阿弥陀さまは、悩み苦しむすべての人を救ってくださいます。仏縁に導かれた今こそ「南無阿弥陀仏」と称えましょう。そうすれば、無量の功徳が心の奥底に入り込み、必ず浄土に迎え入れられるのです。
<1五濁悪世に生まれる>
今の世界は、戦争・感染症・貧困・差別・格差・いじめなどが絶えず、濁りに満ちています。仏教では、このような時代を「五濁悪世」と呼びます。
五濁とは
劫濁 … 時代が乱れ、戦乱・飢饉・疫病などが多くなること 見濁 … 邪悪な思想が広まること 煩悩濁 … 貪(欲望)・瞋(怒り)・痴(真理を知らないこと)の三毒が盛んになること 衆生濁 … 人びとの資質が低下し、仏教が退廃していくこと 命濁 … 自他の生命が軽んじられることこのような中で、本来、頼りとすべき仏教も2500年の時を経て、葬式仏教のように形骸化し、真の姿を見失いつつあります。今こそ釈尊が説かれた「阿弥陀仏の真実の教え」を取り戻し、救いの国に生まれましょう。
親鸞聖人は「釈迦は慈父、弥陀は悲母なり」とおっしゃいました。私たちは泣きじゃくる赤子のような存在です。今こそ「親さま」の深い愛と慈悲を信じ、苦しみの世界を生き抜きましょう。
<2不条理な世界を生きる>
この世は、不条理に満ちています。懸命に生きても報われることは少なく、病気や災いが突然訪れ、愛する人との別れに絶望することもあります。最後には財産も家族もすべてを手放し、この世を去らねばなりません。釈尊は、その有様をウダーナヴァルガという経典で「死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくようだ」とで言われています。
仏教は、この世の一切が思い通りにならない「苦しみ」であると教えます。そして戒律を守り、煩悩を制して修行を積むことでニルヴァーナ(悟りの境地)を目指します。しかし、厳しい修行をやり遂げ、悟りを得られる人はごくわずかです。
そのため釈尊は「無量寿経」という経典で、すべての衆生を救う願いを立てて悟りを開いた阿弥陀仏への帰依を説かれ、念仏の実践を勧められたのです。
仏になりたいと願う心は、すべての命を救いたいと願う心にほかなりません。それは阿弥陀仏の願いによって与えられた、真実の信心なのです。
<3阿弥陀仏と念仏>
「無量寿経」によれば、遥か昔、法蔵菩薩という修行者が、一切の衆生を欲望・怒り・愚かさから救い、悟りの国である極楽浄土へ導くという大願を立て、長い修行を重ねられました。そしてついにその願いを成就され、阿弥陀仏となられました。
阿弥陀仏とは、サンスクリット語の音写であり、
アミターバ … 量りしれない光を持つ者
アミターユス … 量りしれない寿命を持つ者
を意味します。つまり、永遠の空間と時間、「量ることのできない光と命」を備えた仏なのです。
では、その名を称する「南無阿弥陀仏」という念仏とは何なのでしょうか。
中国の僧 元照は、阿弥陀仏は念仏した時に、名前をもって私たちと交わるはたらきと語っています。その名を耳にし、心から信じて口に唱えることで、阿弥陀仏の功徳が心の奥底に宿り、やがて仏となる種になるのです。その働きによって、遠い過去から積み重ねてきた罪業は速やかに除かれ、私たちは浄土に迎えられます。そして阿弥陀仏とともに、すべての衆生を救う大いなるはたらきに加わるのです。