元和9(1623)年 川口の名主田中新左衛門(第一世)は、広く念仏の教えが流布されることを願い、菓城寺から僧宗玄を迎えたのを改観寺の開基とする。
第七世暁貞は、天明3(1783)年より、現新潟市濁川から本堂を移築再建し、天明7(1787)年に旧本堂が完成する。
それから十数年後、後継者絶無のため、恵南は仙台伊達公の御殿医を辞して帰山し、第10世として改観寺の再興をはかる。その後、昭和初期まで数代にわたり医者も歴任し、浄土真宗の念仏の教えを広めるとともに、地域の医療にも貢献した。
第十三世真梁は、明治42(1909)年本堂の屋根を茅葺きから瓦葺きに改修する。
昭和19〜22(1944〜1947)年頃まで東京都江東区東川小学校の学童疎開(児童数48名)を受けいれ、旧本堂が生活の場、教育の場となった。また、戦後数年間、安塚町出身の絵師弟の仙田菱畝氏、兄の石塚仙堂も縁あって自坊に居住し、絵画普及に努めた。
戦中に、江戸中期に作られた梵鐘を供出したため、昭和25(1950)年高岡にて梵鐘を鋳造し、昭和52(1977)年には屋根瓦葺き替え工事、昭和60(1985)年には鐘つき堂を再建する。昭和62(1987)年には京都にて梵鐘を再鋳造する。
平成にはいり、白蟻被害などにより本堂補強工事が行われるが、平成7(1995)年笹神地震により本堂一部に被害が生じ、平成12(2000)年まで本堂についての調査、協議が行われた。
平成12(2000)年9月30日に臨時檀信徒総会にて本堂を新築することが決定し、平成14(2002)年4月に着工、平成15(2003)年10月に完工する。
平成16(2004)年5月 本堂落慶法要が勤修される。
平成28(2016)年11月 住職継承法要が勤修され、琢順が第十七世住職となる。