シンポジウム

授業場面における国語科教科内容の生成(仮題) 

2023.05.27/15:10-17:40

趣旨

 現在の学習指導要領は、「コンピテンシー・ベース」の発想に立つとされる。「資質・能力」として「何ができるようになるか」が問われ、その過程で学ぶことになるコンテンツは、「資質・能力」を身につけるための手段のように位置づけられることになる。この発想に立つ場合、国語科の教科内容は「資質・能力」から逆算するかたちで設定され、それが教室において学ばれるということになるだろう。

 このことは、学習指導要領実施下では、学習指導案における単元の目標として指導事項をほぼそのままの形でコピー&ペーストすることを推奨するという形で表われているようである。『「指導と評価の一体化」のための学習評価に関する参考資料 小学校編』(国立教育政策研究所、2020)では、「知識及び技能」と「思考力,判断力,表現力等」の目標について、「基本的に指導事項の文末を「~できる」として示す。」(p.38)としており、研究授業や教育実習で作成される学習指導案にも、その方針に則ったものが多く見られるようになっている。

 一方で、実際の教室で学ばれる教科内容は、「資質・能力」から逆算されるものだけではない。教室で学ばれる教科内容は、たとえば次のようなものから生成されていると考えられる。

   1)学習指導要領や教科書  2)教師の信念(学習観・教育観)  3)教材の性質

   4)学習者の状況      5)学習環境(社会環境)

 これらは教科内容の生成に有機的に関わっており、同じ教科内容を学ぶ教室は原理的には二つとして存在しない。このことから、教科内容は各教室の授業場面において、その都度生成されているものとして捉えることができる。

 藤原顕ら(2007)は、「教科内容は、教師が授業において主題化しようとする何らかの文化的内容である。そうした文化的内容は、教師が、教室外の特定の文化的領域と教室の子どもたちを媒介しようとする場合に、教科内容として立ち現れる」(p.60)と述べ、教科内容の生成には、特に「教師の信念(学習観・教育観)」が関わるものと指摘している。また、「教材の性質」については、その背景にある「言語文化」の学びとの関係からも議論がなされてきた(福山大会シンポジウム「コンピテンシー形成と言語文化の学び」)。このシンポジウムの中で森美智代(2018)は、国語教育学を「諸学問を教育実践へと翻案するための、臍帯となる理論を構築していく領域」と位置づけ、そのために様々な場面で知見となるディシプリンが必要となることを指摘している(p.12)。これらのことから、教師はディシプリンを背景としながら、教材がどのような性質を持つものであり、また、学習者がどのような状況にあるのかを見取りながら、特定の教科内容を主題化し、生成していると考えられる。

 今回のシンポジウムでは、授業場面において生じている教科内容の生成について、具体的な説明的文章教材(「固有種が教えてくれること」光村図書『国語五』、2019)の単元を事例として検討する。お二人の先生(羽島先生・青山先生)に、授業を展開する中でどのように教科内容が生成されたのかを報告いただくとともに、研究者(守田先生)の視点からはどのような教科内容が見出されるのかをご報告いただくことで、それぞれの教師が、どのように教科内容を捉え、どのような学習の可能性を見出しているのかを、観点を設計しながら議論する。ここでの「それぞれの教師」とは、シンポジウムの参加者全員を指す。このシンポジウムで目指すのは、具体的な授業場面における教科内容の生成がどのように起こっているかを協働的に検討することを通して、私たち(それぞれ)がどのような視点から(とりわけ説明的文章の)教科内容を生成しているかということをあぶり出し、そこから何が考えられるかを探索することである。

〇藤原顕・今宮信吾・松崎正治(2007)「教科内容観にかかわる国語科教師の実践的知識 : 詩の創作の授業を中心とした今宮信吾実践に関する事例研究」『国語科教育』62、59-66.

〇森美智代(2018)「ディシプリン重視の立場から「教科の本質」を再考する」『国語科教育』83、12-14.


シンポジスト

羽島彩加 (広島大学附属小学校)

青山由紀(筑波大学附属小学校) 

守田庸一(三重大学) 

コーディネーター

冨安慎吾(島根大学)