研究生活のはじめにアタマをかち割られた思い出
岩田幸良
成岡市先生(三重大学名誉教授)退職記念冊子「エッセイ2021 同じ時代、雨風を超えて過ごしてきました」への寄稿(p.11-13)
岩田幸良
成岡市先生(三重大学名誉教授)退職記念冊子「エッセイ2021 同じ時代、雨風を超えて過ごしてきました」への寄稿(p.11-13)
私は、東京農業大学で成岡先生と出会いました。1990年に入学し、1994年の4月から1年間、同大学と姉妹校のミシガン州立大学に留学して、1995年の4月から4年生になりました。戻ってきたときには、在籍していた農地整備学研究室で代々受け継がれてきた研究テーマはすでに他の4年生に割り振られていて、私がやりたかった農地工学に関する研究を指導されていた駒村正治先生は、どのような研究テーマを私に与えたら良いかと思案されていたと思います。その頃私は、土壌物理学の授業で習ったダルシーの法則がなぜ成り立つのかについて興味があったので、東京農業大学の総合研究所で講師をされていた、研究室のOBの成岡先生に、関東ロームの間隙構造と飽和透水係数や排水特性といった物理性との関係を調査する研究テーマを与えていただき、卒業論文を指導していただくことになりました。
卒業論文の研究のための土壌採取に、成岡先生と、博士課程と修士課程の先輩の計4名で、8月に1泊2日でつくばに行きました。成岡先生の知り合いの長谷川周一博士が室長をされていた、農業環境技術研究所の土壌物理研究室が管理する試験圃場で、深さ2 m 以上の穴を掘り、各土層から関東ローム層の土壌を採取しました。長谷川博士に穴掘りを手伝っていただいたり、土壌調査が専門の研究者の方に土壌断面調査をしていただいたりと、今思い返してみると、とても贅沢な調査でした。また、長谷川博士や、成岡先生の友達の農業工学研究所の安中武幸博士と共に、ホテルの近くの居酒屋で会食をしました。まだ学会に参加したこともなかった私には、大学の先生以外の研究者と身近に接することができる貴重な経験でした。
調査から戻り、100cc円筒サンプラーで採取した未撹乱土壌試料の重さを測定した後、上下の蓋をして帰宅しました。それから2日ほど経過してから研究室に行くと、大切な試料をこんな状態で放置するとは何事か!と成岡先生に叱られました。どうせ飽和するのだから、またビニールテープで蓋と容器の間のわずかな隙間をシールすることなしに放置しても問題ないだろう、と思っていたのですが、水分が蒸発して乾燥してしまうと、飽和する際に水が土壌に入る時の力で土壌構造が壊れてしまうスレーキング現象のことなど、いろいろなことを教えていただきました。
今思うと、収縮するほど試料が乾燥してしまったのならともかく、蓋をした状態で2日間程度室内に放置しただけで、検出できるほど土壌構造が変化するとは、成岡先生も思っていなかったのではないかと思います。実際に影響があるかどうかはその時は問題ではなく、私の研究姿勢について成岡先生は指導されたのだと思います。「科学的に何かを解明するためには細部にまで気を配る必要がある。今回の試料の扱い方は、とても自然現象と真摯に向き合う姿勢とは思えない。そんな姿勢で研究をしても、何も得られるものはない」と、口には出しませんでしたが、そういったことを私に伝えたかったのだと思います。
話は少し逸れますが、数年前にNHKで「3月のライオン」というアニメが放送されました。史上5人目の中学生でプロ棋士の主人公が、いろいろな人と関わる中で成長していく話です。この中で主人公が島田八段という先輩棋士に大負けして、自分のプロ棋士としての態度を反省する、という話がありました。その後、主人公は島田八段が主催する研究会に参加することになります。これを観たときに、私の研究人生のスタート地点で成岡先生に叱られたことを思い出しました。島田八段のモデルは、私が学生の頃に竜王のタイトル保持者だった島朗九段(当時は七段だったと思います)で、当時は東京農業大学の将棋部の指導者でした。大学1年生の時の学園祭で多面指しで対局したことがあり、大学繋がりということもあるかもしれませんが、あることに真剣に取り組む姿勢について思い知らされた、という共通点から、この話を観たときに成岡先生に叱られたことを思い出したのだと思っています。このアニメの中では、このイベントを「アタマをカチ割られる」と呼び、周囲に張り巡らされていた黒いガラスが割れて、明るい世界に出るような映像表現をされていました。自分で作った自我の檻が外からの大きな刺激により壊されて、リアルな広い世界が見えるようになるということを表しているのだと思います。実際にはそんなに劇的なものではなく、暗闇の中で四苦八苦しているうちに、いつの間にか自分の世界から少しだけ抜け出せていた、というようなものではないかと思いますが、いずれにしても、人は人と関わることでのみ成長できる、ということではないかと思います。
だいぶ前に「下流志向」という著書が話題になった、神戸女子学院大学のフランス文学の教授だった内田樹氏の「最終講義」という本に、「教育の場合、こちらが学生に対してやったことがどういうかたちで実を結ぶかなんてことは、五年や十年みないとわからない。もしかすると、三〇年、四〇年かかるかもしれない」と書かれています。私も当時はなぜこれほど叱られるのか十分に理解できていませんでしたが、今にして思うと、時間が経過しないとなかなか理解できないことも確かにあるように思います。
それはある意味では、教育のもつ宿命なのかもしれません。この「最終講義」には、学ぶことは本来、これまで思ってもみなかったような新しい価値観を習得することなので、学ぶ前からその学問が役立つかどうかなど原理的にわかるわけはない、というようなことが書かれています。そして、「いいから黙って勉強しろ!」といわなければいけない場面がある、とも書かれています。さらに、「いいから黙って勉強しろ!」が物質的な迫力を持つためには、「「君には君がなぜ勉強しなければいけないのか、その理由がわからないだろうが、私にはわかっている」という圧倒的な知の非対称が必要」とあります。
優秀な人はそんなことないのかもしれませんが、私は就職してからも、「アタマをかち割られた」ことがありました。その時もやはり、学生時代と同様に先輩の研究者や先生がいて、やはり「圧倒的な非対称」がありました。そして学生のときと同様に、暗闇の中でもがいていたら、いつのまにか自分の枠を少しだけ抜け出せていたように思います。研究を続ける中で知り合った研究者を傍から見ていても、その人が飛躍的に成長したときにはやはり必要条件として「圧倒的な非対称」があったと思います。「圧倒的な非対称」が人の成長にとって必要不可欠なことであれば、その時に先生や先輩が何を言っているのかよくわからない、ということが起きるのも納得できます。まだ説明できる、比較的単純なことであればやりようもあるとは思いますが、指導される側がそれに対する評価基準(ものさし)を持っていないような、例えば全く新しい概念や複雑な事象を扱うような場合には、その時自分が言われたことが十分に理解できないのは、必然とすらいえるかもしれません。
このようなこともあってか、「アタマを勝ち割られた」ときにはいつもその時は辛く、逃げ出したくなってしまいましたが、もしもこれを通じて人が成長できるのだとすれば、成長を実感することで人は幸せを感じることができるのだから、幸せな人生を送る上でこれは必要なことなのかもしれません。また、研究者が成長することは研究機関にとっては好ましいことなので、組織の中での「圧倒的な非対称」はその組織が健全に運営される上で必要不可欠なことのように思います。「圧倒的な非対称」の中で人が成長し、成長した人と若い人の間にまた「圧倒的な非対称」が生まれ、その中でまた人が成長していく、そういったサイクルがうまくできている組織が健全なのだと思います。それは、組織の枠を超えて、ある学問分野全体、あるいは広い意味では社会全体にも当てはまることなのかもしれません。
何度か「アタマを勝ち割られた」私は、その都度、確かにいろいろな方々にお世話になりました。もう良い年なので、次はお前が誰かの「アタマを勝ち割る」番だろう、と言われそうですが、果たして自分が誰かにそのような強いインパクトを与えることができるだろうか、と思うと、なかなか難しいようにも思います。今でも私は一研究者で、自分で研究ができるという恵まれた立場である反面、後輩の指導の役割は全く求められていません。若い人から何か問い合わせがあったときにはなるべく丁寧に対応するようにしてはいますが、それはたぶん、「アタマを勝ち割る」ということとは違うと思います。このままで、私が先輩方から受けてきた恩を返すことができるのだろうか、と思うこともありますが、この文章を書くために内田樹の「最終講義」を読み返していたら、次の文章を見つけました。
「こちらが「教えたい」と言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければいけない。そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、待ってなければいけない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのときに、教育というのはたぶんそういうものだろうと思ったのです」。
私が人の成長に関わる機会があるかどうかはわかりませんが、とにかく常に準備だけはしておくよう、襟を正してこれからも研究活動をしていきたいと思います。