本講座の沿革は、本学の前身として開校した大阪女子高等医学専門学校において昭和4(1929)年4月20日に設置された解剖学教室にまで遡る。昭和35(1960)年4月に解剖学第二講座が新しく設置され、従来の解剖学教室を解剖学第一講座とした。その後59年間二講座体制として運営され、平成31(2019)年4月1日、解剖学第一講座および第二講座を統合し、新たに解剖学講座として設置された。初代主任教授は北田容章(平成31年4月〜)。北田容章着任時は、田中進准教授、加瀬政彦講師、平原幸恵講師、大江総一助教、小池太郎助教、中野洋輔助教の7名体制であった。令和2年1月より林真一講師(徳島大学先端酵素学研究所発生生物学分野特任助教より)が着任した。令和3(2021)4月1日、加瀬政彦講師が千葉県立保健医療大学栄養学栄養学科教授として転出し、同年同月より関亮平助教(民間企業より)が着任した。令和4(2022)年4月1日には、田中進准教授が長崎県立大学シーボルト校看護栄養学部栄養健康学科教授として転出、平原幸恵講師が本学看護学部看護学科基礎看護学領域教授として 昇 任した。令和4年5月1日、大江総一助教が講師に昇 任 した。令和5年1月1日には岩下洸助教(上智大学理工学部物質生命理工学科科学研究費補助金フェローより)が、同年2月1日には佐藤勇輝助教(JT生命誌研究館形態形成研究室奨励研究員より)が着任した。 令和 6 年 2 月1日、 小池太郎 助教が講師に昇任した。 令和8(2026)年4月1日、片岡明日美(東洋大学大学院生命科学研究科生命科学専攻博士前期課程より)が医学研究科博士課程の大学院生として、Huang Ju(Chengdu Wuhou Chunyang Medical Aesthetic Clinicより)が専任の研究員として、講座に加わった。 令和8(2026)年4月1日現在、 教員8名・教務技師(技術職員)2名(系統解剖学)・教務技術員1名、事務職員1名(臨床解剖教育研究センター)という体制で、研究・教育および解剖関連の実務を担っている。
平成31年までの詳細な沿革については、旧第一講座については関西医科大学四十年の歩み、関西医科大学六十年の歩み、関西医科大学八十年の歩みより、旧第二講座については日本解剖学会100周年記念教室史および旧解剖学第二解剖講座ホームページより抜粋して、沿革を掲載する。
昭和三年六月三十日、本学の前身大阪女子高等医学専門学校が開校されたが、解剖学教室は、翌昭和四年四月二十日、本科授業開始と共に開設されている。初代教授は中野由巳教授(現本学名誉教授)である。教室は牧野宇山であり、当初は現牧野学舎西側の旧校舎二階を用いていた様であるが、後、本館が建設され、その東側に当る現中野名誉教授室を中心とした部位に設立された。
創設に際しては、中野教授を中心に、京都大学医学部解剖学教室より木原卓三郎教授(現大阪医科大学教授)、金関丈夫元台北大学教授などの諸先生が応援に当られた。なお故小西小太郎助手(後の大阪医科大学企画室長)も中野教授のよき片腕として尽力されたと聞いている。その後、中野教授は中途で二度応召されたが、昭和三十九年五月二十二日定年退職されるまで本教室を主宰され、営々教室の発展に努力されて釆た。昭和三十五年四月一日、荒川尚男教授が着任され、第二講座を主宰されるに至り、当教室は第一講座となり、解剖学教室は二講座制になった。中野由巳教授応召の間は、木原卓三郎京都大学教授と共に、伊藤光三現鳥取大学教授(昭和十三年三月三十一目より昭和十五年七月三十日まで)あるいは故坂井田いずみ教授(後の大阪女子医科大学助教授、昭和二十六年三月三十一日逝去)が専任教授として留守を守られていた。これらの諸先生の他、中野教授在任中には京都大学医学部解剖学教室関係者として故小川睦之輔教授(昭和九年十月一日より約一年間)、小谷正彦助教授(昭和三十年より昭和三十九年頃まで)、谷口善之現大阪歯科大学教授(昭和二十二年九月十五日より現在に至るまで)などの諸先生が、当教室を応援して下さっていた。主に、当教室に於いて実際に中野教授のよき伴侶として、教育にあるいは研究面に於て教室運営に参画されたのは、前述の故坂井田教授の他に、中野保助手(昭和二十一年一月十五日より昭和二十三年三月三十一日まで)、紺田美佐子助手(昭和二十四年五月一日より昭和三十八年九月まで)、壺内みよ講師(昭和二十一年五月二十日より昭和二十二年七月三十一日まで)、鈎スミ子助教授(現大阪医科大学助教授)(昭和二十八年二月1日より昭和三十三年三月三十一日まで)、松本透助教授(昭和三十一年六月一日より昭和三十九年十月三十日まで)などの方々であり、斉藤多久馬現当教室助教授も、昭和三十七年十二月十七日、中野教授在任中に、京都大学理学部動物学教室より助手として入職している。
中野教授在任中の研究の主眼点は、実験発生学であった。その主業績については、中野由巳教授業績目録(昭和四十年刊)に集録されているので、ここでの重複は避けることとする。この他、当教室に於ては、木原卓三郎教授門下に当る、故坂井田教授、壺内講師、鈎助教授などによるリンパ系の組織学的研究も行なわれていた。
牧野にあった教室は、その後、昭和三十四年~三十五年頃、基礎・臨床統合に関連し、現在の滝井学舎に移転して来ている。但し、教室の一部は、スペースの関係から、なお牧野学舎に分散していた。滝井学舎の中でも、当初は元看護学校講堂の二階(その後、一時、第二講座が使用していたが、最近、新学舎建設のため、とりこわされた)であったが、ついで、現生理学教室第一講座所在の部位を経て、昭和三十九年十二月五日(日本解剖学会第三十六回近畿地方会主催日)以来、現在の位置(旧館三階東側、図書館横)にある。
中野教授定年退職の後を受けて、小川和朗が、第二代教授(昭和三十九年八月十六日就任)として講座を主宰し、現在に至っている。現第一講座の研究の主軸は、電子顕微鏡による組織・細胞化学、細胞学原論、特に分子細胞学であり、斉藤多久馬助教授(現在、米国テキサス大学医学部留学中)、平野寛助教授(東京大学医学部解剖学教室より昭和四十年四月一日着任)、馬屋原宏助手(京都大学理学部動物学教室より昭和四十一年四月一日着任)などの、よき共同研究者と共に、日夜精励し、日本に於ける、この学の推進力となっている。
20年のうち略々前半が本講座第2代目の小川和朗教授(現在京都大学医学部解剖学第2講座教授),後半が金村の在任期間になる。なお,本講座の初代教授は中野由己名誉教授である。
小川先生は,昭和39年8月36才の若さで京都大学解剖学第1講座助教授から本学解剖学第Ⅰ講座に教授として着任された。当時関西医大には研究設備らしいものほ殆んどなく,先生は“砂漠に花を咲かせよう”というお気持で来られたとのことである。その後11年除,教育に力を注がれ,また,お言葉通りに数々の大きな研究業績を上げられ,51年3月京都大学教授に転任された。この間の先生のご活躍ぶりは,門下生の一人である吾郷泰廣が先生の若さと情熱あふれる講義に魅了されあこがれて第1解剖に入ったということからもうかがえる。業績は,種々のホスファターゼ,エステラーゼ,脱水素酵素などの電顕細胞化学,これに関連してライソソーム,ゴルジ装置,ペロキシゾームの問題,次いで細胞膜の超微細胞化学に関するもので,いずれもそれらの分野の最先端を行くものである。その間,齋藤多久馬(37年12月助手,講師・助教授を経て,46年7月愛知県立発達障害研究所,後自治医科大学解剖学教授),平野 寛(40年4月助手,講師・助教授を経て,46年11月杏林大学医学部解剖学教授),馬屋原 宏(41年4月助手,講師を経て,46年7月京都大学理学部助手,後京都大学医学部解剖学助教授,武田薬品工業株式会社中央研究所),吾郷泰廣(44年3月助手,講師を経て,50年3月開業),藤岡厚子(45年4月助手,51年9月富山医科薬科大学助手,後近畿大学医学部解剖学助教授),綿引利充(46年9月助手,48年4月本学法医学助手,後同講師),安部省吾(47年4月助手,55年3月香川医科大学解剖学助教授),山内光昭(48年4月助手,51年3月本学第2内科,後同助手・講師を経て開業),田中輝男(49年6月助手,56年3月福井医科大学解剖学助教授,後九州大学歯学部解剖学教授)の諸氏が小川教授のもとに協同研究者として活躍された。このように門下生諸氏がすべて立派に大成されたことは,先生の弟子に対する面倒見の抜群の良さに関係あることは云うまでもない。インドからの留学生Arun S Dabholkar(49年10月から52年10月まで研究生,現在在米)も先生に非常にお世話になった1人である。
昭和50年6月金村は京都大学胸部疾患研究所細胞化学部門助手から,小川教授のもとへ助教授として着任した。上述のように,藤岡厚子,安部省吾,田中輝男がそれぞれ助手として小川教授のもとで働いており,昼夜を分かたぬ猛烈な研究ぶりには目をみはらせる所があった。大学院生として,島野圭司(耳鼻科),河本圭司(脳外科),三木弘彦(眼科),馬殿芳郎(外科),山下秀明(眼科),笠原憲二(胸部外科),橋本 徹(内科Ⅱ)の諸氏もおられ,厳しさの中にもなごやかな雰囲気があらた。小川教授が京大に転任されてからは4名で教室を守ることになったが,藤岡は51年に富山医科薬科大学に移り,代って久保田真理が52年5月京都大学大学院理学研究科博士課程から助手として着任した。53年4月には金村は教授となり,同5月に東邦大学大学院病理学専攻を終えた猪俣賢一郎が助手となったが,早くも9月には島根医科大学解剖学講師として栄転した。さらに安部省吾ほ55年香川医科大学に,一年おくれて甲中輝男は福井医科大学に,それぞれ解剖学助教授として栄転した。なお,その後猪俣ほ母校の東邦大学医学部解剖学教授に,田中も母校の九州大学歯学部解剖学教授となった。
入れ替って,54年4月には大阪府立大学大学院獣医学専攻修士課程を終えた金井和夫が助手として,さらに56年4月には山口大学大学院獣医学専攻修士課程を終えた渡辺 淳と,徳島大学医学部栄養学科を卒業した岡 元子がそれぞれ助手,教務技師として着任し,教室は全く新しくなった。58年4月には新しく建った2号館に移転し,電子顕微鏡を始め関連ある研究設備も次第に充実し,綜研の機械をもフルに利用して,63年現在までに研究成果として多数の論文を作り上げた(The Anatomical Record 14.Journal of Ultrastructural and Molecular structure Research 4.Journal of Histochemistry and Cytochemistry 4.American Journal of Anat-omy 2.Histochemical Journal 2.Journal of Anatomy 2.Gastroenterology 1.Journal of Endocrinology 1.その他)。その内容は,(1)“種々の臓器の細胞における glucose 6-phosphatase(G6Pase)の局在とその生理的意味”,(2)“肝細胞の形態的,機能的不均一性の生後発育中における形成”,(3)肝実質細胞および非実質細胞における glucagon receptorの存在とその生理的意義,の3つになる。(1)は,G6Paseは肝および腎に存在し,その働きは血中へのブドー糖の供給であることはよく知られている。ところが,肝・腎以外の種々の臓器の細胞にも広く分布しており,それぞれの臓器に特有の生理的役割を果していることを明らかにしたものである。(2)は,肝が機能的,形態的に大きく発育する周生から生後発育期にかけての肝細胞微細構造の発育を肝小葉を念頭において量的解析したものである。(3)は,まず(a)glucagon receptor がreceptor-mediated endocytosis によって肝実質細胞に取込まれることを形態的に示し,続いて(b)肝非実質細胞(類洞内皮細胞および kupffer 細胞)も glucagon receptor を持つこと,この生理的意味は,肝実質細胞に達する glucagonの量の調節であろうとしたものである。
なお,大学院生としては,59年4月に執行良彦,60年4月には徳永裕彦,広瀬和人が入学し,また,坂井田 稔,猪谷 健(ともに整形外科大学院),鈴木 宏,藤本 聡,田中純一(いずれも整形外科研究医員)の諸氏も現在共に研究に励んでいる。61年12月には家事専念のため岡 元子(58年4月より助手)が,62年12月には14年にわたって秘書を務めた山本恵子が退職し,後任には神戸女子薬大卒の浅香庸子,神戸外大米英語科卒の奥野京子がそれぞれ勤務している。
現在,金村,久保田真理講師,金井和夫講師,渡辺 淳助手,それに吉水美知子(教務技術員),浅香庸子(教務技師),奥野京子(教務員)の7名がスタッフである。
解剖学講座の昭和期の歴史については、「関西医科大学四十年の歩み」、「関西医科大学六十年の歩み」および「日本解剖学会100周年記念 各教室の沿革史」に記載されているので、詳細は省略し、昭和63年10月以降について記載する。
本講座3代目教授 金村秦輔が平成12年3月の定年退職まで講座を主宰し、平成12年7月には山田久夫が着任した。昭和63年以降の講座所属教職員は以下のとおりである。
金村秦輔(S50.4.1~:助教授、S53.4.1~H12.3.31:教授)、山本恵子(S48.8.1~:教務員、S55.7.11~S62.12.31:班長)、吉水美知子(S48.12.11~:教務員、S55.7.11~H2.3.31:班長)、久保田真理(S52.5.1~:助手、S59.4.1~H6.10.31:講師)、金井和夫 (S54.4.1~:助手、S62.6.1~:講師、H1.2.16~H1.3.31:助教授)、岡元子(S56.4.1~:教務技術員、S58.4.1~S61.12.31:助手)、渡邊淳(S56.4.1~:助手、H1.4.1~:講師、H6.4.1~H14.3.31:助教授)、浅香庸子(S62.4.1~:教務技術員、S62.5.1~:教務技師、H1.4.1~H9.9.30:助手)、奥野京子(S63.1.1~H2.7.14教務員)、藤本聡(H2.1.1~H4.7.31:助手)、三代(谷中)佳代(H2.4.11~:教務技術員、H6.11.16~H10.3.31:助手)、岩崎(上里)有希子(H2.9.1~H9.7.11:教務員)、田中富弥(H5.4.1~H9.9.30:助手)、天津健(H8.4.1~H9.3.31:助手)、近藤千雅(H9.4.1~H10.3.31:助手)、大須賀(田森)えり(H9.7.1~H17.3.10:教務員)、仁平美果(H9.12.1~現在:助手/助教)、高森康晴(H10.1.1~現在:助手/助教)、門藤裕子(H10.4.1~13.3.31:助手)、山田久夫(H12.7.1~現在:教授)、片岡洋祐(H13.4.1~H17.6.30:講師)、崔翼龍(H14.4.1~:特別研究員、H15.4.1~H18.3.31:助手)、田村泰久(H16.9.1~H17.12.31:COE博士研究員)、岡邊瞳(H17.4.1~現在:教務技術員)、若林毅俊(H18.4.1~現在:講師)、森徹自(H18.5.1~現在:講師)、北宅弘太郎(H20.4.1~現在:助教)
大学院生・専攻生・研究生としては、昭和63年から平成12年までの間に、執行良彦、徳永裕彦、鈴木宏、広瀬和人、坂井田稔、猪谷健、岩本斗伸、天津健、柴野惠介、中村誠也、美濃和人、竹田一夫らが、平成12年以降には、宇都宮一泰、田村泰久、棚野晃秀、井岡真基、高御堂祥一郎、池浦司、紅林秀治らが所属した。
なお、金村教授は学会会頭として、平成10年3月31日―4月2日に大阪国際交流センターで開催された第103回日本解剖学会総会を主催した。本学会ではインターネットセッションが初めて取り入れられた。
本講座の特徴は、研究と教育は大学人にとってもっとも基本的な活動であるという理念のもと、研究の活性化を背景としつつ、学部教育にもかなりのエネルギーを割いていることである。金村教授時代には、時間を十分にとり、何度も繰り返し、かつ懇切丁寧に教授することによりきわめて優れた教育効果を上げてきた。山田教授時代になり、折から医学教育改革が大きく動いたことや、前任地での経験から、しっかりした「講義」が専門教育の最も基本であるとの考えのうえに、さらにより解り易くするために、板書・スライド・OHP・Power Point・模型を併用、到達目標が設定されたシラバスを用いた講義をすすめている。また、サイエンスに接する「体験」をも重視し、実習以外にも教科書・成書を読む時間を確保し、科学的な観察・思考・表現を育成することに努めている。担当範囲は、昭和50年代までは、ミクロが第一講座、マクロが第二講座という住み分けがあったが、金村時代の充実を踏まえ、平成13年以降は、細胞学・組織学総論・発生学概論の講義、顕微鏡実習・胸腹部人体解剖実習を担当している。
本講座は伝統的に、電子顕微鏡等の(当時としては)先端的技術、酵素組織化学等の学際的技術の応用を得意としてきた。
金村教授時代には、①肝の糖新生にかかわる酵素glucose 6-phosphataseが、糖新生に関係のない種々の臓器の細胞にも存在することを細胞化学的に明らかにし、その生理的役割を考察した。②肝の重要な機能である薬物代謝の要をなすcytochrome P450およびNADPH-cytochrome P450 reductaseの新しい高感度顕微測光法を開発した。③この結果と肝細胞の電顕像の画像解析結果を組み合せ、これら2つの酵素の肝細胞小胞体膜における分子密度を求め、これらの酵素は仮説通りに複合体として存在し得ることを示した。④薬物投与の際、肝細胞にcytochrome P450誘導と滑面小胞体増生が起こることが知られているが、この2つは別の機構によって調節されていることについて、いくつかの根拠を示した。⑤生後発育中肝小葉が形成される過程において、glucose 6-phosphatase活性、cytochrome P450、NADPH-cytochrome P450 reductaseおよび肝細胞微細構造の小葉内分布の変化とその意義について調べた。
山田は、昭和55年関西医大を卒業したが、直ちに京都府立医科大学・助手に採用され、当時学長をしていた佐野豊教授に師事した。はじめは免疫組織化学を用いたセロトニンニューロン系の神経解剖学的研究をおこなった。その過程で、モノアミン小分子に対する組織化学法の困難を克服した経験から各種組織化学法の改良と応用もおこなった。また、当時化学構造不明であった内因性ジギタリス様物質という高血圧起因ホルモンの組織分布を証明した。平成元年 滋賀医科大学助教授(解剖学第二講座)となってから「エンドセリン」という血管収縮物質に注目し、臨床系講座からの院生と共に各種の器官に対象を広げ、機能を明らかにする手法(機能形態学)で研究を展開した。エンドセリンが形態形成をつかさどる物質であったことから、その研究をさらに発展させ、関西医大着任後は、脳内での細胞更新、すなわち成獣脳内でのニューロン新生と分化について研究をおこない始めた。これまでに、①既知の限られた2箇所のみならず哺乳類成獣脳内でも広く細胞更新がおこなわれていること、②この前駆細胞はニューロンに接して存在する、古来サテライトグリアと呼ばれてきた細胞であること、③未分化オリゴデンドロサイトのマーカーと信じられてきたNG2と呼ばれるプロテオグリカンは、おそらくはこの前駆細胞のマーカーともなりうること、などを明らかにすると共に、④GST-πやラミンをはじめとするいくつかの新しい「マーカー」についても検索した。現在、新しい前駆細胞の探索、細胞更新・神経系分化・ニューロン死などについて、脳・脊髄・網膜・末梢神経を対象に再生医療への応用可能なトランスレーショナルリサーチを展開している。
第二講座の開設は昭和35年(1960)4月1日である。戦後15年が経過し、大学の発展に伴ってすでに当時解剖学の講座増設が懸案となっていたところ、大学院医学研究科の設置を機に実現した。これ以後、解剖学教室は、前述の解剖学第一講座(中野由巳教授が引き続き担当) と解剖学第二講座(初代教授・荒川尚男)の2講座を擁することになる。昭和35年(1960)4月、解剖学第Ⅱ講座が開設された場所は、現在教養学部キャンパスの位置する大阪府枚方市牧野の本館学舎2階であった。教室は昭和43年10月に学校法人と医学部ならびに附属病院の位置する滝井キャンパス専門部学舎1号館5階に移転し現在に至っている。
初代教授荒川尚男(昭和35年4月より昭和63年3月まで):大正9年9月23日生。埼玉県出身。昭和21年(1946)9月新潟医科大学医学科を卒業し、昭和22年(1947)6月より京都帝国大学医学部助手。平沢 興教授(新潟医大、京都大)のもとで末梢神経系の肉眼解剖研究を推進した。昭和25年(1950)1月三重県立医科大学助教授。昭和35年(1960)4月本学解剖学第二講座初代教授に就任した。腕神経叢の比較解剖を主軸に、中枢・末梢両神経系の伝導路研究や末梢神経系の肉眼解剖研究に従事し、所属の教室員の育成と揺籃期の教室の充実に努めた。教科日においては、肉眼解剖学、神経解剖学を分担し、教授在任歴28年の長期にわたって人体解剖学実習の充実に努力した。とくに解剖学教育のための篤志献体の推進に貢献し、昭和56年本学白菊会の発会に中心的な役割を果たした。カリキュラムはその後改変され、人体解剖学実習に解剖学第二講座の担当分野が設定され、両講座で分担する方式となった。解剖学第二講座担当の講義分野は一般解剖学と神経解剖学となった。関西医科大学解剖学第二講座において荒川教授のもとで活躍した人として、松下松雄教授(筑波大)があげられる。
第2代教授杉本哲夫(昭和63年4月より):昭和50年(1975)3月京都大学医学部医学科を卒業。水野 昇教授(京都大)のもとで大学院生として神経解剖学の研究に従事。主として中枢神経系の機能形態学的解析に力を注ぐとともに、末梢神経系ニューロンの中枢内起始の同定や新しいニューロン連絡の探索に成果をあげた。京都大学医学部講師を経て、昭和63年(1988)4月関西医科大学教授に就任。神経系の化学形態学的解析、遺伝子発現、傷害脳の分子神経生物学的研究を行っている。
1960(昭和35)年4月1日、大学院医学研究科の設置にあわせて開設された。初代教授:荒川尚男。教室の立ち上げと大学での解剖学教育の充実に尽力。当時活躍した人達に松下松雄、葉山杉夫、池田美知子、上山禎造がいる。1988(昭和63)年4月1日、杉本哲夫が第2代教授に就任。主として中枢神経系の機能形態学的解析に力を注ぐとともに、新しいニューロン連絡路の発見に成果をあげた。神経系の化学形態学的研究、遺伝子発現、傷害脳の分子神経生物学的研究を大きく発展させる。就任後、教室のスタッフと研究施設設備の充実に努力している。1999(平成11)年には大学情報の開示、ナンバー講座名称の見直しの気運が大学内に高まったこともあって、就任10年目にあたり、大学院科目名を解剖学2から脳構築学に改めた。あわせて教室の英文名称を、Dept. of Anatomy and Brain Scienceと定めた。1997(平成9)年、本学講師に就任した大石 仁は、線条体オーファン神経受容体に関する研究成果をあげ、2001(平成13)年、四條畷学園短期大学教授(リハビリテーション学科理学療法専攻)に転出した。
copyright©2026 Department of Anatomy all rights reserved.