今回は200人近い数の会員が集まって来られました。思い出すことがあります。三菱化成生命科学研究所を計画された段階で江上先生が言っておられたことです。“あまり大きな研究所にはしない。皆が顔なじみになる規模が良い” と。その方が互いに影響し合って、よい研究成果も出るだろうとのお考えでした。実際、私は所員時代、ほぼすべての方々と顔なじみになりました。そして今日、懐かしい方々との再開を果たしました!
私が定年で三菱化成生命科学研究所を“卒業”してから、四半世紀が経ちました。研究から遠のいた私ですが、最近現場に引き戻されるような事件がありました。今年の5月に突然の電話、東京工大の金丸さんという方からでした。金丸さんの知人のアメリカの科学者が、私達の昔の論文に出ていた緑膿菌のピオシン変異株の一つを譲ってほしいと言っているとの連絡でした。その論文は四宮知行さん(故人)、大隅萬里子さんと私との共著です。J.Bactriol.124 1508-1521(1975)。
自分が研究に使った菌株をどう保存すべきかという問題について、思い出すことがあります。私達の研究は当時東大伝染病研究所におられた本間譲先生の研究から出発しています。本間氏は緑膿菌の菌体内毒素はピオシン作用を持つという見解でした。毒素に興味を持っておられた江上先生の指図で私がその研究に入ったのです。ピオシンとはバクテリオシンの一種で、同族の菌を殺す蛋白質です。(菌体内毒素は人間等に作用)。本間説が正しければ、ピオシン作用をマーカーとして精製すれば菌体内毒素が得られるはずだと、ピオシンの精製に進みました。
大隅萬里子さんが大隅良典さんの奥さんだと気づいた金丸さんが、同じ工大の良典さんに連絡、萬里子さんを経て私への電話となったのです。
私の頭のなかに、昔の研究室のコールド・ルームにあった菌株のストックの映像が浮かび上がりました。しかし研究所自体が最早ありません。かつて共同研究をしていた方に問い合わせましたが、問題の株は保有しておられませんでした。残念ですがと金丸さんにお断りするしかありませんでした。
その結果高純度のピオシンを得ることができましたが、しかしそれは菌体内毒素とは無関係でした(1962)。バクテリオファージの尾状の構造をした超高分子蛋白でした。
緑膿菌の殺菌性物質を発見し、ピオシンと命名したのはフランスのパスツール研究所にいたF.Jacob です(1954)。Jacobのピオシンと私のそれとを比較して見たいと思い、Jacobに彼の菌株の譲渡を請う手紙を江上先生に書いて出して頂きました(1961か62年頃)。しばらくして来た返事には、自分はもう緑膿菌を研究していないので、菌株は手元にないから送れない、あの株なら何処からでも手に入るだろう(!そんなのあり?)とのことでした。私は今になって思います、あの返事の手紙を江上先生から頂いておけばよかったなと。F.Jacobはそれから間もなく、A.M.Lwoff, J.L.Monodとともにノーベル賞を授与されたのです(1965)。
菌株の保存についてはもう一つ思い出があります。三菱化成生命科学研究所が出来て、私もそちらに勤務することになり、それ迄使っていた緑膿菌の株をもって移動することになりました。その頃東大農学部にあった応用微生物研究所が、菌株の保存をしてくれるという話を聞きました。それは有難い話だと思い、それまで使っていた菌株(10株程度?)を両研究所へ引越しすることにしました。応微研には私自身がもって行き、係の方にお渡しし保存をお願いました。
生命研での研究が始まって1,2年経った頃、使っていたピオシン感受性菌の一つに問題が生じました。コロニーの形状が少し変わったように思われ、感受性が少し変化したのではないかとの疑いが生じました。そこで応微研に預けておいた株で調べることとし、私が貰いに出掛けました。ところが応微研の係の方は、預かっていないと言われるのです。“誰にお預けになりました?” “Aさん、貴方にお願いしましたよ” と私(当時私はその係の方の名前を憶えていました)。
Aさんは私に平謝りでしたが、どうにもなりません。もしここが機能していたなら私達は、その後さらに多くの菌株保存を応微研に依頼することになったでしょうが、この事件で諦めました。他所から菌株を預かるということは大変なことですから、応微研もその仕事をやりたくなくなったのでしょうか。(問題になった感受性菌は、都内の大学にいた元共同研究者から戻してもらいました。)
今回の同窓会では、大隅萬理子さんと久しぶりに話し合うことが出来、嬉しく思いました。そのほか大学江上研以来の友人である大島泰郎さん、中村桂子さん、菊池韶彦さんや、L研の初期からの仲間に多く会えて、幸せなひと時を過ごしました。
追而:人は年を取るほど時間が早く経つと感じるものですが、私のように90歳を過ぎると一昨日あった同窓会が、ずっと前のことのように思われます。忘れないうちにと この文をまとめました。菌株保存の件は、あの日の二次会で一部の方々にお話しました。
(2019.11.5 景山 眞)