木枯らしが吹く秋の中、夜は平等にやってくる。
この世界は、僕の目ではひとつの色を通して視える。それはただの黒で、夜と同じ真っ黒だ。何にも染まるはずのない黒の中に、星々の煌めきを詰め込んだ金色や、揺れる街頭の橙色が混ぜ込まれて、ひとつの色になる。
この色を通さないと、僕には世界が視えない。それは不幸なんかではなく、僕にとっては幸福そのものなのだ。
僕――水増遙(みずませはるか)が視る世界は、ただそんな、真っ黒い色に支配されていた。
大学が終わり、個人で営業している本屋のバイトへ向かう。この本屋は実家から近くて、幼い頃から通っている本屋だ。親も店主夫婦と仲がいい。バイトをはじめたのは、店主であるおじさんがぎっくり腰で店に出られなくなったときに臨時の店員として呼ばれたのがきっかけで、それが高校二年生の頃。他のバイトをするつもりもなく、すっかり四年目が経っていた。
とはいえ、バイトの終わり時間は早い。午後八時には店が閉まるので、五限まで講義があるときは二時間くらいしか勤務できない。
稼げるかと言われたらあまり稼げないが、楽でいい。もちろん雑務は大変だけれど、居酒屋だとか、服屋だとか、愛想を振り向かなくちゃいけないようなところよりはよほど性に合っている気がする。
今日はまさに五限目までの日で、気持ち早足でバイトへ向かった。そしてあっという間に退勤の時間だ。
家に帰り、母が作った食事をし、風呂に入る。時刻は午後十時半。今日は少し早めに出よう。
僕の趣味は夜の散歩だ。気分が乗れば二時間くらいは歩くこともあるし、適当なファミレスに入ってみたりもする。
風呂上がりに普通の服を着るのは面倒だったので、今日はジャージでいいかと思い、適当に着替える。これでランニングをしている風には見えるだろう。以前深夜に着込んで歩いてたら職質されたことがあるので、適度に夜歩いていてもおかしくない格好をするようにしている。
特に実家周辺は街灯も少ないので、職質には絶好のスポットらしい。僕の他にもされている人をみたことがある。
さて、財布(もちろん身分証はちゃんと入れた)とスマホをジャージのポケットに入れて家の扉を開ける。
ここから、僕の世界へ繋がっていくのだ。
僕の趣味は夜の散歩ーーだけれど、ただそれだけではない。夜に見かける人たちがどうして今ここにいるのか、その人がどういう人なのか。そういうことを観察して勝手に妄想することが好きなのだ。人間観察と言ってしまえば聞こえは良いけれど、僕の場合は勝手にその人の背景を想像するのだからあまり良いものではないだろう。
けれど、昼間には見えない人間性が夜には視える気がして、それをやめることができないのだ。
実家そばの並木道を歩く。枯れ葉がはらはらと地面に落ちてきて、足元でかさりと音を立てる。普通の散歩なら、ここで秋を感じたりするんだろうが、僕としてはどうでもいいことだ。
歩いていると、向かいから近所の高校の制服を着た男の子が歩いてきた。疲れたように背を丸めて、とぼとぼと歩いている。
こんな時間だ、おそらく塾帰りだろう。僕が高校生の頃を思い返すと塾なんて通っていなかったから、最近の子は偉いなという気持ちになる。歳はそんなに離れていないが。
塾に通っていなかったのは、別に頭が良かったからではない。親が塾代をケチったからだ。なので、実家から近いところにある大学に焦点を当てて適当に勉強をしていた。偏差値が高くないのでそこまで気を張らずに済んだのは良かったと今でも思う。
だがこの高校生は違うのだろう。東大までは行かずとも、難関大学を目指していそうだ。テストの結果が良くなかったのか、授業になかなか追いついていけないのか。どちらかだろう。
いや、もしかしたら全然違う理由かもしれない。勉強は普通にできる子で、ただお腹が減っていて疲れているだけかもしれない。もしくは読んでいる連載マンガの展開で何か合ったのかもしれない。
そんなことを考えているうちにその子とすれ違い、見えなくなった。
並木道を歩いていくと、ブランコだけが置かれた公園がある。いつもは実家のある住宅街の中にある公園に立ち寄るが、今日は反対に歩いてきた。そこは先程も言った通りブランコだけが遊具として置かれており、他にはベンチぐらいしかない。少し休憩していこうと思い公園の中へ入る。木で出来たベンチに腰掛けて、はぁ、と息を吐く。まだ白くはならない。冬には程遠いからだけれど。
スマホを開いて時間を見る。ちょうど午後十一時、深夜の時間帯に迫ってきている。そろそろ面白い人は現れてこないだろうか。
そう思っていると、公園の前の道を背の高い男性が歩いてくるのが見えた。
だいたい180cmくらいだろうか。右手でデバイスのようなものを持って、そこから出ているスティックを咥えている。
煙は見えないけれど、親が吸っているのを見たことがある。
ああ、電子タバコだ。
歩きタバコとは堂々だなと思いながら見ていると、その男性は公園の中へ入ってきた。禁煙区域の公園だけど大丈夫だろうか。
その人はブランコに一直線に向かうと、電子タバコを吸いながらぼうっと遠くを見つめだした。
よく見るとその人は龍の描かれたスカジャンを羽織っていて、髪は黒い。ふわふわとしたパーマで、髪の一部が公園のライトに照らされて青く見える。メッシュだろうか。
一見やんちゃをしてそうな見た目だし実際今タバコでやんちゃしているけど、案外ああいう人が真面目な職業に就いていたりするのだろうか。
今吸っているタバコを吸い終えたのか、丁寧にもスカジャンのポケットから灰皿を取り出して吸い殻を入れる。そしてすぐに新しいタバコスティックを取り出して、デバイスの中に差し込んだ。すこし待ってから、また吸い始める。
面白そうな人だし、この人を観察してみよう。まず職業だ。
実は警察官とか。それならこんな時間にあんな職質されそうな格好はしていないだろうし、そもそも歩きタバコもこんな場所で吸ったりもしないだろう。
じゃあ学校の先生? いや、これも保護者に見つかったら大変そうだ。
学校の先生といえば、昔僕の通っていた中学校の音楽の先生があんな感じのふわふわなパーマの男性だった。あのときの先生とは違う人だけど、髪型だけは似ている。兄弟ではなさそうだ。だけど、ああ、それなら例えば――ピアノを弾けたりとか。先生という線は低いと見えるけど、僕が知らないだけで名のあるピアニストだったり。
外見からじゃピアノを弾いてるかなんてなんにもわからないけれど、でも、そうだったら面白い。
この妄想が現実かどうかなんて関係なくて、僕はただそれを考えるのが楽しいんだ。もちろん、当たれば爽快だけど。
しばらく観察していると、突然静かな公園の中に着信音が響いた。
僕のものではない。そもそも僕のスマホが鳴るわけがない。友人なんてほとんどいないのだから。
となると音の出どころはひとつ。ブランコの人だ。
「はあ~い、八重寺で~す。ええ、明日の演奏? 急遽? チャットで済ませてっていつも言ってるじゃんかあ。まあいいよ、明日ね。曲は適当でいいんでしょ? はいは~い、それじゃ明日、いつものバーでねぇ、うい~」
その人はそう言って電話を切った。
演奏って言った、よな。ということは、僕の予想はかなり当たっていたのではないだろうか。
ゾクリ、と背筋が震える。僕はこの瞬間が好きだ。好き勝手している妄想。当たれば爽快。でも、実際のところは爽快どころではない。どんなものよりも心地良く僕を包んでくれる最高の瞬間になるのだ。それを快感という人もいるかもしれないけれど、別にそんな下世話なものではない。
電話の後もタバコを咥えて遠くを見ているその人ーー八重寺さんを見る。すると彼は小さく左手を前に出して動かしていた。まるで、ピアノの鍵盤を叩くように。
これはビンゴではないか?
僕の中で血液が煮えたぎるような感覚が巻き起こって、ちょっとした興奮状態になる。それこそ、逆転満塁ホームランでも打ったような気分だ。
ありがとう八重寺さん。あなたのことは電話の受け答えと手の動きしか知らないけれど、僕の妄想を的中させてくれたことだけでも価値がある。
もうしばらくして、彼は三本目のタバコを吸い終えてから、公園を出ていった。歩いていった方面は繁華街の方向だ。お酒でも飲みに行くのだろうか。
面白い人はいた。やっぱり、夜の散歩はこれだから楽しい。
ふと思い立って、スマホでさっきの男性の苗字にピアニストと足して検索をかけてみた。すると、とあるバーのホームページに演奏ゲストとして名前が書いてあった。やはり正解だったのだ。こういう事が起こるから、僕は夜に散歩をするし、人間観察をするのだ。言うなれば、超簡単な推理ごっこ。だからこそ考えていたことが当たると心地良い。
ピアニストとしての八重寺さんはどんな雰囲気になるのだろうか。
まさかさきほど着ていたスカジャンで演奏するわけはないだろう。スーツとかなのだろうか。
であれば、あの人は夜に自分を隠しているのだろうか。バータイムの演奏は夜に行われるんだろうし、おそらくだけど、スカジャンを着ている方が本当の八重寺さんな気がする。けれど夜にスーツを着て演奏をするのは、本当の自分を隠しているということにはならないだろうか。
まあ、仕事をするっていうのは自分を隠すことと同義なんだろうけれど。
ーー就活が近づいていることを思い出した。来年にはインターンをしないといけないのだろうか。嫌だといっても、しないといけないんだろうなあ。
まあそれでも今日はもう満足だ。帰ろう。
僕はそうして、彼とは真逆のーー静かな住宅街の方向へと歩き出した。