神社の見どころ
HIGHLIGHTS
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勝海舟直筆の大幟
八雲神社の幟は、明治維新の際に江戸の町を守るために活躍した、勝海舟・海舟勝安房守の真筆です。
1889(明治22)年、大日本帝国憲法の発布を記念して、旧岩渕本宿の先人が、氏神である八雲神社に大幟を奉献することを決め、勝海舟を赤坂の住まいに訪ねて揮毫を依頼したところ、勝海舟が快く筆を執ってくれたと伝わっています。
旧岩渕本宿は、江戸時代徳川将軍が日光東照宮に参詣する際に行列が通った日光御成道の第一の宿として栄え、荒川を渡った川口には、大奥最後の御年寄瀧山が暮らしていたことなどから、幕臣である勝海舟ともつながりがあったものと思われます。
海舟が筆を執った大幟は、高さが15.3メートル、幅2.15メートルの大変に大きなもので、昭和五十年代までは祭りの時などに本殿の脇に掲げていました。しかし強風にあおられて幟が倒れる事故があり、現在は神輿蔵に納められています。
2015(平成27)年、神社の氏子が、神社と地元の宝である勝海舟真筆の幟を活かすため、大幟を縮小して勝海舟の書を忠実に復元した幟を旭川の染工場に依頼して作成し、神社の祭事の際などに掲げています。
上手 奉献 八雲神社 明治二十二年七月吉日
海舟勝安芳謹書
下手 奉献 八雲神社 当宿氏子中
海舟勝安芳謹書
御神輿
八雲神社の神輿にはいわゆる千貫神輿と言われる大神輿と水神神輿の二基の神輿があります。
二基の神輿は、二年に一度の大祭の時に一日かけて町内を巡行します。
狛犬と獅子
獅子石像(向かって右側)と狛犬石像(向かって左側)は、岩渕本宿の有力者らによって1921(大正10)年10月21日に奉献されました。作は、江戸三大石匠の一人、井亀泉 (せいきせん)の名で知られた酒井八右衛門です。魔除けとして神社をお守りしています。
獅子石像は、口が開いており、この状態を阿形(あぎょう)と呼び、宇宙の始まりを表しています。
狛犬石像は、口が閉じており、この状態を吽形(うんぎょう)と呼び、宇宙の終わりを表しています。
御神木
1990年代に一度、枯れかけた御神木。東京都北区の援助で樹木医さんを紹介され、その樹木医さんが御神木を見事に蘇らせてくれました。
多くの神社仏閣には古くから銀杏が植えられています。何故ならば、銀杏の葉には水分が多く含まれているため、防火の役割を果たすからです。
町名存続之碑(岩渕町)
本殿に向かう参道の脇に「岩渕町 町名存続之碑」があります。1962(昭和37)年5月に「住居表示に関する法律」が公布されると、東京都北区も次々と住居表示の変更を進めました。当時の人々は由緒ある岩渕町の名称を守るため、町名存続運動を展開しました。その結果、旧岩渕一丁目は「岩淵町」として現在も残っています。旧岩渕二丁目は赤羽二丁目となりましたが、当神社の氏子として今日も様々な行事を盛り立てています。
1972(昭和47)年に建てられたこの石碑は、その当時の人々の熱い思いを刻むものとして現在も語り継がれています。
水神社
境内には水神社が祀られています。古くから荒ぶる川として多くの氾濫を起こしてきた荒川。人々は水害のないことを願って水神社を奉斎しました。
荒川と隅田川を仕切る岩淵水門は、大きな水害から首都東京を守り、延いては日本経済を守っています。国家経済の安全保障に重要な役割を担っているのです。
1924(大正13)年に完成した当初の水門(赤水門)は、国の重要無形文化財に指定されています。
御末社
拝殿の右脇に、五つの御末社が祀られています。主祭神である建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)とご縁のある神様や、特別な由緒のある神様をお祀りしています。
白山神社
大六天神社(だいろくてん神社)
稲荷神社
御嶽神社
市杵島神社(いちきしま神社)
社号碑
刻字の「八雲神社」は、高名な書家、五峰高林寛(1861~1935)によるものです。
石碑
境内にはいくつもの石碑があります。右から二番目の大きな石碑には、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊した拝殿が、岩渕の人々の寄付によって、1927(昭和2)年に再建されたことが、記されています。碑文には「拝殿再建記念」とあります。刻字の「八雲神社」は、高名な書家、五峰高林寛(1861~1935)によるものです。
大幟の由来を伝える石碑
この石碑は、1974(昭和49)年、勝海舟揮毫による大幟の修復を記念して建てられました。石碑には勝海舟に筆を執ってもらった面白いエピソードが刻まれています。
1889(明治22)年、大日本帝国憲法の発布を記念して、旧岩渕本宿(東京都北区)の先人たちは、氏神である八雲神社に大幟を奉献することを決め、勝海舟を赤坂の住まいに訪ねて揮毫を依頼しました。勝海舟は一つ返事で筆を執ってくれたと言います。その時、先人たちは御礼の印として鯉魚(コイ)を持参していました。勝海舟が「どこで採れた鯉魚か」と尋ねるので、先人たちは「荒川で採れた鯉魚です」と伝えました。すると、勝海舟は急に不機嫌になって奥に消えてしまったというのです。どうも勝海舟は、維新前夜より懇意にしていた東海道の岩渕の人たちと、旧岩渕本宿(東京都北区)の先人たちを間違えていたらしいのです。
先人たちは、そのまま大幟を大喜びで旧岩渕本宿(東京都北区)に持ち帰りました。それぞれに人間味のあるとても魅力的なエピソードが、この石碑によって伝えられています。
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