現地調達のデザイン
ーアジアにおけるローカル材料の可能性
岩元真明
初出:地域開発 vol.613, April 2016
岩元真明
初出:地域開発 vol.613, April 2016
木の教会堂から学ぶ
最初に古い事例を挙げたい。ベトナム中部の都市コンツムには1913年に建てられた教会がある。ロマネスクとゴシックを折衷した様式建築で、カトリックの神父と高原地方に住む少数民族(バナ族)の協働を通じて建設された。内部では柱がリズミカルに立ち並びアーチを支えているが、これらの構造材はすべて地場産の木材であり、繊細な装飾が彫り込まれている。束で支えられた木造床は高温多湿の環境にふさわしい伝統的高床式住居の応用といえる。
コンツムの教会は、海外の技術者(神父)とプログラム(布教)とデザイン(西洋様式)が、現地の材料(木)と手業(木工)と智恵(高床)と結びつくことで生まれた建築であり、その空間体験はヨーロッパの教会のそれとも、バナ族の伝統建築のそれとも異なっている。興味深いことに、コンツムではこの教会に引き続いて他にも木造の近代建築が建てられている。これは木の教会から第二、第三のプロジェクトが発展した証左ではないだろうか。
コンツムの木の教会にはアジアにおける現代建築を考えるヒントが秘められているように思う。それは、1)新しいデザインや技術に挑戦すること、2)現地の材料を使用すること、3)現地の手業と智恵を尊重すること、である。この三つの要件が満たされたときに土地の文化と気候にふさわしい新しい建築が生まれ、現地に根付き、さらなる発展が生じるのではないだろうか。
「ローカル材料」とは何か
コンツムの木の教会で用いられているシタンやテツボクなどの木材は、実は現代のベトナムでは稀少である。熱帯雨林の乱獲によってベトナムでは地場材が手に入りにくくなっているのだ。それでは、今日の東南アジアで調達可能なローカル材料にはどのようなものがあるか。木や石、竹や茅などの自然材料がまず思い浮かぶが、現地で生産されるという意味ではコンクリートなどの工業材料もローカル材料と呼ぶべきである。実際、ベトナムではコンクリートの柱とスラブをつくり、その間にレンガ壁を立ち上げる建設方法が規模やプログラムを問わず採用されており、在来構法と呼べるような一般性を獲得している。これはル・コルビュジエが1914年に提唱した「ドミノ・システム」と同じ原理である。鉄筋とセメントと骨材は現地で生産されているので、このコンクリートのドミノは安価に建設できる。一方、アングルやH鋼などの形鋼は現地生産されていないので、鉄骨造は輸入に頼らなければ建設できない。同じ鉄でも、鉄筋はローカル材料だが形鋼はそうでないため、鉄骨造はコンクリート造にように普及していないのである。
ローカルとグローバル、自然と人工という二組の二項対立を適用すると、あらゆる建材は四種類のカテゴリーに分類される。第一はローカルな自然材料(石、木、竹、茅など)、第二はローカルな工業材料(コンクリート、鉄筋、レンガ、タイル、ガラスなど)、第三はグローバルな自然材料(輸入石材、輸入木材など)、第四はグローバルな工業材料(形鋼、アルミ、設備機器など)である。ベトナムの建設現場ではこれら四つのカテゴリーの材料が入り乱れているのが現状である。
自然素材を使うと見た目は「環境建築」然とするが、本当にエコロジカルであるとは限らない。たとえば、他国の熱帯雨林を乱獲して木材を多用するならば、むしろ環境破壊的である。一方、工業材料であっても現地で生産された材料を使うのであれば、輸送によるCO2排出が抑えられるので相対的に環境負荷が抑えられる。このように、四つのカテゴリーは見た目に惑わされずに材料の環境負荷を判断する指標となる。なお、米国のLEEDやベトナムのLOTUSなどの環境性能評価基準では、建設現場から半径500km以内で得られた建材が「ローカル」と定義されている。一方、自然材料は竹のように短周期で再生産される場合を除き評価対象とならない。
このような整理に基づき、以下では筆者が2011〜15年にパートナーを務めていたベトナムのヴォ・チョン・ギア・アーキテクツの実践を中心として、東南アジアにおけるローカル材料の課題と可能性について考えてみたい。
組積造は「貧しさの表現」か
先述の通り、ベトナムではドミノ・システムのようなコンクリート造が普及しており、柱と柱の間にはたいていレンガが積まれてゆく。きわめて安価で日々大量に消費されるレンガはローカル材料の代表格と言える。東南アジアのレンガ壁にはヨーロッパのそれとは異なる特徴がある。アジア蒸暑地域では熱容量の少ない(=軽量な)材料が望ましいためレンガの内部は中空であり、気密がさほど重視されないからだろうか、かなり乱雑に積まれてゆく。ヨーロッパの密実なレンガ壁と異なり、東南アジアのレンガ壁は本質的に多孔的なのである。
通常の場合、このレンガ壁はモルタルによって塗り込められるが、その肌合いに魅力を見いだし建築表現とする事例も見いだされる。つまり、ラフに積まれたレンガ壁をそのまま仕上げとして見せるのである。石山修武が設計したカンボジア・プノンペンの《ひろしまハウス》はその先駆的事例であり、剥き出しのコンクリート柱とセルフビルドのラフなレンガ壁が荒削りで力強い空間を生みだしている。このような建築には「貧しさを表現化している」という批判も生じうるだろう。しかし、日常的に手に入る材料を使用して新しい構造やデザインにチャレンジする姿勢は堅実であり、その成果は現地の技術で再生産可能だ。
ところで、いかにローカル材料と言ってもレンガには一つ問題点がある。焼成品であるため生産時のCO2排出量が多いのだ。それゆえ、近年ベトナムではレンガやタイルなどの焼成品よりもセメントブロックが推奨され始めている。セメントブロックには軽く施工性が高いという利点もあるが、現時点では生産者が少ないため現場の近くで調達することは難しい。
このようなジレンマの中で、石や土などの自然材料を用いた組積造に注目が集まっている。日本では石壁や土壁と言うと高価な印象があるが、東南アジアの田舎では必ずしもそうではない。交通の便が悪い土地では、地場の石材を使用することによって建設コストが下がることもある。ヴォ・チョン・ギアによるベトナム北部ソンラーのプロジェクトはその好例である。
以上、ローカル材料を用いる組積造について述べたが、重い材料を地道に積む作業は大量の人手を必要とすることを忘れてはならない。つまり、低賃金労働を前提としてはじめて「割が合う」構法なのである。ここで再び、組積造は貧しさの表現か、という問いが浮上する。アジアの新興国でも職人の賃金が上がればレンガや石はより軽量な工業材料で置き換わるだろう。それでは、経済が発展するにつれて組積造は淘汰される運命にあるのだろうか。
ここでは二つの可能性を指摘しておきたい。一つ目は、「無償」の労働力によって、つまり日本の茅葺き屋根のようにコミュニティの成果として建築をつくることである。もう一つは、人間の労働力を排し、高度なロボティクス技術によって材料を積み上げることである。これらは正反対のベクトルを向いているが、組積造の未来を考える上で重要に思われる。後者について少し補足すると、ローカル材料はつねにローテクである必要はない。極端な例を挙げれば、地球外の材料を使って宇宙空間で構築物をつくることもローカル材料による建築である。このような考え方はISRU(In Situ Resource Utilization)と呼ばれている。このようにローカル材料と最先端の技術が結びつくことで、未知の表現が生まれるかもしれない。
ローコスト住宅の実践
次にヴォ・チョン・ギア・アーキテクツが2012年から継続的に行っているローコスト住宅の開発を事例として取り上げたい。プロジェクトの対象は南ベトナムのメコン川流域に住む低所得の農民であり、現在までに3つのプロトタイプが建設されている。プロジェクトを進めていく中で「予算4000ドル」「耐久年数30年」「建方3時間」という3つの目標が設定され、これらを達成するために「構造体はプレハブ、仕上げは現場生産」という建設コンセプトが考案された。プレハブの構造体は精度・品質・安全性を確保し、迅速な搬入と施工を可能にする。一方、仕上げ工事は住み手や近隣住民が参加し、地産材を用いて行う。これは「ローカルな工業材料」と「ローカルな自然材料」を適材適所に配置する試みである。
まず、構造材の変遷について述べよう。第一のプロトタイプでは鉄骨軸組を採用したが、想定以上に加工コストが高かった。そこで、第二案ではベトナムで最も普及しているコンクリート造を採用し、断面が10.5cm角という極小のプレキャスト部材を開発した。しかし、この部材は重いものでは70kgを超えてしまった。交通インフラが未整備で地盤も軟弱なメコンデルタ地域では材料は軽ければ軽いほどよい。住民参加というコンセプトも、軽量の材料でないと成り立たない。この反省から、第三案では鉄の角パイプを組み合わせて軽量の格子壁を開発した。ベトナムでは形鋼は輸入に頼らざるを得ないが、鉄パイプならば現地生産できる。それゆえ、鉄パイプの格子壁は鉄骨軸組造より低廉となる。第一案ではさび止め塗装が精一杯だったが、材料コストを抑えた第三案の構造体には溶融亜鉛メッキを施し耐久性を向上させることができた。
三つのプロトタイプの屋根と外壁には、プラスチックの半透明材、竹ルーバー、ヤシの葉、セメントボード、茅葺き壁などの材料を採用している。このように多様な材料を実験した背景には「仕上げは住み手が自由に行えば良い」という設計方針がある。いくぶん無責任に聞こえるかもしれないが、このようなおおらかな方針によって工業化住宅にありがちな画一的な風景が避けられると考えたのである。
竹建築の可能性
最後に、「ローカルな自然材料」である竹を構造材として用いる建築について述べたい。竹を使って地域的アイデンティティを表現する試みは、アジアのみならず中南米やアフリカなど世界中で見いだされる。竹建築を本格的に研究した最初の建築家はドイツのフライ・オットーであり、彼が出版した分厚い報告書には世界のほぼ全域を覆う竹の分布図が描かれている。しかし、一口に竹と言ってもその品種は多様であり、地域によってその扱い方は異なる。
2008年以来、ヴォ・チョン・ギアは数多くの竹構造建築をつくりだしてきた。それらは一見すると土着的・伝統的に見えるが、ベトナムには竹を用いた伝統構法は存在しない。それゆえ、ギアは故郷の農民を集めて職人集団を組織し、竹構造の開発を行った。
ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツの竹建築の最大の特徴は「安価である」という点に存する。鉄材を使用せず、麻紐と竹釘を併用して部材を結びつける接合部のディテール。薬剤を使わず、水中乾燥と燻蒸を組み合わせる防腐処理の方法。これらは竹のコスト・メリットを保つための工夫である。木の製材と異なり竹は不揃いだが、都合の良い材料だけを選別するとコストがかかってしまう。そこで、複数の竹を束ね合わせて一本一本の違いを吸収し、十分な強度と精度を確保する構法が編み出された。
ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツが用いる竹は主に2種類ある。ベトナム中南部のプロジェクトでは「タンボン」と呼ばれる竹が使われることが多い。径が小さく密実としていて、曲げに強いのが特徴で、アーチやドームなどの曲線の造形と相性がよい。一方、ベトナム北部ではタンボンが採れないため、「ルオン」と呼ばれる別の種類の竹が用いられる。これは径が大きく軸力に強いが、節の空隙が大きいので曲げに弱い。それゆえ直線材を構成した柱梁構造やHPシェルなどの造形に向いている。竹といっても様々であり、品種が変わればふさわしい造形も変わるのだ。これはローカル材料を使用することによってデザイン多様性が生まれる好例だと思う。
ローカル材料という「戦術」
ホーチミン市の歴史博物館を訪ねたとき、ベトナム戦争で使用された竹槍が目に留まった。一本の竹槍で帝国主義に立ち向かう姿は、東南アジアの竹建築にどこか似ていると思った。金融資本主義の市場においては高層化できない竹建築の影響力はちっぽけである。しかし、金融資本主義というシステムそれ自体と対峙している、ということもできる。
フランスの思想家ミシェル・ド・セルトーは国家や大企業などの権力が行使する「戦略」に対し、弱者が生き延びる処世術を「戦術」と呼んだ。彼による「戦術」の定義は、ローカル材料の可能性を考える上で実に示唆的である。
そこにあるのは、『強者』のうちたてた秩序のなかで『弱者』のみせる巧みな業であり、他者の領域で事をやってのける技、狩猟家の策略、自在な機動力、詩的でもあれば戦闘的でもあるような、意気はずむ独創なのである。[…]昔は伝統的共同体がそのはたらきに限界をもうけていたものを、その軛から解きはなたれた戦術は、均質化して広がってゆく空間のなか、いたるところで彷徨しはじめている。(ミシェル・ド・セルトー著、山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』、国文社、1987)
支配的なルールから逸脱する意気はずむ独創。ローカル材料は新興国だけのものではないし、伝統的なコミュニティに限られるわけでもない。東京には東京の、ニューヨークにはニューヨークの真にローカルな材料があるはずであり、可能性はあらゆる人々に開かれている。必要なのは感覚を研ぎ澄ますことである。