試し読み

死後の一杯はいかがですか?

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【プロローグ】

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった、とは川端康成が記したことであるが、私の場合は長いトンネルを抜けると、広い野原と荒野が入り交じる不思議な場所だった。雪が降っている場所の隣でひまわりがピンと背を伸ばしている。モンシロチョウが花の蜜を吸っている隣で紅葉が落ちている、そんな不思議な空間であった。
「のどかですよねぇ」
 私のその呟きは特別誰かに届けるつもりもない独り言だった。しいてあげるのであれば一人、キッチンの方でコリコリと豆をひいている店主はいるが、そもそもお喋りでない上に仕事モードになっているとすれば何を話しかけても無駄の極みということになる。
 通常であれば、お店が暇、というのは大問題である。そもそも少しでも手が空いているのであれば従業員を遊ばせるのではなく、何かしら作業を命じればよいはずだ。しかし、ここではそんな常識など通用しない。強いてあげるのであれば物理法則がそれなりに存在するぐらいしか、私が知っている世界と常識として通じるものなどない。
――――カランコロン。
 扉が開かれる。そこにいたのは腰の曲がったおじいさんだった。
 私は微笑みかけて彼を適当な席に案内する。おそらくこちらに来てまだ間もないのであろう。そうでもなければわざわざ老人の姿を選ぶはずがあるまい……というのは私の勝手な思いだけども。
「人生は長い暇つぶし、だなんて言葉を現世で聞いたことがありますが、実際のところまだこちらでも待ち時間というものが存在して、手持ちぶさたになることもあるようで。そのわずかな時間、とりあえずお飲み物でもいかがですか?」
「……やれやれ。やっとばあさんの元にいけると思ったのにまだお預けを喰らうのか」
「致し方ありません。もうしばらくお持ちくださいませ」
「君は、天使かなにかかい?」
「いえ、私はそのようなものではありませんよ。質が少しだけ悪い妖怪のようなものです」
 さらりというと、注文内容も聞かぬまま席を離れる。どうやら今回は一生懸命挽いている豆には用事はなく、思い出の品なのか、ラムネをご所望のようである。私もアニメやドラマの中でだけでしか、見たことのないようなビー玉で栓がされている、お祭りなどで見かけるラムネを。
 一人暮らしサイズといわれても納得のいく大きさの冷蔵庫を開けると、その思い浮かんでいたラムネがポツンとおいてある。私はそれを取り出してあの老人の元までやっていく。これが私のこちらの世界でのお仕事であり暇つぶしだった。



【一杯目:蜂蜜の優しさ】

 いつも、目が覚めると訪れるのはどうしよもない気怠さと、憂鬱、そして今日も生きていたという安堵感。そして少し遅れてぼんやりとした視界があたりを認識する。
 しかし、今感じるのはそれらのどれとも当てはまらない不思議な感覚であった。ゆっくりと瞼をひらける。見慣れない天井、そして感覚の違うベッド。
 まさか、より一層悪くなって別の場所に運ばれたのかと思ったが、その割には体が異常に軽い。
「ここ、は――――!! 声が、出る」
 ここ数か月言葉にならない空気を吐き出すのが日課だった私は、この場所は、という不安よりも驚きが勝り、思わずのど元に手をやる。そしてまた驚く。体の動きが速い。まさかと思い体をそっと浮かすと、人知れずベッドの上で座ることができた。こんなの何ヶ月ぶりであろうか……いや、もしかすると年単位の話になるかもしれない。
 自身の急激な変化に驚きつつも、同時にどこか冷めた思いが自身に語りかける。悪くなることがあってもよくなることなんてあり得ないということを。
――――だとするならば、ここは死んだ後の世界?
 キョロキョロとあたりを見渡すと、白いレースのカーテンがサーと開かれる。
「あれ……? おかしいですね。本日こちらにやってくる予定はなかったはずでは」
 真っ白な服装を身にまとい、頭にも同様にベールを被り、そのベールがたれて顔に当たる部分は全く見ることが出来ない、何者かが不思議そうな声を上げている。身長は小学生か中学生か、それぐらいに見えた。声は少年のような低さと高さが混じり合った独特なもの。
「あなたは?」
「聞きたいのはボクのほうなんですが。んー、遺歴書もなし。となると、事故、もしくは大きな病気をされていましたか?」
「は、はい」
「あー、やっぱり。魂混入者ですか。久しぶりに目にかかりますね」
「ま、まって。何をいっているんですか?」
 私は間に入り込んで、一人勝手に納得をしている、白装束に問いかける。そもそもこちらの君は? という質問も無視されっぱなしであるのに、よく分からない単語をぽんぽんと出されてはたまったものではない。
「んー、そうだな。座標位置的にも大きな開きはないし。ごめんだけど、今ボクは君を導くことが出来ないから、この紙をもってとある場所に行ってほしい。そこの男に話しかけるといいよ」
「ここって――――」
「ここ、だよ」
 バチンと頭に電流が流れたような感覚が訪れて、一瞬気持ち悪くなる。それと同時に勝手に開かれた脳内の地図がここからどのように進めばよいのかを示していた。全く知らない土地、全く知らない場所にも関わらず、脳内に開かれる地図はまるで何年も過ごしてきた家のように熟知出来ている。新鮮さと全てを知っているというアンバランスな感覚が気持ち悪い。
「それではまたどこかで」
「あっ、ちょっと」
 私が止めるよりも早くその少年はどこかへと消えて、カーテンがなびく。
 唯一、何かをしっているようなその存在が特別何かを伝えてくれるわけでもなく消えていくというのは、もはやデスゲームのそれより不親切だ。
 とはいえ、全くヒントがないわけもなく、というよりそこに行くしか道しるべがない状況で私は動くしかなかった。
 ふと、ベッドの下を見るとそれは購入したはいいものの、結局一回も履くことがなかった赤い運動靴が置かれていた。
 というより、今更ながら自身の体を見てみると白いワンピースを着ている。これもまた買ってもらったはいいが結局着る機会に恵まれなかったものであった。
 どうせなら初めて袖を通すその瞬間の感動を味わいたかったが、何者かにそれが阻まれてしまった。大変腹立たしい、といえば嘘になるけど少し残念な気持ちがあった。
「なにはともあれ、いくしかない、か」
 私は例の運動靴に新品特有の堅い感触を抱きながら足を通すと、もう一度脳内の図面を確認し、白いのカーテンを押し開けた。
 全く未知の世界に踏み出した私は悔しいかな、どこかわくわくしていた。



 目的地までは最短だと5~7分ほどで到着するだろう、という計算ではあったが実際にかかったのはその3倍近い、15分前後だった。
 体力的な問題ではない。ただ、一歩踏み出すたびに、そして視界が変わるたびに足を止めざる得なかったのだ。
 幻想的とでもいうのか、のどかでそれでいて複雑怪奇な色合いをした路面に、いくら箱庭の中で暮らさざるえなかった私とはいえ疑問が生じる。そもそも自分の体が異常に軽く、かつ違和感のなさに思わず寄り道というか、ふらふらとしてしまっていたのだ。それでもなんとか、指定されたレンガの家にたどり着く。木製の扉をグッと力を入れて開ける。
 カランコロン……という鐘の音が私の来訪を告げた。
 室内……いや、店内、だろうか? 3つのテーブル席と4つのカウンター席。そして窓辺からは先ほどの幻想的な景色が目に入る。
「えっと……すみま、せーん」
 私は細い声を上げる。というか、今更だけど鐘の音が来訪を告げているはずなのに結局誰も来ていないではないか。あまり役に立っていないのだろう。事実、鐘の音はかなり小さなもので、店内にBGMでもかかっていたらかき消されていたに違いない。
「いらっしゃい、ごめんね」
 ヌッとカウンター席の奥にある厨房から、額をぬぐうようにして一人の男が出てくる。優男風で見た目は20代後半かそこらだろうか。というか、この距離ならすぐ気づいてくれてもよさげなのに、忙しそう、にはとうてい見えのないのだが。
「あっ、いや、大丈夫です」
「そ。まぁ、ここに来たばかりで困惑もしているだろう。とりあえず適当に座ってくれ」
「は、はい」
 やや無愛想ながらも優しい声音に誘われながら私は男の近くのカウンター席に陣取る。席が高く、足がつかないのでプランと投げ出されるような状態だった。
「その様子じゃ、どうせろくな説明もないまま放り出されたんだろ?」
「そ、そうですね。多いんですか?」
「まぁな。忙しいときだとまれにあるんだ。訳の分からない言葉をたくさん使われただろう」
 むしろ訳の分からない単語だけしか言われておらず、問いただす時間すらなかったので、少しだけ返事に困ってしまう。
「そう、ですね。なにがなんやらで。で、ここに来ればいろいろ教えてくれるって」
「俺はここの案内人になったつもりはないが……というより、今回は本当にひどいな。そんな適当なやり口で」
「あ、はは。ご迷惑、でしたか?」
「君に罪はないさ。いや、その罪があるかどうかの判定待ち、か」
「判定待ち?」
「ん? あぁ、天地裁定待ちとだけ言われたか?」
「な、何の話ですか?」
「何のって……、冥府案内人……あの、よく分からない奴らからなんて聞かされたんだ?」
「ここにいる男性に聞けば分かるだとか、魂混入者だとか」
「はぁ……」
 その瞬間、大きなため息をつき天を仰いだ。それと同時に、私もなんとなく二人の間で微妙なすれ違いを起こしていたことに気がついた。
 やはり、というべきだろう。そしてようやく目をそらしていた事実と相まみえそうな気がする。
「君は、これから俺が話すことをラッキーと思うか、アンラッキーと思うか、どちらだろう。俺は君が前者の気持ちであってほしいと同時に、後者の気持ちであってもらいという、複雑な感情が混ざり合っているよ」



「つまるところ、ここは死者が天国にいくか地獄に行くのかの裁定を受けるまでの、わずかな期間を過ごす中間地点で、私は通称、魂混入者と呼ばれる、体は生きている状態で魂のみがこちら側に来てしまった希有な例、ということでいいんですね」
「よく今の俺の説明で分かったな」
「全く理解をしていません」
 手元には、話があちらこちらへ行ったり来たりしたものを、なんとか纏めたメモがあった。 なぜ、あの人物、冥府案内人はこの人の元の来させたのか理解が出来ないほど話し下手だ。
 いや、私が普段から関わってきたのが説明をすることが多いが故に、こなれている病院の先生だからハードルが上がっているのかもしれないが、だとしても私が20秒程度で纏め終える内容を、20分使って話したのは長すぎやしないだろうか。
「理解は出来ませんが、納得はします。私はいつ死ぬのか、そんな間際な存在でしたので」
「そうなのか……長く苦しんだのか?」
「それは、まぁ、10年ぐらい。一番苦しかったのはここ3年ぐらいですけど」
 最後の方は意識を保つのがやっとで数日おきに目を覚ます、なんてこともあったぐらいだから日にちの感覚なんてないけども。それに、10年といっても物心ついたころには、だっとので正直苦しむ、というには平時を知らなすぎるのだが。
「10年……そういえば、君はいくつなんだ? 覚悟が決まっていたかのような話しぶりだったが80ぐらいか?」
「なっ……、誰がおばあちゃんですか!? そんな年に見えますか!?」
 私は手をバシンとカウンターに叩きつけて、その勢いのまま立ち上がる。宙ぶらりんに浮いていた足はうまく着地が出来ずに、ガタンと大きな音を立てて崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
「大丈夫かじゃないですよ!」
「す、すまん。しかし、その様子だと、見た目通りの年齢ということか?」
「えぇ、まだ16ですよ」
 ぱっぱっ、とを服をはたいて、もう一度椅子に座り直す。彼はもう一度すまんと謝ってから言い訳するように口を開く。
「いや、そのだな。ここは自身がなりたい年齢になれるんだ。だから大体20歳前後の見た目になることが多いから、見た目じゃ分からなくてだな」
「なるほど……そういう理由ですか」
 確かに、死んですぐの体でここをさまよえ、といわれても背中が曲がった状態でだと大変だろう。そのことを考えると割と適切な判断ではある。
「あれ? っていうことは、若返ることが可能なら逆に、私、20歳ぐらいになることも出来るっていうことですか?」
「一応理論上はな。だが……あまりオススメはしない」
「どうして? せっかくなら大人な姿になりたいと思うのは不思議じゃないでしょ?」
「人間って言うのは思ったように年をとれるとは限らないんだ……。俺はお前のような年齢でこちらにやってきて、同じようなことをいい、ショックを受けていった奴らを数人知っている」
「……知らぬが仏、想像上の美魔女にとどめておきます」
「それをオススメする」
 といっても、このプラプラした足のままではやや不便だ。またしても落ちてしまわぬように気をつけよう。それに、成長をしてしまうとこの服とも、もしかしたらおさらばかもしれない。もう少しだけこの服を楽しみたい。
「それで、君はどうしたい?」
「どう、したいんでしょうか……。正直、現世に戻る努力をすることも出来ないし、かといって何をするってこともないし……。現世の私が死ぬか、魂が還るかしない限り無駄だとするならば、本当に根無し草かも」
「そうか、ならしばらくの間ここにいないか?」
「えっ? というか、ここって」
「ここは、現世を終えて、裁定を待つ者の、ほんの少しの憩いの場。落ち着いて死後の一杯を楽しむ、そんな喫茶点さ」
 両手を広げて堂々と話しかける様子に、私はやっぱりこの人は説明が下手だなと感じた。



 厨房に招かれて冷蔵庫を指さされる。それを開けるとそこには一本の牛乳が入っていた。
「この冷蔵庫と棚は俺、というよりは開ける人が思ったものが自働で置かれる優れものなんだ。原理は俺も知らない。案内人どもに頼んだら用意をしてくれた。そもそもが常識破りの世界なんだからなんでもありだ」
 そう言いながら背後を指さされ、その方向を振り返ると、先ほどまではなかったIHのコンロに鍋、その他諸々機材がそろっている。まるでミスディレクションを使用したマジックのようだが、これはまさしく本当に魔法なんだろう。
「とまぁ、何がどこにあるだとかはなくて、重要なのは必要なものを具体的に思い浮かべること、それだけだ。冷蔵庫と棚の位置だけ覚えていてくれればそれでいい」
「そう、なんですね……。本当になんでもありだ」
「まぁね」
 そういいながら彼は牛乳を鍋に注いで火にかけて暖め始めた。サッサと軽くかき混ぜており全体に均等に熱を通している様子だった。
「君の思い出は、とても優しい味のようだね」
「どうして、ですか?」
「砂糖じゃなくて、100%の蜂蜜を用意してある。蜂蜜は糖の性質がやや独特で体の吸収がいいし、虫歯にもなりにくい……。むしろ虫歯予防の効果だってあるんだ。100%に限るけどね」
「そう、なんだ」
 そういえば、お母さんが作っていたホットミルクには砂糖が入っている様子が一切なかった。そのこともきちんと考えてくれていたんだろう。どうせなら生前に知っておきたかった話だ。
「とはいえ、ココではもう虫歯を気にしなくていいし、思い出の詰め合わせだ」
 彼は一度火を止めると、かき混ぜる手を止ませることなく、上からマシュマロとシナモンパウダーを軽く振りかける。そして冷め切らぬうちに暖かな色のついた湯気をだすそれを陶器のグラスに注いだ。
「お待ちかね、ホットミルクだ。さぁ、席について」
「はい」
 促されるがまま私は先ほどの席まで戻る。コトっと置かれたそれを両手を添えて口内に運ぶ。パチンとはじけるように、そののどかな甘さが体中を支配し、鼻孔からは確かな香りが今世を思い浮かぶ。飲み込み、胃に落ちたそれは確かな熱をもったまま安心と安らぎを与えた。
「おいしい、です」
「それはよかった」
「不思議です。正直、まだまだ不安でいっぱいのはずなのに、こんなところに来てしまったという思いがあるはずなのに、とっても落ち着く……」
「それも、この喫茶店の役目さ。大なり小なり、不安を抱えている人たちがやってくるこの場所。そもそも君は自分がその立場でないから気がついていないだろうが、本来であれば天国か地獄か決まる、人生の総決算を待っているんだ。全くドキドキしない、というのも無理があるだろう?」
「ドキドキするものが止まってここに来ているはずなんですけどね」
「き、キミは以外と率直な意見をぶつけるんだね」
 少したじろいだような笑いを浮かべながら引く彼をよそに、私はマシュマロも口に含む。暖かいミルクに包まれていたからか、舌に到達するやいなやシャボン玉がはじけるように溶けていき、甘さと引き替えにヌルりと喉の奥へと下がっていく。
 思わず黙々と飲み進めてしまう。まるで、今この瞬間だけは外の全ての空間から取り外されたように、落ち着いた笑みがこぼれていく。
「ごちそうさまでした」
「どうだった? 死後の一杯は?」
「私はまだ死にきれてないですが……とっても懐かしくて落ち着く、そんな味でした」
「そうか。さて、俺は、料理は洗い物を終えるまでが料理だと考える主義でね。案内人からは不必要だとは言われているのだが一応洗い物をしようと思うんだ。その間に考えておいてくれはしないか? ココに残り一緒に働くか否か。じゃあ、しつれ――――」
「働きますよ」
「えっ?」
 私が確かな微笑みを持って放つ言葉を、逆に彼は固まって受け取るしかなかったようで、目を白黒とさせていた。だから私はだめ押しのように言ってみせる。
「働きます」
「そんな即答を」
「どこにも行く当てがありませんし、ここにいればほかの誰かと会える可能性だってある。それは生前の私には難しかったことを可能にするということ。それに」
「それに?」
「嫌になったら勝手に逃げ出します。あなたも別に困りはしないでしょ?」
「はは、キミは、本当に意外とズケズケとものを言うタイプだ」
 苦笑いと、本当の笑いをごちゃ混ぜにしたような声を上げながら彼は私を笑い、そしてグラスを持ち上げて厨房へと消えていった。

試し読みはここまでです。

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