2025. 10. 2
言語同士を比較してどちらがより論理的であるとかいうのは、一般にもよく耳にする話である。私自身、日本語よりも英語の方が論理的であると中高の授業で聞かされた覚えがある。この言説が言語学的に如何に裏付けられているのかは不明だが、少なくとも日本語と英語で好まれる論理が異なるというのは論証されているようだ(cf. 渡邉雅子『論理的思考とは何か』)。
この論理の問題について Jespersen はどのように考えていたのだろうか。本節の冒頭は次のように始まる。
No language is logical in every respect, and we must not expect usage to be guided always by strictly logical principles. It was a frequent error with the older grammarians that whenever the actual grammar of a language did not seem conformable to the rules of abstract logic they blamed the language and wanted to correct it.
どんな言語もあらゆる点で完全に論理的というわけではない 。だからこそ語法が常に厳格に論理的な原理によって定められているとは考えるべきではない。かつての文法家たちによく見られた誤りは、ある言語の実際の文法が抽象的な論理の規則に適合しないように思われるたびに、その言語を非難し、正そうとしたことであった。
Jespersen は以上のような考えを持った上で、それでもなお、英語ほど論理的な言語はないと主張する。彼はその根拠として英語の時制と相の性質に注目している。例えば、英語は他言語に比べて過去形と現在完了形の区別が明確である。具体的には、英語は he saw と he has seen を一貫して区別しているが、デンマーク語やドイツ語はそれ程でもない。ドイツ人英語学習者が Have you been in (or to) Berlin? の意味で Were you in Berlin? と言い間違えるのもそのためだという。もっと言えば、英語は単純形と完了形の区別に加えて、進行形も明確に区別している(e.g. I wrote と I have written と I was writing )。一方でフランス語はかつて単純過去と半過去を区別していたが(e.g. j’écrivis と j’écrivais)、前者の役割が複合過去によって占められるようになり(e.g. j’ai écrit)、前者が消滅の傾向に瀕し少なくともパリや北部の話しことばではすでに失われている。
またスラヴ語では進行相を表すのに個々の動詞に応じて前置詞や派生接尾辞を使い分けるとあり、英語の be 動詞と現在分詞で作る進行相の生産性の高さが強調されている。
ところで、英語の完了形や進行形は歴史の流れの中で獲得されてきたものであって、その具体的な経緯については次章以降で触れられていくことになると思われる。
参考文献
Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 10th ed. Oxford: OUP, 1997[1905].
渡邉雅子『論理的思考とは何か』東京: 岩波書店、2024年。