私たちの体には、体を構成する細胞の約3倍もの数の微生物が共生しています。特に腸内には、約4,500種類にも及ぶ多様な細菌が存在しています。これらの細菌の集まりは「腸内細菌叢(Microbiota)」と呼ばれています。腸内細菌叢は「第二のゲノム」と考えられており、私たちの体は自身の細胞だけでなく、これら共生細菌と協調しながら生命活動を営んでいます。つまり、私たちは細胞と共生細菌が一体となった「超個体」として、生体の恒常性(ホメオスタシス)を維持しているのです。
私たちの研究室では、細菌と宿主との関係性を解き明かし、健康維持や疾患予防につながる細菌学的な知見の創出を目指しています。
ピロリ菌感染者の中で胃がん発症者になる分子理由を提示する
胃がんは現在も世界で毎年72万人以上が死亡する疾患です。Helicobacter pylori(ピロリ菌)感染は胃がんの最も決定的なリスク因子であり、ピロリ菌が産生するCagA蛋白質は動物細胞をがん化させる細菌性がん蛋白質として知られ(Cell Host Microbe, 15:306-16, 2014)、胃がんの発症に強く関連しています。しかし実際には、ピロリ菌感染者の中でも胃がん発症者は3%程度であり(Nat. Rev. Gastroenterol. Hepatol., 15:458–460, 2018)、胃がん発症者はピロリ菌感染者の中で、何らかの理由で選択されていることになります。私たちのピロリ菌研究は「ピロリ菌感染者の中で胃がん発症者となってしまう理由を分子レベルで提示する」ことを目的としています。
これまでに私たちは、ピロリ菌感染胃粘膜でがん幹細胞マーカーCD44v9陽性細胞が発生すると胃がんの異時性再発率が有意に亢進することを明らかにしてきました。そして、ピロリ菌が産生するがん蛋白質CagAは宿主細胞内では通常オートファジーによって分解されるが、CAPZA1の過剰発現細胞ではLAMP1発現が阻害されたオートファジー不全細胞となりCagAが細胞内で蓄積・安定化することを見出しました。さらに、CagAが蓄積したCAPZA1の過剰発現細胞がCD44v9陽性幹細胞化することも見出いし、ピロリ菌感染胃粘膜でCAPZA1の過剰発現細胞が発生することが胃がん発症者としてセレクションされる第一段階であると考えています。
そこで今、私たちは以下の2点に注目した研究を展開しています。
①CAPZA1の過剰発現を誘導する胃内のシグナルは何か?
②CAZPA1過剰発現細胞の本来の役割は何か?
(参考論文)
Tsugawa H, Kato C, Mori H, Matsuzaki J, Kameyama K, Saya H, Hatakeyama M, Suematsu M, Suzuki H. Cancer stem-cell marker CD44v9-positive cells arise from Helicobacter pylori-infected CAPZA1-overexpressing cells. Cell. Mol. Gastroenterol. Hepatol., 8(3): 319-334, 2019.
Tsugawa H, Mori H, Matsuzaki J, Sato A, Saito Y, Imoto M, Suematsu M, Suzuki H. CAPZA1 determines the risk of gastric carcinogenesis by inhibiting Helicobcater pylori CagA-degraded autophagy. Autophagy, 15(2): 242-258, 2019.
Hirata K, Suzuki H, Imaeda H, Matsuzaki J, Tsugawa H, Nagano O, Asakura K, Saya H, Hibi T. CD44 variant 9 expression in primary early gastric cancer as a predictive marker for recurrence. Br. J. Cancer, 109(2):379-386, 2013.
Tsugawa H, Suzuki H, Saya H, Hatakeyama M, Hirayama T, Hirata K, Nagano O, Matsuzaki J, Hibi T. Reactive oxygen species-induced autophagic degradation of Helicobacter pylori CagA is specifically suppressed in cancer stem-like cells. Cell Host Microbe, 12(6):764-777, 2012.
腸内細菌叢内に潜む潜在的病原性菌の疾患への関りを分子レベルで解明する
老化は免疫システムの弱体化や機能不全を誘発し病原体と戦う能力を著しく低下させます。これにより高齢者はあらゆる感染症に罹患しやすくなり、時に生命危機に直結する重篤な感染症に陥る場合もあります。易感染状態を招く加齢性変容の根底にある分子メカニズムを理解することは、高齢者をあらゆる感染症から守り抜く技術の開発に貢献する極めて重要な研究課題です。
Klebsiella pneumoniae(肺炎桿菌)は、土壌、水、植物など自然界に加えて、ヒト腸管内にも生息する腸内共生細菌のひとつです。肺炎桿菌は、若齢健常者に対してはほとんど病原性を発揮することなく腸内細菌として共生していますが、高齢者を中心とした免疫力低下者には肺炎、肝膿瘍、尿路感染症など重篤な全身感染症を引き起こします。肺炎桿菌感染症のほとんどは腸管内に共生していた菌体に起因し、特に肝膿瘍は腸管内で共生していた菌体が直接肝臓に伝播することで発症すると考えられています。
これまでに私たちは、腸管粘膜マクロファージの肺炎桿菌の認識と肝臓への伝播を阻止する重要な機能を明らかにしてきました。そして今私たちは、感染局所に限定されることのない肺炎桿菌の全身性疾患への関りについてその分子機構の解明に取り組んでいます。
(参考論文)
Tsugawa H*, Tsubaki S, Tanaka R, Nashimoto S, Imai J, Matsuzaki J, Hozumi K. Macrophage-depleted young mice are beneficial in vivo models to assess the translocation of Klebsiella pneumonia from the gastrointestinal tract to the liver in the elderly. Microbes Infect., 26:105371, 2024.
Tanaka R, Imai J, Sugiyama E, Tsubaki S, Hozumi K, Tsugawa H*. Cyclic-di-AMP confers an invasive phenotype on Escherichia coli through elongation of flagellin filaments. Gut Pathogens, 16: 6, 2024.
Tsugawa H*, Ohki T, Tsubaki S, Tanaka R, Matsuzaki J, Suzuki H, Hozumi K. Gas6 ameliorates intestinal mucosal immunosenescence to prevent the translocation of a gut pathobiont, Klebsiella pneumoniae, to the liver. PLoS Pathogens, 19(6): e1011139, 2023.
Tanaka R, Imai J, Tsugawa H, Eap Bil K, Yazawa M, Kaneko M, Ohno M, Sugihara K, Kitamoto S, Nagao-Kitamoto H, Barnich N, Matsushima M, Suzuki T, Kagawa T, Nishizaki Y, Suzuki H, Kamada N, Hozumi K. Adherent-invasive E. coli – induced specific IgA limits pathobiont localization to the epithelial niche in the gut. Frontiers in Microbiology, 14: 1031997, 2023.
Tsugawa H, Kabe Y, Kanai A, Sugiura Y, Hida S, Taniguchi S, Takahashi T, Matsui H, Yasukawa Z, Itou H, Takubo K, Suzuki H, Honda K, Handa H, Suematsu M. Short-chain fatty acids bind to apoptosis-associated speck-like protein to activate inflammasome complex to prevent Salmonella infection. PLoS Biology, 18(9): e3000813, 2020.