剣道試合への疑義と憂慮

我が海風館が試合参加を止めて既に数年が経過する。試合の齎(もたら)す弊害に気づいたのは、勿論海風館が最初ではない。試合の齎す問題は多くの先達剣道家がこれを指摘し、警鐘を鳴らして優に三/四半世紀以上が経過する。その警鐘を打った一人に『大日本武徳会武道専門学校』の初代剣道師範内藤高治(たかはる)がいる。内藤先生は昭和4年天覧試合に強く反対したが、「おそれ多くも勅令でありますぞ」と『御名御璽』を言い渡され、「それならばいたしかたございません」と頭を垂れた。京都に帰った内藤高治は「これで日本の剣道はほろびる」と嘆じたそうである。この時の内藤先生の嘆息は、逸話として巷間剣道家の語り種であった。だがそれも二昔前までである。試合が至上目的となった今様剣道界で、この逸話は歓迎されるべくも無い。しかし有ろう事か、私はハワイくんだりまで来て、奇しくもこの逸話を再び、しかし今度は『実話録』として聞いた。ハワイ出身の日本人で『武徳会第31期生』として、日本帝国陸軍に徴兵されるまで謂わば剣道を専門的に修学された、今は亡き面本(おもと)先生から親しく伺ったのである。晩年アメリカ本土のワシントン州に住んでおられた面本先生が、私との往復書簡で『試合剣道』をいたく憂慮されていた事は言うまでも無い。それは恰も遺訓の如きであった。

武徳会武道専門学校剣道師範内藤高治は、古来の『武術』を『武道』と改称した同校校長・西久保弘道のもと、『道』としての剣道を時代の波を乗り越えて現代に伝承した。また武徳会の多くの剣道教師陣は矢張り試合を忌諱(きき)した彼の剣聖・山岡鉄舟の春風館の門から輩出したから、往時の剣道修行は試合と無縁のものにあったに違いない。だが現今の全日本剣道連盟は、内藤高治初め幾多の心ある剣道家の誡めに耳を貸す事なく、もう後戻りの利かないところまで『試合』を剣道修行の目的に定着させてしまった感がある。

剣道は武道であれば、稽古で勝ちを競い合うもの(是一)である。この競い合いは強靭な肉体を作り健全な精神を培う(是二)。然るに剣道の真の目的は、此処を以て終着点としない。剣道修行の真の目的は「尊敬心」「知恩心」「団結心」等々、人間性の涵養(是三)である。

『是一』は『勝他』であり『方便』である。即ち、より高い目的への方法手段であると言う事だ。『是二、是三』は『克己』であり『目的』である。就中『是三』の人間性の涵養は、独り剣道のみならず、普(あまね)く武道の到達点である、と須(すべから)く心を定むべきものではなかろうか。そして私は、この目的の達成の要は、各人の所属する道場に於ける「師弟関係」と「(門弟同士の)兄弟関係」の強い絆に求めるものであると考えるのである。

全日本剣道連盟も「剣道の理念」を表して『人間形成』を謳い、又「礼」を以てモットーとする。しかし現実の剣道界は「試合」に強く執着し、これを至上目的としているのではなかろうか。それは上記の目的に照らし合わせば『是一』に拘泥した姿であろう。『是二』は是一に伴う利益であるから改めて論ずる必要はないが、真の目的たる『是三』即ち『克己』と『人間性の涵養』への深化は、これをしっかりと心の中心に据えなければ成就はおぼつかない。試合にかまけていては、剣道に目指すべき崇高な目的がある事を、思考の端にも思い浮かべる事はないだろう。

人間の成長過程を視るに、幼児少年期の『遊び』は、健全な人間関係を養う上で欠く能わざる大切な要素である。だが成人して尚遊び呆(ほう)けるのは『放蕩』である。同じく若い剣道家が楽しい肉体的チャッレンジに現(うつつ)を抜かすのは否めないが、剣道の試合は『遊び』『勝他』『方便』であると心得なければ、本当の剣道家としての成長はない。剣道の正しい目的を教えて若者を教導する事こそ、各剣道場の最大一の眼目であるべきであろう。試合を催す各地各方面の剣連は、謂わばアミューズメントパークである。道場の大切な子弟を、アミューズメントパークで遊ばせてばかりいてどうなる。個々の道場は不認識な剣連の手先であってはならない…と、私は自戒している。

剣道の目指すべきに関しては更に大いに語るべきものがあるが、それはひとまずさて置くとして、それでは全剣道家を駆り立てる『試合』とは如何なる代物か。その実態に目を向けていきたいと思う。