持国天の再生に向け,皆様のご助力を必要としています.
本WEBページでは,皆様のご助力を求めつつ,最新の状況を皆様にご報告させていただきます.
令和7年4月18日の地震により,国重要文化財の「持国天立像(鎌倉初期)」が破損しました.建物・玉垣・鳥居も被災しました.被害の全貌は,まだ明らかになっていません.
復興に向け,地方行政や有志らは,尊像である持国天の修理再生を先んじようとしています.しかしながら,その前には破損状況の記録・修理の計画・費用の見積取得といった様々な支度が必要です.彫刻史や寺史の解明のために,解体を行っての像内調査にも取り組まないとならないかもしれません.したがって,持国天の修理に必要な費用の総額が判明するまでには,少なくとも半年から1年の期間を要することでしょう.お寺全体の復興のために必要となる費用の総額が判明するにはこの先何年もかかることでしょう.
現在分かっているのは,持国天の調査や修理を行う専門機関への移送に際して必要となる経費の多大さです.建物の修繕をはじめとするお寺の威容再生に要する個々の費用,国や県・市町村からの支援内容がすぐにはわからないことからお寺全体の復興への御貢献を願う方々のお気持ちを汲めず心苦しくはありますが,まずは,持国天の修繕に関する緊急の御寄付をお願い申し上げます.進捗は本WEBページにて随時ご報告させていただきます.緊急募金発起人:吉富政宣
被災のあらまし・寺の台所事情・修理完了までの見通し・費用や期間の予想などを隠し立てなく,ありのままお伝えしてゆきます.そのことがあらぬ誤解を防ぎ,気持ちの良いご協力にもつながると考えられるからです.次章の「被災のあらまし」からご覧ください.
精読の時間が得られないものの概況を知って手助けをしたい方は,二つ折りチラシをご覧ください.
文章のうち読みにくい部分を随時改定しています(5月12日追記).
2025年4月18日20時19分,大町市旧八坂村切久保地区を震源とする震度5弱の地震が,安曇を襲いました.この地震は,「ドン,ドン,ドーン」と突き上げるような縦揺れでした.余震は深更まで幾度となく繰り返されました.
被害の大きかった旧八坂村藤尾から旧社村では,民家にも屋根瓦の落下などの被害が及びました.震源からわずか2㎞に位置する覚音寺は,とりわけ大きな被害を受けました.
余震は続いています.本稿を起草している21日22時41分,再編中の25日23時にも隣村である松川村の我が家(震源から9㎞)が揺れました.(数年前の地震で生じた我が家の基礎のクラックが拡大しました)
強い縦揺れを感じた覚音寺住職は,本震をやり過ごした後,観音堂に駆け付けました.そこには持国天の姿がありませんでした.持国天は,腰高ほどもある須弥壇(しゅみだん)の後方へと転倒し,床に落下してしまっていたのです(上写真.4月19日).
翌朝明るくなってから行者や信徒が集まると状況が少しずつ分かってきました.
・持国天立像
転倒し,須弥壇後方の床の上にうつぶせに伏していた.
立像破損状況: 後頭部の寄せ木が脱落,髻(もとどり)が面から剥がれ胴体側に陥入,天衣の一部が欠損.
・観音堂内装部分
西側羽目板に割れ,北面羽目板に隙間発生または隙間拡大.
・観音堂をはじめとする各建物の構造部分
目視困難につき,不詳.
・鳥居(冠木門)
以前からやや傾いていたものの,その傾き一層がひどくなり倒壊の恐れが出てきた.
・礼堂
西面土壁,および,北面土壁の漆喰が脱落,信徒会館との間にある土壁が脱落.
・礼堂の阿弥陀如来立像
西向きに15度程度,右回転していた.
・玉垣
北東部玉垣の柱のうち数本が左に45度回転した.原状を保った柱もあるが,それら柱をつなぐ手すりの大半が脱落した.
南部玉垣の手すりのひとつが脱落しかかっている.
・水子地蔵菩薩
北方に5㎝移動していた.
・東の灯篭
上部,特に笠石・宝珠が15度程度回転していた.
・そのほか
台所の電子レンジが手前に大きく移動.
信徒会館内に立てかけられた重文看板・位牌等が転倒.
礼堂前に据えられた花器が回転し,什器等が散乱.
墓石にも被害があるとのことだが,筆者は未確認
・追記
本堂北にある公道のアスファルトにクラック(6月18日住職の報告で判明)
気付いていない変化や損傷がこのほかにもあるはずですが,地震の発生から日が浅く,すべてを目視確認できるわけではないため,被害の全貌を把握することはできていません.これまでに判明した限りにおいて,もっとも被害が大きかったのは,持国天立像でした.信仰,および,文化財保護にとって急がれるのは,この尊像の再生でしょう.
他方,人身被害防止のためには,傾いた鳥居(冠木門)・玉垣の修繕・補強が急がれます.倒壊したブロック塀の下敷きになって亡くなる人が後を絶たない事,その責任のすべてを管理者・所有者が負わないとならないとする工作物責任(民法717条)を鑑みると,これら,一見後回しでも良さそうな事柄への対処こそ急がれます(25日,冠木門をクレーン用スリングにて仮固定しました).
国の重要文化財であり,文化庁による指示,ないし,被害調査の後でなければ,尊像を立て起こすことすらできません.したがって,本報告は,転倒しうつぶせになったままの持国天立像の破損状況や周辺に散在している木片から得られた情報,および,少々の考察にとどまっています.より詳しい情報が得られるのは,美術院などの専門機関に”入院”した後のこととなります.
なお,撮影は,住職の許可を得て,被災直後の状況を記録する目的のもとで行っています.また撮影に際しては,靴下が破片を拾い上げないよう,十分な距離を取っています. 仏像は尊崇の対象であり見世物ではありませんので,通常は撮影が認められません.ご住職に対し,無理をおっしゃらないようお願い申し上げます.
うつぶせになっている.右の体側が持ち上がっているのは,体の正面に組まれた交差手(こうさしゅ)のため.
うつぶせになっており,
外れた後頭部が頭部のすぐ横に転がっている.
須弥壇上の黒い台座が元の位置.その右に見える雲形の木彫り彫刻は,持国天の足元を支えていた「邪鬼」.
須弥壇の右には,うつぶせの持国天が見える.
邪鬼も,裏返ってしまっている.
(写真には写っていないが)邪鬼の背中(写真床側)には,持国天の”ほぞ”を受ける”ほぞ穴”が掘られている.
突き上げるような縦揺れによって”ほぞ抜け”が生じ,「邪鬼」と「持国天本体」とが,分離してしまったと分かる.
天衣の角が欠けている.
天衣の欠片と思しき木片は,「持国天の足部の”ほぞ”」の写真の右上(尊像の右ひざ付近)に見えている.
まず,割矧ぎ(わりはぎ)について知っておきたい.割剥ぎとは寄せ木造(よせぎづくり)において,彫刻のもととなる原木を割木(わりき)し,内刳り(うちぐり)を施したのちに,再接合する彫刻技法である.
昭和十年の解体修理時の記録には,本像頭部は,耳の後ろで割矧ぎしてあることが記されている.
頭部から脱落し,写真手前に落ちているのは後頭部である.割剥ぎの接合部が剥がれたように見える.また,髻部が頭部に陥入していることがわかる.
髻とは結いあげられた毛髪のことであり,この写真では”おだんご”のように見える部分のことである.面部と髻部の間には,三日月形のひび割れとともに,木目方向(体軸方向)のずれが見られる.
落下時に”髻部の面側から頂部にかけてのどこか”を強く打ったことが,破損部にモーメントと軸力を加えたようだ.打撃によって生じたモーメント(M)はひび割れを引き起こし,打撃の軸力(N)によってせん断面に生じたせん断応力度は木目方向のずれを引き起こしたのだと考えると力学的につじつまが合う.
昭和十年,奈良美術院にて,持国天の解体修理が行われた際に確認された割剥ぎ部をグレーの線で示す.
頭部をご覧いただきたい.耳の後ろで割剥ぎされていることがわかる.
文化庁から指示が得られました.体正面への負担を軽減することを目的に,大町市文化財センター職員らが持国天を仰向けに反転し,また,須弥壇左前方の広い場所に移動しました.その結果新たに判明したのは,袖の欠損・天冠台の欠損・左足のクラック,頭部の胴体側への陥入(めり込み)です.
大町市文化財センター職員4名.割剥ぎ部に負担をかけないように取り扱っている.
與儀龍祥住職の話を聞く,NHK・信濃毎日新聞・大糸タイムス
膠(にかわ)や木屎漆(こくそうるし)の付着有無より,鰭袖の部分は接合部の剥離,天冠台は新しい欠損だろうと考えた.右上の箱には,三つの大きな断片(写真上から,天冠台・鰭袖・後頭部)が見える.小さな砕片・粉はポリエチレン容器に納められた.
ほぞから足の甲にかけてひびが見える.ほぞのひびの両側に見えるベージュ色は,昭和十年の補修における膠(にかわ)や木屎漆(こくそうるし)か.ひびは足の甲にまで達している.昭和十年の調査記録に照らすと,割剥ぎ部が剥がれたのではなく割剥ぎ部よりもつま先寄りの場所が新たに割れたように見えた.(真偽不明)
今回の仏体反転作業により,頸部において,頭部が胴体側に陥入していることがはっきりした.
頸部外周がひび割れて,胴体側に陥入している.
髻頂部に漆の黒が濃厚な部分がある.仰向けに転倒して須弥壇から落下したとき,床に衝突したのはこの部分のようだ.そのときの打撃が頭部を胴体へと陥入させるせん断力を生んだと考えられる.またこの写真からは,髻全体が頭部に陥入していることがわかる.せん断力を引き受けたのは,都合二か所,頸部・頭頂部(髻部の付け根)の二か所である.
髻が最初に衝突したのは,ここだろうか.床には,狭い面積にまとまった類似の傷が都合三グループ見つかった.頭部を下に落下して床に激突したが,それだけでは衝撃エネルギーを消散できなかったために二度バウンドし,その結果,追加的に二度床に衝突したのだとすると,三グループの床の傷を合理的に説明できる.
ヒノキ材を使った寄せ木造りの仏像で,像高※は162.1センチメートル(昭和10年奈良美術院計測値)と寺史に記載されています.その像容や背面に陰刻された「建久五年造立」の文字より,平安末期の治承三年(1179)に造像された本尊の千手観音像にやや遅れて造像されたことがわかっています.陰刻は後補のものながら造像まもない鎌倉初期の字体に違いないことから,専門家らは,この持国天立像を鎌倉初期の建久五年(1194)の造像と考えています.
※像高と一口に言っても,彫刻史学における総高・像高・髪際高のうち,いずれを指しているのか不分明なことが多々あります.仏像の像高表記が資料により異なっている理由のひとつに,高さの示し方が一通りでないことが挙げられます.
目につくのは,両手が持物を握って右腕を前に体の前に交差させた両腕で,全国にわずか数例しか作例を見ない珍しい形です.これを「交差手(こうさしゅ)」といいます.
交差手例のうち覚音寺持国天以前の作例に,法隆寺金堂の持国天像(筆者未確認.食堂の誤記か),興福寺北円堂(平安初期)の持国天像があるとされます(寺史の三章98ページにおける幅具義先生の記述).
本像のお手本は興福寺北円堂の持国天(延暦十年.国宝)だと目されています.下に両者の写真を載せておきます.「お手本」とを見比べてみてください.
覚音寺以降の古い作例には,大分県永興寺の持国天(像内墨書銘より元亨2年(1322)),香川県鷲峰寺の持国天(鎌倉末14世紀)があります.筆者が情報として知る限り交差手の古仏は全国にわずか5例,鎌倉初期に造像された覚音寺の持国天像は3作目に当たります.ただし,交差手図像の概念を拡大し,手のひらを開いている像や交差していると言い難い作例までも交差手の図像に含めると,興福寺北円堂以前に,法隆寺食堂像(筆者未確認),唐招提寺金堂像,真木大堂像なども該当するとのことですし,絵や再興像までも交差手に含めたときには10以上の作例が見いだせるようです(國華第1547號における奥健夫博士の記述より作例数を推定した.これら作例をここでは「広義交差手」とする)
さてこれら広義交差手ですが,もとになった図像は,東大寺戒壇院厨子扉絵中の多聞天(奈良国立博物館収蔵品データーベースのH015806写真)だと考えられています.現代に伝わっているものは12世紀の模写品で,巻末の識語から,東大寺戒壇院にかつて伝来した厨子の扉絵を写したものと知られています.もとの厨子は唐僧・鑑真(がんじん)の来朝を契機に建立された東大寺戒壇院に天平勝宝七歳(755)9月頃に安置されたものの,治承四年(1180)の兵火で焼失しています(奈良国立博物館谷口耕生教育室長の記述,および,國華第1547號における奥健夫博士の記述より).
このように交差手の起源は,鑑真和上請来の図像にあると考えられます(國華第1547號における奥健夫博士の記述より).
<興福寺持国天・覚音寺持国天に関する,筆者の余談>
名古屋に住んでいた頃の私たち夫婦は,友人に会いに奈良市街へと通っていました.興福寺様には当然,参拝に立ち寄ります.いつものように境内を散策していると香港の観光客の方が転倒し,足をお怪我されていました.そこで私が下手な北京語と英語で救護を申し出ると,通りがかった看護師の女性が「私が寺務所と連絡を取ります」とお申し出くださり,執事の辻明俊様(有名な高僧です)を呼びに行かれました.私は,けが人をおんぶしてお寺が用意した車両にお連れしました.病院への搬送はつつがなく執り行われました.救護車両を見送るとき明俊様は私に対し深く御礼下さり,ご著書・お線香・拝観券などを下さいました.
その数年後私は覚音寺様にお参りに行くようになっています.両持国天のご縁なのかもしれません.4月24日,覚音寺住職と私は,興福寺北円堂の持国天へ一緒にお参りしようと語り合いました.
昭和八年に文部省が持国天を含む3体の尊像を下調査し,昭和十年に奈良美術院による修理が行われました.この情報は「藤尾覚音寺 藤尾山覚音寺護持会」(平成2年発行.非売品)に基づくものです.
平成九年,腐食等なんらかの事情によって足ほぞが切断されたまま蓮台に立っているだけであった本尊千手観音像に対し,ご仏体と蓮台とをつなぎなおす耐震事業が行われています.この修理には,二年半の期間を要しています.この情報は,ご住職の談話に基づくものです.
覚音寺のリーフレットより引用
小川一真「彫刻写真帖」1888年より引用(保護期間満了)
18日 地震当日,ご住職の與儀龍祥氏が持国天転倒を知る.大町市文化財センター所長,大糸タイムスが来訪.<6月1日修正&追記>16時頃震度2程度.転倒は本震の20時19分以降.22:10頃,住職は,大町文化財センター,大糸タイムス,吉富にTEL.大町市文化財センター,大糸タイムスが来訪したのは翌日19日.
19日 8時,大町市文化財センター所長来訪.信毎,大糸タイムス,消防・警察が来訪.また,信毎のWEB報道を契機に,NHKをはじめとする報道10社ほどが来訪.
20日 春の大祭「大般若経転読会」のさなか,長野県知事・大町市長・地域振興局長らが慰問.吉富が被災状況ご案内.大糸来訪.
21日 県職員5名,大町市文化財センター職員1名,市議1名が来訪.本WEBページ作成開始.
22日 大町市文化財センター(以後,大町文化財)から覚音寺に電話があり文化庁と連絡が取れたとのこと.ご住職と吉富と毎日定時交信を決定.
文化庁の指示は「仰向けにしたほうがいい」「破片を集めよ」の2点.25日午後に大町市職員5名程が作業実施予定.
25日 大町文化財職員4名が来訪し仏体を仰向けに反転した.報道4社(NHK・SBC・信毎・大糸)が来訪.
26日 義援金のお振込口座の最終チェック.27日に確定する予定.仏体反転時の様相について信毎・大糸が掲載.大糸が本WEBページを紹介.
27日 口座番号の最終確認完了.ご寄付の受付を開始.ご支援のお願いの「配布版」(仕上がりA5,A4 両面印刷二つ折り)を作成開始.住職と吉富とが持国天の破損状況を振り返ったところ,首と髻の陥入が大損傷であり「解体修理になってしまうかも」と.
28日 「(大町市の)牛越市長は「持国天立像」について、「地域で守られてきた重要文化財なので、復旧を願っている」と述べ、修復費用の一部を市としても負担する考えを示しました」とのNHK報道.本WEBページに関する信毎インタビュー対応(吉富).
29日 信毎に本ページ掲載.御寄付のお申し出を複数いただきました.ありがとうございます.
5月2日 配布用の緊急募金チラシ(千部)準備完了.ご住職と吉富より配布する予定.
3日 ご寄付者に対する御礼準備の中で,持国天真言の梵字表現を確認する必要が生じた.四天王寺様にお問い合わせ中.また,香川県においても勧進を開始したとのこと.
4日 市民タイムスに本緊急募金の件,掲載.
5日 <ご参考>檀家の無いお寺が文化財を維持するにあたっての苦悩に関し,MBSが特集.
8日 長野県立歴史館の出開帳に向けた運送準備(木箱製作)のため,日通が千手観音・多聞天の法量を測定.信毎取材.境内の半自然草原(園芸種を植えたりせず草刈で維持されてきた野原)に長野県絶滅危惧Ⅱ類のウラシマソウ発見.
9日 鷲谷いづみ博士(東京大名誉教授)・鷲谷徹博士(中央大名誉教授)が覚音寺をお見舞い参拝.道すがら野生のフデリンドウ(リンドウは長野県花)をご覧いただいた.
11日 ご住職と吉富との毎日定時交信継続中(被災前は週2~3度).勧進の組織化準備・お礼状の準備など進めている.
13日 元東京農大植物園の伊藤先生がお見舞い参拝.ご神木=エドヒガンの可能性を指摘.境内や周辺は野生のジュウニヒトエが満開だった.
15日 北安曇郡の郵便局(合計8局)にチラシを配置させてもらった.チラシ増刷を発注した.
17日 「覚音寺復興と火祭り」と題した鷲谷いづみ博士(保全生態学・東大名誉教授)のコラムが,今日の視角(信濃毎日新聞)に掲載された.
18日 被災して一か月が過ぎました.覚音寺では毎月18日の月例護摩供が厳修され,持国天再生の祈願が行われました.また,ご住職と吉富が現在把握している寄進者数は40人ほどとなっています.被災直後より温かいご支援をいただきましたこと,心より御礼申し上げます.勧進(募金活動)はなおも続きます.引き続きよろしくお願い申し上げます.
20日 緊急募金チラシ増刷分(三千部)到着.
21日 長野県副知事の関様が慰問に来寺.
23日 文化庁技官・美術院国宝修理所所長が来寺し持国天修理のための下調査を実施した(9時~16時半).その結果,損傷部の修理方法,傷の補正方法などがほぼ定まり,着工日から一年以内に修理が完了するとの見通しが得られた.千手観音・多聞天も点検いただいた.どちらも(地震を契機とする異状は見られないとの点検結果であった.ただし多聞天の足下のぐらつき(地震以前からのものとみられる)は,後日,くさびにて現地対応することとなった(本日は,応急措置をしていただいた).また,水沢教子博士(県立歴史館学芸員・東北大非常勤講師)からは,(この緊急募金,および,秋に開催される高瀬川火まつりに関し)応援のお言葉をいただいた.
25日 住職,寺容復興の検討開始.傾いだ冠木門が修理できるかどうか,住民の一人である田中さんに打診.
26日 住職,礼堂西壁の漆喰剥落箇所を専門業者に見てもらうアポイントメントを28日16時に設定(その後,日程移動).
28日 何者かにより,玉垣が元の位置に近い位置に修正されていた.吉富,立入禁止表示テープを玉垣に設置(遅ればせながら),また,玉垣に加わる地震力の計算を開始するのに必要な寸法測定を実施.また,免振装置のカタログが覚音寺に届く.
29日 信毎から寄付の経過について電話取材.
6月1日 冠木門は吉家木材からの寄進,同社はその後倒産(住職からの伝聞)と判明.したがって,寺の一存で改修または撤去できると判断.倒壊防止の仮措置があるので,時間をかけて今後の方針を検討することに決定.また,玉垣は大町市の石屋が工事をしていることが判明.立ち入り禁止テープがあることから,これも時間をかけて今後の方針を検討することに決定.
10日 18日に復興の会をスタートさせることを決定した.
11日 社の大町市民俗資料館からご仏体3体のパネル(覚音寺所有)を返してもらった.また,玉垣を施工した当時の石屋と当時の職人が判明した.
13日 長野県立美術館の出開帳(展示)に向けて千手観音・多聞天が出発.観音堂(収蔵庫)には代わりにパネルを配置した.日通の職人6人,歴史館職員3名が作業に携わり,文化財センターから職員2名,覚音寺から住職を含む4名が立ち会った.
18日 11人(住職・北澤会長・勝野さん,北澤さん,牛越さん,多田夫妻,ひろゆきさん,野渡夫妻,吉富)が覚音寺に集まり,藤尾覚音寺地震被災復興の会(略称:復興の会)が発足した.復興の会会長に覚音寺護持会会長の北澤千代司氏が就任.会計を勝野さん・牛越さん,総務を吉富が務めることになった.持国天修理に要する費用,玉垣・冠木門・しっくいの修理に要する費用が判明したところで,緊急寄付パンフレットを復興の会名義で作り直すこととなった.
20日 剥落した漆喰の塗りなおしが完了したことを確認した.また,親柱の回転した玉垣に関し石屋さんに対して大まかな耐震仕様を提示し見積を依頼した.大町市長・福祉課が地震被害のお見舞いで来寺した(大町市長は二度目).
7月17日 6月末のパソコン故障により更新遅滞。現在、仮パソコン。準備ができ次第更新を図ります。
8月4日 復興会議が開かれました。寄付の状況や復興への見積もりを整理し始めました。緊急募金の中間報告を8月末に行えるよう事務作業を進めてまいります。
8月25日 28日11時頃に長野県立歴史館の展示を終えた千手観音像と多聞天像がお寺に戻ってきます。小さな法要が開かれます。お気軽にお参りください。
8月27日 15時にツキノワグマが出現しました。サクランボやクリの結実期(春と秋)に境内に毎年現れる個体であって人を襲う個体ではないと考えられていますが、参拝の際には熊鈴や熊スプレーを用意するなど自衛にお努めください。
8月28日 千手観音と多聞天が戻ってこられました。持国天回復への祈願の小さな法要が営まれました。
お寺には被災から回復するほどのお金はありません.覚音寺は平安時代に始まる古代寺院であり,葬式仏教に見られるような檀家を持っていないため,まとまった収入を得る機会を持っていません.
古代寺院はかつて,貴族や豪族をパトロン(支援者)に隆盛しました.奈良の興福寺を支えたのが藤原氏一族であることを知らない人はないでしょう.覚音寺は,安曇の豪族である仁科氏によって支えられてきました.しかしながら,中世期に仁科氏は滅亡しています.維持運営に要する資金のあてを失った覚音寺の尊像群は,いわば身寄りのない一家です.覚音寺や覚音寺の仏像は現在,御住職やその家族のアルバイト代,地域住民の御助力によって支えられています.
蛇足.俗っぽい話で恐縮ながら,古代寺院である覚音寺は世襲制ではなく,駐車場経営・アパート経営もやっていません.ご住職はお寺をあくまで仏道修行の場と位置付けており拝観も志納としています.
5月5日,檀家寺でないお寺の文化財に関し,MBSから興味深い報道がなされました.ぜひご覧ください.国宝を修理するため重要文化財を売る!?本堂の修繕に寺は4000万円負担か...多額の維持管理費に住職「もう売却しか手がない」
仏像には,市販の木工用ボンドなどの接着剤を使用することはできません.なぜなら,それらは組み立てを簡単にする一方で,分解修理を困難にするからです.
仏像の各部は「膠(にかわ)」という接着剤で接合されています.膠は後で除去できる特性を持っているため,将来的な修理に備えることができます.膠のこの特性こそが,仏師たちが今も膠を使い続ける理由です.
さらに,仏像に使われた膠は,制作当時の成分を保持しており,それ自体が文化財的価値を持っています.以上のように,仏像の各部分を接着する際には,分解修理が可能な材料を使うこと,接着材料自体が持つ文化財価値を守ることの2点が求められています.今度の修理でも,当時の膠を再現して使用することになるでしょう.
<R7年5月23日追記>
文化庁技官および美術院国宝修理所所長が来寺し,下調べをしていただいたところ,造像時には膠が使われておらず,過去の修理時にのみ膠が用いられているとのこと.所長は,動物性である膠は,仏教の不殺生のポリシーからして本来忌避されるべき素材なのだとご説明下さいました.造像時に膠の利用が避けられてきた事実は,管理者である覚音寺にしてみれば嬉しい発見です.施入者の仁科氏の深い信仰心を垣間見る思いがしました.
なお,文化庁技官からは,実際の修理に当たっては,漆(外すことができない),膠(外すことができる),そのほかの接着剤を,状況と目的に応じて巧みに使い分けることをご承諾してほしい旨,お話しがありました.このご提案に対し,ご住職はじめ,県職員・市職員一同は文化財価値を守ることと物理強度を高めることはしばしばトレードオフの関係になるだろうし,なにぶん,分解してみないと分からない事柄もあるだろうから,「文化庁および美術院に一任するのが適切だ」ということでご提案に応じ,それで,話がまとまりました.
破損した持国天像は国有物ではなく地区と覚音寺の共有物であり覚音寺が管理者となっていますから,国の重要文化財であることを理由に国が100パーセントを負担してくれることはありません.地方行政からの支援が得られる予定ですが,公金によって賄われるのは,持国天の修理に要する費用の70パーセント程度ではないかと筆者は”予想”しています.この場合,残りの30%は自前で調達しないとなりません.しかしながら,「お寺にはお金がないの?」で述べた通り,維持だけで手一杯の中,無い袖は振れません.皆様に助力をお願いする背景には,先に述べたようなお寺の苦しい台所事情があります.
文化財の移送では,専門の業者が輸送計画を策定し,専用木箱を制作したうえで,文化財輸送の専門教育を受け資格を取得した人々が梱包・移送・積み下ろしを行うことになります.トラブルの未然防止のため,美術品の専門家である学芸員に随行してもらうこともあります.また,仏像を送り出す側である覚音寺の側には養生と通路整備が求められ,仏像を受け入れる側である修理所にも準備が求められます.このように文化財の移送では,実に多くの人が関わります.しっかりしたリーダーと複数の専門家によるチームワークのみが成しえる業でしょう.
加えて,覚音寺の前の舗装路は普通乗用車がやっと通行できるほど狭くカーブの急な山道であり,文化財輸送の専用車両を横付けすることができませんから,一旦小さな車に積み込んで,広い場所に出たうえで,改めて輸送専用車両に積み替える作業が必要となります.積み下ろしの回数は,少なくとも通常の2倍にもなるのです.
移送距離の長短も大切な要素です.昭和10年の解体修理は奈良美術院で行われました.今回の修理も美術院になる可能性が高いと見込んでいます.その交通費を筆者は,100万円~300万円と見込んでいます.
「300万円」の価額は,展示を目的に長野県内の博物館に移送する際の見積もり(2025年,被災していない仏像3体,片道約120万円)を参考としたものです.今回の移送は仏像1体とはいえ,被災しており本体から脱落した木片は辺りに飛び散っています.したがって,木片と本体との位置関係の情報を精確に記録し各木片に合番を振るなどして,復元の助けとなるよう図る必要があります.また,輸送による破損拡大を防ぐための格別の工夫も求められます.これら一連のオプションが加わることから,破損品輸送の仕事は,完品の輸送と比べて一層難しいものとなるはずです.
もちろん,人的支援等によってこの”交通費”はもっと少なくなる可能性だってあります.100万円で済む可能性だってゼロではありません.その場合,寄付金から実際に要した交通費を差し引いた残額を”入院費””仏像の地震対策費”に充当させていただきます.(ありうるか不明ですが)文化庁の勘定科目において「交通費は全額国負担」となった場合についても同様にさせていただきます.
地震の被害を受けたのは,重要文化財だけではありません.建物の壁や玉垣,鳥居(冠木門)も破損しています.お寺全体の復興には少なくとも1000万を要すると「筆者は」「予想」しています.床下や天井裏,基礎や壁の内部までを点検し被害の全貌を明らかにするには長い期間が必要でしょう.何年も経ってから見つかる被害だってないとは言えません.ご寄付くださる方々のお気持ちを思うと心苦しくはありますが,こうした事情により,現段階では,個人的予想しか示せません.
だからといって,不確実な予想に基づく募金は,寄付者にとって無茶な相談です.ご寄付下さる側の立場に立ちますと,「何に」「いくら」が必要なのかという「見積もり」をあらかじめ知っておきたいものだからです.
お寺の被害全体がはっきりしていない今,私たちは,持国天の修復を先んじようとしています.そして,今回の「緊急募金」は,修復の際に確実な支出が見込まれしかも費用の相場がわかっている”交通費”を中心とするご支援を求めています.次には”入院費”の調達が必要となるはずです.建物の壁や玉垣,鳥居も何とかしないとなりません.都度,新たなご支援を求める可能性大です.諸般の事情から五月雨式のまどろっこしいお願いになってしまうことをご承知おきいただければ幸甚です.
誠にありがとうございます.寄付金をいただく覚音寺の立場に立ってみると,使途が限定されていないほうが使いやすいはずです.緊急寄付の申し込みの画面では,寄付金の使途をご指定できます.その中で<非限定>をお選びいただくと,持国天の修復のみならず,鳥居や玉垣,建物の壁の修繕など,お寺の威容の再興にも活用させていただくことができます.
1円でもありがたい,と住職はおっしゃっています.しかし,会計をして下さる方のご負担を思うと,端数なくご寄付なさるのが良いでしょう.
ありがとうございます.喜んでくださると思います.
高校の頃から仏教美術を愛好し大学では歴史学と仏教美術の勉強をしました.覚音寺仏像のファンです.伝統,および,科学に敬意を抱いています.半導体の回路理論や構造学といった物理学でご飯を食べてきました.ご住職はわたしのことを「信徒」だとおっしゃってくださっていますが,そこまで立派な信心を持っている自信はありません.自然科学や技術が私の基盤なので,隠れ仏教徒というところでしょうか.松川村在住(東京育ち)
したがいまして,緊急募金においては,厚かましくも「安曇の地域住民を代表して」という立場をとらせていただきます.
覚音寺について(制作中)をご参考ください.
小さな仏像ではテグスを張るなど簡単な方法がありますが,観音堂の3体の仏像は背丈が高く重量が重いといった技術的課題を抱えていることから地震対策のアップデートがなかなか前に進まずにいました.今回の破損に至ったこと,大変申し訳なく存じます.(なお,平成九年には,腐食等なんらかの事情によって足ほぞが切断され蓮台に立っているだけであった本尊千手観音像に対し,ご仏体と蓮台とをつなぎなおす耐震事業が行われています)
今回の持国天の転倒・破損をきっかけに,ねじを巻いて対策に取り組みます.どうか,過去にこだわらず,これからのことを見てやってください.
それほどの御寄付が集まれば,大変にめでたいことだと思います.
そもそも,覚音寺と覚音寺仏像ファンの私たちは,お寺の復興に当たって必要となる費用以上のお金を求めてはいません.経過を本ページで都度ご報告申し上げ,次に”入院費”や”再発防止策(地震対策)”のご相談をさせていただきます.
復興のためにすべきことは持国天の再生以外にもたくさんあります.鳥居・玉垣・土壁の修理などです.たとえ期待を一桁二桁上回る莫大な寄付が集まったとしても,観音堂を免振建築に建て替えて二度と地震の被害に遭わないように対策するだけで使い切ってしまうことでしょう. つまり,寄付金が余ってしまって無駄遣いに供される心配はご無用ということです.(ちなみに,現段階では,免振建築化に達する寄付が集まるとは期待していません).
そうかもしれません.
4月25日,クレーン用のスリングベルトで仮固定しました.
不審を感じた場合には,グーグルマップから再入場ください.グーグルマップの覚音寺(https://sites.google.com/view/kakuonji)をクリックすると,確実にこのWEBページにたどり着くことができます.このほか,はらぺこひよどりさんのXによる紹介(https://t.co/bYT1k9ocAv)からも確実にこのWEBページにたどり着くことができます.
しかし何より,ニセモノを作ったところで割に合わない事にご注意ください.もちろん,いまだにニセモノは現れていません.
修理機関を往復する”交通費”に最大300万円を見込んでいます.”入院費”や寺容の回復に要する費用に至っては,見当もつきません.
進捗は本WEBページにてご報告申し上げます.
持国天の再生,特に”交通費”の確保です.
目標に達した場合は,次なる目標である,持国天の”入院費”・仏像3体の耐震・建物修繕・寺容の再興に順次充当させていただきます.
申し込み時に,以下いずれかをお選びいただけます.
<非限定>持国天再生に限定せず,鳥居や玉垣の倒壊による人身被害を防止するための事業,および,お寺の威容の再生にもお役立てください.
<限定>持国天再生(交通費・入院費),および,仏像地震対策費のみにお役立てください.
安全のため鳥居や玉垣も修繕しないとならないお寺としては<非限定>が助かるはずです.とはいえ,文化財の価値のみ認める方の御意向も尊重されるべきです.<限定>をお選びいただいた方の寄付金は文化財のみに利用されます.
受取者は覚音寺,募金の募集者は吉富です.このWEBページに関する責任のすべては,吉富にあります.お問い合わせ・ご指導は,吉富までお願い申し上げます.
お寺の伝統に基づく勧進は,今後,別途,宗教法人覚音寺より行われる予定です.ご寄付くださる方のお心はさまざまです.お気持ちに応じて,両方またはいずれかのご寄付をお選びください.本WEBページにおける緊急寄付は,お寺の勧進と競合するものではありませんので,ご随意に願います.もちろん,覚音寺の勧進は本WEBページにも掲載させていただきます.
お手数をおかけしますが,ご寄付は,下のボタンからお申し込みください.
ボタンを押した後に,ご名前・ご住所などをお伺いさせていただきます.
お振込先もまた,ボタンを押した後に表示されます.
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