようだ。
「とにかく、召喚術の起動に参加して戦士を連れていきたいなら、明日の昼過ぎに謁見の間に来なさい。私から話は通しておきます。気になる点もあるし反対する人もいないでしょう」
「気になる点?」
「ええ、なぜ『今なのか』が気になります」
ルーシアの疑問に太皇太后は答える。オルランドも納得したようだ。
「確かに。ここ最近一番戦力を望んだのは二十年前だ。あの時、残された戦力は少なかった。技術者が全力で開発した魔導兵器で何とかなったと言っていいぐらいだ。
つまり神が異世界召喚を推奨するなら二十年前か、育成も含めるとなると最初に天使の襲撃があった三十年前が最適のはずだ。それなのになんでよりによって今なんだ?」
「そうなのです。なぜ、今なのか。それが最大の疑問点なのです。もしかすると近い未来に天使以上の厄災があるのかもしれませんが」
「最悪、天使も異世界召喚も神の自作自演かもしれないな」
「それは不謹慎です。まだ天使は主が課した試練といった方がいいです」
太皇太后の否定に対しオルランドは首を横に振った。
「大っぴらに言うつもりはないが、でも、ありえなくはない話だ。天界かどっかか知らないが、そこから天使を送る。俺達が苦戦して人類の勢力図は大きく縮小する。弱ったところで神託により戦士召喚。彼らの活躍で人類は再興する。人は神に感謝し、信仰を得る。教会は発言力を得る。つまり、神にとって自分のやりやすい世界になるというわけだ。
そして将来神は再び天使を使って再度人に攻撃をする。その時には異世界からの戦士は伝承のものになっている。絶望に染まった人は伝説の戦士に助けを求める。そして神は再び異世界召喚を行う。それによって更なる信仰を得る。こっちもありうる話だ」
「あなたは神に対する信仰心はないのですか」
呆れたように太皇太后は頭を抱えた。大厄災の時に神の救いがなかったことから、人々の神に対する求心力は落ちていた。それはごく一部の自分の実力だけで生きる人たちの中にあった自力救済の考えが、一般市民にもある程度根付くぐらいだった。特に三十代以上の大厄災を生き延びた世代の多くは、大厄災の際人を救ってくれなかったことを理由に神を信仰しない者も少なくなかった。それでもここまで露骨に神を批判する人は珍しい部類だ。
「ないね。世の中は弱肉強食、町の外は腕っぷし一つがものをいう。大厄災以前でも戦闘訓練で痛感したことだろ。それにこんなちっぽけな星に躍起になる神なんて大した器じゃない」
「私にもないわ。存在を証明できないものの力なんて頼りたくないもの」
肩をすくめるルーシアを見て、太皇太后はため息をつく。
「それはそうですが……生まれながらにして神に恵まれたあなた方に言われると、神がかわいそうに感じます」
オルランドとルーシアは双方ともに生まれながらにして神の祝福を受けたと言ってもいい二人だ。二人とも普通の人は生まれつき一つしか持てないジョブを二つ持っていた。別にジョブを二つ持つことは希少とはいえ、全くないわけではない。しかし、もう一つの要素と組み合わさることで、神の祝福ともいえる圧倒的な力を身に着けたのだ。
人は生まれながらにして、ジョブと、ジョブに関連したアビリティ、そしてジョブの数だけ天恵ともいえるアビリティをランダムで持つ。この二人は生まれながらの特典といえる不確定なアビリティが二つともすこぶる優秀だった。それ故、これを神の祝福と言わずに何といえばいいのか。
少し嫉妬にかられながら、太皇太后は話を進めた。
「どちらにせよ警戒はすべきでしょうね」
「そういうことだ。まったく、本来はこんな訳の分からないものなんてやらないのが一番だと言いたいが、万一のこともあるし、神を信仰する人たちからの反発もあるからやらざるを得ない。面倒だな」
「だから、各国合同、厳戒態勢の下で行うのです。
さて、召喚は明日ですが泊まっていきますか? それともすでに宿を取っていますか?」
「宿は取ってない。俺のステータスだと床が抜ける可能性があるからな。最近は高ステータス向けの宿もあるそうだが、数は少ないし高いからな」
高いステータスを持つ生物はその見た目に反して非常に体重が重く、大食漢になる傾向がある。というのもステータスに則ったパワーを発揮するためには莫大なエネルギー、つまり食糧が必要になる。そしてそのエネルギーを蓄えるために体の密度が上がる。つまり体重が増えるということだ。ここにいる三人は見かけこそ平均的だが、各々が持つ高いステータスに見合った体重をしていた。
「あなたならそう言うと思っていました。既に部屋は用意しています。もちろんルーシアの分も用意しました。オルランドが分からない場合、きっと来ると思っていましたから」
「それはありがたいな。有難く泊まらせてもらおう」
二人が納得したところで太皇太后は呼び鈴を鳴らした。少ししてメイドが入ってくる。太皇太后は、
「二人を部屋に案内してあげなさい。私は会議室に向かいます」
「分かりました。ではこちらです」
使用人に連れられて二人は出て行った。残った太皇太后は会議室に向かう。部屋を出た際、護衛が礼をし、彼女を守るようにして歩き始めた。太皇太后という身でありながら、専属護衛を用意していない彼女を守ろうと、その場にいる衛兵が護衛していた。専属でない以上、彼女と同じ部屋にまでは入れなかったが、やらないよりはましである。
衛兵たちは彼女の護衛ができないふがいなさを感じながら、今日も太皇太后の後ろを歩き始めた。
太皇太后が会議室の扉の前に立つと衛兵が会釈をして扉を開けた。彼女はそのまま会議室に入る。
会議室は今まさに会議の最中である。地味で暗い部屋に、円卓と椅子がおいてあり、壁には盾や肖像画が飾ってあるだけの部屋だ。そんな部屋の円卓に向かい合いながら諸王や有力貴族、そして戦士召喚を提案した司祭が集まり、今後のことについて話し合っている。
話すことはいろいろあった。異世界から戦士を呼ぶことについて、それに伴う教会の発言力の増大、いくら倒しても絶滅しない天使の対策等々。
太皇太后が部屋に入ると話し合っていた何人かの人物がそちらを向いた。
「おばあ様、何用ですか」
この国の皇帝が真っ先に口を開いた。
「ええ、老婆心から少しだけ話を。ああ、それと椅子を用意してくださるかしら」
彼女は用意された席に腰かけ、オルランドらと話したことを説明した。一通りの説明をし終えたとき、会議室はしんと静まり返っていた。しばらくして、ぽつぽつと口を開くものが出てきた。
「だが、すべてが神の自作自演だとすれば、天使がどこから来たのかが説明できますな。まさしく、天からの殺戮の使いであったわけで」
「それなら普段教会がほざいている神の救いについても一応の説明がつく」
「だが、証拠がない。この考えは頭の隅にとどめておくだけにしておいた方がいいだろう」
「そうだな。だがそうなると異世界から戦士を呼ぶことにも影響が出る。最悪、上位天使の大軍なんか出てくる可能性もある。そうなれば勝ち目はない」
「そんなことはあるまい! 主を愚弄する気か!」
「天使が活性化する予兆とみていたが、その考えは盲点だった」
「むむ、これは厄介ですな」
いろいろな憶測で語られる中、突如、会議室の扉が勢いよく開かれた。
「申し上げます。各地から天使の大軍が続々とこちらに向かっている模様。その数、合計三万は超えるとのことです! 近隣の砦でも迎撃はしていますが、すべて無視されているとのことです!」
会議室は騒然となった。さすがに逃げ出そうとする人はいなかったが、慌てる人も少なくない。何しろこれほどの大規模襲撃は二十年ぶりなのだ。
「まずは落ち着きなさい。それで、その内訳は?」
太皇太后の言葉にまだ若い兵士が答える。
「はい、確認される中位以上の天使は座天使一、主天使二、力天使十、能天使百です」
「分かりました。全兵、戦闘配置につくよう。できる限り急ぎなさい」
「はっ!」
兵士は走って去っていった。兵士が去ると、太皇太后は立ち上がった。
「私も前線に出ます。それと戦士の召喚は行いましょう」
「こんな時になぜですか!?」
参加者の一人が円卓に拳をたたきつける。
「この襲撃でその召喚術式から天使が呼ばれることは完全否定できます。天使が呼ばれるなら天使は動かない。もしくはこれほどの数で攻めてこないはずです。砦を無視する理由もありません。それなのに大軍で、しかも砦を無視して攻めてきた。つまり、天使はいかなる犠牲を払ってでも召喚を止めたいと考えられます。だからこそ、ここで召喚をやめるわけにはいけません。そこから呼ばれるものはわれわれの切り札になりうるのです。
それと私が前線に出る理由ですが、嫌な予感がするからです」
「嫌な予感? 確かに違和感はしますが」
円卓にいる一人が問いかける。ここでいう嫌な予感とは、危険探知のアビリティが反応を示していることだった。このアビリティは危険地帯での生存に欠かせないもので、戦いに従事するものなら誰もが持っているアビリティであった。
「ええ。下位天使の数の割に中位天使以上の数が少なすぎます。大厄災の時代なら中位天使は少なくても千はいるはずですし、総大将は智天使でしょう。主力が隠れているか、敵の増援も視野に入れて動いた方がいいと思います」
「敵が完全に立て直していないだけでは。そして召喚を防ぐために急遽攻めざるを得なかった、とかもありえますぞ」
他の一人が反応する。
「それもあり得ますね。ですが、警戒するに越したことはないでしょう」
「それには納得しましたが、おばあ様が前線に出ることだけは許容できません」
この国の皇帝が口を開く。まだ二十代になったばかりの比較的若い皇帝だ。本来彼が皇帝になる予定はなかったのだが、彼の兄たちが天使との相次ぐ戦いで戦死したため急遽皇帝になったという経歴の持ち主だった。
「なら誰が前線で指揮をするのです? 単純に天使との戦いを一番よく知っている私が一番でしょう。
あなたが最前線で指揮を執るのは論外です。天使は強大で、いくら鍛えていても死ぬときはあっさり死にます。子供のいないあなたが死んだらこの国はどうなるのですか。よって皇帝であるあなたは死ぬわけにはいきません。そしてできるだけ死なないためには前線に出てはならないのです。
他の貴族に任せるにも問題があります。今帝都にいる貴族たちが連れている兵は少なく、天使との戦いを経験している人材も殆どいません。城下町の中小貴族の屋敷にいる戦力はきっと貴族を守るためにそちらの指揮にかかりっきりになるでしょう。どうせ乱戦でしょうから、このことについて文句は言いません。ですが、そのような人たちに最前線を任せるなんてできますか?
ここまでの話はあなたの父が生きているなら話は別です。あなたの父に指揮を任せましょう。しかし、あなたの父は既にこの世にいません。なら天使との戦いに慣れており、死んでも影響が少ない私が前線をした方がいいのは明らかです。
それとも来賓の方々に指揮を執らせるつもりですか?」
現皇帝の父、つまり太皇太后の息子は三年前に病死していた。彼が生きていたのなら、二十年前の太皇太后のように彼が前線で指揮を執っただろうが、今回それは不可能だ。貴族たちは各々の部下を指揮すると思われるため、帝都の兵を前線で指揮する人がいないのだ。
「私は老兵です。身体能力は最盛期の半分くらいしかありません。ですが、能天使と相打ちぐらいには持っていきましょう。それでもどうこう言うのなら、緊急転移術式でもくださいな。
それと来賓の方々がお連れした兵は来賓の方々の好きに任せます。私たちがとやかく言う権利はありませんもの」
その言葉を残して太皇太后は部屋から出ようとすると、扉が開かれた。扉の向こう側にはオルランドがいた。
「俺の力は必要か?」
オルランドが問う。その後ろにはルーシアもいた。ルーシアの手には鞄が握られている。
この場にいる、否、人類最強の助け舟にその場にいる者は安どの表情を浮かべる。そこにはオルランドに頼り切りの現状が見て取れた。
「すみません。できれば中位以上を任せたいです。二十年前と比べて数も質も劣っているのですが、下位天使の数が多すぎます」
太皇太后は独断で方針を決めるが、特に反対の声は上がらなかった。中位以上の天使は手ごわく、最高レベルの人材であっても力天使以上を単独で倒すのは難しかった。目の前にいる二人を除いては。つまり今回の大規模襲撃は、たまたま二人がいたから何とかなるという、帝国にとっては非常に幸運なものであった。
「分かった。傭兵代は後で請求するとしよう。それとルーシアは置いていく。戦力として好きに使うといいさ」
「分かりました。なら城の屋上で天使の迎撃をお願いします。そこの者、屋上まで案内しなさい」
オルランドは自分の後ろにある壁を突き破り、そのまま空を飛んでいった。直接に突き破られた壁は元通りになり、更に遅れて轟音があたりに響く、地属性魔法で再構築したのだ。
生き物が移動した後遅れて音が響くことは、ステータスが三千と少しある者が全力疾走すれば起こりうることである。だが、人がそのクラスまで強くなることはほぼ不可能だった。人の限界は頑張っても、高いものが二千とされている。その壁を容易く越えたからこそオルランドが、人類最強と呼ばれる理由の一つであった。
ルーシアも兵士に連れられ屋上に向かう。彼女自体は天井に穴を開けようとかすることはないが、やろうと思えば簡単にできるだろう。彼女のステータスは魔法型だが、レベルが高いため身体能力も極端に低いわけではなかった。
数刻の後、天使たちの襲撃は始まった。
天使は白を基調とした無機質な体をした生き物だ。人の女性のような体つきをしているが、人より一回りほど大きい。その最大の特徴は細長い手足が、鞭、あるいは触手のようになっていることだ。そして目と耳はなく、その代わりに計四本の角が生えている。無機質な一対の羽は上向きで、見るからに空を飛べるとは思えない。しかし、彼らは事実空を飛んで攻めてくる。髪はあるが、その実態は幾重もの長い髪が集まり房となり、急所である胸にある核を守る防具であった。
そのような異形の存在が、万を超える軍として帝都を攻撃した。空を飛べるゆえに町を囲う城壁は意味をなさない。人を攻撃することを目的としているため結界は時間稼ぎにしかならない。それゆえに人類は対空砲火を編み出すしかなかった。ルーシアが開発した、高威力の魔導砲は多数の下位天使を一撃で塵にし、中位天使にも致命傷を与えることができた。しかしその分、装填時間がかなりかかる。この問題点をルーシアはそれを六連装填にすることで解決した。一発撃つごとにシリンダーを回し、再び撃つ。そして撃っている間に、砲撃のエネルギーとなる魔力を装填するという仕組みだ。それでも装填時間はかかる。だが、事実上装填時間は六分の一になり、人は天使に対抗できるようになった。各国政府の勢力を以て大量生産されたこの巨大な砲台は対天使戦の切り札だった。
しかし、それでも数の暴力の前には押されるものである。
三万を超える天使に対し、帝都を守る兵は数千。魔導砲は十に満たない。たとえ帝都近郊の砦から増援が来ようとも、総兵力は万を超えることは決してない。
そのためたとえ魔導砲一発につき数十の下位天使を塵にしたところで、数の暴力の前では効果は薄い。そのため魔導砲は主に人の力では倒すのが難しい中位天使以上を標的としている。そのため一番数の多い下位天使へ投入する戦力は未だ歩兵であった。下位天使は弱いこともあり、数の差がある程度あっても戦うことができた。
そのような情勢のため時間が経てばいずれ町は天使で覆いつくされ、町に取り残された民衆を助ける暇もない乱戦になる。それが天使との大規模戦闘の常識である。
今回もそのようになった。
数多の下位天使が帝都を焼き、壊し、虐殺をする。兵士は民衆を助ける余裕もなく、ただただ己の命を守ろうと奮戦する。指揮は乱れ、規律を守れて動けない。特に今回は二十年前と比べて天使の大規模襲撃を知らない人が多く、混乱は前回の比ではなかった。
太皇太后が貴族たちに自己保身を認めた理由もここにあった。少数であっても彼らが統率のとれた部隊として機能した方が、防衛体制として都合がいいのだ。
混乱して機能しない部隊も多い中で、十分に機能した部隊が複数あれば、軍の立て直しも不可能ではない。そして彼らは天使に対抗する主力になる。
また貴族屋敷は彼らの拠点になり、天使の注意を引き付けることができる。天使の注意がそちらに向けば、その隙を突いて混乱した兵士をかき集めて部隊を再構築することも不可能ではない。
つまり乱戦が約束されている天使との戦いにおいて大部隊ではなく大量の小隊を用意し独自に判断させるのは、決して悪い選択肢ではないのだ。今回の場合、その小隊を率いるのが貴族になっただけの話だった。
「二十年前天使との大規模な戦いがなかったことで、対天使戦に慣れていない人が多いですね。これは訓練しないといけませんね」
下位天使を大振りのメイスで叩き潰した太皇太后がつぶやいた。既に十体は倒しているが、敵の数は減ることを知らない。だが、まだまだ序の口だということは歴戦を潜り抜けた者の勘が告げていた。
「ここまですべて下位天使。オルランドには感謝しないといけません。数もだいぶ少ないですから」
迫りくる天使に左手の盾を叩き付けつつ。右手に持っているメイスの持ち手に描かれている魔法陣に魔力を流す。そうすることでギミックが起動するのだ。メイスの先から刃が飛び出し、メイスが短めの短槍へと変貌を遂げる。そのまま穂先を別方向からやってきた天使の房の隙間に通し、核を貫く。そして動かなくなった天使から槍を抜いた。
「炎の波よ、私の周囲の敵を飲み込みなさい!」
その隙を狙って背後から迫る複数の天使に対し、詠唱し火属性魔法を放つ。太皇太后を囲うように放たれた火炎の波は全ての天使を飲み込み、核を焼き尽くした。この魔法は魔法陣ではなくアビリティによる魔法だった。アビリティによる魔法は極端な話、イメージ、アビリティ、魔力の三つさえあれば使えるものだった。詠唱を行うのはより確固たるイメージを抱くためであり、すこぶる優秀な術師は詠唱なしで魔法を使うことができた。その代わりアビリティによる魔法は属性に縛られ、威力が術者の魔法攻撃力に左右されるという難点もあった。
炎の波が囲っている中でメイスを元の形に戻す。炎が消えると、また新たな天使が迫ってきた。その全てにメイスや盾を叩き付け、核を砕いていく。ステータスや技量に大きな差があるため、一方的な蹂躙だった。
周囲の敵をあらかた倒し、太皇太后は辺りを確認した。どこでも戦いは生じているが、ステータスの差からどちらかと言えば人類が優位に立っているようだ。天使との戦いにも慣れてきたようで、続々と撃破していくのが感じ取れた。
「これ以上、何もなければいいのですが」
何もなければ余裕をもって勝利できるだろう。何かあれば厳しくなるかもしれない。オルランドがまだ戻ってこないということと中位以上の天使の少なさが、唯一の不安要素であった。
と、その時、太皇太后の血の気が消えた。彼女はそのまま上を見上げる。空は曇り空だが、太皇太后の蒼い目はその先を見ていた。
「……いますね」
天使は位階が上がると急速に強くなる。それこそ新兵でも余裕をもって倒せる下位天使から、大軍が返り討ちに遭う上位天使まで様々だ。天使側もそれを理解しているはずであり、今回の中位天使の少なさには初めから違和感があった。増援か不意打ちをしてくる可能性も視野に入れつつ考えていたが、実際は後者だったらしい。こちらが下位天使をあらかた殲滅して気が抜けたところを、襲撃する計画だったのだ。
そこまでは太皇太后も考えていた。だが、その主力部隊の質は太皇太后の想定を超えていた。
最悪の天使、熾天使の気配がそこにはあった。三十年前から続いている天使との戦いで一度だけ姿を現した最強の敵。そのステータスは平均一万五千ほどとされている。数は一。十中八九敵の総大将だ。それに取り巻きも三体いる。おそらく智天使だ。こちらもステータスは万を超えているはずだ。十いるのは座天使だろう。そして五百ほどの中位天使たち。その数はみるみるうちに減っている。
これらの情報は太皇太后が持つ索敵のアビリティのレベルが三十三と高いからこそ得られたものだった。二十年前もそうだったが、敵は隠密系のアビリティを使い気配を隠す気はないらしい。彼らを他の兵が認識するにはまだ時間がかかるが、早急に対策をしなければならない。上位天使の動き次第ではいくら対策をしても良くて壊走、悪くて全滅になりうるが、やらないよりはましである。
太皇太后は渡されていた緊急転移術式を起動、急いで王宮に戻ることにした。
あれらと戦えるのはオルランドしかいない。そして、中位天使の数が減っているのはオルランドが戦っているからだ。故に、この時間を最大限活用しなければならない。
太皇太后の報告で会議室、もとい本陣は騒然とした。
二度目となる最上級天使の出現に加えて多数の中位天使の増援は、諸王らを絶望の淵に叩き込むには十分だった。
「ですので、皆様には地下を経由して城を脱出してもらいます。地下の先には緊急転移術式があります。それで避難してください。天使が利用するのを避けるために、転移後に向こう側の術式は破棄するのも忘れてはなりません。
あまり使いたくない物ですが、帝国の威信にかけて来賓の方々を死なせるわけにはまいりません。陛下、それで構いませんね」
「ああ、わかった。急ぎ案内しよう」
慌てふためく皇帝に同意を求め、撤退の指示を出させる。ここからはできるだけ王族を生かすことを主目的とする戦いだ。町と民衆は囮といってもいい。
「私は城に残って総指揮を務めます。今の戦況で中位天使が少しでも来ると、一気に城内に突入されますから。それに王族が逃げたとなると軍が崩壊するでしょう」
「おばあ様、誠にすまない」
「なら、召喚を成功させることです。ルーシアにも撤退の指示をしましょう。あの人に死なれると困ります」
人類最高峰の技術者の一人であり、それと同時に多数の中位天使と渡り合える実力者。将来の戦力として残さない手はない。
「分かりました。指示を出します」
「では、急ぎ撤退を」
会議室にいた人たちは続々と部屋から出て行く。一人残った太皇太后は砲手とその護衛以外城に戦力を集めるよう指示をする。個々の強さで勝る中位天使に数で対抗しようというのだ。幸い、伝達システムがあるためすぐに伝わるはずだ。
兵が続々と集まり始めたころ、索敵に反応があった。数を減らしていた天使が一斉にこちらに向かい始めたのだ。これが意味することはただ一つだった。
(オルランドにいくら中位天使を差し向けても無意味なことに気づきましたが。そして恐らく上位天使がオルランドの足止めをする。彼もこれに対処することは不可能でしょう。迎撃するしかありませんね)
砲手に上空から来る天使の迎撃を指示し、兵士にも警戒態勢を取らせる。兵士十人で力天使一体を相手にできるぐらいだが、そうはいかないだろう。
(オルランド、あなたが頼りです)
二十年前と同じくまた、彼に頼りっぱなしになることを悔やむ。
敵はもうそこに来ていた。
太皇太后が熾天使に気づく少し前、オルランドは空中で天使の大軍と向かい合っていた。オルランドは肩甲骨の辺りに生えている、普段は折りたたまれた光の翼を広げることで、自由に空を飛ぶことができた。この翼は一見すると翼のようだが、どちらかというと推進器と言った方が近い物だった。
それに向かい合うといっても、オルランドは高レベルの隠密系のアビリティを複数持っているため、向こうは気づいていない。
(熾天使一、智天使三、座天使十、中位天使《雑魚》が千。とりあえず数を減らすしかないな。それにしても下位天使との戦いで消耗し油断したところを一気に突く心算だったのか)
異空間収納のアビリティを使い、紙に書かれた大規模破壊術式を取り出した。それは二十年前に使われた魔導兵器に組み込まれた魔法陣を少し改良したものだった。それには既に魔力が込められており、あと一押しするだけで起動するものだった。それをそのまま起動。術式から現れた極太の光線は並み居る中位天使を消し炭に変えるのに充分な威力だった。
(まだまだ起動コストが重いな。だが、即座に数を減らすにはこれしかない)
半分近い中位天使を消滅させての感想だ。攻撃範囲や破壊力こそ十分なものの、前もって十分な魔力を込めた上で起動するのに五千弱の魔力が必要となる。そのためあまり使えないと判断したのだ。例えばこの術式を砲台に組み込むとなると、起動するのに少なくとも今の十倍以上の溜め時間と砲兵が必要なのは確実だった。迎撃の切り札としては便利かもしれないが、回避されたときのことを考えると微妙だった。
突然現れた極太の光線に焼かれた天使たちは慌てだす。あちこちに散開し警戒するが、オルランドの居場所を把握させないためだ。そして反撃を防ぐために一撃で確実に核を粉砕する。しばらく倒していると熾天使が何やら声を発した。すると残された天使らは一斉に地上に向かって進み始めた。見えない標的を諦めたのだ。
(させるか)
敵の背後を突くように回り、異空間から再び起動寸前の大規模破壊術式を取り出す。そして起動させる。地上に向かう天使たちの背後から現れた極太の光線は二百ほどの中位天使を消し炭にした。その際群れの中にいた上位天使たちが上昇し、大規模破壊術式を受け止めたのだ。主力となる中位天使を確実に進ませるために、自分たちを殿兼肉壁にしたのだ。そのせいもあり全ての中位天使を倒せなかった。百体ほどの中位天使が地上に向かう。
(ここからが正念場だ)
光線が消えたところで隠密のアビリティを解き、天使たちと向かい合う。大規模破壊術式を先頭で受け止めた三体の座天使は髪の鎧が消し飛びボロボロだ。他の上位天使もかなりのダメージを受けているがまだまだ戦えそうだ。
オルランドは着ていたギャンベゾンと手袋を異空間収納に入れる。これらは全力で戦うには邪魔になる物だった。服がなくなったことでいくつかのアビリティを起動させる。それによりオルランドは、虹色のきらきら光るオーラを纏った。
ここから先は、上位天使を先に進ませないようにするのが最優先だ。中位天使は地上にいる兵士たちでもなんとかなるが、上位天使はそうはいかない。そのために天使たちにオルランドを放置する危険性を伝えた。今俺を放置したら、この作戦どころか今後の計画にも影響するぞ、という脅しである。そして上位天使を地上に向かわせないためには、自分が全ての上位天使の標的にならなければならない。つまり隠れることはできない。
姿を現すとほぼ同時に、上位天使らが一斉に向かってくる。だが熾天使は動かない。指揮官としての役目があるのだろう。それともほかの天使に任せればいいと思っているのだろうか。はたまた上位天使を囮に、自ら地上を目指すのか。
前者なら実にオルランドに都合の良い展開だった。一方で後者なら最悪だ。この状況で熾天使が地上に向かった時に、オルランドには止める術がないからだ。そして地上で熾天使を暴れさせたら敗北が確定する。
オルランドは上位天使から逃げるように距離を取り、失った魔力の回復に費やす。その間も熾天使への警戒は怠らない。熾天使が地上に向かわないように時折牽制をかけながら、処理できる機会をうかがう。熾天使が地上に向かうなら中位天使が地上につく直前だろう。
ここにドッグファイトという名の牽制勝負が始まった。上位天使はオルランドを熾天使に向かわせないように、オルランドは熾天使を地上に向かわせないように牽制をかけ続ける勝負だ。どちらかが隙を突いて、牽制を潜り抜けた方がこの戦いの勝者だった。
今のオルランドの魔力が全開するのにかかる時間は何もしなければ約二分である。だが、光の翼を維持するのに魔力を使っているため、実際はもっとかかる。しかも魔力を使えばその分回復する時間は伸びる。オルランドにとってはどれほど魔力を節約できるかが鍵だった。魔力が回復すれば、最悪潤沢な魔力を存分に活用して熾天使以外を力任せに倒すことができる。そうすれば熾天使に集中できる。オルランドはそのように考えた。
それならオルランドがやることは一つ、高い素早さに物を言わせてその間逃げ回ればいいのだ。もちろん牽制をかけるのも忘れてはいけない。しかし二分とは音速の数倍の速さで移動し戦う者たちにとってはかなりの時間だ。しかしながらオルランドにとって熾天使以外の天使は格下である。熾天使が参戦するか油断しなければ逃げ回る分には問題ない。
そうは言っても十三体の上位天使の連携を前に隙はなかなか生まれない。それどころかだんだんオルランドが不利になっていく。先回りされたり熾天使の周りに智天使がいたりするなど、牽制もうまくいかないこともある。オルランドもそのことを理解し、できるだけ上位天使たちを熾天使に対する壁になるように動いていた。要するに熾天使の真下で戦うことで、上位天使が邪魔で熾天使が地上に向かえない状況を維持したのだ。地上に向かうにしても迂回する必要があり、オルランドが迎撃できるようにしたのだ。
天使たちが決定打を得られない一方、オルランドは少しずつ天使にダメージを与えていった。何体もの天使の触手をちぎり、角を砕き、翼を折った。大規模破壊術式を直接受け止めた座天使は、核を砕くまでもなく地に墜ちていった。
勝負が動いたのは始まってから一分経つ頃だった。一本の触手がオルランドを捕捉しようと突き出された。彼は体をねじらせて避けるが、その隙を突いて何本かの触手が四方八方から彼に迫った。十体の天使に完全包囲されていたのだ。隙間もなく全部を避けることは不可能だ。
と、その時オルランドの姿がその場から消えた。宙を貫いた天使らはあたりを見渡す。だが、その時には既にオルランドは囲いを抜け出し熾天使の下に向かっていた。慌てて天使はオルランドを追うが、彼の方がはるかに速い。
時間をかけて天使たちは誘導されていたのだ。中途半端なダメージを与えたのも、総力を挙げて戦わせるためだった。しびれを切らして熾天使が近づけば御の字。たとえそうでなくてもダメージを受けて部位欠損した天使の穴埋めを他の天使がしなければならなくなる。その結果、十体全ての上位天使がオルランドの周りに集結していた。そしてその瞬間だけは熾天使は完全な無防備になる。その隙を突き、かつ包囲さえ突破できれば、熾天使を倒す機会が生じる。そしてオルランドには包囲を突破する力があった。
事態を悟った熾天使も迎撃をしようと触手を伸ばす。しかし、やはりオルランドを貫こうとした触手は宙を貫き、オルランドは姿を消した。オルランドの姿を見失った熾天使は辺りを見渡すが、急に体を震わせた。そして動かなくなる。
一瞬にして背後に回ったオルランドが魔力を込めた貫手を繰り出したのだ。それは房の隙間を通り、熾天使の核を貫いた。彼が手を抜くと熾天使は墜ちていく。
「テレポートは初めて見るか」
総大将が倒れて動揺する上位天使たちに、オルランドは呟いた。音速を超える者同士の戦いで問いかけるなど隙だらけの極みだが、天使たちは動けない。
テレポート、基本的に先天性でしか得られない希少アビリティの一つだ。そして恐らくの切り札の一つでもある。魔力を最大値の一割払い、アビリティレベル×一フィートまでの距離をテレポートする能力だ。そしてオルランドが持つテレポートのアビリティレベルは三十二。相手の包囲を潜り抜けて距離を取り、また相手の背後に回るには十分すぎた。
オルランドにとってここまであっさり熾天使を処理できたのはかなり幸運だった。熾天使と正面からやりあうとオルランドであっても苦戦する。お供がいた場合、敗北も十分あり得た。その難敵が動きたくても動けない状況を突いて苦労なく倒せたことで、戦局は大きくオルランドに傾いた。
「さて、けりをつけよう」
先ほどとは立場が逆転した中で、オルランドは上位天使の群れに突進した。テレポートを使ったこともあり、今の魔力は最大値の五割弱だが、敵も大きく消耗している。地上に行かせない限りは絶対に負けない。そうオルランドは確信していた。二十年前なら敗北も十分あり得た状況だが、今ならそうはいかない。
出会った時が悪かった。そう憐憫を垂らしながらオルランドは天使に向かっていった。
すべての上位天使が地に墜ちるまでそう時間はかからなかった。
「申し上げます! 上空から中位天使がこちらに向かっている模様。数は百ほどかと!」
「分かっています。そのまま迎撃しなさい。迎撃が済み次第砲台は放棄して、王城に向かうよう指示しなさい」
砲台を放棄するのは天使に破壊されないようにするためだ。砲台の修復には結構な費用と時間がかかるため、簡単に壊させては困る。そのために兵士に砲台を放棄させ、王城に向かわせるのだ。そうすることで天使の注意を兵士に向けさせ、それと同時に王城に誘導する。砲手は囮だった。
「分かりました!」
伝令の兵士を送り返し、太皇太后は思索する。
(中位天使が百。迎撃で少し減りそうね。ならやることは、オルランドが来るまでの徹底した時間稼ぎ。策は変わらず、結局彼任せですか)
今の兵の練度では迫りくる全ての中位天使を倒すことは不可能。太皇太后はそう判断した。
実に合理的な計算だった。一般兵の平均ステータスは約五百。精鋭で平均千である。二十年前と比べて兵の数は勝っているが、天使との戦いに慣れていない。その上、中位天使のうち一番弱い能天使でさえ、平均ステータスは千もある。この程度のステータス差なら複数人で袋叩きにすれば何とかなる。それだけでもきついが、弱い天使は砲撃でやられるだろうとも考えると、こちらに攻めてくる天使は力天使や主天使が主力になるはずだ。力天使の平均ステータスは二千、主天使に至っては三千である。そこまでステータスに差が出るといくら数をそろえても無駄になりうる。
(来ましたか。能天使二十七、力天使三十六、主天使二十四、想像通りですか)
索敵アビリティで城に迫りくる天使の内訳を判断する。ここからは伝令は無用。来る敵を全て叩き潰せばいいだけだ。
太皇太后は立ち上がり、前線に向かう。後方で指揮を執るより前線で指揮を執る方がいいと判断したのだ。それに壁が破られ、そのまま急襲を受けて死んだら最悪だ。指揮を執る人もいなくなれば、この戦いの目的を理解している人もいなくなる。故に前線に出る。
オルランドが来るまで持てばいい。それまでに全滅しなければ我々の勝利だ。
その頃地下から避難した人たちは、帝都から離れた町にたどり着いていた。隠し通路の先にある転移術式から避難したのだ。避難した先は帝国で二番目に大きい町であり、太皇太后の生家が治める町であった。公爵も会議に参加していたため転移してすぐ、厳戒態勢を取らせることにした。
臨戦態勢を取り始めてどれほど経っただろうか。夕暮れ時が近づき、廊下は赤く染まっている。誰もが連絡を待つ中、ルーシアの鞄の中に入っている緊急連絡の道具に反応があった。彼女がしばらく反応し、受話器を戻す。
会議室には沈黙が覆う。
「敵をせん滅したそうです」
会議室で結果を待ちわびていた身分の高い人たちは歓声を上げた。一時は全滅を覚悟して、撤退をしたのだ。ルーシアはさらに報告を続ける。
「しかし被害は激しく、次の大規模襲撃はまず凌げそうにないとのことです。また太皇太后陛下が重傷を負われたそうです」
「おばあ様が!」
皇帝が叫ぶ。
「ええ、なんでも力天使を一人で倒したとか」
諸王らはそのようなことが可能なのかと顔を見合わせた。太皇太后と力天使のステータス差は約三倍ある。それを単独で倒すなど常識的に考えてあり得ないことだった。
「それと太皇太后陛下からの伝言も頂いております。召喚の儀式はそちら側でするようにとのことです。召喚が終わってから戦士たちをこちらにお連れして、事情を説明するようにとのことです。報告はこれで以上です」
実際に天使の被害を見てもらった方が、戦う相手を想像しやすいとの太皇太后の配慮だった。実際に戦うかどうかは、本人次第という余地を残したともいえる。
「私は転移術式の用意があるので失礼します」
ルーシアは会議室から出て行った。帝都につなぐ転移術式の構築は、帝都の復興や異世界からの戦士を輸送するのに必須だった。そして転移術式は用意するだけでなく、安全かどうかを確かめるために試運転も必要になる。大規模なそれを完成させるには多大な時間と魔力が必要だった。そのため、必要に迫られたときにすぐに準備できるよう退室したのだ。
彼女が退室した後の部屋は今後について、会議室で話し合われていたことの続きが話された。
まず決まったのは異世界からの戦士の通称を勇者と呼ぶことだ。勝手に呼び出した挙句に無理難題を聞き入れてくれる強い戦士。『英雄』だとオルランドのようなこちらの世界の英雄と区別がつかない彼らは特別な存在だから特別な称号がいる。それゆえに用意された特別な名前だった。
ほかにも政治的なやり取りをいくつかしたが、その多くが勇者と彼らを囲うことで得られる利権が絡んでいるため、話は全く進まなかった。その一方、ルーシアらに男女一組の勇者を預ける提案は、今回の功績として殆ど太皇太后の提示した条件通りに与えられることになった。条件も十人以上に緩和されてのものであり、もしできなければ代わりの恩賞を与えることも約束された。
そして翌日、勇者召喚の儀式が行われた。
場所は大広間だ。魔法陣が大きく、十分な場所を確保するにはここしかなかった。警備の兵も厳重に配置し、万が一に備える。警備の面子にはオルランドもいた。昨日の戦の後に帝都から走ってきたのだ。オルランドほどの速さなら、帝都の開門と同時に走り出したら召喚の時間までに余裕を持って着くことができた。
町で一番精密な時計で時間を計り、召喚を行う。
「今です」
教会が用意した術式に魔力が注ぎ込まれる。この時のために用意された大量の魔力がどんどん魔法陣に取り込まれていく。そして十分な魔力を取り込んだ魔法陣は輝きだす。十分な魔力を確保し魔法が起動したのだ。魔力の供給をやめ、皆が注目する。
輝きがだんだん弱くなる。その奥には、複数人の人影が存在した。
召喚は成功だ。これで人類は救われる。
「おお、勇者様。どうかこの世界をお救いください」
現れた者たちに皇帝が語り始めた。