2025. 10. 25
アングロ・サクソン人が侵入した当時、ブリテン島の言語状況はどうであったのだろうか。本節では主に2つの立場が紹介されている。
ケルト語を話すケルト人に対し、征服者であるローマ人がラテン語を学ばせた結果、Neo-Latin なる言語が話されるようになっていた(Pogatscher や Wright の立場)
ローマ人がブリテン島から撤退した時点でラテン語は消滅した(Loth の立場)
いずれの見方に立っても、アングロ・サクソン人がブリテン島で自らとは異なる言語を話す民族に接触したことは間違いない。それは Jespersen も次のように述べるとおりである。
However this may be, the fact remains that the English found on their arrival a population speaking a different language from their own. Did that, then, affect their own language, and in what manner and to what extent.
いずれにしても、イギリス人は到着と同時に自身とは異なる言語を話す者たちを見つけたという事実は変わらない。それでは、そのことは彼らの言語にどのような方法でどの程度影響したのであろうか。
ところで従来の英語史で英語内部の変化とされてきたものが、実はケルト語の基層言語(substratum)的影響に還元できるとするケルト語仮説(Celtic hypothesis)がある。例えば、進行形、do 迂言法、it 分裂文の発達などがこの仮説の下で説明の対象に置かれている(cf. #3754. ケルト語からの構造的借用,いわゆる「ケルト語仮説」について)。
参考文献
堀田隆一「#3754. ケルト語からの構造的借用, いわゆる「ケルト語仮説」について」『hellog~英語史ブログ』2019年8月7日。(2025年10月25日閲覧)
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].