学部生のときにJAXAで技術研修生に参加したのをきっかけに,Pressure Sensitive Paint (PSP)という光学的圧力計測の研究に参加させて頂き,それがご縁となり熱や圧力,流れ場等を可視化する研究を軸に取り組んで参りました.任意断面の温度場を高精度で計測する技術はあまり存在せず,近年計測法が発達してきた分野です.赤外線カメラによる温度計測は優れた手法ですが,万能ではありません.可視化は目に見て分かりやすいだけでなく,大量の統計情報を高精度,高時間分解能で取得できる可能性を秘めています.見えないものを見れるようになることは科学・産業でとても大切なことです.たとえば,1968年,たった50年前に初めて人類は地球を宇宙から見て,宇宙船地球号という言葉が生まれました.それを契機として国際社会は,競争・消費の意識から,すべての国は地球上にあり,環境保全,平和は重要であるという意識が強くなったという考察があります.このように偉大な科学技術は人類の精神にも影響を及ぼすことがあります.フックによる顕微鏡の発明で細胞の存在が初めて証明されたり,2014年のノーベル賞では高解像度の蛍光顕微鏡計測法が受賞していることからも,計測技術の革新は科学技術の基盤に関わる重要性があることがわかります.まだまだ駆け出しの私がこれらの偉大な仕事を引き合いに出すのは気が引けますが,このフィールドにはそういった魅力や可能性があると考えています.
修士では産業技術総合研究所の省エネルギー技術部門を研究拠点として応力発光体,博士では熱流体の可視化手法の開発を行うと同時に,熱を用いたデバイス開発,熱流動メカニズム解明に実験と計算を用いて取り組みました.現在は青山学院大学においてこれまで学ばせて頂いた可視化手法を用いたりしながら,熱輸送デバイス内部の物理現象の解明や,デバイス開発そのものなども行っています.熱はエネルギーの墓場と言われており,エネルギー変換の際は必ず熱が発生するうえ,全てのエネルギーは最終的に熱となり宇宙空間に散逸していきます.下図に示すエネルギー白書の資料によれば,発電所の発電方式のほとんどは何かを燃やしてタービンを回す仕組みであることがわかります.熱から他のエネルギーへの変換効率は高くないため,大量のエネルギーが熱として消えていきます.これを有効活用することが省エネルギー社会・温暖化対策等に非常に重要です.熱流体研究を通して,省エネルギー社会の実現に貢献したいと考えています.まだまだ駆け出しですので,日々勉強し,新しいテーマを広げていきたいとも考えています.
ここでは私がこれまで取り組んできた代表的なテーマについて説明します.麓研究室ではほかにもたくさんのテーマがありますので,是非見学にきてください.
Micro-TAS(Micro-Total Analysis Systems:μ-TAS)は小さなチップ内部に反応器や分析器を搭載し,血液一滴,尿一滴で検査を可能にする技術です.そのほかにもDNA解析,環境モニタリング,細胞分離や検出,総合的な化学分析の実現が可能であり,産業・学術分野において広く期待されています.内部では微小な流路が通っており,マイクロ流体制御技術が用いられます.マイクロ流体の制御技術には,混合,ソーティング,輸送,内部生成物や計測対象のマニピュレーションなどがあります.
μ-TASに加えて,生化学的な分析,ドラッグデリバリー,酵素反応やタンパク質合成などでは,バッファーや試薬等との混合が必要不可欠です.しかし,微小スケールではReynolds数が非常に低くなるため,容易に流れが混合しません.タンパク質の一種であるミオシンの分子拡散係数は10^-11(m2/s)であり,これは100μmの分子拡散に1000秒を要します.しかし,直接かき混ぜることも困難です.このため,現在までに様々なマイクロミキサーが開発されています.
博士論文のテーマでは,産総研と東大の連携大学院の研究室である宗像・染矢研究室,また東大の飛原研究室で,熱を用いた流体混合法の開発とメカニズム解明に取り組みました.一般的にマイクロスケールでは粘性が支配的になり,自然対流の影響が無視されるため,温度場と速度場の関係について調査した研究は多くありません.マイクロ~サブミリ領域で温度差により旋回流が発生し,これが混合を劇的に促進することを明らかにしました.動画は実際に蛍光顕微鏡で撮影した旋回流の様子を示しています.図は濃度パターンの変化を示します.
先行研究と比較しても高Peclet数,低Reynoldsの領域において,無次元混合距離を100倍以上容易に短縮可能です.この高Pe数,低Re数領域では混合に対流を起こす必要がありますが,先行研究では内部に電極を接触させ電気浸透流を発生させたり,内部に微細なパターンを施すことでカオス混合を起こすなどの方法が提案されています.これらは事前設計や内部への微細加工が必要となり,システムコストの上昇が懸念されますが,温度差を用いれば,非接触で後付け等が可能な簡易なシステムの実現が可能です.
産総研熱利用グループのパンフレット表紙にも掲載されています.
https://unit.aist.go.jp/ieco/outline/brochure.pdf
(関連論文)
Keiko Ishii, Eiji Hihara, Tetsuo Munakata, Mechanism of temperature-difference-induced spiral flow in microchannel and investigation of mixing performance of a non-invasive micromixer , Applied Thermal Engineering, 174(25), 115291, 2020年4月
動画 温度差によって発生する旋回流
図 温度差による質量濃度分布
図 実験概要と応力発光体の発光
本研究で明らかになった時定数τと外力の関係
1990年代に産総研の徐らによって応力発光体が開発されました.これは弾性変形領域で応力に応じて発光強度が変化する世界で初めてのセラミクス材料です.樹脂に応力発光体を混合させ,励起後に割裂引張試験を行った際の発光の様子を図に示します.力を可視化可能な手法として期待されています.
外力の作用による物質の発光現象に関する研究の歴史は古く,16世紀に氷砂糖の破壊時の発光がフランシス・ベーコンによって初めて報告されています.それ以後様々な物質の破壊時の発光現象が研究され,現在では無機・有機固形物の約50%が破壊時に発光を示す事が知られています.これらの研究分野において,外力によって物体が弾性変形,塑性変形,破壊を起こす際に発光する現象を総称し,機械発光(Mechanoluminescence:以下ML)と呼ばれます.
応力発光体は,無機結晶の骨格中に発光中心となる元素がドープされており,最も代表的なものに,ユーロピウム添加アルミン酸ストロンチウム(SrAl2O4:Eu以下SAOE)があります.これらは時計版や非常用看板等に用いられる長残光の夜光材料の仲間です.一般的な夜光材料との違いは結晶構造の特異な3次元フレームワーク構造にあります.格子ひずみエネルギーが局所圧電効果を持ち,電場がトラップ準位を変化させ,トラップキャリアの誘電帯への遷移確率を変化させるため応力発光を示すと考えられています.
従来の応力発光計測では,外力の大きさに発光強度が比例することを利用し,発光強度から応力を求めます.しかし応力発光体の発光強度は,発光体励起強度,励起してからの時間,塗布した発光体の膜厚や濃度,サンプルの形状やセンサとの位置関係,繰り返し荷重によって変化する為,より定量的な計測を実現するには,あらかじめ発光の初期条件を揃える必要があります.しかし,このため,強度を利用した測定法では定量的な測定に多くの制限があります.
そこで,修士論文のテーマとして東京理科大学の構造工学研究室と,産業技術総合研究所の共同研究で新しい応力発光体の計測方法の開発を行いました.過渡的応力場への適応を主眼におき,応力発光の時系列応答の特徴を利用することを考えました.応力発光の時系列応答が外力パラメータに依存すれば,発光強度の初期条件をそろえる必要がなくなるため,連続的な外力の評価が可能です.
応力発光の時系列応答を指数関数の時定数τで評価したとき,τは初期条件や,ベース発光強度など,初期条件,サイクル荷重の影響を受けないことが明らかになりました.τは載荷時間とひずみエネルギーの関数であることを示し(左図),新しい定量計測パラメータとしての可能性を示しました.
(関連論文)
石井 慶子, 染矢 聡, 佐伯 昌之, 宗像 鉄雄, 応力発光体の時系列応答特性に着目した荷重評価法 , 日本機械学会論文集 C編 79(806) 3721 - 3731
図 合成した磁性カプセルクラスターの可視化
磁性クラスターの流れ場可視化
磁性流体はナノサイズ以下の磁性材を懸濁させた流体です.科学おもちゃなどでもよく見かけるのではないでしょうか.磁性流体は様々な工学的利用がなされていますが,熱流体分野でも期待されています.磁性流体の磁化率の温度依存性を活かして,動力の必要ない省エネルギーな冷却デバイスへの利用が期待されています.しかし,磁性流体は黒色不透明で内部の流れを実際に観察した例はありませんでした.
そこで,磁性材をマイクロカプセルに封入し,これを蛍光標識することを着想しました.青山学院大学の麓研究室において研究を行い,蛍光磁性カプセルの合成(図上)と,内部の流動場を初めて可視化することに成功しました.
管路にカプセル液を満たし,磁場印加時に強制対流を起こした時,壁面にクラスターが発生し,これが壁面をすべりながら移動する様子を初めて計測しました(図下).磁性流体は磁場印加時に熱輸送量が増進することが知られていましたが,壁面を滑る流動が温度境界層を薄くしているためと考えられ,これを初めて実験的に示すことができました.
(関連論文)
相沢亮汰, 石井慶子, 麓耕二, 感温磁性マイクロカプセル溶液を用いた流れ場可視化, 実験力学 19(4), 2019
Keiko Ishii*, Ryota Aizawa, Koji Fumoto,Two-dimensional flow field visualization of temperature-sensitive magnetic fluid using luminescent micro capsule, Magnetics letters, 11, 8103005 2020年5月
PHPの運転時の様子を可視化窓を通して撮影したもの
PHP蒸発部温度場動画 150fpsで撮影 1/3倍速
自励振動ヒートパイプ(Pulsating Heat Pipe: PHP)というものがあります.これは人工衛星の放熱に期待されており,JAXAなどでも精力的に研究されています.これは動画のように,細管内部を真空にし,半分程度作動流体を封入した作りになっています.片方を加熱すると,内部で激しく気液が動き,銅の数百倍の熱輸送を実現できます.上の動画は平板型PHPに可視化窓を取り付け,内部の流動を撮影したものです.従来のヒートパイプと比較して小型化が容易で,無重力空間でも使えます.しかし内部の熱流動現象が複雑であることから,動作原理の包括的な理解および正確な設計のための指針を得るに至っていません.
内部の温度場や流動を理解することは現象理解に非常に重要です.そこで本研究では,感温性を有し,燐光寿命や強度が温度によって変化する燐光分子(Temperature Sensitive Paint:TSP)を用いてPHP内部気液温度および壁温の計測を試みました.TSPをPHP内部に接触させることで,これまで計測が困難であった流路内部温度を非接触で空間的かつ連続的に取得することができます.下の動画に実際にTSPで撮影した温度場の動画を示します.
温度場を取ると同時に,PHP内部の温度と圧力の関係や,流動の同時計測を行っています.気液プラグは同一箇所でほとんど同じ温度だと考えられていましたが,可視化結果からこれらの間に温度差があることがわかります.これからも色々興味深い知見が得られると考えています.
(関連論文)
Keiko ISHII*, Koji FUMOTO,Temperature Visualization and Investigation Inside Evaporator of Pulsating Heat Pipe Using Temperature-sensitive Paint, Applied Thermal Engineering , 155, 575-583 2019年4月
石井 慶子*,麓 耕二,Temperature Sensitive Paintを用いた自励振動型ヒートパイプ内の温度場計測, 実験力学 , 18(3), 163-168 2018年9月
本研究は競輪の補助を受けて実施しました。
FIB観察したマイクロカプセル断面
SEMによる粒子画像
EDSによる元素マッピング
感温磁性流体は低温の廃熱を利用して磁場下で自励的に駆動するため,省エネルギー冷却システム等への応用が期待されています.しかし磁性流体は磁性粒子を数ナノメートル以下の超微小にし,更に粒度分布を揃える必要から大量生産が難しく,更に表面化学特性から,現状は冷媒に適切な作動流体を選ぶことができません.更に磁場下ではナノサイズの粒子が界面力で強固に結びつき,詰まりが発生するため,実用化に至っていません.そこで我々は磁性材をマイクロカプセルに封入することで従来より大粒形の磁性材であっても任意作動流体に安定分散させることを着想し,これに成功しました.同時に粒形を大きくすることで凝集後の再分散が容易となり,詰まりの軽減が期待できます.カプセルに蓄熱材など,複数の物質を封入すれば,これまでにない多機能性流体を実現できる可能性があります.
青山学院大学麓研究室において,生成したカプセルに,固体粒子を封入する実験を行い,FIB観察とSEM観察により検証しました. 図はFIBにより固形磁性ナノ粒子を含有するマイクロカプセルの断面図,SEMによる粒子外観,EDSによる元素マッピングの結果です.FIBの画像に,磁性粒子と考えられる箇所を赤い枠で示しています.これにより,磁性粒子を内包したマイクロカプセルの生成に成功しました.
省エネルギー社会を実現する,カプセルを用いた新しい多機能作動流体の開発を目指し研究を進めています.
(関連論文)
石井 慶子, 麓 耕二, 特願2019-115872 感温磁性流体の製造方法
自律駆動する多機能性作動流体の概念
学振DCの申請書に載せた図
博士課程の前半では宗像・染矢研究室における指導の下,微小流れ場に適応可能な温度速度同時計測法の開発に取り組んでいました.省エネルギー機器は微細菅構造を持ち,この中で様々な化学反応や熱流動が発生します.内部は粘性や表面張力が支配的になり,複雑形状の機器内部を相変化や濃度変化を伴って流れるため,予測できない流動性状を示します.温度と流れ場を知ることは機器設計や現象解明において重要です.内部は非定常場なので,それらを同時に計測することが重要ですが,任意断面の温度速度同時計測を高精度に計測できる手法は現在存在しないと言ってよいです.2色の蛍光剤を封入した粒子を用いて,任意作動流体について温度速度同時計測法を実現できる可能性に着目し,研究を行っていました.在学中は高精度計測を実現することができませんでした.現在は博士課程とは別のアプローチを用いてこれを実現することに取り組んでいます.