2025. 10. 12
本節では英語史上きわめて重要な音変化の一つ、グリムの法則(Grimm's Law)について簡単な解説が行なわれている。私の方でも追加的な説明を加えながら、Jespersen の説明を振り返っておく。
グリムの法則とは、印欧祖語とゲルマン祖語の子音体系の対応を指摘した法則である。その名は、ドイツの言語学者 Jacob Grimm が著書 Deutsche grammatik の第二版(1822年)の中で指摘したことから来ている。しかし Jespersen も G&S 内で強調しているように Grimm は初版時点ではこの法則を知らず、デンマークの言語学者 Rasmus Rask の Undersøgelse om det gamle nordiske sprogs oprindelse(1818年)を読んでその発想を体系化したとみられている。
印欧祖語とゲルマン祖語の子音体系は以下の表(※#103. '''グリムの法則'''とは何かより)のような対応関係を持つ(左: 印欧祖語、右: ゲルマン祖語)。各言語の子音の一部がその調音位置(place of articulation)・調音様式(manner of articulation)・有声性(voicing)・帯気性(aspiration)を基準にまとめられている。例えば印欧祖語の bh は唇で破裂・声・息漏れの全て伴って調音される。グリムの法則とは、印欧祖語の /bh, dh, gh/ がゲルマン祖語では /b, d, g/ へ、/b, d, g/ が /p, t, k/ へ、また /p, t, k/ が /f, θ, h/ へと一律に変化したことを言う。例えば、ラテン語(非ゲルマン語)では pater となる一方で英語(ゲルマン語)では father となることはグリムの法則に従う。tres (ラテン語) ―three (英語)/cornu (ラテン語)-horn (英語) の対応も同様である。ところで英語は主に中英語期以降、借用による語彙の増強に傾倒していく。結果として現代英語の語彙はグリムの法則を経たゲルマン系の語(本来語)とグリムの法則を経ていない非ゲルマン系の語が類義語として共存するという、興味深い特徴をもつに至った。例えば、現代英語にはゲルマン語由来の fatherly とロマンス語由来の paternal が類義語としてそれぞれ異なる含意(connotation)を備えて共存している。(※グリムの法則についての hellog 記事一覧)
なおJespersen が述べているように、こうした体系的な音推移は長期間かけてゆっくりと進行したものである。
The consonant-shift must not be imagined as having taken place at one moment; on the contrary it must have taken centuries, and modern research has begun to point out the various stages in this development.
この子音推移は、ある瞬間に起こったと考えてはならない。むしろ、数世紀をかけて進行したに違いない。近年の研究によってその発達のさまざまな段階が次第に明らかにされつつある。
非常に細かい点ではあるが、father の /ð/ はグリムの法則に従えば /θ/ となるはずでは? という疑問がある(cf. pater (ラテン語))。このようなグリムの法則の例外を、デンマークの学者 Karl Verner が次のように説明している(ヴェルネルの法則(Verner's Law))。
ヴェルネルは強勢の位置に着目し、直前の音節に強勢がない場合には、印欧祖語の /p, t, k, kw/ はそれぞれ有声音化し /b, d, g, gw/ となることを発見した。例えば、印欧祖語 *pəter-(父)は、ラテン語やギリシア語では pater (父)、古英語では fæder となっているが、グリムの法則に従えば、古英語(ゲルマン語)では fæþer となるはずである(印欧祖語 /p/ → ゲルマン語 /f/ はグリムの法則通り)。しかしそうならず、fæder となっているのは、印欧祖語 *pəter- の強勢が第2音節にあり、/t/の直前に強勢がないため、これが有声音化し/d/となったと説明される。
(唐澤ほか 2025: 400-401)
なお、fæder の d は後に摩擦音化して現代英語の father の /ð/ につながっていくことになる(cf. #4230. なぜ ''father'', ''mother'', ''brother'' では -''th''- があるのに ''sister'' にはないのですか? --- hellog ラジオ版)。
参考文献
堀田隆一「#103. '''グリムの法則'''とは何か」『hellog~英語史ブログ』2009年8月8日。(2025年10月12日閲覧)
堀田隆一「#4230. なぜ ''father'', ''mother'', ''brother'' では -''th''- があるのに ''sister'' にはないのですか? --- hellog ラジオ版」『hellog~英語史ブログ』2020年11月25日。(2025年10月12日閲覧)
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].
唐澤一友・小塚良孝・堀田隆一『英語語源ハンドブック』 東京: 研究社、2025年。