会の歴史

※本項のうち1~11.は当会の創立者である岸 由二 慶應義塾大学名誉教授が2011年9月17日に執筆した「日吉の森と日吉丸の歴史を語る」を当会で編集したものです。

1.前史から現在まで

●前史

森の再生活動に総合調査の前史がありました。生物教員が中心となり80年代前半から90年にわたって実施された調査は地形、水系、動植物全般にわたり、日吉の自然の全容を記録しました。日吉台地は日吉丸の形という図像イメージが提案されたのもこの時代、1986年のことでした。

●第一期日吉丸

日吉丸イメージを共有して教員、在校生、卒業生がつどい、散策、調査、学習活動をはじめたのは、地球サミットの開催された1992年。暮れには『ひよしまる通信』が創刊され、97年春の6号まで継続されます。

●実践活動へ

その日吉丸が、まむし谷周辺の自然の回復・維持にかかわる実践活動に転じたのは1999年。80年代後半の崩壊で放置されていた鬼の寝床で、エノキの移植育成を軸にした雑木林再生作業が始まりました。

●一の谷の整備へ

2000年は飛躍の年。9月、生物多様性国家戦略に関連して町田で開催された「谷戸のフォーラム」で、現役スタッフが「蝮(まむし)谷に水循環を回復したい」と夢を発表しました。翌年には、かながわトラストみどり財団の助成も得て一の谷における雑木林・水循環回復作業が本格化。同年暮れ、枯死木と藪の広がる谷の伐採整理開始。02年には竜神池、普通部生徒も参加して竜の子たんぼが造成され、秋にはどんぐりの植え付け、矢上川源流産のホトケドジョウの放流も実施され整備の型がととのいます。並行して流域丘陵活動との連携も深まり、通信が再刊され、HPも動きだし、市民・卒業生の参加も続き、今日に至るのです。07年春以降あまりの多忙で通信は一時休刊でしたが、満7年目のクヌギ若木のドングリ結実を祝って、<一の谷の風>として再刊され、現在に至ります。

2.日吉丸キャラの歴史

日吉丸の会の歴史に付き添った<日吉丸>キャラの系譜学です。

日吉キャンパスをのせる日吉台地を、なんだか不思議な動物・日吉丸にみたてる工夫が登場したのは、1986年、通信教育の機関誌『三色旗』に当会の創立者・岸 由二 慶應義塾大学名誉教授が投稿した「日吉キャンパスは森の島」というエッセーでのことでした。このキャラを頼りに日吉の森に学生・教員・市民の緑の活動を始動しようというものでした。

その図像は、朗らかで外交的な学生たちと市民活動のような日吉丸活動がはじまる21世紀に入って一気に洗練され、<おひよ><めひよ>となるのです。日吉の学生文化を地球につなぐ不思議なアイコン、日吉丸です。

3.第一期日吉丸の巻

まずは、1992~1997年にかけてのんびり活動を継続した第一期日吉丸の歴史です。手仕事、山仕事の好きなメンバーがいつも出入りする日吉丸ですが、この時期は、散歩ばかりでなくしきりに勉強もした不思議な時代でした。そんな歴史の記録が、1号から6号にわたる第一期「ひよしまる通信」に刻まれています。見事なのは表紙の絵。ガマ、ホシハジロ、第二校舎、ヤンマ、シダ、そしてウラシマソウ。職人がそろっていたことがよくわかります。

この間、『日吉花図鑑』、『日吉樹木図鑑』、『日吉シダ図鑑』などいくつも大きな仕事もしました。第一号はリオの地球サミットの1992年。

4.『日吉シダ図鑑 The Ferns of Hiyoshi Campus』

1995~7年、第一期日吉丸は、徐々に穏やかな時間をむかえていました。草刈、伐採、植樹などの作業は良い季節に少数が、鬼の寝床ですすめるばかりとなり、賑やかな勉強会なども影を潜めておりました。

そんな時期、岸研究室に、不思議な学生が入り浸るようになりました。医学部の木村君。お昼にお弁当を食べにくるのですが、その時間にシダの図鑑を作るのだと言い出し、96年11月、「日吉シダ図鑑」初版を作りあげました。日吉キャンパスのシダ類のほとんどを収録し、検索表あり、コピー図版あり、生活史の一般的な紹介もあり。文句なしの日吉特注版、シダ図鑑となりました。その4ヵ月後、図鑑は日本語、英語の解説のつく、決定版となりました。この図鑑での木村君の大提案は、「ベニシダでつなげ都会の緑」。緑の領域を高木でわける従来の方式でなく、シダでわける工夫が面白いと、提案しています。残念ながらその哲学を深める後続はいまのところありませんが、前代未聞のシダ図鑑は、いまも、おりおり日吉散策のすばらしい参考書になっています。

蛇足ながら、いま普通部の森の導入部として利用の進んでいる、「鬼の寝床」は、木村君の提案。日吉シダ図鑑収録の日吉マップに、記されました。みごとに定着しましたね。

5.『日吉樹木図鑑』『日吉花図鑑』『日吉植物図鑑』

1990年代半ばの日吉丸は、まことに生産的なメンバーでした。それを象徴するのが、『日吉樹木図鑑』(1994年1月1日発行)、『日吉花図鑑』(1995年3月31日)の発行でした。

日吉の森の樹木や植物の葉や実をあつめ、メンバーが分担して、イラストをつくり、検索表を付して小図鑑としたものでした。いずれの図鑑も、日吉の森で実習をする学生たちの、必須の教材ともされてゆきました。

ある植物の名前を調べようというときに、その植物の基本的な特徴をたよりに、設問にyesかnoかで答えてゆくと、ほぼ確実に、種名がわかるように作られた階層的な質問構造のことを、検索表といいます。両図鑑とも福山先生の工夫で使いやすい検索表がついたので、とても便利な図鑑になったのでした。

1996年1月1日、両図鑑は『日吉植物図鑑』(製作:日吉丸の会、編集:日吉の森に学ぶ会)というタイトルの合本となりました。

6.第二期日吉丸の船出は生物多様性国家戦略が契機

作品づくりや学習活動に才能を発揮した第一期日吉丸の活動は90年代末に終息し、しばし作業は岸 由二 慶應義塾大学名誉教授のみという時代が続きました。作業現場は鬼の寝床。一の谷はまだ作業現場ではなかったのです。

転機をもたらしたのは、「生物多様性保全モデル地域計画(鶴見川流域)フォローアップ事業・谷戸のフォーラム」。1993年の生物多様性条約発効をうけ、日本国環境庁(のち省)は、条約の要請にそって1995年「第一次生物多様性国家戦略」を策定しました。その地域推進にあたって全国4地域でモデル地域計画が実施されることになり、行政区画ではなく「流域」自然ランドスケープを枠組とした都市域における計画を鶴見川流域が受けることになりました。国家戦略だけでなく、鶴見川流域市民活動にも関与していた岸も委員となり、98年には計画書策定。これをうけて流域の谷戸(まむし谷のような小さな谷のこと)を単位とした生物多様性保全をアピールするフォローアップ事業・「谷戸のフォーラム」が企画され、2000年9月に実施されたのでした。その企画にあたり慶應日吉まむし谷の緑の規模が注目されたこともあり、「おもしろそうだ」と関心をしめした経済学部のW、A、Iの3君が、トンボたちの賑やかに暮らすキャンパスの自然再生をめざして、「蝮谷に水循環を回復したい!」というパネル発表をしたのでした。

その蛮勇を継ぐ第二期日吉丸たちが「一の谷」のヤブに襲い掛かり、池を作り、本格的な自然回復作業を始めたのは、1年後、2001年12月27日のことでした。

7.一の谷再生へ・伝説の2001年12月27日

この日。もう伝説かもしれませんね。2000年秋、生物多様性保全モデル地域計画(鶴見川流域)関連の「谷戸のフォーラム」(町田市開催)で、W、A、Iくんが「一の谷の雑木林・水循環回復」をパネル発表したことは6.でふれました。

これをうけ、2001年12月27日、アズマネザサとクズが覆う人身未踏の<一の谷>で、大伐開作業が開始されました。作業を呼びかけたのは「日吉の森の連絡会」。当時日吉の森で活動していた、日吉丸を含む諸団体の連携組織。鋭い棘のウコギ、タラノキ、モミジイチゴ、かぶれるヌルデを掻き分け、3mもあるササを倒し、クズのジャングルを切り払い、日没までに作業基地となる広場を確保する大奮闘でした。斜面下の湿地を掘ると水が湧き出し、小さな池(竜神池)までできてしまいました。写真判定によると、日没まで頑張ったのは、日吉丸の岸、I、T、F、生物教室のF、Nさん、KFC(Keio Forest Club)、日吉散策路の会など、12名。

この日を契機に、<一の谷>は、まむし谷の生物多様性回復の中心拠点として、また参加型の学習拠点として、雑木林・水循環回復の焦点となってゆくのです。

8.双眼鏡からカマ・ノコギリへ

2001年12月、怒涛のパッションで幕をあけた雑木林・水循環回復志向の新世紀日吉丸を象徴したのは、なによりも身につける小道具の類でした。それ以前の知的日吉丸のハイソなナチュラリスト趣味とは打って変わり、メンバーの身体を飾るのは、いぼいぼのついた軍手、どろだらけの長靴、鋭く光る(あるいはがりがりに錆びた)各種のカマ、コルト45のように腰にゆれる鞘入りノコギリ。さらには剣スコ(先のとがったスコップ)、かけや(杭打ちにつかう大きな木槌)、高枝切りハサミ、ゴーグルにヘルメット、そして、エンジンカッターに、チェーンソー。夏はもちろん虫除けスプレー、ハチジェットも必須の装備。完全装備の第二期日吉丸は、高さ3mを越すアズマネザサ(篠竹)をどんどん刈る、杉の木立を覆いつくし枯死させる壮大なクズのツルをもりもりと切り、引き落とす。枯死したスギの大木を、日に何本も伐採し、玉切りする。中間流ありと察知した地面をほっては池をつくり、伐採した枝を利用して階段をつくり、冬は斜面にはいつくばって、在来のユリ科などを殲滅するトキワツユクサを巻き取ってゆく。作業小屋、そして普通部や自由研究の教室ともなったマムシ小屋(ヒョッテマムシ)は、いつしか棚一面の長靴、林立するエンジンカッター、篭いっぱいのカマ、ノコギリのぎっしりつまる21世紀マムシ谷、雑木林・水循環回復基地となったのでした。

慶應義塾に入学して、まさか、こんな山仕事、大地と格闘する日々があろうとは、だれが想像したことでしょう。しかし、だれも想像しなかったその日々がいま、すでに10mにも近づきそうなクヌギの育つ、まむし谷・一の谷、自然と共生するかもしれない慶應日吉キャンパス文化を開いたのです。

9.多様な協働・連携に支えられる日吉丸

大学は逆説的な不思議にみちた世界かもしれません。世を先導するのだという過剰な自意識を抱えながら、地域や、市民組織との連携は本当に不得意といういのもそんな逆説の一つでしょう。

でも、2000年以降、雑木林、水循環回復の実践に没頭しはじめた日吉丸の仕事は、そんな不思議を放置したら到底進みませんでした。藪を刈り、池を掘り、植樹をし、日々山林労働のように森のお世話をするその活動は、自由研究の学生や普通部の生徒の参画ばかりでなく、学内外の様々なネットワークや、個人や行政関連組織との協働なしにありえなかったものです。

2001年暮れの大伐開以後、日吉丸の使用するカマや、鋸や、長靴や、ときにはまとまったアルバイト作業のための資金の調達には、担当教員の教育研究費ばかりでなく、かながわトラストみどり財団の何度かの助成金や、NPO法人鶴見川流域ネットワーキングの助成金事業から多彩な支援を受けました。連携する市民団体、地元日吉や、鶴見川流域のナチュラリストたちの献身的な作業協働も続いています。和光大学かわ道楽メンバーたちの熱心な草刈支援もありましたね。

2010年の一大事業、一の谷の竜の子たんぼの50年100年安定化大改修計画は、そんな協働の集大成でもあるのです。必要資材の調達、基本作業の推進は、大学事務室、NPO法人鶴見川流域ネットワーキング、それに日吉をはじめとする鶴見川流域ナチュラリストの多大な作業支援に支えられています。作業の中心を支えて下さった4長老、Tさん、Hさん、Fさん、Nさんは、義塾の緑を支える地域の心そのものですね。そんな支援に答える学・シチズンシップを育めるのか。開塾200年を展望し、教員も塾生も頑張らなくちゃ。

10.『日吉の森野鳥紀行2001~2003』

第二期日吉丸が本格的な実践活動を始めた2001年。

日吉の森に、待望の若い<記録部>が、登場しました。のちに日吉丸の会学生事務局長、慶應義塾大学野鳥の会学生代表をつとめることにもなったIさん。日々の出来事や思索を、うまず、たゆまず、苦にせず文字にし続ける忍耐・特技の持ち主であるIさんは、入学の年の2001年から、三田での本格的な学部暮らしに移る2003年の5月までの丸二年、日吉キャンパスでの日々の自然との出会いや折々の学びや思索を日記風に書きとどめ、2003年『日吉の森野鳥紀行2001~2003』という一冊の本にまとめてしまいました。

野外授業でのコマドリとの遭遇、2002年、奇跡のようにマムシ谷に登場し営巣したツミとの自省的な出会い、そして一の谷の雑木林と水循環にかける日吉丸の愛と労働の日々・・・。記された内容はそのままに、第二期日吉丸の出会いと感動の日々を、みごとに記録にとどめてくれました。読めや、読むべし、過去、現在、未来の日吉丸。ここに、生きた日吉のnature writing が、あるからです。

読みつがれ、読み返され、その志を後輩たちにも模倣され、きっと日吉丸の歴史の宝となるべきエッセーですね。

11.『水と緑と歴史の散策ガイド』

多摩三浦丘陵の東の端、下末吉台地が、鶴見川水系の作り上げた沖積地に向かって突き出す日吉台地は、凸凹複雑地形に多様な生きものたちの賑わう自然のワンダーランド。丁寧に歩けば36haのキャンパスとその周辺だけで、終日を要する規模なのですが、さらに輪をかけ、当地一体は、古代から近現代にいたる日本国の歴史に、しばしば強烈な刻印を記す歴史のメッカでもあります。

縄文、弥生の遺跡群、北東の矢上川・渋川合流地を東西に挟んで君臨した90m級の2つの前方後円墳、日吉台地を城とした後北条家臣中田一族の碑、そして先の大戦時、本土決戦を覚悟して台地の地下に設置された旧帝国海軍司令部跡のトンネル網。大地の模様も、生きものの模様も、歴史を刻む遺跡の配置も、日吉キャンパスとその周辺は、文句なしのワンダーランドというしかありません。

2005年、そんな日吉の、総合的に語られることまことに少なかった魅力と、拠点歩きの工夫を詳細かつ丁寧に紹介する冊子、『水と緑と歴史の散策ガイド』が、日吉丸から発行されました。

資料と格闘し、何度も歩き、たくさんの地図や図を工夫してガイドを仕上げたのは、当時の現役を支えたH君と、T君。2007年には<キャンパスは日吉丸のかたち>20周年を記念して、第二版も出版。日吉周辺散策に新時代を開いた、文字通り傑作の登場でした。

12.まむし谷の生物多様性回復の中心拠点-一の谷

日吉丸は、まむし谷の水循環や生物多様性の回復拠点として、7.で詳述した「一の谷」や、「ひよ池」「池の平」で、定例的にお世話を続けています。そのほか、「いちご道」ではカジイチゴ等の木苺を移植したこともありました。ここでは「一の谷」「ひよ池」のお世話の歴史を詳述します。

2001年から始まった一の谷の再生。その後も継続的なお世話を続け、一の谷は、まむし谷の生物多様性回復の中心拠点となっています。2009年には、2002年にどんぐりから育てたクヌギが初めて、どんぐりを実らせました。2011年5月には、歌手の白井貴子さんも一緒に、鶴見川源流から運んできたクヌギ50本を谷一帯に移植。これらのクヌギたちが成長し、2001年以前には藪の覆う暗い空間だった谷が、今では春夏秋冬、四季の移ろいを感じさせてくれる立派なクヌギ林となったのです。2001年の谷の写真と見比べると、その変化は感動的といってもいいでしょう。クヌギにはノコギリクワガタも現れ、大興奮! タヌキが登場したことも・・・

さらに時は経ち、天高く成長したクヌギは、間伐のときを迎えます。倒木による危険も考慮してのことでした。2014年には、通称「次郎クヌギ」を伐採、2018年には通称「太郎クヌギ」を伐採。

伐採時には名残惜しいものを感じつつも、これは新しい世界の始まりで、伐採されたクヌギは萌芽更新により枝を張り、新たな木陰をつくりだしました。伐採されたクヌギの幹は、カントリーヘッジとして谷の土砂流出防止のために役立ったほか、太郎クヌギの一部は松の川緑道の樹名板として再活用されました(詳細は、15.参照)。

クヌギの雑木林と合わせて、一の谷の生きものの賑わいを生み出しているのが、水辺-通称「竜の子田んぼ」です。ホトケドジョウの域外保全拠点(詳細は、14.参照)となっているほか、メダカ、種々のトンボのヤゴなど、水辺を頼りにする生きものたちの楽園になっています。珍しいマルタンヤンマの羽化殻が発見されたこともありました。春にはキショウブの黄で彩られ、港北オープンガーデン開催時には人々の目を楽しませてくれます。夏には、クロスジギンヤンマ、オオシオカラトンボ、ショウジョウトンボといった色とりどりのトンボたちが集まってくる、賑やかな水辺になります。

13.まむし谷の真ん中に緑と水辺の空間-ひよ池

2012年には、新たな活動拠点となる、通称「ひよ池」が整備されます。まむし谷のほぼ中央部に、まむし谷内における体育館建設等によって失われた保水機能を補い、鶴見川下流域の水害を抑制することを目的に、慶應義塾が雨水調整池を整備しました。日吉丸は、生物多様性の保全を目的に、同池周辺をビオトープとして整備・お世話をしていくことになったのです。

ビオトープ空間は、蝶を呼ぶバタフライガーデンにすべく、まずは蝶の食草となるユズ・ハナウド、吸蜜源となる花の咲く樹木としてクサギ、などを植えました。2018年からは、英国式のバタフライ・フラワーガーデンの整備にチャレンジしました(詳細は、15.参照)。

減勢池にはメダカを放流。現在では、池はメダカやトンボのヤゴの楽園になっています。海から上ってくる習性を持つ蟹「モクズガニ」がいたこともありました。カルガモや、カワセミが訪ねてくることもありました。

流域思考のお手本ともいえるような「ひよ池」は、雨水調整池として鶴見川流域の安全・安心に貢献しつつ、ビオトープ空間として生きものの賑わいを支えています。

14.流域思考によるホトケドジョウの保全への協力

日吉丸としての生物多様性保全の取り組みの1つが、NPO 法人鶴見川流域ネットワーキングと連携して進めている「流域思考によるホトケドジョウの保全」です。ホトケドジョウは、環境省レッドデータリストで絶滅危惧IB類(近い将来における絶滅の危険性が高い種)に指定されている魚です。大きさ7cmほど、口まわりに8本のヒゲを生やした、愛らしい魚ですが、一生を淡水で暮らす「純淡水魚」であるため、ある水系内で絶滅してしまうと、人為的に外部から放流するなどの対応をとらない限り回復は不可能となるため、水系レベルすなわち流域単位で、ホトケドジョウの保全・回復を計画し、推進することが必要でした。

矢上川流域においてホトケドジョウ地域個体群保全を推進していたNPO法人鶴見川流域ネットワーキングより、矢上川流域唯一のホトケドジョウの生息地であった犬蔵谷戸(現・宮前美しの森公園)において土地区画整理事業が開始されることになったため、犬蔵谷戸に生息していたホトケドジョウの移動先として声がかかったのが、同じ水系である慶應義塾大学日吉キャンパスでした。そこで、日吉キャンパスにおいてホトケドジョウの域外保全(個体あるいは個体群を本来の自然の生息地の外において保全すること)を行うこととなり、その一環として、一の谷において、慶應普通部(中学校)の中学生の協力も得て、湧水を利用して池(名称:竜の子田んぼ)を造成し、2002 年12 月にホトケドジョウ20 尾を放流、その後繁殖に成功しました。

2010年からは、(公財)イオン環境財団から助成を受け、NPO法人鶴見川流域ネットワーキング・矢上川流域ネットワークと連携し、「矢上川流域におけるホトケドジョウ地域個体群の保全ネットワークの形成事業」に取り組みました。この一環で、一の谷の竜の子田んぼでは、地域の土木造成工事専門の方の指導を仰ぎながら、護岸をコンクリート製に改修しました。この工事により、水漏れによる絶滅のリスクが大幅に軽減されました。これらの成果は、冊子『流域思考のホトケドジョウ保全・回復ビジョン』(NPO法人鶴見川流域ネットワーキング)、「矢上川流域における絶滅危惧種ホトケドジョウの域外保全地ネットワーク形成の試み」(慶應義塾大学日吉紀要No.52※)としてまとめられています。
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN10079809-20120930-0089

その後も、NPO法人鶴見川流域ネットワーキング・矢上川流域ネットワークとの情報交換も定期的に継続しながら、鶴見川流域・矢上川流域内の他拠点へのホトケドジョウの提供による保全拠点の拡大を進めると共に、逆に2017年夏に竜の子田んぼの水位が低下した際には、絶滅回避のために一時的に宮前美しの森公園へ移動させるなどの対応もとり、矢上川流域でのホトケドジョウの生息は維持され、現在に至っています。

ホトケドジョウ

2010年・竜の子田んぼ護岸改修

15.企業との連携で、流域の街との交流が本格化

日吉丸は、まむし谷の雑木林・水辺再生活動を基本としつつ、流域・地域の企業との連携により、活動の幅を広げていきました。

東急株式会社からは、同社が取り組む「まちづくり・緑化」をきっかけとしたコミュニティーづくりを応援する活動「『みど*リンク』アクション」により、2014・2018年度に支援をいただきました。

2014年度は「まむし谷と松の川のみどりをつなぐ次世代まちづくり」として、まむし谷と同じ松の川流域に属する「松の川緑道」のお世話をしている「松の川遊歩道(緑道)の会」と連携し、蝶の来る植物の育成や、子どもたち向けの生きもの観察会など、人を含めた次世代の生きものを育む取り組みを進めました。この取り組みは、同年度の「準アワード」として東急株式会社より表彰されました。

2018年度には、「日吉のみどりでおもてなし&交流」として、慶應日吉キャンパスが東京2020オリンピック・パラリンピック開催時に英国チームのキャンプ地となることを見据え、一の谷では日本の原風景である落葉広葉樹林の再生をさらに進めるため、一の谷に開墾後の最初に2002年からどんぐりから育てた「太郎クヌギ」を伐採しました。ひよ池では英国式のバタフライ・フラワーガーデンの整備にチャレンジし、蝶が花を好むブッドレアなどを植栽しました。

これらの取り組みにより、日吉キャンパスを越えて、同じ流域でもある駅西側の街との交流が進んでいきました。

2018年度に伐採した太郎クヌギの一部は、松の川遊歩道(緑道)の会が東急『みど*リンク』アクションの支援を受けて、多言語の樹名板を製作するために活用され、松の川緑道の樹木に取り付けられました。

2018年には、日吉の街のカフェ「お家ごはんカフェunwind 」とのコラボにより、期間限定で、日吉丸のかたちをしたクッキーをのせた『慶應日吉キャンパスの森ケーキ』が販売されました。

これらの活動の蓄積が、後述する日吉の街との交流・連携(18.参照)につながってゆきます。

2014年 東急「『みど*リンク』アクション」認定式

2018年 バタフライ・フラワーガーデンの整備

16.横浜市・環境大臣からの表彰、行政との連携進む

2015年、日吉丸は、横浜市の第 22 回横浜環境活動賞において、市民の部大賞および生物多様性特別賞を受賞しました。さらに2016年には、環境大臣から地域環境保全功労者として表彰されました。日吉丸の取り組みに対し、こうした社会的評価をいただいたことは、私たちにとっても大変嬉しい出来事でした。これらの表彰もきっかけとして、行政との連携もすすんでゆきます。

2015年から、日吉地区センター主催の企画への協力が始まりました。2016年からは親子向けに「日吉キャンパスの生きもの観察会」を毎年実施(2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大のため開催見合わせ)し、毎回大変好評を博しました。日吉丸としても、子どもたちに足もとの生きものの賑わいを楽しんでもらう大切な機会であると考えています。

2017年からは、港北区主催の「港北オープンガーデン」に毎年参加(2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大のため参加見合わせ)しています。日吉キャンパス内をめぐるツアーを開催し、毎回大変多くの方の参加をいただきました。

横浜環境活動賞 2014年度 市民の部
大賞・生物多様性特別賞

環境省 平成28年度地域環境保全功労者
「環境大臣表彰」

日吉地区センター主催
「日吉キャンパスの生きもの観察会」

港北区主催「港北オープンガーデン」

17.慶應義塾との連携

いうまでもなく、日吉丸のフィールドである日吉キャンパスがあるのは、慶應義塾あってのことです。日吉丸は、流域・地域とも連携を拡充しつつ、慶應義塾や慶應義塾に関係する諸団体とも協力しながら、日吉キャンパスの自然保全・防災減災を進めていきました。

慶應義塾のOBOGによる大規模な同窓会として日吉キャンパスで開催される「連合三田会大会」に、2012年からは2019年まで毎年出展(2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大による開催体制変更のため出展なし)し、まむし谷の自然保全等についてのPRや寄付の募集を行いました。一の谷のホトケドジョウをその場で展示し、大会当日の子どもたちに大変人気でした。

2015年度に日吉丸が第 22 回横浜環境活動賞を受賞した際には、慶應義塾の2015年度事業報告書に掲載をいただきました。

学生サークル「慶應義塾大学・野鳥の会」との合同探鳥会も開催しました(2017年3月・2019年2月)。同会とは、日吉キャンパスにおける野鳥観察の記録を共有し、蓄積を進めています。

慶應義塾大学が主催する企画「塾長と日吉の森を歩こう!」では当日案内役の一部を担い、2017年には当時の清家塾長から日吉丸の活動について高い評価をいただきました。

なお、2018年には、日吉丸を支える慶應OBOGの組織として、慶應義塾の同窓会組織「三田会」を包括する慶應連合三田会から正式な承認を受けた「日吉丸三田会」が結成されています。

また、同年、慶應義塾大学日吉キャンパスが、日吉丸とも連携して取り組んできた、自主的な雨水調整池の設置や雑木林の再生、生物多様性の保全や地域への環境学習の場の提供を行ってきたことが評価され、鶴見川流域水協議会(国土交通省、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、町田市、稲城市)より、「鶴見川流域水循環健全化貢献者表彰」を受けています。

「慶應義塾大学・野鳥の会」との合同探鳥会

「塾長と日吉の森を歩こう!」終了後、
清家塾長(当時)と

18.日吉の街と、まむし谷の生きものの賑わいを共有する

2020年春から始まった新型コロナウイルス感染拡大により、日吉丸の活動も影響を受けました。日吉キャンパス構内は立ち入りが制限され、日吉丸は慶應義塾の方針に従って、最低限の草刈り作業等を人数限定のうえ継続しました。

日吉キャンパス内での活動が制限される中、まむし谷の生きものの賑わいを日吉の街と共有していく取り組みを進めました。

2021年、東邦レオ株式会社が港北区箕輪町で運営するグリーンショップ「きちじつ wonderbase」で、出張水族館を出展しました。周辺地域の住民の方々を中心に、ホトケドショウ、メダカ、ヤゴ、おたまじゃくしなど、日吉キャンパスの水辺の生きものをご覧いただき、特に子どもたちからは大好評でした。

同年、オンラインの取り組みとして、日吉エリアの街の魅力を発信する YouTube チャンネル「いけちゃんねる」で、「いけちゃんぽ《日吉丸》をブラタモリ風に探索してみた」と題して、慶應日吉キャンパスの外周=日吉丸のかたちにそって歩き、日吉のキャンパスの自然や地形など、新しい日吉の魅力を伝える動画を配信いただきました。

さらに同年、日吉駅西口エリアの商店街や企業等で構成される「HIYOSHI Green Action」による「日吉西地区緑化計画~あつまれ日吉の森プロジェクト~」に協力し、日吉駅西口駅前の緑地の新しい植栽において、生物多様性の保全に寄与することを目的に、日吉キャンパスの植生において希少種であるフユイチゴ、蝶が花を好むブッドレアなどが植栽されました。

グリーンショップ「きちじつ wonderbase」での出張水族館

YouTube チャンネル「いけちゃんねる」での動画配信

19.流域思考-鶴見川流域との連携で、次世代へつなぐ

多様な協働・連携に支えられる日吉丸ですが、基本は、流域思考に則り、大地のランドスケープ-流域・丘陵といった大地の構造に沿った協働・連携です。まず何より、一の谷、ひよ池などの拠点の継続的な自然のお世話は、鶴見川流域のナチュラリストたちの献身的な作業の支えがあってのことです。

2011年には、日吉丸は、流域の枠組みで都市再生をすすめる統合的な流域計画として鶴見川流域水協議会(国土交通省、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、町田市、稲城市)により策定された「鶴見川流域水マスタープラン(通称:水マス)」の推進を支援するため、ふれあって流域鶴見川実行委員会(事務局:国土交通省京浜河川事務所)より、「水マス推進サポーター」の認定を受けました。以後、日吉キャンパスをフィールドとした鶴見川流域水協議会主催の研修会に協力するなど、協力を継続しています。流域連携は、主に鶴見川流域で、流域視野で公益的事業をすすめている、NPO法人鶴見川流域ネットワーキング(以下、npoTRネット)との連携を密にしながら、進めています。npoTRネットが受託した、港北区が主催する小学生等を対象とした環境防災学習講座等「港北水と緑の学校」では、当日の運営に協力しました。

2019年からは、npoTRネットの主導により、鶴見川流域全体で、ノカンゾウなどの花により、安全で魅力的で生物多様性豊かな多自然ビオトープを創出してゆく「花さく鶴見川プロジェクト」が発足、日吉丸もこれに協力し、一の谷にノカンゾウなどを植えました。ノカンゾウの株も年を追うことに増え、夏には橙色の美しい花が一の谷を彩るようになりました。

2020年からは、流域管理技術の高度化、ボランティアメンバーの高齢化といった現状を踏まえ、活動を次世代につないでいくため、定例活動であるまむし谷での雑木林・水辺再生活動の一部をnpoTRネットのスタッフと共同で行う体制としました。

2022年10月には、日吉丸創立30周年を記念して、通称「竜の子田んぼ」のかいぼりを、npoTRネットのスタッフと共同で行いました。

日吉丸は、流域との連携で、次世代へと活動をつないでいきます。

「花さく鶴見川プロジェクト」の一環で一の谷に移植、開花したノカンゾウ

「竜の子田んぼ」のかいぼり