「酒をやめて早三か月がたった。俺の気持ちを聞いてほしい」
N太朗はそういうと重たい口を開き始めた。
「酒をやめた人生は正直、前の酒におぼれていた人生の百倍楽しい」
「うんうん」
「酒をやめてから、以前のように孤独だの彼女ほしいだの鬱っぽく考えることがなくなったし、肌荒れもほとんど起こらなくなったし、酒のせいで実行委員会の仕事やバイト、大学での研究に支障が出ることがなくなった。これはほんとに素晴らしい」
「それでそれで」
「友達と飯に行っても、以前みたいに酒飲んで暴れたり迷惑かけたりしなくなったし、吐いたりとかもなくなった。しかも頭が回るから、 めちゃ楽しい」
「おーそれはいいじゃん」
「でもたまに思うんだよな」
「なに」
「今はまだ学生だし、最近はお酒飲む人も減ってきているから飲まなくていいけど、社会に出てから酒飲まないと仕事で良い評価得られなかったり、あいつ飲めないから飯誘わないでおこうなどと 思われたりしないか不安で」
「うんうん」
「話してはみたけど、言葉が一方通行みたいで」
「ん」
「ああ、要は周りに相談したけど最近は飲まない人多いよとかそーゆー意見しか得られなくて」
「そうだよね」
「いまいち核心ついてないし、俺は将来酒なしで社会でやっていけるのかなって思って。まだ俺らの親世代はバリバリ管理職としているわけでアルハラもあるわけで」
「うーん」
「え、ひょっとしてアドバイスくれるの」
「うーん、マンダム」
「なんだよそれ、てか古いよ」
「わりぃ、俺にもわからん。だってまだ学生なんだもん」
「そらそーか」
「すまん」
「全然大丈夫」
「続き聞かせてよ」
「週一で通院して先生に現状聞かれて、そのあとグループミーティングがあって話聞いたりして酒飲み続けたらこうなるのか、よし、酒やめ続けようとか、酒を飲むとすべて失うとか理解して酒をやめ続ける原動力にするわけよ」
「おお、それはいいね」
「まあぶっちゃけ個人の努力だけどね。やめるかやめないかは日々の努力だしね」
「なるほどな、なるほどなるほどなるほどな」
Sはおどけて見せた。
「おまえは原西か、おっ」
N太朗はふと腕時計を見ると時間がやばいことに気づく。やばい、十二時前だ、梅田からの終電が出るまであと十分程度、乗り遅れたら朝帰り、まずいな。彼はそう思うと口を開いた。
「じゃあな。また来週」
「おー」
N太郎はSと別れると、急ぎ足で梅田の駅に向かい、終電に飛び乗った。彼の実家は奈良だ、よって終電は早い。なので急がねばならない。まあ早いといえど十二時を回っても電車はあるのだが。
N太朗は何とか終電に飛び乗り、カラオケで歌い疲れたのか深い眠りについた。そこで彼は断酒した期間の夢を見た。
彼が断酒を始めたのは七月の中頃だった。今は十月末なので断酒して早三か月半が経つ。
酒は手っ取り早く言えば薬物と同じなので、医療用の薬や麻酔のように少々摂取するなら問題 ないが、とりすぎすなわち飲みすぎるとストレス解消どころか逆に鬱っぽくなったり、体の水分を奪うため肌が乾燥したり、酔って覚醒し、意識が飛び、無責任な駆動を起こしたり、肝機能が低下し最悪死に至る。飲み会などで週に一回、飲む量も二杯から三杯なら問題ないが、飲酒が習慣化してしまうとまずく、多くの人はだんだん酒量が増加し、やがて脳や臓器がやられ、なおかつアルコール依存症となり、酒なしでは生きられなくなる。薬物中毒と同じだ。
これを治す方法としては抗酒剤(アルコールを分解できなくなる薬、これを飲むと二日酔い のような状態になり、気持ち悪い、お酒を飲まないでおこうという気持ちになる)の服用、自助グループへの参加、医師との面談などの治療法があげられる。N太朗は完全な依存症でなく一歩手前のため抗酒剤は飲まず、通院と自助グループへの参加も週一回である。N太朗は抗酒剤ではなく飲酒欲求を抑える薬を服用しているが、意味があるのかどうかは不明で、正直薬を飲み忘れても飲酒欲求は起きない。
自助グループへの参加は先ほど述べたとおり非常に重要であり、アルコール依存症治療の要であると医学界でも定義されている。医師への相談も言うまでもなく重要である。
おっと話がそれてしまった。本筋に戻そう。N太朗が酒をやめた真なる理由は、このままでは将来やばいことになると自覚したからである。N太朗は七月中旬のある日いつものようにバイト帰りにスーパーで缶ビールとウイスキーのボトルを購入し、帰宅した。ちなみにビールはこれまで飲んだことのないようなエールというエールビールで、N太朗がいつも飲んでいるアサヒスーパードライやサッポロ黒ラベルのようなラガービールとは異なる。またウイスキーも初めて飲むカナディアンクラブというカナディアンウイスキーであった。
彼は帰宅後いつものように父に「ただいま」と挨拶すると、何の前触れもなく父が激高した。N太朗は一瞬困惑した。俺が何か悪いことをしたのか。別に金をとったわけでも犯罪を起こしたわけでもない。これだから親父は嫌いだ。せめて神父や牧師のようにやさしく説教はできないものなのか。まあバリバリの営業マンでなく、理系で土木を中心とした土地の造成をしている自身でもそこまで話し上手ではないと語るゴリゴリ理系の父にそのような巧みな話術を期待しても無駄か。彼の心がそう思いきると同時に父が口を開いた。
「昨日の晩はうるさかったじゃないか。おかげで寝れやしねぇよ。しばくぞワレ。酒をやめろ、もしくは一日一種類にしてちゃんぽんせず三杯までにしろ。わかったな。怒るでしかし」
父はそう横山やすし感を交えつつN太朗に怒鳴りつけた。N太朗はそれを聞き唖然とした。確かに睡眠を阻害したことに関しては申し訳なく思っているが、だったら二階で寝ろよ。うるさくするのが俺の憂さ晴らしなんだ、それをとって俺に何が残る。俺には酒しかないんだ。平穏、なんてもの、あるわけ、ないでしょ、そんなこと、言われても、結局、ストレスはけ口、今夜はヤケザケ。毎回これである。彼はG-DRAGON風に心の中でつぶやいた。
それと酒はやめねぇよ。俺の唯一の楽しみをとるんじゃないよ。酒が飲めないなら死んだほうがましだ。むしろ酒を飲みまくり早死にすることこそ美徳だ。美人薄命というじゃないか。私もそうなりたい。水原弘みてぇに命を削りてぇんだよ。酒こそわが命なんだよ。それと一日三杯まではまだ守れるとして、ちゃんぽんしないは守れねーよ。一種類だけ、例えばビールだけなら飽きちまうよ。俺にとって酒は研究材料でもあり、いろんな酒を飲んでいろんな味を知りたいんだよー。甘いものが食べたいんだよー。ちいかわのモモンガなんだよー。余談だが酒と甘いものは意外に合い、ウイスキーとバニラアイス、ブランデーとバニラアイスなど洋酒とアイスの組み合わせは別格にうまい。
ここで垣間見えた通り、アルコール依存症はしだいに趣味というか、楽しみが酒だけと感じるようになり、酒が自分のすべて、酒がなければ死んだほうがましと感じるようになる。個人差はあれど、そのように感じ、生活の中心が酒となり、周囲から孤立し、嫁には逃げられ、子供に見捨てられ、やがて孤独死する。
しかしN太朗は違った。
「俺酒やめれる自信ねーよ」
「そんなもん必要じゃねーよ。そんなもんなくたって病院に行けば先生が酒をやめさせてくれるさ」
最初彼はふーんと思った。しかしその後アルコール依存と犯罪に関する某アイドルグループの元メンバーであるYメンバーの記事を読み、酒を飲むメリットがなくむしろ酒は薬物で悪影響しかなく、早くやめないと後々恐ろしいことが起きると感じ、酒をやめる決意をし、父に病院に連れてってもらうようお願いした。
また酒で人生を棒に振るのはもったいないと感じたからである。せっかく仕事ができるのに酒のせいで中川昭一のように良い評価が得られなかったり、水原弘のように酒を飲みすぎて歌の才能はあったのに早死にしてしまい、せっかくの才能を後世に伝えることが叶わなかったり。
週末、N太朗は父とともに病院を訪れ、そこで衝撃の事実を告げられた。
現状としてN太朗の体に異常が発見されたり、肝臓の数値が悪いなどはなく、脳がただただアルコールという薬物を欲しているだけだった。そして今は臓器の問題はないが、今後同じく酒を飲み続けた場合は三十歳まで生きることは難しいといわれた。尿酸値はやばかったが。
N太朗はそれを聞き安心した。よかったー、病院に行っておいて。このままやと俺死んでるじゃーん。二十歳から酒飲みまくって早死にしちまったぜー。ワイルドだろー。天国でこうつぶやいていたに違いない。それはそれで面白いが。
N太朗は同時に不安も覚えた。俺この先一生酒飲めないのかー。俺の唯一の楽しみがー。俺は何を希望に生きていけば良いのだろう。レミーマルタン飲みたかったなー。
一応伝えておくとN太朗はアルバイトがある日以外の週五日飲んでおり、一日で平均して七杯の酒を飲み、内容としては焼酎を二杯、ブランデーをストレートでワイングラスで平均二杯飲んだり、缶ビールを一本飲んだり、芋焼酎をロックで二、三杯飲んだり、テキーラをソーダで割って二杯ほど飲んだり、日本酒やワインをコップで二杯ほど飲んだりした。そのような感じで酒を飲んでいると三十歳まで体がもたないのも必然である。しかしN太朗は早い話、薬物依存である。そう簡単に酒をやめられるわけもなく、依存して脳がおかしくなったのか、毎日大量飲酒し、ブラックアウトするまで飲み続け、よくわからない孤独感に苛まれ早死にしたいというストーリーを上げる始末である。N太郎の所属する委員会というかサークルはモテる人が多く、彼女が二年以上いないN太朗からすれば嫉妬の嵐である。
しかし、この日は違った。いつもはそう思う彼であっても今回はやばいと気づいた。このままでは将来的に社会から排除され永久に日常生活を送ることができなくなる。そういう不安に苛まれた彼の意志は強かった。酒をやめよう。飲み続けてもいいことはないと。
それから彼は変わった。酒を一切やめ、飲酒欲求は睡眠でごまかし、ノンアルコールビールも飲むが外食の時だけなどルールを決めて利用している。そうするうちにだんだん飲酒欲求は消え去り、三か月がたつ頃にはどれだけ疲弊しようがどれだけメンタル的にしんどいことがあろうが飲みたいという気持ちは微塵もわかず、ただ疲れた、家に帰ってリラックスしたいとしか感じないようになった。
酒をやめてからというものの彼は永遠の躁状態が続くように感じた。笑いのツボも浅くなりバイト中だろうが授業中だろうがずっと笑っている。はっきり言ってきもいというか怖いが、以前の酒を飲んだ時のうつ状態に比べたら百倍ましだ。酒を飲んではテンションが上がり、踊りだし、その後、鬱状態となり生きていくのに疲れただの孤独だのに関するストーリーを夜な夜な酒を片手にあげるよりはマシだ。バイト中なんかテンションが上がりすぎてお客さんのいないところでパジャマパーティーズのうたを歌いだす始末である。
「ちいかわになりてーなー」
N太朗はそう独り言をいうと焼けたパンにバターを塗りつけた。彼はそれを紅茶で流し込みつつふと考えた。そういえば、俺、酒やめてから食生活変わったよなー。前まではパンなんて酒と一緒に食べるとカロリー高くて太るから絶対に食べなかったし、昼飯も食いたいけど夜酒死ぬほど飲むからカロリーオーバーでリバウンドするの怖いから我慢してたし、カロリーの低いものばっか食ってて、本当に自分が食べたい美味しいもの食べれてなかったなーと感じた。
食生活の変化は彼の人生に新たな趣味をもたらした。そう、外食である。ここで彼の外食ルーティーンを紹介しよう。基本は昼か夜で、行く店はチェーン店などの一食千円にも満たないようなコスパの良い店から、叙々苑のような一食五千円ほどかかる店まで様々である。まずドリンクはノンアルコールビールを注文しのどの渇きを潤し、その間に料理を決める。この注文方式はドリンクメニューがあるような店に限った話で、チェーン店などでは注文することはない。そして大概チェーン店であろうと高級店であろうと腹いっぱいになるまで注文する。特に叙々苑のランチは狙い目である。なぜならライス大無料、ナムル、スープ、キムチ、サラダ、肉七枚のセットであり、これが若いN太朗にとってもかなりおなか一杯になる。また見てわかる通りナムル、キムチ、焼き肉など酒のあてにも最適なので酒が飲める頃は一人飲みのために叙々苑でランチを注文したこともあった。酒という楽しみが外食という楽しみに移行したことにより、彼はうまい店を求めてよりアクティブに動き始めた。
そう、N太朗は酒をやめてからかなりアクティブになったのである。酒を飲む前の大学一回生のN太朗はかなりアクティブであり、休みで予定がないときはユニバの年パスを持っていたのでユニバに頻繁に行ったり、気になった服があれば梅田まですぐ買いに行き、気になるアパレルショップがあればすぐに向かったりした。 しかし、酒にのめりこんでから、彼は酒のことしか考えられなくなり、毎日の楽しみは家に帰って晩酌をすること、しかも七杯以上。いつまでも続くわけがない生活を彼はいつか終わると自覚しつつも、やめることはできず、大学やバイト以外は基本家で酒を飲んでいた。もちろん夜だけだが。
「いやー酒やめてから毎日楽しいなー」
「それはよかったじゃん」
「うん」
「ところでさ、N太朗は就活のほうどんな感じで進めてる?俺は説明会結構参加して、面接もちょくちょく行ってるけど」
「あ……、まあぼちぼちかな」
彼はお茶を濁した。そうだ、就活を忘れてた。時が経つのを忘れてた。
何を隠そうN太朗が就職したかった会社は宝酒造や白鶴などの酒造会社で、酒造会社に入社し、新しいお酒を開発したり、プロジェクトを企画、立案したり、マーケティングをしたいと思っており、酒をやめた今、酒造会社以外の夢はN太朗には特になく、公務員という夢はあるが、勉強にいまいち本腰が入らず、公務員のインターンシップに参加したのは良かったものの、 部署によっては仕事もまともに教えてもらえないということを聞き、どうしようかなー、俺が体験した部署はたまたまよかっただけで、仕事を教えてもらえず無能のまま定年迎えたらどうしよー。
N太朗はそう感じると将来に嫌気がさしてきた。嫌気がさしたことにより酒を飲みたいという気持ちが一瞬強まったが、だめだだめだ、ここで飲んでは元の木阿弥だ。これまでの楽しい生活が水の泡になる。生きていくっていうことは、かっこ悪いかもしれない、死んでしまうということは、とってもみじめなものだろう、チェインギャングの歌詞が頭に浮かぶとN太朗は共感した。人生とは矛盾だ。生きることはしんどいし、死ぬことは周りに迷惑がかかる。事故死にせよ後の葬式等の手間をかんがえるとうーんとなってしまう。酒をやめて二か月まではそんなことばかりをN太朗は考えていた。酒をやめて頭が回るようになり、仕事の効率は上がったのに、肝心のやりたい仕事が見つからない。難しい。しかも夏インターンのエントリーも終了したこの時期に就活の軸を変えて応募するのもさらに難しい。
しかし彼は就活を再開し、別の業界を目指し始め、説明会を受け始めた。
酒のほうは完全にやめている。酒をやめてから人生はダイヤモンドのように輝き始めた。これまでのN太郎の酒を飲んでいる状態の人生をキュービックジルコニアとすると、今の酒をやめた充実した人生は天然ダイヤモンドである。酒を飲まずとも酒を飲んでいた時以上に明るく気分は上がるし、酒を飲まないことで肌荒れもましになり、孤独だなんだと鬱っぽく悩むこともなくなった。信用も少しは取り戻しつつ、友人とも酒で迷惑をかけないおかげで良好な関係を保てている。
こういうことならば、素直に友人のRの助言を最初から聞き入れておくべきだったとN太郎は後悔した。Rは飲み会やご飯のたびにこう言った。
「お酒は飲まないんだよねー。行動制限かかるから」
「そんなに飲まなけりゃいいのに」
たしかにそうである。理路整然としている。お酒を飲まなくなってから、家に帰って実行委員の事務作業やこうやって小説を書くこともできている。
第一、N太郎は実感した。彼は晩御飯の時から飲みはじめ深夜三時四時まで飲み続け泥のように眠るのだが、最近はそれすら不要と考え始めた。
ただ悩みとしては、酒を飲まなくなったことで飲みに誘われなくなり、交友関係が少し狭まりつつあることであろうか。
実際インターンでも、N太朗はインターン先の方から飲みに誘われて仕事の話やプライベートの話を伺いたく行こうと思ったのだが、飲まないことを伝えると断られ話を伺う機会を失ったので、非常に悔しい思いをした。
そのほかにも飲み会にノンアルコールで参加し、二件目に行こうとするも、二件目はクラブでお酒を飲むところなのでお前は帰れと言われたりなどなかなか悲惨な目にあった。
それとやはりお酒のコマーシャルを見るとお酒を飲みたくなってしまう。少し古いが、田宮二郎の大関のコマーシャル(酒は大関心意気)、石原裕次郎の松竹梅のコマーシャル(飲むことすなわち喜びさ、喜びの酒松竹梅)、三船敏郎のサッポロビールのコマーシャル(男は黙ってサッポロビール)を見ると特に飲みたくなる。最近のコマーシャルより昭和のほうが、メッセージ性が強く、なおかつチューハイよりビール、日本酒が好きな彼にとっては突き刺さる。
お酒をやめた人生は素晴らしいが、孤立を促進する。機会飲酒が最良だ、まあ飲まないが。
N太朗はそう結論付けると床に就いた。