※1 : 初代に神仏や天狗などの名を挙げ、二代以降に実質的開祖の名を記すのは、兵法伝書においては一般的な書式です。
※2 : 現存する我が国の武芸者列伝としては最古の書であり、以後のこうした書物のほとんどが本書を参考にしています。
※3 : 田宮流の流祖・田宮平兵衛や、無楽流の流祖・長野無楽斎、民弥流の流祖・民弥権右衛門、関口新心流の流祖・関口氏心など。
※4 : 古武道の歴史上、昨今とは異なり、流名にはあまりこだわりが無く、ひとつの流派でも時期や場面によって様々な字で表記されたり、継承者たちが特に流名を変える意思のないまま徐々に名乗りが変遷していく例も少なくありませんでした。当流にもかつて様々な別名を名乗る派が存在しましたが、十八代・中山博道の没した昭和33年以降、中山の高弟たちの一部から流名統一の声が高まり、全国的に「夢想神伝流」への改称が押し進められました。しかし、伝承のあることでもあり、一応、当会における正式名称は「夢想神傳英信流」のままとし、同流他派の集まる場では“通称”として「夢想神伝流」をなるべく名乗るようにしております。
※5 : 当時この流は旧土佐藩校から多くの名人・達人を輩出し、その師伝により、業の内容に多少の異同が見られました。後に大江正路は、先代である五藤孫兵衛の師、十五代・谷村亀之丞と、当派十五代・下村茂市の名を採って谷村派・下村派と二派に大別しました。なお大江自身の最初の師は十七代・細川義昌でした。