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約60兆個の細胞からなる私たちの体には、約400種類100兆個の微生物が共生しています。共生微生物の約90%は腸内に存在し、腸内微生物は主として細菌によって構成されています。これら共生細菌の集団(細菌叢)は「Microbiome」または「Microbiota」と呼ばれ、私たちの健康状態(生体の恒常性維持)に密接に関係しています。ここでは消化管内共生細菌感染性病原細菌と宿主の相互作用システムを、分子・細胞・個体レベルで多角的に解析し、消化管内細菌バランスの崩壊が引き起こす疾患の発症メカニズムの解明に分子レベルで迫ろうとしています。

ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)感染による胃がん発症の分子機構を解明する

ピロリ菌は胃がんの決定的なリスク因子で。しかし近年、ピロリ菌除菌後でも胃がんを発症する症例やピロリ菌感染者でも胃がんを発症しない症例が明らかにされています。特に、ピロリ菌感染者の中でも胃がんを発症するヒトは約3%程度であり、胃がん発症者はピロリ菌感染者の中から何らかの理由(メカニズム)で選択されていると考えられています。私たちは、ピロリ菌感染者の中から胃がんを発症するヒトがどの様なメカニズムで選択されているのかを明らかにすることを目指しています。


がんモデルマウスを用いた研究から胃内に共生細菌存在する状態でピロリ菌感染させると胃がんを発症するが、胃内をピロリ菌だけにすると胃がんを発症しないことが報告されています。まり、胃がんの発症には、ピロリ菌に加えて何か特定の胃内共生細菌による特異的役割が要求されると考えられています


私たちはこれまでに、がん幹細胞マーカー分子CD44v9を発現する細胞の誕生は早期胃がんの内視鏡治療後の再発につながることを明らかにし(Br. J. Cancer, 109(2):379-386, 2013)、さらに、CD44v9陽性細胞内にはピロリ菌の産生するがんタンパク質CagAがAutophagyによる分解・排除を回避して特異的に安定化することを明らかにしました(Cell Host Microbe, 12(6):764-777, 2012)。これらの結果は、ピロリ菌感染胃粘膜で、CD44v9陽性細胞が発生することが胃発がんリスクを高めることを示しています。


さらに私たちは、「CD44v9陽性細胞は、アクチン重合の制御タンパク質CAPZA1の過剰発現細胞へ、ピロリ菌ががん蛋白質CagAを注入することで発生する」ことを明らかにしました(Autophagy,15(2):242-258,2019, Cell. Mol. Gastroenterol. Hepatol.,8(3): 319-334,2019)。ピロリ菌感染胃内で、CAPZA1の過剰発現が誘導される環境が胃発がんリスクを規定すると考えられます。 

腸内細菌叢を制御する仕組みとその破綻がもたらす疾患の発症メカニズムを解明する

腸管粘膜バリアは、ヒトの管腔側(生体外)と血液側(生体内)の界面に位置し、あらゆる細菌の生体内侵入を防御するため、粘液層、上皮細胞層、および常在免疫細胞により多元的なフロントラインバリアとして構成されています。そのため腸管粘膜バリアの脆弱化は、通常無害な細菌(日和見病原)に対しても生体内への侵入を許し全身性の重篤な感染症を発生させてしまいます。従って、加齢や基礎疾患に伴う易感染状態腸管粘膜バリアの脆弱化によっても誘発されると推察できます。


私たちは、腸内細菌が産生する短鎖脂肪酸が宿主の自然免疫活性を高めることを示し、腸管粘膜バリアには、粘液層、上皮細胞層、常在免疫細胞に加えて腸内細菌も参加していることを明らかにしました(PLoS Biology, 18(9): e3000813, 2020)。つまり、腸管粘膜バリアは、腸内細菌との密接なコミュニケーションの中で構成されていると言えます。さらに、我々は、腸管粘膜マクロファージがGas6分泌を介して、腸内細菌叢内の潜在的病原菌(Pathobiont)を認識し、その病原性を制御していることも明らかにしました(PLoS Pathogens, 19(6): e1011139, 2023)。 腸管粘膜は、菌対宿主の複雑な相互作用(Transkingdom Signaling) の中でそのバリア機能を維持し生体の恒常性維持に貢献しています。「なぜ、病原細菌は病気を引き起こすのか?」を理解し革新的な感染症予防治療法を開発するためには、腸管粘膜で生じている”Transkingdom Signals”を正しく理解する必要があります。


ここでは、加齢に伴いTranskingdom Signalはどの様に変化するか、そしてその結果、どの様な感染症に罹患し易くなるかを分子生物学的・細菌学的手法を駆使して明らかにしていきます。そしてその成果を基盤に、高齢者をあらゆる感染症から守り抜く技術の創出を目指します。

(1) Klebsiella pneumoniae(肺炎桿菌)の病原性発揮点の解析

  老化は免疫システムの弱体化や機能不全を誘発し病原体と戦う能力を低下させます。したがって高齢者はあらゆる病原体による感染症に罹患しやすく、時に肺炎など生命の危機に直結する重篤な感染症を呈する場合もあります。そこで、免疫力低下に直結する加齢性変容の根底にある分子メカニズムを理解することは、高齢者をあらゆる感染症から守り抜く技術の開発に向けて極めて重要です。Klebsiella pneumoniae(肺炎桿菌)は、土壌、水、植物など自然界に広く分布し、ヒトの腸管内にも生息する腸管内共生細菌の一つです。この菌は、若齢健常者に対しては、ほとんど病原性を発揮せず腸内細菌の一つとして共生していますが、免疫力が低下した高齢者を中心に肺炎、肝膿瘍、尿路感染症など重篤な全身感染症を引き起こします。肺炎桿菌感染症のほとんどは腸管内に共生していた菌体に起因するため院内感染にも特段の注意を要します。また、肺炎桿菌による肝膿瘍は腸管内で共生状態にある菌が血中を介して肝臓に伝播することで発症するとも考えられています。しかし、肺炎桿菌が若齢健常者には病原性を示さず高齢者を主たる感染対象とする理由、つまり、肺炎桿菌の病原性発現に直結するヒト免疫力の加齢性変容の本態は不明のままでした。 

  我々は腸管粘膜マクロファージが肺炎桿菌を認識するとGrowth arrest-specific 6 (Gas6) を分泌し、分泌されたGas6は腸管上皮細胞表層のGas6受容体であるAxl tyrosine kinase receptor(Axl)に結合しGas6/Axlシグナルを惹起することを明らかとしました。この結合により開始される腸管上皮細胞でのGas6/Axlシグナルが、上皮細胞間のタイトジャンクション蛋白質(ZO-1及びoccludin)発現を顕著に亢進させることで腸管上皮バリア能を高めることで肺炎桿菌の侵入を抑制します。一方、加齢に伴いGas6分泌に寄与する腸管粘膜マクロファージの相対的存在量が低下するため、老齢マウスでは肺炎桿菌存在下でのGas6分泌が低下し肺炎桿菌が容易に腸管粘膜フロントラインバリアを突破し肝臓へ伝播していくことを明らかにしています。高齢者へのGas6補充が腸管粘膜バリアを高め、肺炎桿菌の全身感染を予防する手段となり得ると考えられます。 

研究発表】 高齢者を中心に重篤な感染症を引き起こす「肺炎桿菌」に対する宿主の感染防御機構を解明 ~高齢者の細菌感染症予防法開発に向けて新しい洞察と期待~