シンポジウム

GIGAスクール時代における

「書く」ことの学習指導をめぐって

2023.11.04(Sat)/15:10-17:40

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趣旨

「書く」ことの「好機」?

2019年に文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」によって、児童生徒1人1台端末の普及とクラウド活用の促進、そしてそのために必要な高速通信ネットワーク環境の整備が一気に進められることになった。それによって教室における言語活動には、大きな変容がもたらされることになった。折柄のコロナ禍がそこに拍車をかけたといえよう。

ICTが学校現場に浸透する過程において、言語活動のあり方がもっとも大きく揺さぶられているのは、おそらく「書く」ことだろう。その揺さぶりはもちろん作文(=三領域のひとつである「書くこと」の学習指導)においても生じているが、それ以上に、「書く」という行為それ自体が強く深く揺さぶられているように思われる。たとえば、漢字や書写の学習指導の側面においてである。

わずか5年ほど前までは、教室における「書く」ことは、ある意味において安定していた。それは黒板もノートもワークシートも原則的にすべて手書きだった時代・世界であり、教師も児童生徒もそのことを当たり前のこととして認識していた。時々授業中にPCを使用するような場合は、校内のコンピュータルームなどにわざわざ移動して活動を行っていたものである。

しかし2023年現在、小学校や中学校、高校の授業の様子を見ても、ノートPCやタブレット端末にタイピングや手書き入力(&連想検索)で文字や文章を書く(「打つ」)という場面が非常に増えてきている。そしてGoogleフォームやGoogleスプレッドシート、GoogleスライドやJamboardなどのクラウド型ウェブプログラムを用いて交流・共有活動を行うことが日常の風景となってきている。教室における「書く」という行為がまさに「スマート」になってきているのである。ちなみに提案者自身も大学の授業や業務において如上のウェブプログラムを日常的にフル活用している者のひとりである。これらのおかげで書類の作成・提出や授業の準備、学生からの提出物の管理・保存などは手書き&紙媒体が原則だった時代に比して格段に合理化されることになり、ICTの恩恵に日々あずかっている次第である。

もちろん黒板、ノート、ワークシートのいずれにおいても手書きが完全に消滅したわけでは決してなく、多くの学校現場ではICT端末&システムと手書きとのバランスを図りながら教室内・授業内での言語活動を展開しているように見受けられるが、もはや手でものを書くことが「当たり前」でなくなったことは確かである。おそらく「書く」ことは確実に進化している。そういう意味でGIGAスクール時代の到来とICTの言語生活への浸透(そしてコロナ禍)は、「書く」ことの「好機」となったといえよう。

「書く」ことの「危機」?

しかし一方で提案者自身の心の片隅には、手書きによる「書く」が着実に失われていくことに対する一抹の不安が常に潜んでいることも、また事実である。GIGAスクール時代の到来とICTの言語生活への浸透は、つまりは「書く」ことの「危機」を意味するのではないか、と。

不安の例を挙げていけばきりがない。たとえば「1000字、2000字という分量を手書きできる気力や体力を育てる必要はないのだろうか」「原稿用紙の使い方を知らない子どもがこれから出てくるのではないか」「漢字の書き方を正確に覚える必要性を感じられない子どもが増えていくのではないか」「誤変換に気付かない(気にしない)のはリテラシー的に問題なのでは」「書写の時間がなくなることはないだろうが、手で字を書く機会が書写の時間だけとなる可能性はある。それでいいのか」「文字の読み書きを学習していく上での効果・効率は手書きの方が良いのではないか」「『横書きでの入力が日常』という社会になっていく(すでになっている?)と縦書きで文章を書く機会や習慣(文化)が今後ますます失われていくのではないか」等々である。さらにいえば「(大学生の様子を見ていると)スマホのフリック入力は速いがPCのタイピングは苦手という学生が出てきている」「生成AIの登場によって文章作成そのものが人間の手(脳)を離れつつあるのではないか」といった、テクノロジーの進歩によって生じている新しい問題もあると感じている。

このような不安は、保守的・懐古的な一種の感傷にすぎないものとして片付けてしまえばよいものではないはずである。たとえば馴染みの食堂が閉店したときや古い家屋が撤去されたところに新しいマンションが建ったときなどに、一時的に去来するあの気分と同じようなものとして。そうではなく、これはやはり国語科教育(学)の本質と根底に触れる非常に重要な問題であり、学会を挙げて議論するのに値するテーマとなり得るはずである。「書く」が揺さぶられている今日の状況に対して、国語科教育学はどのように向き合うべきなのだろうか。何を論点・争点とし、どのような認識を共有していくべきなのだろうか。

登壇者について

本シンポジウムでは、以上のような問題意識から、作文教育、漢字教育、書写書道教育を専門とする3名の研究者に登壇を依頼した。登壇者は、作文教育が高井太郎会員(宇都宮大学)、漢字教育が棚橋尚子会員(奈良教育大学)、書写書道教育が松本仁志会員(広島大学)である。さらに、国語科におけるICT活用に関して多くの書籍を刊行してきた実績のある野中潤会員(都留文科大学)に全体のコーディネーターをお願いし、論点の発掘・整理や、「書く」をめぐる今後の展望などをお示しいただく。また、ICTの専門家として国の施策にも深く携わり、日本のICT教育を先導してきた堀田龍也氏(東北大学)に基調講演をお願いし、GIGAスクールやICTの国家的な動向や方向性などについてお話をいただく。


                           提案者:信州大会実行委員長 西 一夫     

                               同      事務局長  八木  雄一郎

基調講演

堀田龍也東北大学

シンポジスト

髙井太郎(宇都宮大学)

棚橋尚子奈良教育大学 

松本仁志(広島大学) 

コーディネーター

野中潤(都留文科大学)