散文集

びわこ生まれびわこ育ち さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

高校生以降、何ごとにも本気になれず、ある程度器用に、何でもほどほどにこなし、無難な毎日を送ってきた。

一言でいえば、「そこそこ人生」。

社会人になるときは、これを機会に少しは変えるぞ…などと思いはしたものの、結局は仕事がつまらないと愚痴をこぼしながら、大した努力はせず、深くも考えず、何となく生きている毎日。

そんな私が、社会人になり半年ほど経ったとき。

お世話になったいた人に、真剣な面持ちで「おまえの夢はなんだ」と聞かれた。

私は未来についてあまり真剣に考えておらず、はぐらかそうと、あいまいな答えを返した。

その人は、そんな私に対して強い怒り口調で、「自分の未来と本気で向き合っていないおまえは、人生のむだ遣いをしている」などと、説教してくれた。

自分でもうっすらと気付いていた。本当は挑戦したいことがあったとしても、それについてまわる苦難を想像しては、逃げていたことを。

過去を思い返せば、挑戦したときこそが自分が輝いていた瞬間であったということを、知っているのにもかかわらず。

だが、その言葉をきっかけとして人生のスタンスを変えた。

20代前半は朝から晩までがむしゃらに働いた。

20代後半は部下を引き上げられる人間になるべく、仕事と併せて本も読みあさった。

30代前半は慕ってくれる仲間にめぐまれた。

30代後半になり、仲間とともに事業を興した。

振り返れば、良い自分も駄目な自分も、本気で生きるスタンスを持つ限りは、全て自分の糧となって明るい未来へと進む力となる。

まさに「前向けば、ぜんぶ追い風」である。

今、世の中の流れに翻弄され、また苦難を迎えている。

だが、本気で生きるスタンスを持って挑めば、ぜんぶ追い風になる。

そう心に決めて、進む。

河原町部会 馬杉 雅喜さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

僕は小さな映像制作会社をしています。JOCでは僕が初めて監督した映画「笠置ROCK!」で大変お世話になったので映画の印象が強いかと思いますが、普段の仕事は広告プロモーションの映像制作です。

このコロナ禍で広告宣伝費はまず削られる予算であり、さらにどこにも撮影に行けない状況で、僕の会社は大打撃を受けました。

さらにうちは外国人スタッフが多く、インバウンドに強かったのですが、その仕事は完全にゼロになり、退社し帰国するスタッフもいました。

でもこんな時だからこそ、今しかできないことをやろう!みんなが少しでも前向きになれる映像を作ろう!と自社でオリジナルの企画「おやじキャンプ飯」というyoutubeドラマを制作しました。

ドラマを作るにはお金がかかります。頼みはコロナで出てきた補助金、助成金でした。

うちにはその道のエースがいます。

僕が小学生の時からの友人で、創業当初からずっと僕を支えてくれているA君です。

彼は様々なビジネスの資格を持ち、実質、会社の数字面はA君がほぼ全てやってくれていました。

予算面はなんとかなりそうということで、6月から急ピッチで準備をして撮影にとりかかり、10月末の公開が決まりました。

役者もスタッフも仕事が無かった時期ですから、みんなよろこんで協力してくれて、良いものができると確信した矢先のことでした、

9月中頃から事態は急変します。

お客さんや外注先から僕に頻繁にお怒りの連絡がくるようになりました。

「お金が振り込まれてない」「◯◯の支払いどうなってるんですか」「A君と連絡がつかないよ」

なんとA君はうつ病にかかっていました。

うちは7月から完全リモートワークにしていたので、zoomと電話だけでは、彼の異変に気づけなかったのです。。

2ヶ月ほど前から僕以外の連絡にはほぼ対応できず、仕事も手についていなかったのです。

そして僕には「大丈夫、できてるよ」「オッケーやっとく」と嘘をついていたのです。

親友に僕はずっと嘘をつかせていたのです。

信頼が逆に、僕の目を盲目にしていました。

ずっと気づいてあげることができませんでした。。

補助金、助成金、請求書、さらに決算書類まですべてが手付かずの状態だったことがわかりました。

ドラマや普段の仕事も合わせて10月に出ていくお金は1千万円以上。

春先から仕事が減った中、自主企画に全力を注いでいた会社にはもう、それを支払うお金がありませんでした。

頼みの綱の京信さんに駆け込みましたが、さすがに数ヶ月なんの書類も出せていない会社を助けようがありません、とりあえず諸々の交通整理を大至急することになります。

そこからの1ヶ月半は地獄でした。

まず、なによりA君を死なさないこと。3日に一度会って、病院に付き添ったり仕事以外の他愛のない会話などをします。

その傍らで決算を進め、

方方への謝罪まわりをし、

撮影や編集など普段の仕事をこなします。

ドラマの宣伝と営業活動に集中しないといけない時期でしたが、全くできず、

このまま激戦のYouTubeの中に動画を放り込んでも誰にも気づいてもらえないんじゃないか…と、心も体も完全に疲弊していました。

10月後半になり、京信さん、税理士さんをはじめ、多くの皆さんに助けてもらい、なんとか最大の危機は脱しました。

とはいえ、ダメージは大きく、年内で事務所を引き払い、様々なものを整理し、事業を縮小することにしました。

『前向けば、ぜんぶ追い風』

先月このJOC事業案内を読んだときは、とてもそんな気持ちになれねーよ!絶対に参加しないぞと思って無視していました笑

でも未来はわからないものです。

全く宣伝も告知もできないまま始まった「おやじキャンプ飯」は、なんと公開から10日で28万回再生、チャンネル登録者2万人という大反響をいただき、予想だにしないスタートを切りました。

それにつられたのかA君も少し元気になってきました。

まだやれるかもしれない。

少し気力が湧いてきました。

リーダーとしてダメダメで、どっちが前かもわかってない僕ですが、とにかくまた歩みを進めてみようと思いはじめた今日この頃です。"

京おんなさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

"海外からの観光客が増加し、オリンピックに向けてより一層インバウンド対策をしていかなければ!と誰もが思っていた矢先。

外国人観光客は姿を消し、日本人すら影を潜めてしまった『旅行したい場所No.1』の京都。

数多くのお料理屋さんも休業をせざるを得ない未曾有の事態。もちろん、その材料を納める弊社も、大きな打撃を受けた。

そんな中、中食の販売や宅配、ネット販売を始めるお店。新しいコミュニティーを作り始めるSNS。手を取り合って新しい事を始めるお店。

大きく変わってしまった環境の中で、新しく順応していく京都のお店。

インバウンドもオリンピックを過ぎれば下火になっていくと囁かれていたし、インバウンドの増加による日本人観光客離れも問題になり始めていた。

そんな中で起こった急激な変化は、もしかしたらインバウンドに頼らない新しい京都のカタチを、古き良き伝統を守りつつ新しいカタチに作りかえていく、京都の強さを思い起こさせてくれたのかもしれない。

前向けばぜんぶ追い風。

新しい京都へと大きく舵を切る瞬間に立ち会えた。ただそれだけなのかもしれない…。"

くじらさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

約10年前の話です。自社の経営計画を策定した時のこと。

恥ずかしいことですが、自分が作成した経営計画は、お世辞にも出来が良いとは思えませんでした。

そこで、何人かに意見を求めたところ、ひとりだけ忖度のない意見を下さった方がいました。おかげで経営計画は完成し、無事に経営計画発表会を終えることができました。

普段は顧問税理士として、関与先の相談にのることはあっても、自分のことで他人に意見を求めることはなかなかありません。今思い返すと、恥ずかしいことをしたな、と思うこともありますが、あの時のアドバイスが無ければ、経営計画発表会は成功しなかったでしょうし、今の弊社は存在していないと思っています。

「前向けば、ぜんぶ追い風」

恥を恐れず行動すれば、案外うまくいくものだど実感したマイストーリーでした。

肩バキバキさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

景気に左右されにくい業界ということもあり、創業以来、順調に業績を伸ばしてきたが、コロナが流行りだした五月、売り上げが急激に落ち込んだ。

理由は明らかにコロナだと分かっていたので、解決法はコロナの流行が収まるのを待つことしかない。

しかし、コロナの流行が収まるのを指をくわえて待っていては会社が持たない。

何かしなければ… 

何かできることはないか…

不安でフリーズしそうな思考回路を必死で回転させ、今出来そうなこと、必要なことをリストアップすることにした。

外(そと)と中(なか)。

外は対外的に出来る事(営業方法や新商品の開発など)

中は自社で出来る事(社員教育や労働環境の整備など)

従業員と意見を交わす中で、今まで見過ごしてきた色々なものが見えてきた。

特に「中」に関する意見が多く、いかに自分が自社の問題に無頓着、無関心だったか気づかされた。

何よりも、従業員一人一人が危機意識を持ってたくさんの意見を出してくれたことが嬉しかった。

正直、従業員は自分の指示に従ってくれればそれで良いと、心のどこかで思っていた。

今思えば、その考えが「上司に意見を言ってはいけない」という閉鎖的な雰囲気を作っていたのかもしれない。

今回のコロナという大災害が危機意識の共有を生み、閉鎖的な雰囲気を打ち破って会社を一つにしてくれた気がした。

前向けば、ぜんぶ追い風

私にとって、追い風は従業員だ。

前へ進めば、ぜんぶ向い風

困難が訪れるのは前進してる証だと信じて、これからも従業員と一緒に進み続けようと思う。

口丹部会 高橋 宏さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

事業計画。

いつも課題の抽出ばかりを行い、自分自身で出来るか分からない目標を掲げていました。

時期も空いたので、そろそろやらないといけないなと感じ、久々に行った社員向け理念研修。

『何の為に?…』分かっていたつもりが、各回開催の度に新たな考えを持つことが出来た。今年度はコロナで人数的に余裕もあったので6回開催し、全てで新たな発見が出来た。社員向けに行っているのに、自分自身が一番勉強になりました。

社員からも「やっぱり理念は大事ですね」「何をやっていたんだろう?私のやりたいことはこれなのに…」ありがたい。

会社は何を目指す集団なのか?

共有し力を合わせることの大切さを改めて実感でき、本当にやりたい事、目指す事をはっきりさせてくれました。

MASAさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

このようなお題をもらって文を書くのはしょうじき小学校以来になるかな?

さて、何から書けばいいのやらといった感じです。。。

コロナ禍で私たち花き園芸業界も輸入規制、緊急事態宣言による冠婚葬祭やイベント中止による商品大量キャンセル、花屋さんの休業等日々を華やかに彩る業界が大きなダメージを受けました。

3月以降社内でもスタッフに元気はなく、不満や愚痴が多く聞こえて社内の雰囲気もよくなく私自身、今後のことに顔がひきつっていました。社をあげた展示会開催も当初7月開催を目指していましたが祇園祭の中止等異例の事態になり、やむなく8月に引き伸ばし。出展社様の辞退も多く、お客様からの返信も少なく、また対策も前例がないため会議をすれども、進まない、決まらない、政府、府からも具体的な指示がない中しょうじき苛立ちもありました。また展示会中止した方がいいというこころない意見もお客様よりいただきました。

会社としても社をあげてのイベントであるため中止にするわけもいかず悩みました。

また業界で夢を語り合って頑張っていた同志の突然の別れもあり、悲しみにくれました。

ただ落ち込んでばかりもいられずまず目標を立てました。「無事展示会を開催する、感染者を1人も出さないこと」をスローガンとして揚げました。社内でもコロナ対策に中心になって動いてくれるスタッフが1人、2人と増えてきたことも後押しとなり、考えうる万全のコロナ対策で展示会を迎えることができました。

結果、来場数は収容率のこともあり半減しましたが、感染者ゼロ、無事展示会を開催し、終了することができました。コロナ対策には京都信用金庫様を始め、部会長、お会いしたことのないJOCの会員さんからも暖かいご支援をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

前向けば、ぜんぶ追い風…正しくこの言葉通り志しを同じ仲間たちと激動の令和を前を向いて歩いていきたいと思います。

壬生部会 篠田 拓也さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

2020年2月。シェアオフィス事業を運営している私は、新事業としてコーヒーのブランドを立ち上げた。

働く人を応援したいという気持ちで、働く人の時間に合わせて選べるコーヒーや、企業の理念を表現するオリジナルブレンド制作サービスなどを主要商品として、B to B中心に展開していく予定だった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大により、営業廻りに出られなくなった。

そこで当初の戦略をガラリと変えて、小売中心のB to C戦略に構築しなおした。

まずは、緊急事態宣言によって自宅から出られないストレスが増えた人達に対し、コーヒーという小さな楽しみで少しでも前向きなものに出来ればという思いで、コーヒー豆を100セット限定で全国に無料配布することにした。この活動によって露出が増え、海外からの大口注文に繋がっただけでなく、時間で選ぶというコンセプトとデザインが海外で高く評価され、TopAwards Asiaというデザイン賞を受賞することになった。

他にも、コーヒーとは別に展開しているシェアオフィス事業では、コロナ禍の不安定な職場環境に対応するため1日単位で契約できる超短期プランを出したところ、会員数が急増。

前向けば、ぜんぶ追い風。

自身もしんどい事は多かったが、同じ様に困っている人が多い今だからこそ、助けてあげたいという気持ちが追い風となり私のビジネスを加速させた。

まだまだ大変な時期は続くが、これからもどんどん挑戦していきたい。

田舎侍さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

6 年前に税理士事務所を独立開業すると同時に京都信用金庫西院支店へ創業支援融資の申込みに足を運びました。その際、当時の支店長から JOC への入会も勧められましたが開業したばかりで資金も全く無い状態でしたので、あまり積極的な気持ちではありませんでし

たが、言われるままに入会することとなりました。そんな気持ちであったことと、あまり多くの方々が集う場所は苦手なため、目立たないように適当に参加していれば良いかという軽い気持ちでいました。しかし、僕が消極的になり、目立たなくやり過ごそうと思っても、JOC の会員の皆様から積極的にお声がけくださったり、前へ前へと引きずり出していたりと、大変お節介をして下さいました。おかげさまで多くの友達ができ、経営に必要な多くの知識を学ばせていただきました。

『前向けば、全部追い風』

志の高い方々との出会いは多くのことを学ばせてくれますし、積極的の行動が自分自身を成長させてくれるということを JOC に入会して学ばせていただきました。

Kiyoki5312さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

今やれる事をするんじゃなくて、やりたい事をしよう。

これが僕の出した答えだった。

コロナ禍が深刻化していくなか、正直一瞬だけ弱音を吐いたな。。

先が見えず、これからどうなっていくんだろうと・・・。

そんな時、社会人になった時の志、事業承継した時の志を思い出した。

不安やプレッシャーのなかでも夢や希望に満ち溢れていて、

この仲間となら苦しみながらも笑顔で乗り越えていけると確認してた。

コロナ禍・・というだけで弱音を吐いた自分がバカらしく思えた。

やりたい事、その大半は努力や我慢から成り立っていると思う。

これからも大好きな会社・大好きな仲間と一緒に過ごす為に経営者として

夢や目標、そしてやりたい事に夢中になり輝き続けていないと・・・

『前向けば、ぜんぶ追い風』

考えてみれば、このコロナ禍も自分の人生にとって一瞬の過程でしかない。

夢や目標に向かって今やりたい事に集中して、夢中に生きよう。

トシナルドさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

とある日の難波の人通りの多い交差点。

信号が変わり一人で横断していると、

横を通り過ぎた女性が何度もこちらを振り返る

「そんな、一目ぼれされても・・・困るわ。隣に彼氏おるやん」

なぜ何度も、その通り過ぎた女性が振り返って僕を見てくるのか?

思い出してみると、僕が発したある言葉があった・・・。

「何イチャイチャしとんねん・・・。」

前方から、こちらに向かってイチャイチャしながら歩いてくるバカップルに、思わず独り言を発していた。

偶然にもその独り言を発したタイミングに、たまたま僕の横を通り過ぎた別のカップルの女性の方に、その独り言が聞かれたのだろう。

その女性は自分に発せられた言葉だと思い、「なんやねん?」と

なんどもこちらに振り返ったと思われる。

そのとき、僕は強く思った。『誰やねん?おまえちゃうねん』

『横なんて見てないねん! 俺は前しか見てないねん!!』

『前向けば、ぜんぶ追い風』

独り身で生活している期間が長いので、街中でも、テレビにも、車の中でも

自分はめっちゃ普段独り言を言ってることに気づいた。

普通の人は、独り言聞かれて恥ずかしい・・・。穴があったら入りたい。

と思うかもしれない。そこで隠れても何も生まれない。

『俺は前しか見てないねん!』

『前向けば、ぜんぶ追い風』

こんなしょうもない事でも、前向きにとらえ、ネタになると思えば、ぜんぶ追い風になる。

毎年、自分のお誕生日イブの日に大阪で大きな花火が舞い上がる。

『なんでこんなに花火が上がるのに、なぜ自分は独りなんだ・・・。』

『前向けば、ぜんぶ追い風』

自分の誕生日イブの7月25日。自分の寂しさを払しょくするために、個人的なイベントを思いつく。

天神祭りの花火と勝手にコラボして、自分のお誕生日イブをお祝いする花火を見て、有名焼肉店を貸し切って祝う会。通称『トシナルド・イブ』

自分で企画し、告知し、人を集め、サプライズケーキまで自分で用意し、マジックショーも自らが披露する、真夏の祭典『トシナルド・イブ』

最初は参加者15人ほどだったが、毎年続けることで近年は60人を超し会場に人が入りきれなくなるほどの盛況となっている。

ちなみに再来年は10周年記念大会が行われる予定だ。

独り身の寂しさから、ふさぎ込まず、前を向いたことで生まれた。

『トシナルド・イブ』

自分の人生において完全に追い風になり、その勢いはビジネスにも好調に表れている。第一回トシナルド・イブ開始以降、毎年、増収増益を続けている。

『前向けば、ぜんぶ追い風』

コンプレックスも、逆境も、どんなしょうもない事でも、前を向けば、ネタになり、すべて追い風となる。

これからも前を向いて生きていこうと思う  (おわり)

ぷぅさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

"僕は無知で愚かで気弱ででもほんの少し好奇心が強い生き物だ。

日頃JOCの色んな方々に支えられてきて、その中でも親の様な存在と兄の様な存在の人がいます。

大柳さん(仮名)は僕とって親の様な存在だ。

無知な僕に違和感のあるところを指摘して正してくださる。

至らない愚かな部分を示して物事を俯瞰で見る様に諭してくださる。

その根底には思いやりと優しさが詰まっていて、常に相手への思いやりや気遣いを考えておられるのだと思う。

赤山さん(仮名)は僕にとって兄の様な存在だ。

エネルギッシュな彼から発せられる言葉はいつも励まされる。

趣味のサーフィンでは臆して波に乗れない僕に、力強い言葉で励ましてくださり、仕事ではヒントになる言葉で新しいチャレンジ精神を鍛えてくださる。

JOCには他にも色んな存在の人がいるけど、ほんの少しの好奇心を持ってトライする事で、前向けばぜんぶ追い風、この辛い時期を焦らず腐らず少しづつでも歩を前に進めて、いつか恩返しが出来る様にしたい。

それが今僕の原動力の一つとなっています。

現在はコツコツと自社製品の開発や自動機への取り組みに奮闘をしております。"

殺人バナナボートさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

折角なので、船屋は船屋らしい文を書こうと思います。

セーリングボート、所謂ヨットですが風の力だけで航行を可能とする乗り物です。ディンギーやクルージングヨットなど名前が分かれ、様々なサイズがあり、数多くの人を魅了する乗り物ですが、推進力を生むのは艤装(ぎそう)されている帆です。

そこで質問です。仮に北から吹いてきた風に対してヨットはどの方位に対して航行が出来るでしょうか。

皆さん普通に考えられると、北風から吹いてきているので南に進むとお考えだと思います。

ですが、ヨットという乗り物は一枚の帆だけで形成されているのではありません。メインセイル、ジブセイルといっていくつかの帆によってその進行方向を制御します。北風に対して完全に航行が不能な角度はなんと北西45度から北東45度の間だけで、それ以外の角度は全て航行出来ます。たとえ目的地が真北にあったとしてもジグザグと航行することによってその場所までヨットは移動することが出来るのです。

うんちくはここまでにして、今回のテーマとうんちくで何がいいたいのかというと…

「前向けば、ぜんぶ追い風」人にとって色々な風があって、それはある人には追い風、ある人には向かい風、けれど自分にとっての目的地がしっかりと定まっていればその風は全て時には立ち向かうべき試練であり、時には心強い援助でもある。

どうしようもないときも勿論ある、だが目的地さえ定まっていれば、例え遠回りだったとしても必ずたどり着ける。向かい風で走れないならヨットのように走り方を変え、少しでも前進すればいい。大事なのは前を向くという気持ち、迷わない決心である。

会社という船を動かしているのは自分という船長であり、共に支えてくれている社員や家族といったクルーと共に協力をして、社会という風に対してしっかりと企業理念に基づき、自分のなりたい姿という目的地に向かってさえいれば良い。それが私の「前向けば、ぜんぶ追い風」です。

長岡部会 櫻井 大樹さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

【我が人生】

1977年12月20日に誕生。

生まれた時の体重は4140グラム。

母親が僕を見て放った一言目は『でかっ!』であった。

幼稚園時代は、先生に恋心を抱きながらスクスクと成長する。

小学校時代は、父親から受け継いだ【でべそ】が恥ずかしく、

プールの時間は必要以上に水着を上げて授業に参加。

【でべそ】がバレることはなかった。

中学校時代に人生で初めて大きな壁にぶつかる。

高校受験である。

最後の追い込みになるはずの夏休みに事故にあう。

病名は【くも膜下出血】

三途の川を渡りかけた。

医学的にあり得ないらしいが手術をすることもなく完治する。

高校時代に入り、目立ってナンボの精神で高校生活を謳歌するが、

大学受験にまたもや頭を悩ます。

父親に相談すると『事業を継げ!』とまさかの反対をくらう。

なんとか説得し昼は仕事、夜は大学といった苦学生を目指し、

見事合格。

大学時代に入り19歳になった時に、最愛の弟の一人が亡くなる。

生まれた時から重度な障害を背負った弟であったが、

我々家族の中では天使であった。

この弟がいなければ今の僕はいない。

さんざん悲しんだが、心の中に弟は生き続けている。

24歳の時に彼女に振られる。

『女は信用しない!』と豪語していたが、

この頃に妻に出会い心を奪われる。

33歳で父親から事業を引き継ぎ、代表取締役に就任。

就任する前月に東北の地震があった影響で、

社長になった瞬間から売り上げが急激に下がる。

毎日毎日汗水たらして営業をしまくった。

35歳の時に、目の上のたんこぶでありながらも尊敬していた偉大な父が亡くなる。

まだまだ社長としてヒヨッコだった自分であったが、天国から見ている父に笑われまいと、妻や従業員の協力を得て売り上げを伸ばし続けた。

今年で43歳になるが、振り返るといろいろあったな。

人生の中で様々なターニングポイントを経験してきた。

我が人生そのものが【前向けば、ぜんぶ追い風】だと思える。

性格もあるであろうが、基本的にポジティブに前を向いて歩いてきた。

後ろを向いたこともあったが、私には前を向かせてくれるおせっかいな人達がいた。

今でもそう。

JOCの仲間もおせっかいな経営者の集まりだ。

これからの人生もこのおせっかいな人たちに囲まれながら、

【前向けば、ぜんぶ追い風】な人生を突き進みたい。

父親からもらった『必死でやった奴だけが思ってもいい言葉、なるようになる!』を噛みしめながら。

メンバー募集中@JOCジョギング同好会会長さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

エエ言葉ですね。

でも、あまり私の心に響かない…

なんでやろ…?

色々と考えてみると、福知山マラソンを走った時の経験が原因でした。

ゴールは42.195km先、大会に出ることを決めたからには、

追い風でも向かい風でも、雨でも雪でも、文句を言わず、自分の足で1歩ずつ

進んでいかないと絶対にゴールにはたどり着かないのです。

しかも、速いランナーほど短い時間でゴールするので、先頭がゴールをしたときに

まだ、中間地点を走っていることもある。

実力の無いランナーほど、長い時間を走らないとゴールにはたどり着かないという

ハンデも何もないマラソン。

体力、脚力、気力の限界になると、歩き始め、ついには足が止まり、立ち止まる。

そんなときに追い風が吹いていても、正直、なんの助けにもならない。

「もう、随分頑張ったし、リタイアしよう…足の裏のマメも潰れて、めちゃ痛いし…」

弱った状況では後ろ向きな考えや言い訳しか浮かんでこない。

「何止まってんねん、森田走れ!」

突然、背後からJOCの内藤先輩の声が聞こえました!

調子よく走っていた時に追い抜いた内藤さんが、止まってる私に追いついたのです。

正直、もう限界やし、少しだけ一緒に走って、やっぱりリタイアしよう…という気持ちで

ゴールに向かって内藤さんを追いかけて、もう一度走りはじめました。

あまり覚えてませんが、ツライ、しんどいと先輩に愚痴りながら走ったと思います。

頑張れと応援してもらいながら走ったと思います。

独りで走っているときには後ろ向きな考えしか浮かんでこなかったのに、

内藤さんにハゲまされ、一緒に走ってるともう少しだけ…あと少しだけ頑張ろう!という気持ちになり、

なんとその後1度も立ち止まらず完走することができました!

しかも、最終カーブで滑って転んだ内藤さんより先にゴール(笑)

今にして思えば、ゴール前で待っとくべきでした。内藤先輩、本当にすいませんでした。

マラソンは完走したら、ものすごい達成感があります。

もちろん、1人でも楽々走る人も多いですが、仲間に応援してもらって走るのも最高です。

トレーニングを積み余裕が出来てくれば、仲間を応援しながら一緒に走り、仲間のゴールを一緒に

喜ぶこともできます。

私はJOCで多くの素晴らしい先輩や仲間に出会い人生が変わりました。

もちろん、仕事の悩みも相談できます。

是非、皆さんも卒業までに一緒にゴールを目指して応援してくれる仲間、応援する仲間を

1人でも良いので見つけてほしいと思います。

CBちゃんさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

私が創業したのは2008年4月26日、今から約12年前の今年と同じ子年(鼠年)でした…

その年の夏にはレギュラーガソリンが180円代に高騰…

その秋にはリーマンショックで世界的不況に…

私の仕事である美容業界は不況に関係ないやろ?髪の毛は伸びるもんな!とよく言われがちですが、アパレル業や飲食業にならぶ贅沢産業、いわゆる必要不可欠なようで、節約対象にも取られる業界です。

本当に最初の1年目は給料日にスタッフには払えど、自分の給料を取る事も出来ず、テナントの家賃は払えど、自分の住んでる賃貸マンションの支払いも待ってもらったりと今考えてもゾッとする日々だった事を思い出します…

あの手この手で来客を促す施策を考えたり、技術接客を必死に教育して当時のスタッフとなんとかやり過ごしてきました。

その頃は当然今に比べると労働環境も悪く、スタッフにもずいぶん苦労をかけましたし、助けられました。

あれから12年…

くしくも同じ子年(鼠年)に新型コロナウイルスの感染拡大にともない、非常事態宣言により3月と4月は過去にない数字(売上)を落としました…

あぁ、こんなにも簡単にお客様は来なくなるんやな…こんなにもたかが風邪の1種、ウイルスによって売上が下がるのか…

白髪が増えました…(笑)

しかし、創業したての12年前と違って、今の僕(会社)は思ってるほど弱くはなかった。

何故なら、12年間頑張ってきたおかげで会社に内部留保が作れてた。労働環境を少しづつ良くしてきたかいもあって素晴らしいスタッフ達がいた。

京信JOCで沢山の異業種の仲間が出来てた。

沢山相談する相手がいた。

沢山助けてくれる仲間がいた。

マスク、消毒・除菌剤、フェイスシールド、ウイルス除去のシート、新型コロナ関連の補助金や助成金の申請に関する相談、時には外出規制の中でもお客様として来店してくれる仲間達…

「前向けば、ぜんぶ追い風」

これからも時々後ろを見る事はあるかもしれないが、この先どんな事が待っていても僕には追い風が吹いてる!そんな根拠もないポジティブな気持ちだけは確実にある!

そして、誰かの追い風になれるし、なろうとする…

ドライヤーを持ちながら追い風と共にこれからも歩んでいきたい。

南国美人さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

人は生きていく中でいろんなことを選択をしている。

自分で決めている。

自分で選んで今、その場所に立っている。

誰かの言うことを聞く必要もない。

誰かのように生きる必要もない。

大学に絶対行く必要もない。

みんなと同じスーツをきて就職活動する必要はない。

筋トレをする必要もない。

化粧をしなければならないわけではない。

お金を稼ぐことがいいことでもない。

結婚しなければならないことはない。

離婚をしてはいけないことはない。

何か成し遂げないといけないわけではない。

全部自分で選べばいい。

自分の思い通りに生きればいい。

予測不可能な外的要因により

崖っぷちに立たされたとしても

バンジージャンプのように海へ飛び降りるのか

崖をちょっとずつ降りるのか

それとも反対側に無理やり走り逃げるのか

自分で選ぶのだ。

起こったことは取り消しできないし

過去はなかったことにできない。

前の扉を開けると、

後の扉の鍵はすぐ閉まる。

前へしか進めない。

でも、前には何万もの扉が存在する。

どれを開けるのかは自分次第。

いかなる時も

選ぶのは自分なのだ。

風は過去から未来へ向かってしか吹かない。

だから前にある自分の扉を開けるときは

いつも追い風なのだ。

長岡部会 加藤 信行さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

私はJOCに入るまで、経営者や後継者が集まるような異業種交流会が苦手でした。

知り合いもいない、伝手もない、お酒も飲まない、喫煙しないの、ナイナイ尽くしで新入会員オリエンテーションに参加した時は、一秒でも早く終わればいいのにと思っていたのを今でも覚えています。

名刺交換も上手くいかなかったし、頃合いを見計らって退会すればいいやと、後ろ向きMAXになっている時に、広報委員の森本さんから声をかけられ、ご自身の体験談を通じ励ましのお言葉をいただきました。

ほんの数分の会話でしたが、あの出会いと時間がなかったら、JOCに前向きな気持ちで関わってないですね。

前向けば、ぜんぶ追い風

その話のあとに名刺交換できたのが、今でも交流のある同期入会の高橋さんです。

人柄もですが、積極的に本部事業へ参加される姿勢も尊敬しています。知り合えて良かった。

オリエンテーションでもお世話になった

金子さん 渋谷さん 公文さん 野田さん

部会と同好会でもお世話になっている

森田さん 真鍋さん 山本さん

リーダーシップ研修委員会の皆さん

おかげさまで素敵な人達とご縁も出来ました。

この出会いや人の繋がりがなければ、今の事態を乗り切れなかったかもしれませんね。

前向きになっても人見知りは変わらないので、JOCに入ってからも異業種交流会は苦手です。"

東九部会 岡田宏晃さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

この言葉を聞いて、思い出した。

私の扱う小麦粉は食品原材料と言われる商材で、それ単体では食べることはできず、何らかの形で混合、加工されてパンやうどんやラーメンやケーキなんかになる。

互いが交わっていくことで食べ物という、いつか何かの命に変わっていく商品だ。

「こんな時に営業しに来んのはお前くらいやで」

緊急事態宣言が出されようとしていた4月頭、ある得意先を訪問した時に私に向けられた言葉だった。

言葉だけだと棘があるようにも取れる言葉だけど発言した本人は笑顔。

続けて、

「多分これから先遠慮か忖度か知らんけども電話とメールで済ませるとこが増えると思う。だからそういう時にわざわざ顔を合わせて会うてくる人たちは、大事な話をしに来るはずやからなるべく会おうと思うし、こちらもそういうつもりで得意先には訪問するつもりや」

この考え方はまさに「前向けば、ぜんぶ追い風」

なるべく互いの接触を減らすような風潮だけど、扱っているものが交わらなければ成り立たない以上、この状況も追い風にしていきたい。

東九部会 早川 光志さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

きっかけは、朝礼での何気ない一言だった。

宿泊施設を運営している創業間もない顧問先が、自社の得意分野であるブランディングやデザインなどのノウハウを活かすため、コンサルティング事業を立ち上げた事例を紹介したところ、職員から「創業300年の刃物屋さんに紹介してみてはどうか」という声があがった。その後、話はトントン拍子に進み、刃物屋さんでは現在、ホームページのリニューアルやインターネット販売の開始、SNSページの開設など、さまざまな新しい取り組みが始まっている。

刃物屋さんのアトツギは、嬉しそうに語ってくれた。

「うちの社長は根っからの職人で、『エエモンをつくればモノは売れる』というタイプ。今回のような取り組みには、ずっと反対の立場で実現できなかった。

でも、このコロナ禍で少し考えが変わったようです。ご紹介を機に、どうしてもやってみたいと思いをぶつけたところ、勝手にやればええ、と社長なりに背中を押してくれました。」

前向けば、ぜんぶ追い風。

環境変化を逆風と捉えるか、むしろ成長のためのキッカケと捉えるかは、受け取る人間の気持ち次第。

東九部会 大島 嘉人さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

私は世界のポルシェの正規ディーラーの代表をしています。

「大島君はいつも笑顔で幸せそうだよね。ポルシェの社長って余裕があっていいよね。お金が湧いてくるでしょう。余裕が顔に出ている感じだよね。」とよく言われます。

自慢話をしたいわけではなく、内情はそんな事はなくて、皆さんと同様の悩みが尽きず日々苦労していますし、コロナ禍の影響も少なからず受けています。そもそも、私自身が社長の器なのか日々悩んでいます。

でも私は悩みながらも笑顔を絶やさず仕事をしています。ポルシェに携わるずっと前から笑顔で前を向いて生きています。

私には2歳年下の生後6か月で亡くなった弟がいました。

彼は人生の酸いも甘いも知ることなくこの世から去りました。私が2歳の時ですから亡くなった弟の記憶は一切ありません。ただお仏壇の前で泣いている母の姿を時より見かける事で、弟の存在を感じ、弟や自分や家族の人生、命の価値について考える習慣が付いていたと思います。

私は学校で虐められる事もありました。父が起業し将来の夢を本気で語れなくなった時も悩みました。今思えば贅沢な悩みですが、35年前にポルシェに乗る人なんて殆どいませんでした。

そんな悩み事や嫌なことがあった時はいつも「亡くなった弟が生きていたらどうしただろう?」と考えるようになりました。

毎日が嫌で死んだ方が楽なんじゃないかな?と思うこともありました。でも息子を二人も亡くす母の心中を察すると生きるという判断に辿り着くのです。そして人生や命の価値感や自分の存在意義を考えるようになり、

いつしか、自分が天国に行った時に弟に「こんな人生を歩んだよ。」と話をしてやろう。だったら一人分の人生じゃなくて、弟の分も生きてやろう。嫌なことも楽しい事も二人分経験してやろうと考えるようになったのです。

すると不思議なことに、いつしか一人分の不幸を不幸と感じなくなったのです。

この不幸はまだ一人分だな。まだまだ序の口だ。もっと受けて立つ。あの人の方が苦労している。究極なところ、神よ他人の不幸も我に分け与えたまえ。とまで考え、弟のように死んでしまって楽しいことができなくなる事を考えたら、今の悩みなんてなんでもない悩みだと思えるようになったのです。

そして楽しい事を共有する仲間ができました。仲間の幸せは自分の幸せでもあります。

二人分の幸せならぬ仲間分の幸せを得る事ができるようになりました。

「息子が亡くなった不変の事実は悲しいことだけど、息子が亡くなった事で心が豊かになった事には感謝している。」父の言葉だが、この言葉の深さを親になった今心から理解することができます。

僕の心にはいつも弟がいて、いつも背中を押してくれる。そしていつも心を豊かにしてくれる。

前を向けば、ぜんぶ追い風

コロナは人の命を奪う可能性があり、最大限の感染予防策を行わないといけない問題だけど近い未来必ず道は開けるはず。もう少しの間みんなで助け合い頑張っていこう!!

前を向いて頑張れば、いつか追い風が吹いているはず。

カズピーさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

コロナで観光客が減った。

減った減ったと嘆いているよりも前を向いて

お客様に一生懸命向き合うように

自分の中で、店舗の中でシフトチェンジした。

今できることを考えた。

新しいプランを作り、SNSを発信する。

今この時に来て下さるお客様への感謝。

コロナと向き合った店作り。

ひとつひとつ向き合う。

すると店舗が変わってきた。

お客様の満足度があがり、スタッフの意欲が上がった。

どんな状況でも前を向く

世間は逆境と言うが

それは新しい何かを始めるきっかけ

ぬるま湯につかる時代は終わった

誰もが変われるタイミング

追い風を受けて

動き出そう一歩先へ!

リーダーシップ研修委員Aさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

この企画を考えたのは僕だ。

2020年9月上旬、リーダーシップ研修委員会の最後の事業(今皆さんに参加頂いてる事業)で何をやるかを決める会議が行われた。

当日までパッとしたアイデアのなかった僕は途方に暮れていた。

「途方に暮れる」なんて大げさな。と思わるかもしれないが、これは大げさではない。

最後の事業だから告白するが、この委員会には、アイデアが出ない時僕に向けられる「お前なんとかしろよ」プレッシャーが少なからず存在する。

(自意識過剰か?と思って黙っていた事も何度かあったが、最後には僕にお鉢がまわってくる事は確認済である。)

このプレッシャーがなかなかの重圧。

である反面、意見を求めてもらえる嬉しさもある。

この表裏一体の感覚も最後か。という気持ちとともに会議に参加した。

…開始から1時間

委員から色々とアイデアが出て、ホワイトボードもそこそこ埋まってきた。

が、何か「最後の事業」としては皆何か物足りなさげ。

意見が出きったかな?というタイミングで、

「一応考えてきた案があるんですけど…」と僕は口を開いた。

実は、当日の昼にLS委員会の吉田さんが書いた『「黄本」散文』という本に関するブログがアップされていて、そこからインスピレーションを得て簡単な企画書を作ってきていた。

吉田さんのブログでは、小説の書き出しのような一文のお題に続けて小説的、詩的、四コマ漫画風等を自由に書き連ねていくといった本が紹介されていた。

それを受けて「コロナから立ち上がるイメージを持てるような散文制作」を事業にしてはどうだろう?という事を考えていた。

『今必要なのは前向きになるリーダーの心であり、自社の風向きを変えるストーリーを考えて前向きな気持ちになってもらいたい』というのがこの企画のスタートである。

このアイデアの卵を、委員会皆で考えて考えてこの形になった。

(だから、正確にいえばこの企画を考えたのはLS委員会であり、僕は企画のきっかけを考えたに過ぎない。)

そして10月中旬、企画の準備を進め、事業のお知らせを配信した。

(あえて呼ばせてください)あのキヨピーにもご協力をお願いして告知メッセージも録音して頂いた。

しかし、、、

思うように参加してくれる方が集まらない。

ZOOM事業の集客は難しいと聞いていたが、もう少し集まるだろうと思っていた。

企画の卵を考えた僕としては

「散文を書いてきてください」とか、めんどくさいハードルを設けてしまった事が失敗だったか?

という思いで、なんとも言えない情けない様な気持ちになっていた。

そんな時、委員長がグループラインで皆に呼び掛けた。

_________________________

大事なことは、委員会で事業開催を決めた時に、

『やらないことではなく、やること決めたこと』だと思います。

そして決めたことを最後に自分たちが納得する形にすることです。

委員会メンバーが納得して、自分たちができる最高の研修に仕上げることが1番大切だと思ってます。

_________________________

(原文ママ)

さすが、リーダーシップ研修委員会のリーダー。

風向き変わったぜ。

よく考えたら、僕も含め委員会の中にはコロナで大きな打撃を受けたであろう業種のメンバーも少なくない。

そのメンバーが、企画を考えている時は自然とキラキラした顔になっていた。

この企画のおかげで、仕事も最後の事業も、思う様にいかない事がたくさんある中で、気持ちの持ち方ひとつでなんとも清々しい気持ちで色んな物事に取り組める様になっている。

委員会の一員として、とても貴重な経験をさせていただきました。

JOCの皆様、本当にありがとうございます。

僕たちの最後の事業、楽しんでいってください。

前をむいたら追い風が吹いてました。

是非、一緒に追い風にのりましょう。

伏見部会 篠原 嘉孝さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

弊社は2012年8月に発生した「宇治ゲリラ豪雨」によって、社屋が全て水没してしまいました。

お盆休みの入り口で、気持ち的にも一番緊張感がないときに、会社付近に住んでいる従業員から一報があり、飛んで向かいました。

会社全体が膝上くらいまで浸水している光景を見て、一瞬他人事にしか思えない自分がいました。まるでテレビのニュースを見ているような・・・

正気を取り戻したのは、従業員の激励でした。「動かな仕方ないでしょ!?」その言葉でようやく足が動きました。

掻いても掻いても引かない水、濡れて傾いた商品、絶望の中必死に水かきをしました。

半ばあきらめて、顔をあげた瞬間、予想外の景色が眼下に広がりました。

従業員他、従業員のご家族、お客様、自分の家族が一緒になって作業を手伝ってくれているのです。

惨めで、恥ずかしくてけどそれ以上に嬉しくて号泣してしまいました。私は一人きりじゃなかったんだと。

また、応援くださったJOCの先輩にも大変勇気づけられました。

おそらく、この瞬間、私の価値観や人生は変わったんだと思います。

その後、色々大変でしたが、ご協力いただいた皆様のお陰様で、現在弊社は元気に経営を続ける事が出来ています。

長々と昔話を書きましたが、何が言いたかったかと言いますと、人間(会社)はどうにもならない事態に陥っても、仲間がいれば何とか乗り切れるという事。

その為に私たちは、縦と横のつながりを大切にして、一日一日を大切に過ごす必要があるのだと思います。

伏見部会 田中 隼人さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

とある会の例会リーダーを任され、無理難題を押しつけられる毎日に例会を準備することに限界を感じていました。

と、同時に周りのレベルについていけない自分自身への不甲斐なさ、出来る後輩の台頭にいかに自分が今まで何も考えずに会社の経営に携わってきたのかを痛感して、今までにない挫折を感じて、精神崩壊寸前でした。

そんな中、とあるプロレス大好き歩く広辞苑ならぬ、広辞苑とともに歩く人とその愉快な先輩たちからゴルフに行こうとのお誘いがありました。

始めは11月19日に本番を迎えるのでその日までは厳しいですと伝えてお断りしました。

しかし、「その例会の答えとは俺たちの事だ。一緒に時間を共有するだけで価値があると思うよ」と、いらぬおせっかいにより、私も確かに先輩方の意見を聞いている方が1人で煮詰まるよりいいのではないかと、参加に返事を直しました。

当日、、案の定、ゴルフそっちのけで皆して親身になって一緒に考えていただき、

なんとゴルフ終了後には会社の事務所までお邪魔させてもらい、

夜遅くまで悩みを聞いてもらいました。

そのいらぬおせっかいが本当にありがたいものになり、今ではスッキリと方向性を見据えることができました。

前向けば、全部追い風

自分自身を否定した事が恥ずかしくなるくらい、

私には素晴らしい先輩仲間と出会えていた事に改めて気付くことができました。

しばらくのあいだは、さらに辛い事に逢おうとも

このおせっかいを思い出せば乗り越えていけると思っています

北大路部会 黒木 友規さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

風は常に吹いている。

現場での業務をこなす事。お金の計算をすること。人事。様々な問題を解決すること。

もちろん様々な仕事は軽視してはいけない。

しかし経営者の最大の仕事は風を読み自社の船を追い風に乗せることだと思う。

そして、どんな困難な状況に見舞われても良くなる言葉を使うようにして社内に良い風を吹かせる。

「リーマンショックのおかげでチャンスだ!」

「コロナの影響でチャンスだ!」

「自社のいる業界が落ち込んでいるからチャンスだ!」

人間が地球の風向きをコントロールできないのと同じように中小企業は風を操ることは難しい。

しかし風向きを読んで自社という船を操る事はできる。

自分が引退するまでに今回のコロナのような社会全体が影響を受けるようなことが最低2回は訪れる。

風を読む力をもっと身に着けていこう!

セカンドステージさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

大きなマントで手を広げ全部受け止めて翔んでみよう

大和さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

何をすればいいか分からない。どう進んでいいか分からない。教えられないと分からない。そんなことを考えている時もありました。

通常の社員としてやっている時はそれでもいいと思ってました。

役職もあがり色々な会に参加し様々な人の刺激を受け実感しました。「方向性を示す側の立場になったのだ!」と。

どの方向性に向かう?…そんな質問をよく聞くが詳しいことは正直まだ分からない。

「前向けば、ぜんぶ追い風」

前向きな発言をしよう!前向きな事を考えよう!そうすればきっとみんなの追い風になる!

そう信じて進んでいくだけ!と思っている今日この頃です。

拙い文章で失礼しました。

『にじ』が大好きな子供のパパさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

コロナっていうイタズラっ子のおかげで、

外を出歩けない日々が続いた。

テレビのニュース番組は、感染者数を毎日のように伝えてくる。

「また昨日よりも増えたね。。。」

毎日がその繰り返しだった。

そんなある日、小学2年になる息子に訊いた。

「一番好きな歌はナニ?」

『にじ』という歌だと息子は答えた。

幼稚園の頃にみんなと歌っていた歌で、それが大好きだと言って、

元気に歌って見せてくれた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

庭のシャベルが一日ぬれて

雨があがって くしゃみをひとつ

雲が流れて 光がさして

見上げてみれば ラララ


虹が虹が 空に架かって

君の君の 気分も晴れて

きっと明日はいい天気 きっと明日はいい天気

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

聴いて泣きそうになった。

こんなドシャ降りのような毎日でも、いつか晴れて虹が見えるんだと教えられた。

こんなに前向きな歌を一番好きな歌に挙げた息子を誇らしく思った。

子供たちはいつだって前向きだ。

生まれてきて、大きくなって、ハイハイが出来るようになった時だって、

初めて立ち歩きが出来るようになった時だって、

後ろ向きに進む子供はいない。

こけても、こけても、

また前を向いて進む。

そうだ。

僕たちは生まれてきた時から、自然に前を向く生き物なんだ。

コロナってやつのイタズラには、本当に手を焼くけれど、

おうち時間が増えたおかげで、家族の会話も増えて、

息子の一番好きな歌も知ることが出来た。

きっと明日はいい天気!!!

前向けば、ぜんぶ追い風。

息子が歌う『にじ』を聴いた瞬間から、

なんだか力がわいてきた。

前向けば、周りに人が集まってきた。

一緒に前向く仲間が集まってきた。

仲間たちと話していると、たくさんのアイデアが飛び出した。

「とにかく、やってみよう!」が合言葉になった。

やってみれば、案外うまくいくことも多かった。

仲間たちの目は、「にじ」のように七色にキラキラ輝いている。

オトナたちは、前を向いてる子供たちをガッカリさせたりなんか、

絶対にしない。

本店部会 三方 覚さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

今年の春、私は足元ばかり見ていた。

世の中全体が新型コロナウイルスの不安のなか、私も同じように不安で頭がいっぱいだった。

売上と在宅ワークの両立はどうしたらいいのか、何を目指して進むべきか、分からなかった。

ゴールデンウィーク明けに高校時代の部活の恩師から連絡があった。

身内に不幸があり相談したい、誰に相談しようと考えたらお前を思いついたと。

変わらない力強い声、身が引き締まる感覚が懐かしい。

今でも母校の教壇に立ちたくさんの教え子がいる中、自分を頼りたいと言ってくれたことが素直に嬉しかった。

人から信頼される、人を信頼する、信頼が人を繋げる。今は当たり前のことを一番大切にするときかもしれない。

目新しいものや目新しい言葉ではなく「信頼」を意識して前に進んでみようと思うようになった。

先代が築いた顧客との信頼、社員が築いた顧客との信頼、これらの価値を見直し守り広げていくにはどうすればいいのか、それらを考えて行動しよう。

気付けば不安がなくなっていた。

顔を上げる機会を与えてくれた恩師に感謝。

「前向けば、ぜんぶ追い風」

本店部会 山本 修三さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

窓の外は満開の桜が咲き誇っていたが私の心の中は悲しみであふれていた。

13年前のその日、最愛の母親が亡くなった。

癌と申告されて最後は自宅で療養し看護していたが、いまだに親孝行できただろうか、もっとできたことがあるのではと考えることがあります。

お葬式が終わり少し落ち着いた時に母親から送られた最期の手紙を読みました。

そこには色々な事が書いてあったけど、その中の一つに

「同じ業界の人とばかり接していると視野が狭くなる。違う業界の人とたくさん知り合いになってください」とあった。

それから約10年経ったころ、ご縁があってJOCに入会させて頂く事になりました。

JOCの活動はまだ2年くらいしかないけれど、本当に色々な出会いに恵まれています。

本当に様々な色をもった人たちばかりでみんな本当に輝いて見えます。

そしてそんな輝いている人と何かを一緒にやることで私もワクワクしてきます。

『前向けば、ぜんぶ追い風』

今コロナ禍で大変な時ですが色々なことにチャレンジしている毎日にワクワクしています。

青春の季節は過ぎたけど「朱夏」真っ盛り!

全ての出会いを追い風にJOC活動にチャレンジしていきます!

本店部会 大久保 聡さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

以前の職場の上司が言ってた、『必死のパッチ』。

どうやって発音するか分からないし、

全然ピンとも来なかったけど、

字面が好き。一度も使ったことないけどね。

僕の人生、全戦全勝!

下向いて、ちゃんと石橋叩いて、勝てる勝負だけしてきたから。

向かう方向は、仲の良い兄弟、家族、友達が導いてくれてくれて、僕は与えられた道で失敗しないようにだけ考えれば良かった。

4年前に転職して、全く知らない業界に次期社長として飛び込んだ。

何も知らないくせに、立場に見合ったことをしなくちゃ、言わなくちゃというプレッシャーから、空回りしてた。

それでも、社員たちは、文句を言いながらも話を聞いてくれて、文句を言いながらも僕が言ったことをやろうとしてくれた。(文句は必ず言ってきたけど。)

きっと自分が先導しているつもりで、皆が手を引いてくれてたんだと思う。

コロナ禍で、僕の会社が所属するディスプレイ業界は大打撃…。

下を向いてる場合じゃない。

前を向いて一歩でも踏み出さなくちゃいけない。

一人じゃないから不安はない。とも言い切れないけど…。

会社の仲間と、JOCの仲間と、色々な人と手を握り、前向いて胸を張って突き進もうと思う。

『必死のパッチ』で。

ん、どうやって発音するんだ?


洛中部会 須田 真通さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

父から引き継いで社長交代をしたのは4年前。

当時はさぁ社長だ!やるぞ!というよりも、

社長らしくしないと・・・というプレッシャーや、

じゃあ社長の仕事って何?という漠然とした不安の中にいました。

何事にもなかなか手が出にくく、立ち止まった日々。

ちょうどそんな頃、ある尊敬する少し年上の先輩社長にお会いする機会がありました。

その方は、私より前に社長交代をされていて、ご自分の経験も踏まえてとても励まして頂きました。

その時におっしゃられた言葉が今も頭に残っています。

「交代一年目の時は、自分も何してたか全く思い出せへんわ~」

あぁ、同じなんだな。すっと肩の力が抜けた気がしました。

不思議なもので、肩の力が抜けると、社長なんだけど自分らしくやってみようと思えるようになりました。

色々なことに思い切ってチャレンジしてみようと思えた、私にとっての「前向けば、ぜんぶ追い風」。

もちろんたくさんの失敗もしましたし、自分が何者なのかもまだまだよくわからないものです。

ただ、成功も失敗も責任も結果も、そして喜びもいっしょくたに味わえる経営という仕事は、しばらくやめられそうにないです。

やのぱんさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

コロナで追い風どころか向かい風がヒド過ぎてかなり後退しちゃいました。売上も減り黒字が赤字に転じ赤字が赤字を呼ぶ悪循環……。

そしてまさかの5月の血便事件へと……

業績に加え体調も急降下となりました。病名→大腸憩室炎(腹痛と高熱で4泊5日の入院)

でも前向きな僕はコロナの中で何か一つ成果を上げたいと思い!増え過ぎた体重を何とかすることにしました。

最大93.6キロあった体重が今は66.0〜67.0キロになり体は軽いし膝も痛くない!良いことずくめ!

ゴルフもしんどくない!

そのかいあって!?かはどうかはわからないけど会社の業績もコロナ前の水準に戻りつつあります。

社長の体調管理は必須事項!

コロナより大問題です!

みんな気をつけようね♪

古都のしんちゃんさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

もう、15年強になりますかー、僕がJOC に入会させてもらって。

さまざまな事業に参加させてもらい、JOCがなんたるかも分かった気でいた。そして、今期も当然お世話係をさせてもらえるものだと思っていた。

ところが、どこの委員会からもお声は掛からなかった。内心とてもショックだった。

それから、そんなことは忘れて、僕を必要としてくれる仲間がただ喜んでくれたいいなと活動を続けた。

それを見てくれていたんだろうか、後期から委員会に呼んでもらえた。めっちゃ嬉しかった。

「前向けば、ぜんぶ追い風」

たとえショッキングな出来事が起こっても引きずらずに、大事なことを愚直にやり続ける。

そうすれば、道はひらけるという経験を自社でのリーダーシップ、組織運営に役立てる。

スリッちゃんさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

何でこんな事。。。ベテラン従業員のあり得ない行動が原因でした。

大きなクレームが発生してメイン受注が長期停止することになりました。

起死回生の策として、大枚をはたいて工場を丸ごとリフォームするのは、リーマンショックから立ち直れていない自社には容易なことではありませんでした。

従業員も去っていき、気づけば親子だけで出直すことに。

まあ仕方ない、やるしかないと大掛かりな工事に取り掛かかった矢先、

今度は父親ががんで入院することに。

今までも精一杯やってきたのになー・・・

家族で細々とやってきた加工業で機械の話し声が聞こえるくらい、向き合って仕事をしてきました。

何でこんなに上手くいかないんだろうな。

気づけば一人。。。投光器の灯りを頼りに、改装中の工場で夜中に一人ぼっちで仕事をしているとなんだか泣けてきました。。。

父親は半年後に亡くなりました。

喧嘩ばかりで一度もほめてもらえなかったけど、

大切な父であり、仕事の師匠であり、会社の社長でした。

得意先が戻ってくれたおかげで仕事は少しずつ増えてきましたが、多額の負債に困り果てたときに、拾ってくれたのが京都信用金庫さんでした。

「前向けば、ぜんぶ追い風」

私の話を真剣に受け止め、救済措置を考えてくださいました。

元お世話になっていたT信さんは全く応じてくれなかった条件も飲んでくれて。

今思い返しても、本当に助かったあの時。ココロ折れかけてたんですよ。

自分の悩みや、想い、やろうと思っていること京信さんのおかげで改めて整理することができましたし、共感、応援していただけたことで前を向けました。

これでやれる!やってやるぞ!って思えて。

JOCへの参加は緊張の連続でした。スーツを新調して、背伸びしまくって、事業参加しては周りの優秀さに圧倒されて、後会についていってはお金の心配して(笑)

今となっては良い思い出ばかりですが、色んな事を話せる仲間と知り合えたことは一生の財産!

コロナ禍のピンチもあの時のような孤独感は無くて、JOCのみんなで追い風を吹かせたいですね!

宇治田原のトラックカンパニーさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任。

私は社長学を学ぶ中で、社長とはそうあるものだと学びました。

コロナだろうとなんだろうと、会社を守るのが社長の使命であり、

それをやるのは社長しかいない。

経営を3つに分けて考える。

1、気温。これは景気指数及び自社を取り巻く外部環境。

2、体温。これは自社の企業風土。

3、体質。これは自社の財務体質。

今回のコロナで、改めて財務体質の大切さを実感することとなりましたし、

コロナによって変化した外部環境を踏まえて、改めて自社の事業ビジョンを見直しました。

自分を取り巻く「風」を追い風にするかどうかは自分次第。

だから、明るい未来をイメージして、前を向きたいと思います。

前向けば、ぜんぶ追い風

今日も考えます。

「次の一手」を。

洛北部会 上田 成人さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

今は横を向いている暇はない。

真っ直ぐ前を見据える。

私は2019年12月末、弊社代表取締役社長に就任した。

そして翌年、コロナ禍でいまだかつてない苦境に立たされている。

前年までのデータ、前例などなんの参考にもならない。

社長になって初めて、こんな状況も初めてのすべてが初めて尽くし。

休業、再開しても時間も規模も短縮営業。今までの常識が覆される。

新米ヒヨッコ社長には荷が重すぎる日々が過ぎる。

こんな時だからこそできることもあるし感銘を受けることもある。

全身を敏感なアンテナにしてやれることを見つけてアクションを起こす。

その中で見えてくる大切なヒト、モノ、コトを守るため

いつかこの苦労話を若者におもしろおかしく聞かせるため

この会社にかかわるみんなの幸せを永続させるため

だから私は

真っ直ぐ前を見据える。

今は横を向いている暇はない。

前向けばぜんぶ追い風。

洛北部会 公文 一喜さん

前向けば、ぜんぶ追い風。

コロナ禍で迷いのあった弊社の風向きはこの言葉で変わった...

子年は何を始めるにもいい年になると信じ希望に満ち溢れていた私に次々と衝撃的な出来事が襲い掛かった。

四月七日安倍総理の緊急事態宣言による店舗の休業要請、そして同月一七日には最愛の母が六八歳で人生に幕を閉じました。それはあまりにも突然すぎる別れでした。頭にはたくさんの思い出、気持ちが走馬灯のように過ぎてゆくのを感じました。

私は悲しさと寂しさと不安に襲われ、行く先を見失いそうでした。

そんな時に親身になってくれたJOC仲間からのこの言葉

『前向けば、ぜんぶ追い風』

真っ暗闇だった私の心に一筋の光が差し込んだ気がした。

今、このどん底の暗闇から、会社のリーダとして私が前向きに笑顔をなることで頑張ってくれているスタッフやクライアント、メーカーに笑顔の輪を広げなければならないと・・・

大事なのは感謝と恩返しだ。これまでの出会いと出来事に感謝をし、その恩返しのつもりで仕事をする。そうすれば、必ず明るい未来が拓けるはずだ

想いは伝わりスタッフやメーカーのおかげで、弊社は時代の波に乗ることが出来た。

メーカーとはマスク関連商品の開発販売、顧客とはラインアットで繋がり、リモート販売を開始した。コロナ禍に対応した店舗リフォームなどはスタッフの発案企画を実施。

すると自然とスタッフに、お客様に勿論私にも笑顔が広がった。。

十月で四四期がスタートする、四五周年に向けて歩みを止めない。

前向きな言葉には強く、優しい心を育て、そして更なる、追い風を吹かせてくれると信じています。

Yさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

谷口さん、こんばんは

私は父親と一緒に仕事をしています。父親は気分の浮き沈みが激しく、業績の良い時は機嫌が良いのですが、業績が少しでも悪くなると機嫌が悪くなり、社内で大きなため息をつく事もしばしば。

あと怒りっぽいのと、ぞんざいな物言いなので、私とぶつかる事も多いです。

ただ、このコロナ禍の中、父親の機嫌が良いのです。業績は下がっているので、心中穏やかでないはずなのですが、すこぶる機嫌が良いです。

つとめて振る舞える程、器用な親父では無いのですが、そんな親父が頼もしく感じます。

「前向けば、全部追い風」

腹を割って話す事はないので、本当の気持ちは分かりませんが、そんな親父を見ていると気持ちが落ち着きます。"

あやっぺさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

“鏡”を見た時に驚いた。疲れた顔・負のオーラが漂っている。コロナ関係なく、落込んでいた会社、追い打ちをかけるようにコロナ禍。数年、下向いていた自分。何かやらなければと「不安」と「焦り」の中で、思うように動けてない自分。そんな時に「京信JOC」に出会い入会。そして今回の研修の「前向けば、ぜんぶ追い風」の言葉。今の自分に「そろそろ前向いて歩こう」と声をかけたい。自分に「前向けば、ぜんぶ追い風」を。

期限ギリギリさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

"ここ5年 全て向い風

本当にそんな気がする。

主要外注先3件が辞められ、

一歩判断が遅かったら、一歩タイミングがずれていたら、他にも小さな事1つ逃していたら

今ここには立ってなかっただろうなという感覚。

でも今、ここにいて5年前と比べると会社が大きくなった。

向い風やと思って飛ばされんように地道に踏ん張りながら前に進んでて、ふと顔を上げてみたら

前向けば、全部追い風 やん

てか向い風のおかげでめっちゃ高くまで、羽ばたいてしまってるわ。

そもそも向い風も反対向けば、追い風やし。

陸上の槍投げでも向い風の方が高記録出るとか聞くし

長い人生、追い風の時もあれば、向かい風の時もある、風が吹かない時ももちろんある。

そんな気ままな風と共に、前向いて進んで行きます。

諦めない心、絶対出来ると信じて。"

だいふくさん

前向けば、ぜんぶ追い風。

うだるような暑さの残る8月中旬

今日からお盆休みと言う日になったLINEの通知音

今月末で辞めさせていただきます

5年勤めた従業員からの短い一言だった

コロナの中で給与全額補償したこと

同じ同僚に対する不平不満を聞いていたこと

思い出すと腹が立ったが

なんともいえない脱力感もあった

残暑厳しい9月にその人が去り

急に人が見つかるわけもなく

僕は誰よりも早く会社に行き

誰よりも遅くまで現場と社長業をこなした

従業員からの労いの言葉が素直に嬉しかった

これは自分で撒いた種やから

そう周りに伝えて毎日をギリギリで乗り越えた

あらゆる場所に求人をかけて2か月

新しく3人の職員を迎えることができた

3人とも優しい人で

職場は以前よりもぐっと明るく

朗らかな雰囲気に包まれていた

コロナで売り上げが落ちたのも

従業員が突然辞めたのも

前向けば、ぜんぶ追い風

気がつけば11月、暑さは和らぎ

秋めいた穏やかな風がふいていた