管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・1
上の写真「修学旅行の東京名所記念写真」は、2組・後藤秀規くんのコレクションです。
後藤くんに「修学旅行のしおりもコレクションしてる?」と聞きました。
後藤(3-2) 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・2
修学旅行のしおりについては、警固小と警固中のものは持っています。しかし、高校2年時のものは、見つかっていません。 あの2年8組の集合写真には、日付がありません。
だけど、場所と日付を裏書きした修学旅行時の自分のスナップ写真が2枚ありました。一つは、「昭和44年9月30日、霧が峰高原、撮影者2の1野田章氏」。もう一つは、「昭和44年10月2日、新幹線ひかり号車内、撮影者2の8古川道裕氏」。これらの日付から推測してみました。
1969年(昭和44)9月28日出発。ぼくの記憶では、1日目は、午前10時頃博多駅始発名古屋行電車急行「玄海」に乗って、夕方名古屋駅着。駅近くのホテルで1泊。名古屋での観光なし。
2日目(29日)は、名古屋始発のディーゼル急行「木曽」で松本へ。全員で、松本城見学した後、貸切バスで3方向(上高地、黒部第4ダム、小諸・軽井沢)に分かれる。ぼくは、上高地に行きました。そこでは、河童橋から近い五千尺ロッジ泊。(立教2年次のシーズンスポーツで、ぼくは登山を選択したので、1973年9月上旬、この五千尺ロッジに全員で1泊しました。)
3日目(30日)は、上高地から松本へ下り、諏訪湖で休憩。ここで全員合流したかなあ。それから、美ケ原、霧が峰ヴィーナスラインを走って(曇り空のため眺望悪し)、白樺湖付近のホテル泊だったかと思う。このホテルの記憶があまりありません。
4日目(10月1日)は、完成後間もない東名高速道路を走り、夕方、神田駿河台ホテルに着きました。この晩は、自由行動で東京見物できました。
5日目(10月2日)は、2の8クラス集合記念写真のように、バスで東京見物して、夕方、東京駅から新幹線ひかり号に乗って、新大阪駅まで。そこから、電気機関車(EF58)が牽引する臨時団体客車列車(寝台車ではない)に乗って、車中泊。翌朝早く、博多駅に着きました。
但し、2年8組の時は楽しくなかったので、あまり思い出したくないですねえ。。
管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・3
素晴らしい記憶と推理ですね。
数日後、新宿・魚民で古川くんに会いました。
後藤くんの話をしたところ
古川「修学旅行のしおりなら、この前、家で見かけたよ」
牧野「ぜひ、貸してほしい!」
古川(3-8) 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・4
「修学旅行のトモ」。ありました。何処へ届けるかね?
管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・5
古川くんが「修学旅行のしおり」を持っていました。後藤くんの記憶の素晴らしさがハッキリしました。
パチパチパチ! すごいです。
ちょっと違ったのが、行きの「玄海」と「つばめ」のところ。
なんで、2グループ分けになったのでしょうかね。
後藤(3-2) 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・6
古川くんが持っていた「修学旅行のしおり」の行程表を送ってくれて有り難うございます。それと、ぼくの記憶力をほめていただき、これも有り難うございます。
但し、元鉄道ファンとして、指摘させてもらえば、「急行つばめ」などはありえません。それは、しおりの誤りと断言できます。
「つばめ」号という名称は、戦前から国鉄、JRを通じて現在に至るまで、特急列車にしか使用されていません。
ですから、「急行つばめ」などは、歴史上存在したことはないのです。その行程表の「つばめ」は、急行「玄海」よりも、博多~名古屋間の所要時間が約2時間短いことから、特急「つばめ」であることは、確実です。
ぼくは、高校1年の11月から鉄道ファンになりましたので(大学2年頃まで)、1968年11月から、2000年代初めまでの、国鉄・JR時刻表(日本交通公社または弘済出版社)を購入したものだけ保存しています。1969年の時刻表を探せば確認できますが、車庫兼書庫に保管していますので、すぐには取り出せません。
でも、博多から名古屋までが2グループに分かれていたとは、全く記憶にありませんでした。3日目、諏訪湖で3コース合流というのは、ぼくの記憶違いでしたね。確かに、C コースが、軽井沢・小諸から諏訪湖に戻って来るとは、合理的ではありませんでしたね。
管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・7
後藤くん「鋭い!」なるほど!ですね。
2時間後に博多を出て、名古屋に10分差というのは「ナゼ」かな? と思ってました。
「つばめ」は、JR 国鉄にとって特別な名前なんですね。「国鉄スワローズ」ですから・・・。
ところで、このやり取りをHPに載せてもいいですか? みんな「修学旅行」を思い出して、私は「つばめ」に乗ったという人があらわれるかもしれません。
後藤(3-2) 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・8
修学旅行に関するやりとりを、HPに載せてもかまいません。
誰が特急「つばめ」に乗ったんでしょうかね。
不公平ですね。
鉄道に関しては、村山、新原の両君がぼくよりも詳しいです。
管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・9
「急行・玄海」と「特急・つばめ」。今なら「エコノミー」と「ビジネスクラス」。何を基準に分かれたのでしょうか?
後藤(3-2) 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・10
思い出しました。書庫兼物置まで行かなくとも、パソコンのある部屋の押入れに、壁貼り用の「博多駅列車時刻表」を3枚保管していることを。
(S43.10.1改正)、(S44.10.1改正)、(S46.3.25改正)の3枚です。
(S43.10.1改正)の時刻表を見ますと、電車急行「玄海」は、7:19博多始発の名古屋行です。電車特急「つばめ」(熊本始発)は、9:13着、9:15発の名古屋行です。ともに4番線ホームです。
これで、急行ではなく、特急「つばめ」であったことが確認されました。
「国鉄スワローズ」というのは、鋭い指摘ですね。
特急「つばめ」は、昭和の初めから、戦時中と戦後の一時期を除き、東京と大阪(戦前は神戸)間を走る、東海道本線の花形特急列車でした。昭和34年(1959)の電車特急「こだま」(当時ビジネス特急と呼ばれていました)の登場で、東海道の主役の座を降りました。その後、東海道新幹線の開業後、都落ちして、山陽本線・鹿児島本線を走る特急電車の名に採用されたわけですね。
だから、戦後の復興期に、プロ野球国鉄球団の名称に、当時の花形特急「つばめ」から「国鉄スワローズ」と名づけたと思います。
管理人 2018/03/21
[長編] 修学旅行「玄海」と「つばめ」・おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今は、「九州新幹線・つばめ」ですね。
2グループに分かれた「ナゾ」を知っている方、
「私は、つばめに乗った!」という方、連絡ください。
津久間(3-6) 2018/03/21
修学旅行 「玄海」と「つばめ」に分かれたこと、全く記憶にありません。ただ、私の記憶では、門司の大里高校(誰か忘れましたが、当時の2年4組に大里高校からの転校生がいました。なお同高校は廃校になったようで今はないようです。)と合流して同じ列車に乗り、名古屋まで行きました。合流したのが博多駅だったのか、小倉駅や門司駅等の北九州市の駅だったのか記憶にないのですが、門司の高校から博多駅までというのは考えにくいので、そうだとしたら、我々は博多駅から列車に乗って、北九州市の駅で一度降りたことになります。ちなみに、私は上高地に行きました。しおり等の書類は一切残っていませんが、修学旅行時に撮影した写真が10枚程残っていて、かなりの数の同級生と写っています。それぞれ同級生の誰かが撮影してくれたものだと思われますが、残念ながら、だれが撮影したのか、どうやって写真を貰ったのか、全く記憶にありません。
津久間(3-6) 2018/03/24
私が持っている修学旅行の時の写真の一部を送ります。白黒写真(1枚だけカラ―写真がありますが)を、そのままデジタルカメラで撮影したので、よく見えませんが、おそらく以下のとおりだと思います?おそらく、一緒に写っている大半の同級生は、当時2年4組で同じクラスだった人たちではないかと思います?なお、既に故人になっている方もいますが、特にその旨の記載はしていなくて、ただ単に個人名(苗字)を記載しています。間違っていたらごめんなさい。
高田(3-1) 2018/04/29
2年3組の修学旅行の写真が出てきました。学校新聞の記事もありました。バスガイドさんは「5」の旗を持ってますが、3組で担任は数学の高橋先生です。
管理人 2018/05/10
修学旅行の資料が見つかりました。
1組・2組
3組・4組
5組・6組
7組・8組
高田くんからの写真は、3組じゃなくて、5組でした。
佃(3-7) 2018/07/15
「クラス写真」と「修学旅行の写真」が出てきましたので、送ります。
1年6組、2年2組、3年7組です。今アップされてる2年2組は、別の組です。修学旅行のは、黒部ダム組と都内での2年2組の集合写真です。
管理人 2012/12/21
2019/09/20更新
※情報を送ってください。
・・・住所不明 1組・・・
01 秋山 龍雄
02 猪城 高</s>
04 岩本 健
08 荻原 逸夫
10 河野 邦彦
11 黒飛 辰彦</s>
17 谷知 弘章
18 土田 芳穂
21 中園 雅夫
25 野村 俊之
30 藤本 芳之
31 三日月 宏</s>
32 山口 衛
34 吉野 渡
39 山下 計子(岡部)
42 許斐 幸子(木部)
48 辻 美智子
50 三宅 幸子
・・・住所不明 2組・・・
04 石川 恵太郎(石川恵猛)</s>
06 梅野 友紹
07 梅林 秀己</s>
08 大内田 裕</s>
09 門寺 克治</s>
10 金岩 路夫
11 金丸 近
18 城野 茂</s>
19 摂津 良則
21 野田 章</s>
22 浜田 繁雄
28 船越 康彰
29 古川 俊彦
30 牧野 俊郎
36 讃井 英子(安達)</s>
38 柴田 恵子(稲井)
39 入江 加代
40 安藤 祥子(上田)
41 高田 寿雅子(尾崎)
48 橋本 幸子(平川)
50 牧 洋子
・・・住所不明 3組・・・
04 石橋 修一</s>
05 江崎 修</s>
06 太田 稔</s>
07 大林 金人
10 久保山 正敏</s>
11 佐々木 了治郎
14 田中丸 修一</s>
17 中嶋 正道
19 原 勇二
20 福吉 章浩
21 松尾 雅彦</s>
22 松田 豊
24 柳原 幹雄
27 高木 喜久子(青沼)</s>
28 有吉 礼子
29 石原 瑞江
30 柳 まき子(稲葉)
34 村瀬 香織(柿本)
35 徳住 悦子(川口)
36 鍬農 由美子(河谷)
37 福本 泰子(久保)
39 関 容子(田中)
45 高石 右子(星野)</s>
50 内匠 良子(矢野)</s>
51 占部 加都子(芳沢)</s>
・・・住所不明 4組・・・
01 青田 孝司</s>
03 秋穂 章</s>
04 麻生 久和
05 有田 重信
07 安部 光二</s>
09 池邊 潔</s>
11 内海 武彦
14 大庭 研一
17 行徳 達也
19 小林 広雄
20 佐藤 明宏
22 四反田 亨</s>
23 紫原 博之
24 柴戸 清次
25 真藤 修次</s>
27 園田 猛夫
29 高木 和幸
33 寺田 弘
35 梛尾 秀嗣</s>
39 真崎 嘉典</s>
43 町田 広</s>
44 宮崎 隆介</s>
47 森田 三郎
48 矢野 博
50 山田 健三</s>
・・・住所不明 5組・・・
01 有吉 隆幸
02 大間知 亨</s>
07 佐多 光一
11 杉 孝夫</s>
12 杉野 寿信</s>
16 高橋 政彦
25 松山 裕一
26 矢加部 俊一</s>
28 吉田 彰夫
30 若狭 辰次</s>
32 笠野 成子
40 中村 とも子(田中)
46 原 典子(徳弘)</s>
50 結城 和子(義原)
・・・住所不明 6組・・・
01 赤澤 茂
02 鯵川 聡
03 井上 勲
04 井口 和憲</s>
06 小川 卓
08 尾沢 巧児</s>
11 加藤 正治</s>
14 北島 隆行
17 古賀 幹雄</s>
18 佐藤 賢二
19 酒匂 敬一
21 戸村 雅孝</s>
22 永澤 幸雄</s>
24 中牟田 享</s>
25 中村 幸保
27 野口 幸博
28 野坂 克己
29 林田 賢</s>
30 広谷 素俊
34 松井 直規
39 森本 正泰
40 森山 耕一
42 米田 毅彦
43 頼政 裕和
45 渡辺 伸一
・・・住所不明 7組・・・
04 池田 聡
10 小関 正利
11 財津 貴志
12 陶村 貴
17 長束 清</s>
20 原口 憲一
22 松生 孝治
23 松田 準一
25 松原 可和
26 宮崎 雅夫</s>
30 吉永 清高
31 吉原 龍幸
34 渡辺 摩利子(川谷)
35 佐々木 育子
38 中野 泰子
39 喜多村 美弥子(稗田)</s>
41 元村 由美(福田)</s>
43 馬場 桂子(堀田)
44 筒井 久美子(森)
46 脇坂 眞美江
・・・住所不明 8組・・・
09 梶原 保親
10 河野 隆文
18 瀬戸 博幸</s>
28 西島 郁夫</s>
29 西本 松清
30 羽生 克徳
31 日永 正純</s>
33 藤 信明</s>
38 宮井 隆敏</s>
39 宮崎 信也</s>
42 森 金次郎</s>
※情報を送ってください。
↑(クリックして)よろしくお願いします。
管理人 2012/11/19
1組 野口 峰夫 先生
ご逝去
2組 友田 實 先生
2011(H23)8月25日 ご逝去
3組 大矢野義広 先生
1997(H09)1月2日 ご逝去
4組 山野喜久夫 先生
1994(H06)7月23日 ご逝去
5組 高橋 護 先生
79歳(返信あり)
6組 石橋 旭 先生
ご逝去
7組 藤 清治 先生
(返信なし)
8組 乗富 民一 先生
76歳(音信不通)
事務局で把握している情報は、以上です。
管理人 2012/12/05
乗富先生は、2008年の会報が届かず戻ってきました。
高橋先生からは、同窓会総会の案内は
今後不要とのお返事をいただきました。
藤 先生からは、お返事は頂けませんが
郵便物が戻ってこないので、届いてる様子です。
管理人 2012/11/05
城南5期生のホームページを作りました。
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