仕上、無仕上、未仕上、脱仕上
岩元真明
初出:建築雑誌ねもは No.3, August 2012
岩元真明
初出:建築雑誌ねもは No.3, August 2012
あらゆるところがスムーズならば、アートはラフな性質を持つようになる。
コモンはスムーズで、ユニークはラフだ。
録音はスムーズで、ライブはラフだ。
コマーシャルはスムーズで、アートはラフだ。
典型はスムーズで、発明はラフだ。
未来には、ラグジュアリーはラフになるだろう。(注1)
1. 仕上 finished
われわれは「仕上」に囲まれて生活している。仕上とは建物の構成要素―壁、床、天井など―の表面を覆う、1mm~50mm程度の厚みをもつ部分のことである。たとえば、壁紙や板張り、タイルなどは典型的な仕上材であり、左官や塗装も仕上である。それは、千差万別の表情を見せる建物の最前線である。英語では仕上のことを「finish」と呼ぶ。確かに仕上は建設現場で最後の工程となることが多い。本稿では近現代における仕上の美学の変転を駆け足でおっていきたいと思う。
まずは身近な例として日本の木造住宅を考えてみよう。木造住宅の壁をつくるためには真壁、大壁と呼ばれるふたつの方法がある。真壁とは軸組構造を室内に露出しその間に壁材をはめ込むような形式であり、大壁とは軸組構造を覆い隠すように壁材を張ったり塗ったりする形式である。真壁では構造体自体が仕上と認識され「アラワシ」や「化粧材」などと呼ばれる。一方大壁では、構造体とは無縁の多様な仕上材が許容される。真壁と大壁の構法的な相違は、ふたつの相異なる仕上の美学に帰結しているのである。日本の伝統的な木造住宅では基本的に柱や梁などの「線」を構成するデザインが多く、それゆえ真壁が長い間主流であった。
しかし1970年代の終わり頃から、住宅耐震化と建材の工業化を背景として木造住宅の構造デザインは線から面へと転換をとげた。1960年代にハウスメーカーが開発した木質パネル工法はその先駆的事例であり、1974年のツーバイフォー構法のオープン化を境に構造面材の考え方は急速に広まった。そして、1981年に構造用合板が耐力壁として認められたことを境に、面による構造デザインは在来軸組構法にも普及していった。この構造デザインのパラダイムシフトは線の美学から面の美学への転換を促した。安価な合板などから成る構造面材は、基本的に仕上によって隠蔽されることを前提としていたからである。化粧材アラワシの文化は多種多様な仕上によって構造材を隠蔽するカルチャーへと移行したのであった。
構造の変化が促した化粧アラワシから仕上隠蔽への移行とほぼ時を同じくして、仕上建材の近代化が展開した。住宅を構成する材料は木や土などの自然素材から金属やプラスチックなどの工業製品へと代替されはじめた。たとえば、木の下見板貼りは窯業系サイディングへ。左官の壁は化粧合板やクロス貼りへ。
戦後日本において、建材の近代化は「工業化」と「商品化」のふたつのステップを踏んで展開したと考えられる。まずは、自然素材を凌駕する合理性・生産性・施工性・経済性の高い建材が開発される(「工業化」)。そして、価値が確立した新建材に模様や色のバリエーションがつくられ、徹底的なクレーム対策が講じられる(「商品化」)。「工業化」がモダニズムの段階、「商品化」がポストモダニズムの段階、と言うことができるかもしれない(注2)。建材が商品化する以前では、仕上材不要のアラワシは庶民的な建築の特徴であり、仕上は富裕層の娯楽であっただろう。しかし、建材の商品化以降、安価な輸入材―これは隠蔽されることを前提としている―の普及に後押しされ、仕上をすることがむしろ低廉となった。
「仕上カルチャー」と「建材商品」が出会うことで、建築空間の表面は多種多様に飾られていった。その多くは表層的なまがいものであり、コールハースの言葉を借りれば、建築空間はどんどん「スムーズ」になっていった(注3)。1980年代以降の東京はまさにその典型だったように思う。窯業系サイディングがつくり出す街並み、デパートにおける店舗デザインのシミュラークル。クロス貼りの寝室。
しかし、建築家のつくる建物はスムーズな仕上カルチャーとは正反対の流れにあるようだった。多くの建築家は抽象性への希求という名の下で白く平滑な面を愛好した。また、打ち放しコンクリートや剥きだしの鉄骨を偏重する傾向はアラワシ・カルチャーへの回帰であったと言えよう。この両者は一見すると正反対ではあるが―一方は抽象的、一方は物質的である―、構造体とは無縁の仕上がつくりだす、スムーズな空間に拒否反応を示しているという点では一致している。このような仕上への拒否反応、すなわち無仕上の指向は、実は近代建築に深く根ざした美学であった。
2. 無仕上 non-finished
近代建築では仕上自体を否定すること、すなわち「無仕上」の美学が支配的であった。
ル・コルビュジエの初期作品やバウハウスに代表される20世紀前半の近代建築では、壁や天井が白く平滑な面で構成されていることが多い。このような「白く平滑な面」は、ドイツ工作連盟の住居展として建てられたヴァイゼンホーフ・ジートルング(1927)において一つの頂点に達している。ミースのマスター・プランの元、ル・コルビュジエ、シャロウン、アウトなどの近代建築家が競い合ってモデル住宅群を設計したヴァイゼンホーフ・ジートルングにはふたつの明白なデザイン・コードが存在した。一つ目は勾配屋根の否定としてのフラット・ルーフであり、もう一つは仕上文化の否定としての単色の平滑な面である。この両者は近代建築以前のデザイン・コードを「否定する」という点で共通している。ドイツ工作連盟展のポスターを見てみよう。そこでは近代建築は一切表現されておらず、装飾的な仕上と調度で飾られた19世紀的な住居に赤く大きなバツ印がつけられている。このバツ印には、明らかに仕上や装飾という建築の物質的側面を捨象しようとする意志が働いている。「白く平滑な面」は近代建築以前の仕上文化を否定すること、すなわち無仕上の概念を抽象的に表現することで、相対的にアイデンティティを確立したのである。
このような仕上否定の背景には、アドルフ・ロースによる装飾否定の短絡があることは否めないだろう。しかし、建築史家ギーディオンは抽象的な無仕上の表現を積極的に理論化した。主著『空間・時間・建築』(注4)においてギーディオンは装飾過多な19世紀の折衷主義を「形態虚偽」と断罪し、それに対して非装飾的な「平坦な面」(plain surface)を近代建築の模範とした。例えば、ヴァグナーの設計によるフラットパネルを外壁に用いたカールスプラッツ駅(1898)をギーディオンは近代建築を予告する作品とみなしている。さらに彼はキュビズム絵画の特徴である「面の構成」を建築に応用してデ・ステイルの作品などに典型的に見られる「平坦な面」の構成が近代性をもつと主張した。
興味深いのは、「折衷主義への抵抗」という19世紀の一部の建築家の倫理観から生まれた「平坦な面」という造形がキュビズム絵画という芸術表現を経由することで近代建築の美学へと昇華された点である。ギーディオンによって「平坦な面」は近代建築の美学と倫理を統合する唯一無二の表現として正統化されたのだ。そして、それを最も良く表現するものが、ヴァイゼンホーフ・ジートルングに見られるような「白く平滑な面」なのであった。
ところで、ル・コルビュジエの後期作品では「白く平滑な面」は息を潜めて、荒々しい打ち放しコンクリートや石積みなどが用いられている。この有名な転回は後にブルータリズムと呼ばれる、生々しく素材を使用する潮流の萌芽と見なされている。しかし、この転回は彼が仕上文化に回帰したことを意味するわけではない。「白く平滑な面」が抽象的に無仕上を志向する表現だとすれば、「ブルータリズム」は物質的に無仕上を表現していると言える。両者は19世紀の装飾的な仕上文化に異を唱えている点ではいまだ共通しているのだ。ブルータリズムの元となるブリュット(brut)という言葉は「生のまま、自然のまま」といった意味であり、日本の木造文化における素地仕上―木材を塗装せず、その肌合いを生かす仕上―と通底するような価値観と言える。ル・コルビュジエの後期作品では材料を素地のまま使うことで仕上をしないこと、すなわち無仕上が表現されたのである。それは自らつくり上げた「白く平滑な面」という殻を破る、無仕上の美学の第二の方法であった。なお、このブリュットな仕上もまた、ギーディオンによって近代建築の美学として認められている。『空間・時間・建築』には、「平坦な面」と「素地仕上」の重要性を簡潔に示すヴァグナーの言葉が引用されている。
新建築はスラブ状の平坦な面によって、また材料の素地のままの使用によって支配されることになるだろう。(注5)
近代建築の生み出した無仕上の美学は、今日の建築においても支配的な価値観である。日本の現代建築にも多く見られる抽象的な「白く平滑な面」は近代建築の美学-倫理に対する信仰告白と言えるだろう。また、打ち放しコンクリートや生のままの自然素材を重用する建築も、無仕上の第二の方法―ブリュットな仕上―の延長線上にある。
しかし、近代建築と現代建築では戦うべき相手が決定的に異なっている点に注意しなくてはならない。近代建築にとって無仕上の美学は、19世紀の富裕層に見られる装飾的な仕上文化に対抗するための手段であった。ところが、近代建築の想像を超えたかたちで、仕上文化もまた20世紀後半に近代化を遂げた。それは工業化と商品化の流れにのって、大衆層のスムーズな仕上カルチャーへと変化したのだ。近代建築から借用した表現が戦後生まれの仕上カルチャーに対しても真に批評性を持ちうるかどうかは疑問の余地がある。多くの場合、現代における無仕上はスムーズさへの反動であり、消費文化に敗北したピュアな近代建築に対するノスタルジア程度の意味しかない。
3. 未仕上 un-finished
アメリカにおいては「スムーズさ」の問題は日本よりも早く現れた。アメリカではそもそも化粧アラワシのような美学が希薄であった。また、建材の商品化が急速に展開したのもアメリカだった。「スムーズさ」の根底をなす大衆文化を生み出したのは、まさに20世紀のアメリカであった。
1970年代の初頭に、ヴェンチューリはレヴィット・タウン―1950年代に開発された、規格化住宅による大規模な郊外住宅地―に現れた、標準的な装飾品の組合せによる図像の氾濫(たとえば「ピクチャー・ウインドウに飾られたロココ風のランプ」)を中流階級の個人主義的な美学として肯定している(注6)。これは、醜く平凡であること―「スムーズさ」と言い換えても良いだろう―を大衆の美学と捉え、批評的に展開する建築の出発点となった。
フランク・O・ゲーリーはヴェンチューリの考えを継承し、スムーズさに対して敏感に反応して独創的な手法を次々と生み出した最初期の建築家と言える。彼の自邸(1978)では商品化の産物である既製品が意図的に組み合わされている。ゲーリーは金属波板(コルゲート)、金網、合板などの安価で平凡な既製建材を敢えてモンタージュすることで、それらがもっていた模造品的な性質を明るみに出した。それはベンヤミンが指摘したような、複製品のコラージュによって作品を生み出したダダイズムの手法にも似ている。
ゲーリー自邸のさらなる達成は、既製建材のモンタージュに加えて、「未仕上」(unfinished)の美学を建築に導入したことであろう。たとえば、西立面に見られる剥きだしの合板。建築を意図的に未完成な状態にとどめることで、スムーズな仕上カルチャーに抵抗する方法をゲーリーは見いだしたのである。
私は未完成のもの(the unfinished)―あるいは、たとえばジャクソン・ポロック、デ・クーニング、セザンヌの絵画に見られるような、塗料がただ塗りつけられたような性質に惹かれる。 (中略)私たちはみな、仕上をしたものよりも建設中の建物の方が好きだ―この考えには誰もが同意するだろう。(注7)
ゲーリー自邸では、スムーズさを前提として認め、大量生産品を批評的に使用することで建築にラフさが取り戻されている。ゲーリー自邸に見られる未仕上の美学は、スムーズさそのものを否定する近代建築の無仕上、素地仕上の美学とは決定的に異なっているのだ。
1970年代後半にゲーリーが開拓した未仕上の美学は多くの現代建築家に影響を与えた。レム・コールハースはその好例である(注8)。初期の住宅作品であるダラヴァ邸(1991)では金属波板(コルゲート)や剥きだしの合板が仕上として用いられ、屋上には工事用の落下防止ネットが張られている。ここでの未仕上感覚は、ゲーリー自邸へのオマージュと言えるほどである。また、マコーミック記念キャンパス・センター(2003)では、仕上をしていない剥きだしの石こうボードが天井に張られている。この石こうボードという素材について、コールハースは「ジャンクスペース」(2000)というテクストで以下のように述べている。
エアコンとエスカレータの出会いがジャンクスペースを産み、石膏ボードの保育器がそれを培養した(三者とも歴史書から抜け落ちている)。(注9)
現代建築の典型的な下地材である石こうボードはコールハースにとって「ジャンクスペース」の表面をかたちづくる基礎である。「ジャンクスペース」はスムーズと共振する空間概念であり、石こうボードの素地仕上は明らかに「ジャンクスペース」=「スムーズな仕上カルチャー」への批判として導入されている。ゲーリー自邸に生まれた未仕上の美学は、コールハースによってより批判的に展開され、巨大な公共建築に応用されたと言えるだろう。さらには、コールハースはプラダ・エピセンター・サンフランシスコ(2003)の計画案においても石こうボードの素地仕上を採用している。ファッション・ブランドの牙城におけるこの提案は象徴的である。未仕上のラフさは、逆説的にラグジュアリーなものへと転回したのである。
4. 脱仕上 de-finished
「仕上を完成させない」美学が「未仕上」(unfinished)という言葉をもつのであれば、「仕上を剥ぎ取られた」美学に名前を与えてもよいだろう。試みに、「仕上」(finished)にde-という接頭辞をつけて、「脱仕上」(definished)と呼ぶことにしよう。「未仕上」が「仕上」の直前の状態で宙づりになる「前-仕上」(pre-finished)の表現であるのに対して、脱仕上は「ポスト-仕上」(post-finished)の表現と言えるだろう。事実、脱仕上の表現はいまのところ建設以後の改変であるリノベーション作品にのみ現れている。
未仕上の美学の記念碑として言及したゲーリー自邸は、実は脱仕上の先駆的事例でもあった。ゲーリー自邸は改築プロジェクトであり、既存家屋の壁仕上の一部を取り払うことで背後のツーバイ材を剥きだしにするという表現が試みられている。ここでは既存部分(仕上)、剥ぎ取られた部分(脱仕上)、新しく作られた部分(未仕上)の三者が対照をなす。ゲーリー自邸の方法は、リノベーションにありがちな新旧の対比という単純な二項対立に回収されないのだ。また、近代建築の「無仕上」の美学はここでは意図的に避けられているように思われる。例えば、ゲーリー自邸の居間には仕上を剥ぎ取らずに「オブジェのように残された古い窓」(注10)がある。この窓は、まさしくヴェンチューリが注目したような中産階級的イコノグラフィーであるが、脱仕上の操作が引き起こす図と地の反転―周囲の仕上を剥ぎ取ることで、仕上が残された部分が際だつ―によって、新しい意味を獲得している。このように脱仕上とは部分的介入によって仕上の意味を再構成する方法論であり、スムーズな仕上カルチャーを否定することなく美的な領域まで昇華する。
ラカトン・ヴァッサルによるパレ・ド・トーキョーのリノベーション(2002)は1937年にパリ万博の日本館として建てられた建物を現代美術館へと改築するプロジェクトであり、大規模な公共建築において脱仕上の美学を展開した画期的事例である。極端に制限された予算の中でコンペに勝利したラカトン・ヴァッサルの提案は、「既存を変形することなく、活用すること」(注11)であった。彼らは内装解体中のパレ・ド・トーキョーに優美なコンクリート構造や工業跡地のような迫力を見出し、そこに脱仕上の美学を適用することを決意した。仕上を剥ぎ取ることで露出された構造体。現れ出るさまざまな痕跡。それらをありのままにみせることでパレ・ド・トーキョーは仕上カルチャーのもつスムーズさから脱し、「ラフ」な美術館となったのである。
脱仕上の美学は今世紀に入って急速に広まり、多くの建築家に支持されるものとなった。日本においてはスキーマ建築計画によるリノベーションがその代表格と言えるだろう。彼らは様々な手法で既存建物の仕上の一部を剥ぎ取って再構成することを試みており、商品化を経てつくられたスムーズな空間を否定することなく新しい意味を生み出していく。アメリカでは1950年代の大量生産を背景として生まれたスムーズさに対して、その20年後にゲーリーが脱仕上の試みを行った。同様の構図が現代日本において繰り返されているようである。脱仕上の美学は高度経済成長期以後に生まれた、日本的なスムーズさに対しても批評性を持ちうるのだ。
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昨今、都市空間・建築空間におけるスムーズさはますます強まっている。スムーズなショッピングモール。保険や補助金を背景に生まれるスムーズな住宅。そこでの正義はノークレームであること。スムーズさは時に排他的で、人々の自由を奪うことすらある。
無仕上、未仕上、脱仕上の美学は、スムーズな仕上の美学に対抗する。中でも未仕上と脱仕上の美学は、スムーズさ自体を許容した上で、なお建築にラフさを与えるための基本的戦略となる。ラフさ、それはおそらく自由のことである。
P.S.
ベトナムで設計をするようになってからまもなく半年になります。日本や西欧諸国にいるとほとんど意識することはないのですが、スムーズでクリーンであることは建築の一つの達成であり、発展途上国では今なお追い求められているものだと痛感しています。「あらゆるところがスムーズならば...未来には、ラグジュアリーはラフになるだろう」というコールハースの言葉は示唆的です。この言葉の背景には、いまだスムーズではないところではラフさが排除され、スムーズさが進行していくという状況が示されています。ならば、現代建築にラフさを与えるためには一度スムーズさを経由しなくてはいけないのでしょうか。
雑然とした市場や路地裏とスムーズな高級マンションが隣り合わせになっているというのが現代のベトナムにおける都市状況です。たとえ自由や想像力を奪うものだとしても、人々のスムーズさへの希求は単純に否定できるものではありませんし、ラフさを強要することなどできません。
しかし、ラフとスムーズが共存しているという現況は、考え方によっては大きな可能性をもっているように思います。一つの建築においても、ラフとスムーズが並置されることは自然なのですから。ここでは、ラフとスムーズという二項対立を根本から解消することもできるのかもしれません。
注1 OMA/AMO, Rem Koolhaas, Project for Prada Part 1, Fondazione Prada Edizioni, 2001.
注2 工業化の段階が標準化を、商品化の段階が差異化を目指すという事実も興味深い。
注3 建築家レム・コールハースは、あるファッション・ブランドのアイデンティティを模索する中で「スムーズ」と「ラフ」という対立概念を提示した。本文の冒頭に挙げた引用部分から、コールハースがスムーズと呼ぶ状態は不特定多数(すなわち大衆)に向けられていることが明瞭である。一方、ラフと呼ばれるもの、すなわちユニーク、ライブ、アート、発明には「一回性」という特徴がある。「ジェネリック・シティ」(1994)という都市論において、コールハースは現代に生まれる新興都市は「アイデンティティ」を欠いた「ジェネリック(無印)・シティ」であり、「大量・反復・一時性・拡張性」などの特徴をもつと述べている。同型の議論は、舞台を都市から空間へと変えて「ジャンクスペース」(2000)というテクストで繰り返された。「スムーズとラフ」の二項対立もまた、「ジェネリックとアイデンティティ」の変奏であると言えるだろう。都市における「ジェネリック」、空間における「ジャンク」、モノ・コトにおける「スムーズ」は共振し合っている。なお、この三者の背景にはベンヤミンの複製技術論が見え隠れする。
注4 ギーディオン『空間・時間・建築』(太田實訳、丸善、1955年)。
注5 Ibid.
注6 ヴェンチューリ他『ラスベガス』(石井和紘他訳、鹿島出版会、1978年)。
注7 J. Fiona Ragheb, ed., Frank Gehry, Architect, Guggenheim Museum, 2001.
注8 コールハースの著作「S,M,L,XL」所収の「辞書」にはUNFINISHEDという見出し項目があるが、本文の代わりに5行分ほどの空白が与えられているのみである。未仕上の美学と空白(ヴォイド)の関係がほのめかされているように思われる。
注9 「A+U 2000年5月号臨時増刊:レム・コールハース」(新建築社、2000年)。
注10 「GA HOUSES 6」(A.D.A EDITA Tokyo、1979年)。
注11 http://www.lacatonvassal.com/(ラカトン・ヴァッサルの公式HP、2012年)。