大覚寺本堂は明治17年(1884)ごろから造営が始まり、明治28年(1895)に完成いたしました。
本堂の彫刻は常陸後藤流の後藤縫殿之助(1825-1901)が行ないました。後藤縫殿之助は、当時の成田山新勝寺や笠間稲荷の彫刻を担当した名工でした。大覚寺では今でも後藤縫殿之助が彫刻した動物たちの姿を見ることが出来ます。是非探してみてください。
大覚寺の敷地内にある鐘楼堂です。昭和二十八年(1953)に近江国長浜の西川徳左衛門、藤原重久によって鋳造されたことが刻まれています。この梵鐘の表面には大東亜戦争に際し昭和二十年(1945)一月に梵鐘を献納したため、戦後に再度鋳造したことが刻まれています。
ご参拝の方は、どなたさまも鐘を撞くことが出来ます。
大覚寺山門の右側にある「親鸞聖人説法石」です。親鸞聖人がこの石にお座りになり、百日間に渡って山伏弁円の弟子35人の山伏たちにお念仏の教えをお説きになりました。
京都女子大学を設立し、多方面に活躍した九条武子夫人が大覚寺にご参拝されたことを記念し建立されました。石碑には武子夫人が大正十一年(1922)初夏に詠まれた「山こそは ただ山こそは かわらじと 仰けはそぞろ 涙ぐましも」という句が刻まれています。
俳人の小林一茶が親鸞聖人を思って詠まれた歌碑です。以下の句が刻まれています。
板敷山のふもとに臥して
「秋の夜や 祖師もかような 石枕」