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本イベントのポスターなどに利用させていただいている,山﨑睦さん作の『塵劫記』にちなんだ切り絵を紹介いたします.山﨑睦さんは、主に京都・丹波の歴史・風物を得意にされる切り絵作家です.
『塵劫記』(寛永4年版)の序文において,僧玄光は吉田光由を「山城州葛野郡嵯峨村人」と紹介しています.左の切り絵は,広沢池のほとりで,光由が算術の思案をしているシーンです.嵯峨菊の季節.広沢池,嵯峨村,裏山,そして遠くに愛宕山がそびえます.現在も当時とほぼ同じ風景が残ります.
『塵劫記』は,嵯峨嵐山を地盤とした角倉了以を中心とする吉田・角倉一族である吉田光由の著作です.現在多くの観光客で賑わう渡月橋は角倉了以が新しく架け替えたと言われています.了以の保津川開削により,この渡月橋の真下まで,丹波の物品や材木が運ばれました.
手前の人は,木の高さを測る,という『塵劫記』問題に登場する挿絵をなぞっています.
『塵劫記』の著者である吉田光由は,薩峨嵐山を地盤とした角倉了以を中心とする吉田・角倉家の一員です.吉田光長・光由兄弟は,地元農民と協力し,大覚寺の法親王の願いに応え,ため池として菖蒲谷池を作り,さらに菖蒲谷隧道を掘ることにより,池の水を用水として,峠の南側の北嵯峨の田畑へ流すことを実現しました.
『塵劫記』の序文には,著者である吉田光由が自分の書いた算書十八巻を携え天龍寺の僧玄光を訪ねた,とあります.光由は玄光に序文と跋文を依頼したのですが,玄光はにわかには承諾しませんでした.しかし,書の中をみた瞬間,「実に算法の霊柩なり」と快諾するに至ります.書名『塵劫記』も玄光が命名しました.