たとえば、ここに一本のマッチがあったら。
今ここに投げ捨ててしまえば、私は燃えるのだろうか。
たとえば、その炎の中に私がいたら。
私はすべてを諦めてしまえるのだろうか。
たとえば、諦めた先に待つものとは。
何もない自分を結局は嗤うだけなのではないだろうか。
たとえば、自分を嘲り嗤うことは。
諦めも認めも出来ない自分の卑しさにあるのではないだろうか。
たとえば、認められたいという欲求には。
傲慢だけがただただまとわりついているだけなのではないだろうか。
まとわりつくものを解いたとして、自分の傲慢さは、燃やせはしないだろう。
生きている限りそれが続くのであれば、もはやそれを断つ術はひとつなのだ。
たとえば、それを断とうとするのならば。
私は苦しむことも泣くことも失えるのだろうか。
たとえば、それが炎の中であるならば。
生きているという実感をただ与えてくれる行為なのではないだろうか。
マッチを擦ってでも、その火を灯したいと願うのだろうか。
生きることは地獄であり、地獄は火であり、翻って生きることは火の中に身を置くことなのだ。
たとえば、私が火の中に身を投じることができなければ。
すべてから弾かれ望まれない、ただの空箱になるだけなのだ。