都会化・観光地化する石垣島にあって宮良集落には、まだ昔ながらの生活が息づく集落が残っています。周りはサトウキビ畑、宮良川とマングローブ林、サンゴ礁に囲まれています。
1771年明和8年に大津波が八重山近海を襲い、八重山で約1万人が犠牲となりました。宮良(旧メーラ)も壊滅し生き残った人が今の高台で村を再興しました。丘には明和大津波の慰霊碑があります。
サンゴ礁が隆起した丘には黒糖の原料となるサトウキビ畑が広がっています。暑さや乾燥、台風にも強く八重山を代表する農産物です。
植え付け後1年半で収穫となります。最近は農業従事者が減少ぎみで、牧草地が増えています。
サトウキビは風が吹くと葉音がザワワと聞こえます。
沖縄を代表するハイビスカスは春秋を中心に1年中咲いています。生垣としても利用されています。
スーパーマーケットに車で行ける時代になっても、お年寄りの買い物やお祭りの準備には、地元密着の商店が今も集落を支えています。
宮良集落の行事は、宮良公民館と後ろの宮良小学校で行われます。八重山はお祝いや祭りの行事が毎月のようにあるので、人が集まる重要な施設です。
◆生活(最近は島らしさが薄れつつあります)
農家等の外で働く人は主に朝と夕方に働き、暑すぎる昼間は無理をせずのんびり過ごします。
台風が接近している時は本土より危険なので外に出ません。歩いているのはほとんど観光客です。
窓は開けっぱなしで近所のおばあが勝手に家へ上がり、ゆんたく(おしゃべり)をします。
車は集落内や農道が狭いので軽自動車が一般的です。ゆっくり時速30キロで走ります。
外から帰ったらまずシャワー。最近風呂のある家も増えましたが浸かる人は少ないです。
夕食を軽く済ませてから市内に飲みに出かけます。沖縄時間のため遅れるのは当たり前です。
会社も祭を優先する習慣があり、祭りが近づくと集落が一つになって準備を行います。
豊年祭や旧盆の祭りには、那覇や本土に出て行った人も戻ってきて、親戚一同で盛り上がります。
離島は中学、石垣島にも高校までしかないのでほとんどは那覇か本土の大学へ行きます。
特に女性は一度島を出ると、行事が多く時間を拘束される島に戻ることはほとんどありません。
本土からの移住者は増えていますが、集落から少し離れた海の展望がよい場所に住むことが多いです。
畑や庭先にバナナが普通に生っています。八重山では小さく少し酸味のある島バナナが好まれますが、熟すのが早く島内のみの販売です。
パパイヤは、八重山では果物ではなく未熟の状態で野菜として食べられています。
宮良に根付いている石垣島で最も小さい泡盛メーカーです。行事で供えて飲まれるため宮良集落の家には必ず何本かありますが、宮良以外で飲まれることはそれほど多くなく、本土ではまず手に入らない幻の泡盛です。
空港移転にあわせパイン工場跡地に石垣市街から宮良に移ってきました。石垣島では大手の泡盛メーカーで、全国の大型小売店でも入手できます。
◆食事
自ら釣った新鮮な魚を食べ、栽培した野菜を近所で分け合う半自給自足の生活が今も一部で残っています。
家庭料理では、香りよい炊込み飯「ジューシー」、さっぱりだしの「八重山そば」、魚はアオブダイ等「熱帯魚系の刺身」や「グルクンの唐揚」、沖縄本島の豚食と違い「石垣牛」、海藻風味の「アーサ汁」、ブダイの白身を揚げた「八重山かまぼこ」、落花生でできた柔らかい「ジーマミ豆腐」等が食べられます。
フルーツは豊富で地元産のパイン、マンゴー、島バナナがよく食べられます。畑で完熟したものを食べるので、本土で食べるフルーツと比べると味は格別です。
飲み物は、さんぴん茶(ジャスミン茶)と子供はクール(乳酸飲料)、オリオンビールと地元泡盛が定番です。果汁飲料は、パイン・グアバ、シークワーサー、マンゴーと豪華です。
南国の漂着物といえばヤシの実がありますが、この海岸でも時々見つけることができます。
◆潮の満ち引き
本土では海の満潮・干潮を意識することはありませんが、八重山では昔から生活に関わっています。
特に満潮と干潮の水位差が大きい大潮の干潮になると、サンゴ礁が一時陸地になります。
普段は近づけないリーフの先に竿を下ろし、崖面で大きめのイラブチー(アオブダイ)を釣り食卓を飾ります。
サンゴの岩に生える海藻も収穫できます。旧暦3月の浜降り祭の後には地元の人が集いアオサ採りがされます。
夜に干潮のリーフに打ちあがっているイイダコを捕獲して食べるところもあります。
また、八重山では満潮に向かう時に生まれ、干潮に向かう時に亡くなるといわれています。
琉球王朝の時代、宮良にいた名馬「赤馬」を王朝に献上した悲話にちなんで作られた「赤馬節」は、八重山では祝いの席で最初の曲として歌い継がれています。
海岸近くにある共同の古井戸でオオタニワタリの葉が立派です。明和の大津波以前は、この井戸の周辺が宮良の中心地でしたが、津波後は現在の高台に集落が移りました。浜には当時のパナリ焼土器の破片がみられます。
◆八重山の御嶽(うたき)
神へ祈りをささげる御嶽が集落に点在しています。同じ先祖の親族が祭で集います。
御嶽には女性の神司(ツカサ)のみが入場でき、豊年祭では神司が豊作・豊漁を長時間祈願します。
御嶽はとても神聖な場所なので、本土の神社と違い鳥居の奥には入らないようにしましょう。
スコール後に夕日が射すと、空の青色が湿気の粒で拡散し、波長の長い赤が残り鮮やかな夕焼けとなります。石垣島の夕日は立体感のある雲と赤で芸術的な色彩をみせます。
空から星が降ってくるといわれる夜空は、天の川も通常視力で十分みえます。流れ星もあらわれます。スマホの普通撮影でもこれだけ星が写ります。
八重山のお盆「ソーラン」は8月末頃(旧暦の7月13~15日)に盛大に行われます。
宮良ではお盆の御見送りが終わると獅子が残った邪気を払う「イタツキバラ」がおこなわれます。
米寿などのお祝いごとも華やかで、集落の親族が次々祝いに訪れます。
◆八重山の夏行事
八重山の夏は集落ごとに独自の伝統にのっとり、豊年祭(プール)とお盆(ソーラン)で盛り上がります。
宮良の豊年祭(アカマタ)は、石原慎太郎の小説「秘祭」のモデルともいわれ、今も秘密裏におこなわれます。
にぎやかな祭りと違い、明かりを全て消し暗闇の中で行われる儀式は、残像として記憶に残ります。
写真など映像に残すことが禁止で、当日は張り紙で注意を促し、違反した人は集落の青年団に捕らえられます。
映像の消去を確認する徹底ぶりで、もめても警察が関与しないといわれています。祭りの内容も口外禁止です。
◆八重山のことば
石垣島の集落の多くは明和の大津波で壊滅的被害を受け、集落ごとに違う島からの移住で再形成されました。
旧宮良村は小浜島から、旧白保村は波照間島からの移住により、生き残った人と再建をすすめました。
このため集落ごとに島ごとの祭や方言が残り、隣の集落でも言葉が通じないほどの違いがあります。
そこで標準語と集落の人にしかわからない方言を、相手により上手に使い分けることができます。
観光客にはとても親切ですが、最近移住してきた人には言葉や風習に見えない壁があります。
◆八重山の年中行事
2月(旧暦1月16日)
十六日(ジュルクニチ) 当日に墓参りをした親族が墓前でにぎやかに食事をします。
4月(旧暦3月3日)
浜降り(サニズ) 女性が海で身を清め1年の健康を祈り、浜でアーサ採り等をします。
6月(旧暦5月4日)
海神祭(ハーリー) 漁業者が航行の安全と豊漁を祈願して船で技量を競います。
7月(旧暦6月)
豊年祭(プール) 集落別に奉納芸や綱引き、アカマタ(神様来訪)等の行事が行われます。
8月(旧暦7月15日)
旧盆(ソーラン) アンガマ面をつけた舞い踊りや獅子舞(イタツキバラ)が行われます。
9月(旧暦8月)
結願祭(キツガン) 豊作に感謝して奉納芸や弥勒(ミルク)神の行列等が行われます。
10月(旧暦9月)
節祭(シチ) 収穫が終わり新年を祝う祭で、西表では国の重要無形民族文化財です。
11月(旧暦10月)
種取祭(タニドゥリィ) 竹富島で種をまき豊作を祈る祭で、国の重要無形民族文化財です。
※これらの祭りは旧暦で行われるため年ごとに実施月日が違います。
◆八重山の年表
1000万年前
南西諸島と中国大陸が陸続きとなる
100万年前
氷河期が終わり大陸と離れ八重山諸島の原形ができる
24000年前(旧石器時代)
石垣島に人が住む(白保竿根田原遺跡日本最古の人骨)
714年(奈良時代)
続日本書記に「信覚=しがき」の記述がある
1185年(鎌倉時代)
平家の落武者が石垣島に来島する
1390年(室町時代)
琉球中山王朝に入貢・服属して重税が課せられる
1500年(室町時代)
地元豪族オケヤアカハチが琉球王朝に反乱するが敗れる
1609年(江戸時代)
琉球が薩摩藩に侵略・征服される
1614年(江戸時代)
薩摩藩が社寺(臨済宗桃林寺)を八重山に初めて建立する
1771年(江戸時代)
明和の大津波が発生する(石垣島民の3分の1にあたる死者不明9313名)
1879年(明治12年)
廃藩置県により沖縄県が誕生する
1887年(明治20年)
サトウキビ栽培が本格開始する
1896年(明治29年)
郡制施行で日本人が住む尖閣諸島も含めて八重山郡に編入される
1903年(明治36年)
住民を苦しめた人頭税が廃止される(1637~)
1945年(昭和20年)
マラリアで西表島に疎開していた2500人以上が死亡する
1945年(昭和20年)
第二次大戦終結で米国軍制下となる
1955年(昭和30年)
石垣島一周道路が完成する
1957年(昭和32年)
パイナップル栽培が本格開始される
1963年(昭和38年)
現在の石垣港が開港する
1964年(昭和39年)
石垣市に大浜町が編入され1島1市になる
1967年(昭和42年)
南西航空(現トランスオーシャン)機が就航する
1967年(昭和42年)
イリオモテヤマネコ捕獲(20世紀最大の生物学的発見)される
1972年(昭和47年)
本土復帰により琉球政府は沖縄県になる
1987年(昭和52年)
竹富島が国の重要伝統的建物群保存地区に選定される
2013年(平成25年)
大浜の石垣空港が白保の新石垣空港に移転し開港する
2021年(令和3年)
西表島が世界自然遺産に登録される