2025. 11. 11
前節で見たように英語は、古英語期には本来語要素の派生・複合を大いに活用していたにもかかわらず、次第に借用へと傾倒していくことになる。本節ではその具体例として、handbook の語誌をみることにする。
「手近にある本」を指すギリシア語の egkheiridion (en "in" + kheir "hand" + 指小辞 -idion)、或いはラテン語の manualis (「手に属する」の意) は共に本来語要素からなる。同様に古英語の handboc も本来語要素の hand と boc からなる。こうした事実に不自然な感じはあまり受けないであろう。問題になるのは、中英語期になって handboc がラテン語由来の manual に置き換えられ、16世紀にはギリシア語由来の enchiridion までもが英語に借用されたという事実の方である。興味深いことに、19世紀になって handbook が再び英語に現れたときには、英語が完全に借用に慣れ切っていたこともあり、handbook の方がむしろ「招かれざる侵入者」(unwelcome intruder)と見なされるまでになっていた。Jespersen は当時の言語的意識を反映するものとして、Trench の English Past and Present の第3版(1856年:p. 71)より次のように引用している。(※なお、Project Gutenberg に公開されている A. Smythe Palmer 編集による版では該当箇所は大きく書き換えられている)
we might have been satisfied with 'manual', and not put together that very ugly and very unnecessary word 'handbook', which is scarcely, I should suppose, ten or fifteen years old.
私たちは ‘manual’ で満足しておけばよかったのだ。あの非常に醜く不必要な語 ‘handbook’ を作り出すべきではなかった。思うにこれはせいぜい10年か15年ほど前にできたばかりのものだろう。
Jespersen は handbook の語誌を以上のように振り返ったうえで、次のように意見している。
Of late years, the word seems to have found more favour, but I cannot help thinking that state of language a very unnatural one where such a very simple, intelligible, and expressive word has to fight its way instead of being at once admitted to the very best society.
近年になって、この語(=handbook)は以前よりも好意的に受け入れられるようになったようだ。しかし私はどうしても、そのような言語のあり方をきわめて不自然に感じざるを得ない。これほど単純で、明快で、表現力に富む語が、最初から最上の地位に認められるのではなく、苦闘しなければならないのである。
参考文献
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].