ごあいさつ
ごあいさつ
ご来訪、有難う御座います。ここ「瞳と視線」より心からお礼申し上げます。
上表題写真、アオバズクの眼の意味は、「Ninox japonica」の学名を持つ鳥で、「日本の」「瞳は心」「視線は未来思考」と言う意味と思いを込めて命名しました。
ブログタイトル「瞳と視線」の内容は、日本人として、世界と日本社会の日々の事変や革変について思う処をメモ的の文量で公表しようと言う個人発信、発言と記録の場としても受けました。よる年波で、記憶力も落ち、熱の上がった思いも、日が過ぎてしまえば、直ぐに忘却のカスミと化す情けない頭脳になりました。物言う分野は広範囲であり、認識の不足のままの物言いも有ろうかと自信なく恐々の物言いの程度にして、でも、そう言う資格の低さでも、先ずは物言いが大事。たじろぐ言葉は「素人は黙って、玄人に従え」でしたが、今時代はAI時代です。情報は誰にも平等に取れる時代。それと知識を詰め込み過ぎると知識に拘束されて、発想力が落ちてAI以上の発想が出来なくなる恐れもある。知識の深さが劣る素人考察で有りながらも、だからこその発想力に期待も持てる。この観点から素人でも物言いが出来る、モデル作りにもなろうかと思う。
「スタート」&「プログレ」しつつ、世の推移、変遷へシンクロを目指したいと思っています。調査と認識の足り無い物言いも有ろうとは、思いますが、でもこれが一般市民の感覚で、一般市民は与えられるものとの感覚ですが、その多くの中から、日本人の「瞳と視線」から真偽選択し未来に向けて奥の名か情報を数多い中から選択し、研ぎすまして行く事がこれからの課題。間違いは、即、改変できないとSNS時代に大きな遅れになる。訪れた皆様方には、SNSグロース・その様な「場処」にもなれば幸いです。AI時代と言うけれど、世界では、誠実な国と国民が居て、息をするように嘘を言うコックと国民が居ある。この中でAIの普及って信頼でき得るか?今までも、様々な時代で欠如して来たもの「民意」。他人任せでは、再び「民意無視」の状況になり得てしまう。幸いにネット時代は、世界の一人一人の声が届けられる時代。この声もAIに拾われるようにしないと、「民意はアイマスク、耳栓・・命令時代になってしまう」AIは前進にも後退にも利用されてしまうから、庶民は、いつも「意」を表さないといけない。その為の新たなスタート。庶民は情報の末端民とも言える。意欲だけで何が成せるか?ただ今、意欲が高騰した理由は、政治もマスコミも有知識者も誠を変える現実が熱量と言える。つまり未だ情報に難民でない以上は、真実判定が「刃」になる。もっと具体的に辛辣に言えば、「嘘を真刃で切る」だ。情報端末民と言う民だから、間違いも起こすだろうが、その場合も謝罪をばねに力にして行く。そして、本当に民主主義の庶民になる為に引かない事を貫いて行く。
もう一つ前提を書き記します。専門性を持たない素人でも、行政や国の姿勢に「物申す」事の出来る事の記例と共に、年齢が若くても忌憚なき声を伝える目的を果たす為、記し方を中学生でも理解できるように難解な言葉を使わないように心掛けて行く事、ここに承服を願いたいと思います。ただ感化する意図は無いので「史実と筋論」で受読して頂くと幸いです。
静かな刻に・喧騒生活で空いた穴を埋めよう!
令和7 25年12月08日
ヘッドライン *SNS隆盛で、日本感覚的に不合致な品なきCMが
日本人が一番嫌いなものと人とは?「嘘と嘘つき」だから戦略以外の騙し以外は、身の毛立つ程の大嫌い民族なのである。建国以来、嘘無しで貫ぬく事を道筋に立国、発展して来た、その結果が「日本人品位」なのである。だから嘘を生業にして崩壊防ぎに捏造で誤魔化し暴力で脅す、国と民とは「気も合わず、肌も合わず、話も合わず、未来も合わない」何処の国とまで言う必要のないだろう?、ランキングで言えば、日本近隣に多く有ると言うのも皮肉だが、独裁のチンピラ統制国家がランキング上位、ランキングだから次につ図く続く国には西洋先進国も入って来る。でもその国はいわゆる民主主義発生国でもあるから、皮肉と言うのか?ご都合建前主義と言うのか?言葉も無い訳で、その後の民主主義も言葉遊びに翻弄されるばかり。 かつては日本人は「本音と建前が違う」等と世界に類伏されて迷惑したが、本当は、彼等が本音を隠して民主を汚して来ていた訳だ。その表れが、賄賂汚職の量と質。日本にも有るが、これも厳密に言うと明治の民主議会が始まっての事。これ以前は、「発覚後は切腹と家系断絶」この厳しさで極少に抑えて来た、事を思えば、日本こそ民主主義ランキング上位と言えるかも、だ。けど日本も健全か?の問いには?「オオカミ少年が増えて来た」(マスコミ等)に留めて置こうか? 好き嫌いは差別の原点かも知れないけど、嘘や、嘘つきを嫌うのも差別なのでしょうかね?自分は、善良の知恵と思っているんだが、差別と言う線引きだけ行って、後は放治も嘘に等しい事だ。 さて、今回は、せっかくのSNSと言う民主のアイテムが庶民の元に降りて、それを胸糞の悪い気分にさせるSNSのコマーシャルについて言いたい、と同時に、出来れば潰して置きたいと言う話だ。嫌なモノその1、迷惑メール その2、架空の研究と架空の開発者、画期的開発と唯一無二、大評判と言いながら、数に限りあり、日にちが限定、速く買わない人はおろか?返金も返品も可、研究の結果?と思いきや世界の山奥に有った成分?薬品か?サプリか?解からない? 大企業と共同研究?製品?「偉い人VS愚かな人」の差別感がプンプン臭うCM。昔々のタレントが推奨のTV夜中の通販、にも似たCM。これ、厳密に精査したなら、効果と根拠の不明からの購入誘いCMは、現在では商法違反の筈なのだが?堂々とこれでもか?これでもか?と次々と制作登場させてくる。こうなると「事態は、日本で営業している中国資本、韓国資本のCM制作会社を疑わざるを得ない。特徴的には廉価で口先三寸」言っちゃあなんだけど、メールの迷惑メールと同じ匂いがするし、誘い方だし、迷惑量だし、SNSのCMも粗製乱造で、一見は、朗報ぶって、親切ぶって、常識の外からの画期的を言い、これを知らない人は愚か者、買わない人は愚か者、本当は効果だけど今だけ値引き、これでも買わないものはもっと愚か、一流企業、一流大学、第一人者との共同開?・・・そんな訳ないだろうに?迷惑メールと同じ手法だ、と言うのは、「同じパターンを飽きても使う」考える元締めは、まあまあでもそれ以後の作り手、波及屋は考える力も無い馬鹿ばっか!こんなバカ汚れ流で日本の清心流を汚さないで貰いたい。騙す騙される嘘か?本当か?、よりこの言い方自体、不快でしょうがない。
令和7 25年11月27日
ヘッドライン *「中国圧力の損計算」オールドメディアの余裕なのか?
自分達は必死過ぎて気付いていないのだろうが、オールドメディアの次から次のアクションは、まるで中国チンピラ行動のコピーに見える。しかも次の行動が読めるから、もう、威嚇したって本物弱が見えていて壊れかけのオモチャの床御行動にしか見えない。「新しい捏造を持って来ては、SNSでバラされて、失墜も見事で哀れにさえなる。何故こうなったのだろう?、社会風の方向が変わったとかネタバレが通用しなくなった。こう言う根本も有るが、もっと言えば、「嘘をついて通用すると、噓つきは傲慢のさらに上を行く」、このレールに従うしか無く、気の弱さが脱輪させて出直す勇気を押さえて、レールにだけしがみついて食らい付いて離れられない哀れも感じる。そんな必死でも、会社にしても、上層幹部はまだまだ余裕が有るようで、まだまだ頼れる存在が有るのか?資金的に、地位的に助ける存在は、我らも早く見たい処である。まあ、一応は、「野垂れ死には聞こえてこないから資金的には安心が見えて従属、パシリをしているのだろう。」話を大きくすると文も長くなるので高市首相→台湾発言→対中国関係悪化? 悪化なんか何も無いのに、計算して捏造する。中国が減れば、他国が利益を持って来るだけで、中国迷惑が減って、観光信頼が上がる分だけ利益と言うもの。ヘンテコな計算を持って来るよね? そんな中国政府の日本観光禁止、の日本不利益計算を出すなんて、オールドマスメディアは余裕なのか?必死なのか?どちらなのでしょう? こうしたハイテク時代、IT時代、AI時代が世間に波立てて訪れて来て、それを報道して来ても、一番遅れて、身に付いていない人達も判明、それらもオールドメディア。日本の失われた30?でも国民は時代に合致成長して来たが、取り残されて、更にアホ化していたのは、オールドメディア関係者全員、と言って置こう。努力なしの金の成る木を持つと人間はいつでも浦島太郎に成れる。アホ化したと言ったけど、着いた能力も言って置くと「苛めと脅しと捏造と生き方の嘘」フッと見据えれば、これも中国独裁そっくりだ。自身等は気付いていないだろうけど。ここまでの時代錯誤を食らったら、こんな中国離れで損計算するよりも、自分達の職存続の心配やラ、会社存続、自分達の処遇も損勘定して見ては?同だろう。テレビも新聞も無くなる、刊行誌も無くなる、拡大心配すれば、テレビ製造業、印刷業も、AV機器製造業も、オールドメディア関係者OOO人の失業も、こちらの方が数字がデカいのではなかろうか?まだ有った、下請け業者、芸能事務所、コマーシャル業。ざっと探してもこの量。金額にして?員数にして?株価、負債?もっと身近なスポンサー離れ?株主離れ?考えない神経は、やはりアホ化としか言いようがない。中国資本や韓国資本が救ってくれる?それはないだろう? 「ここまでの事が起これば、こう成る」経営者はもちろん従業員だって想像は付く、日本人なら特に簡単にね、判断素養を持っていますから。それでも命令遵守の人筋は中国独裁政府の親分、子分の日本のオールドマスメディア、契りが固いようで、行動がそっくりで恐れ入っているよ。それが時代進歩不要のオールドマスメディア等の余裕なのか?
令和7 25年11月17日
ヘッドライン *これから始まる、国内の「反日」分子の「魔女狩り」
この場合の「魔女とは、平和寄生虫」世界各地に存在するが、日本の場合は、日本スキル崩しの言わば「反日的平和寄生虫」と呼ぼうか?もちろん日本国体にとって非常な害虫では有るが、日本独自の歴史に育まれた「寛容」で対処されて来て、その寄生虫は随分と増やしてしまった令和の時代。元々は、古い資本論からの虫の卵が、日本の成長した身体を蝕みつつ共に増やしてしまう結果が今に有って、その今が撲滅のチャンス、魔女狩りのチャンス到来となった。先ほど寄生虫と比喩したけれども実際は寄生虫よりも、もっと悪質、だって人間の考えからの行動だから、虫よりも悪質は当然でしょうね。寄生虫だって、共に生きる心部分は持っている。反日の彼らの共通項「自分をさて置いて、自分たち以外には、不敬で攻撃する。この国に住みながら、感謝もしない、もっと言えば反省もしないし謝罪もしない。この共通港で生きて仲間意識も無い。自分達の気に入る国に移り住もうともしないし、自分の国を創ろうともしない。ひたすらの「繁栄搾取だけが趣味の分際で、何が正義?正義が通せないと被害者ぶり、して、人を悪と言う。悪徳の金に魂を売り、一般の善人の知恵を奪い取り、覇者気分になって、もっとの悪党に潰されて終る。ここは日本、足元の地面に感謝してから、悪党国へ移住せよ。早くしないと、魔女として狩られてしまうぞ。自分のした事を忘れれる特技は、悪党国でこそ発揮できる。さて何処の国でしょう? さてと話を戻して、、、日本の良さを食い潰す反日輩を平和寄生虫と呼ぶ事とする。と平和寄生虫の駆除はどのように為すか?高市早苗氏が総裁になったら、耐え忍んだ保守思考が醸し出す雰囲気的には、スパイ防止法の制定発布前夜のような雰囲気から魔女狩り的暴きが流行るだろう。、最大の魔女らはオールドメディに成るのだろうが、果たして聖女マドンナは、どれだけ残るのか?出来れば下克上で入れ替わって欲しいと願ってる。と言うのも、人の社会輩出、進出、出世コースにはこれらメディアの広報力の恩恵もあったからだ。その力を自分が自分の力で一人SNSで行う事は、非常な労力不効率で才能を削る思いでPRせねばならない。これ、一つの大損失だから、「代替えよ、早く現れて!」と心配している。しかも近未来的には、出版業者さえ時代的な低迷期で悲惨な状況、タレント排出の為のアイテムが現れる様に心配と期待が交差する。とは言えオールドメディアではその力が今も有るか?って言われると、既に放棄して受け売り広報、自分たち有利、利益の作り替えしかしていないけど。もう通用しない事も解らず浦の太郎を遣ってる。ある意味、自然消滅の期待種なのだが、あえて魔女に成って貰い狩られていただきたいと、思う。だって日本人は、嘘が嫌いなんだもん。嘘が魔女なんだもん。その魔は、日本の何を欠損させるか?命より大切な自己発展の礎、素直と正直と努力、これを欠損させて、嘘と、裏切りと、怠けの馬鹿化の企て、これだけで恐怖社会なのだから、魔女様は静かに消えて貰うべし!と。日本には「獅子身中の虫」の言葉も有るが、この言葉さえもったいない魔女。明確に「自由平等平和の寄生虫」が最も似つかわしい適語だ。寄生虫駆除には、個人それぞれの健康意識から健康害の知識を持つ事から、それは、健康情報と食材選択、衛生観念から始まり、駆除薬で達成した。反日もSNS情報から駆除の行程に乗るか?。
ヘッドライン *平和と戦争?対義語としてふさわしくない1
人間は根っから、勧善懲悪を生きるようDNAを持っていると思う。ドラマで扱われる勧善懲悪、善が有って悪がある。同時に人は素直も居れば狡賢い物も居る。これまで勧善懲悪自身この二つを渡って歩いて混乱を起こして治政社会を2500年経ても、未だどっちつかずの迷いから抜け切れていない。もし本当に地上平和を望むならば、この平和の対義語として「戦争」は妥当ではなくて違うレベルの語意である。平和党いのは、別の意味で「努力」です。戦争と言うのは、良くも悪くもストレス。平和と言う努力の無き事でも、また有っても変える手段としてストレスを包んで突進するもの。戦争と言う戦い中に意図はない。結果と感情と現象。先ほどの勧善懲悪のどの部分に配置されるのか?場所も見つからない。だが人間の生物も時として「戦争しないといけない」道を見付ける為に。つまり戦争で出来る事は、良き事も悪しき事も、壊す事。壊す必然の時が社会に来たら、「戦わされるのである」ある時は平和の構築のために。ある時は平和が腐った時に。社会と言う棲み家の為に、自分の居心地の為に。戦争も戦いも歴史と共にある。そして社会の邪悪とを切り取って来た戦争の歴史に進歩を見るとするなら、後退が敵になる。邪悪になる。その意味で未だ一言で示し切れない歴史の浅さは有る、けれども直近の改革、個の利、個の弾圧、欲のツッパリから解放されたばかりだから、これらの容認は歴史の逆行の筈。これらを現平和の破壊者と名付け、破壊の邪心と言い、欲の悪野望と指名しなければならない。そして平和の為と言うより歴史の逆行をさせない為に、進歩を守る為に「戦い」と言う手段を手に取る。求める内容は時代と共に、あるいは進歩内容で変わって来ると思う。結局、時代を前に進める為の戦い、嘘と真の戦い、正直と狡の戦い、この解決の暴力は用いないと言う、それも有る意味偽善。皆々並べ比較すれば、世に強欲が育ってしまったら破壊とい手段しかスタートラインは作れない。スタートラインと言うのは勧善懲悪だ。今時代の様な競争社会でなくても欲が育ったら積む手段が戦争だった。故に平和の対義語に相応しいのは破壊、になって来る。平和心 X 破壊心 平和民 X 破壊民 平和国家 X 破壊国家 この方が心に於いて解り易い。
令和7 25年11月16日
ヘッドライン *平和と戦争?対義語としてふさわしくない2
一体、何時の頃から、「戦争と平和」が対義語の成ったのだろう?気付いて見れば、かつて疑問も持たなかった「戦争と平和」も、1980年頃には、民主主義が対抗する社会主義が使う、民主主義攻撃か?民主主義の現実論理の柱に打たれる楔外しに使われて、「戦争と平和」感からは、魂抜きに使われて、心の保ちでも不穏な1石投じ、矛盾平和の煽りに使われる始末だ。世には「戦争意識を持つ人が、本当の平和主義者」と言う評価も、有りは有ったが、戦争と平和を対義語にした場合に、どうにも論破に分が薄い。更には、社会主義、独裁国家からの洗脳やら、体制、論理揺さぶりに善意の罪懺悔にまで利用されるとあらば、これを変えないといけない。 やはり第二戦後の暫くは、平和意識も高くて豊かな市民生活の中で過ごして、戦いに行け、と言われても、「違う解決法をを使え!」と思うのは人情と言うもの。まして自分の国の危機ならともかくも遠い他国ともなれば、同盟国にも命捧げるには命も有る分では足りない。何故もこの「戦争と言う言葉に心が動かないか?」人は解っているからだろう。戦争は、大事の手段、平和は小さい事の積重ね構築。この点でも対義語として不一致だ。戦争と言う言葉、平和の構築にも参加、破壊を止めるにも参加。その手段を使う事をタブーとしたら、対義語として、現在、一番、相応しいのは「破壊」になる。ただイメージ的には、「悪質さ」は特別感が薄いから低いのみ。これは机上で考える分では「悪質」は何時でも薄い訳で、現代の嘘を絡めた巧妙さを思えば、人の善意を、被害者を装いながら「悪だ、悪だ」を言い善意の内側を壊す事以上の「悪質」をこれ以上、蔓延らせる事は、善意破壊そのもので、平和破壊そのものでも有る。善意社会そのもので、あるはずの平和を、「差別」と不公平で切り裂き社会倫理が無い、言い方で囁くのは「悪魔のささやき」と言う。善意と言えども平和と言えども、完璧でも無ければ、未完欠陥の錯誤に付け込んで、挙句、壊して、自己顕示して利を得よう、と言う狡猾輩は、そもそもが、寄生虫部族だから、ハッキリとした論破で排除すべきも皆解ってはいる。出来ないのは、「善意」と言う「外され、から悪質の流れ」に痛みを覚えるのが善意だから。ここは、「善意を手玉に取る悪質、絶対許さず」を固めて、新たな倫理造り、この時代に成せ!と言う時代形而のように思う。逃げてはいけない事だとも言って置く。世には、平和、幸福を作り上げようとする人々、対して平和、人の幸福を壊して取って代わろうとする狡破壊者がいる、どの時代にもだ。この図式を「平和と戦争」の対比表現するのは、論点ずらしにも等しい。これを表現するに近いのは、「平和の発展と破壊の後退」が一番の、らしい表現になる。端的に、平和国家、平和主義者と破壊国家、破壊主義者、これなら子供にも良く解かる言葉に成る。戦争って、この二つの主義が精神的にも、武力を通しても戦う事と備えの事になる。もっと解るのは、平和を作るにも平和を守るにも戦争の果てに出来る事、これは破壊が有る以上、必然。ドラマでも漫画でもアニメでも、小説でも、映画でも、これで違和無く平素の素養として振れあう事が出来る。最後に、日本には「獅子身中の虫」の言葉も有るが、この言葉さえもったいない魔女。明確信に「自由平等平和の寄生虫」が最も似つかわしい適語だ。
令和7 25年11月15日
ヘッドライン *先駆と後進 先輩と後輩
立場の窮地が訪れると、人はやたらと攻撃性を目覚めさすもの。あの、今や差別の象徴となってしまったUSAの黒人差別も本格的には、ここから始まった。USAの南部は当時は農業地域でそこでの黒人は、労働者として貴重で、大切にされて、経営者と従業員、主人と使用人と言う様な、社会への入り込みは、奴隷でも大切にされた使用人家族のような関係で成り立っていた。ここには、差別は有っても経年ごとに改善して行く関係しか無かったが、USA北部では人口増加した黒人子孫が工場従業員から、弁護士、医師、教師と言ったエリート職業にまで進出して来た事から、これまでの白人職業だったものを奪い始めて、問答無用の黒人差別に変遷して来たと言う史実。南北戦争は北部の勝利で幕を閉じて、そこから高度発展へ向かう合衆国だが、事、黒人差別は北と南のどちらが理想的に解決で来たか?それは解る由も無いが、そこで解決出来ずに現代まで続いたとなれば、南に期待も傾倒する。今日の本題はそこではなくて、自分の立場を侵す事態と言うのは、単純に先輩後輩の関係性でも、結構な根深さで、現状形態を蝕む者で有るのだ。この未だ事前に対処できそうなものに、今の、SNS社会がある。このSNSは、社会の中で個々が意見を言えて、個が生きれる時代を作れる体制に期待が掛かるものだが、その歴史ももう20年にも成って動画時代に入ってからは、対抗馬がマスメディアが対象となって作る方も旧のマスメディア特にテレビの姿勢正しに意識が注がれて、今では旧の垢をを削ぎ取っている状況だ。これもある意味、先輩後輩関係と言えばそれに当たる。やはり、人間の本性を自覚しないと、高座に上がった時には、多くが「守って腐る」腐らない為に、腐らない人は、どの行動が出来るか?それは謝罪だ。「組織として高い地位につても、「間違いを侵したら謝罪」これが正しい人間の行動だ。誠心誠意の謝罪を先ず身に着けて高みに上る。スレが出来なくなる人間。昔も今も、この程度の覇権りが、大きく燃えて戦にも成っている事を解っておく必要がある。そして今回の先輩、後輩の覇権争いの勃発しそうなのが、まだまだ歴の浅いSNS社会の先輩、後輩への懸念だ。浅いと言っても、掲示板やらメル友ブームから数えて幾多の変遷を経て、動画時代で少しの落ち着きが出て、今は旧の情報メディア、新の個人発信との対峙の時代。この歴代の変遷を経験して来ると、先輩後輩の世界も目立って来る。こうして自分の意見を言う媒体に乗る事は、「自分が一番」の意識を持たないと言続けられない程の強さを持てないと居続けられない。最近チラホラ見る光景に、ネット界の先駆の先輩が、なんか新しさを持った後輩に苛めっぽく詰る発信者も眼にする。成行きとしての風景だとは思うのだけど、事は個人発信同士で、、つまり先輩風や大御所風は、このSNS界では、無しにして欲しくてこれを書く。悪口を並べれば、オールドメディアの組織体って、ほぼ社会主義独裁だと推測できる。一般の会社員とは違う、年々、組織馬鹿人に成って個の考えを言わなくなる。ゴマすり、狡はみだし人間ばかりに成る。おそらくは組織の中でも、誹謗中傷合戦やら苛め合戦を遣っている事だろう。もう、それぞれ各自の学歴も人格も有った物では無い。そこで地位を保って生きるには、深い考えは命取りだから。 SNSでも誹謗中傷は多いが、喧嘩で留まって魂の売りは未だ無いと、軽症程度と思っているから、オールトメディアと入れ替わる、今の機会で、SNS参加者自らが、ルールを作って健全化して壊れる事の無いように基礎地を均して行って欲しく願う。インターネットで活躍するにも、知らず知らずの内に、俺様傲慢になるのが常、良き傲慢を持てないと、力の不足に反映するのも事実。マスメディアと距離の有る身分でどうしてそう言い切るか?それは彼らの仕事、報道発信の指向性の無さで判断する、自分達の一貫性の無さをさて置いて尚も自分達の思い上がり秀逸自尊を持ち続ける事は、人格的変態としか思えない程、筋が無い。つまり厚顔無恥。これはマスメディアがそもそも持つ土壌にも有る。思い上がらないと続けられない土壌。だからこその初心回帰が必要とも思う訳だ。これ、実は、失敗経験者の警鐘と思ってくれたら有り難い。願いは、時代の新進SNSは自分で自浄できる世界に成って欲しいと言う事。
令和7 25年10月28日
ヘッドライン *陰謀論に嵌ると理念理想を失う。日本では
みんな大好き陰謀論、何やら書籍も有るようだが、本当に皆、好きだよね~?そこには、「他人の不幸は蜜の味」も有るだろうけれど、無手勝流の爽快感も含まれるだろうか?そんな大好き陰謀論も、実は大きな大きな副産が有る。それは、正しさを追求するために陰謀論の中に飛び込んで、陰謀吟味を成そうにも、その時点で、人間不信に自分の生き方までも疑心と信用の往復から飛び出せなくなる。当然に自分の望みだった、理念、理想の実現なんかを目指す余裕も無くなってしまう。そんな中で自分が彷徨い人化して、理想に向けても数取りに成ってしまって本末を失う。それでも「理想と理念を保てる人間が、出ては来るが、それは窮地を経て世が輩出して来る。これが有る意味の出の男社会が繰り返してきた歴史でもある訳だが、世が輩出してくれない時代が続きもする。 こうした性も無い、事態に陥った時、と言うのも歴史が有る以上、見えて承知の事実と規制に事実。 こう言う人の心が作る陰謀の成りに果て蟻地獄のようなトラップに回帰方法の一手として、ある方法を考えた国が有った。言わずと知れた「日本国」本国だ。日本と言う国は一言でいうなら「積み重ねの国」天皇の国家統制が2600年も続き、統制が変わらなかった事で「失敗も成功もより良くの意図を持って、その全部を積み重ねて来た国、積み重ねを発掘すれば、未来への道も迷いなく進む哲学を引き出す事が出来る。今回の日本治政額を考える時に、支配のいざこざの解決は「力」これは世界のどの国も経緯的に同じだ。だがその結果、荒れ果てた社会の解決のための最後の砦が、日本に用意されていた。端的にそれは「女、子供は天下国家(治政)に関わるんじゃない」の言葉に有る。幼い頃、この言葉は「未熟の指摘と女子供を守る為の道囲い」と思って来たが、この歳になって、どうも意味が違う気がして来ている。「男どもは力に集って陰謀の中で争い合って右往左往、浮沈を極めてながら生きる道を探る。一方で男どもはどんなに教養を積んでも「陰謀、疑心に毒されて、理想や理念を手放す」そうした時に指導を戻す良心に包まれた理想、理念を持つ者を世に遺して置く、それが「女、子供」、。母親の心が腐れば子供も腐る、その為に国家、治政から遠ざけて来た。日本女性は、能力が決して低くは無い、男どもと同等以上だ。男どもが陰謀治政で荒れ果ててしまった時に守るべきものとして、正視の理想理念を持ち、それを子供に繫ぐ、恨みつらみの荒れた心で世を荒れさせない砦とした、その意を持たせた「女、子供は天下国家(治政)に関わるな!」の教えに成って来た、そう解釈しるようになった。子供の考え「父よりも賢い母が、なぜ?天下国家(治政)を語ってはいけないのか?」の疑問。そこ答えは、勝手解釈の域だとはおもうが、「陰謀論に浸食されると理想、思念を失う」、この定義を強く思えば思う程、日本の家族関係の知恵構成もフッと現れて来るのだ。どんな時も国全体が陰謀論で汚れなかった事から、日本では、誠実、真摯が何時も値が張って居て、芸術や学問をも汚す事も無かった、それもこれも女性、子供が純粋を保ってきたお陰だ。 この見解が正しいとすると、その視線で現代民主主義化し、男女同権、同等の日本女性は、変わり果てたのか? いや、変わったとも言えるし、変わっていないとも言える。何故ならば、むしろ生き場を無くして浮遊して力を出せないでいるのは、日本男性に様に思えるからだ。確かに男どもは、群れたがり未だボス探しの傾向が強く、そこに立つ女性は、気遣いの対象で、でも男の発送から「眼鱗視線が語られる」今の処は、日本女性は、西洋かぶれに落ちる事もなさそうだし、何故?そうなのかは?日本女性は海外からの畏敬の念が、特に変わる必然が無い程の賞賛下に有るから時代変化に連変も、今の処は無用な程なのだ。ただ家庭持ちが遠くなりつつある今後は、少々の懸念は持ってしまうけれど、でも現代、男性よりも早く世界進出して、先駆を買ってる姿を見ると日本女性は、未だ純粋の鏡とも植える。褒めすぎかな?社会進出は白人系社会が先達してるけど、考えの特徴は良くも悪くも陰謀下の男性社会のそのもの、ただの多勢無勢の種を出ていないように思えてならない。心の色分けが感じない社会進出がヨーロッパ諸国。ただ立派も多く居て、日本にも西洋被り女性も多々いる。これから時代がどう分けて行くか?こればかりは図れない。 いみじくも今、日本憲政下で、初めての女性総理大臣が誕生した。その事実だけで、何やら陰謀塗れの憲政が洗われるかのように感受しているのは自分だけだろうか?しかも、この高市氏はこれまでの様な、派閥の後だけが無い人と聞くと、それだけで、多数決から離れた純粋さを期待せずにいられないし、当然に思いと考えを具現してくれるかのように神がかりまで期待を込めてしまう。それほどに陰謀論と言う蛇で絡まった時代を解きに舞い降りて来た浄化人と思えてしまうのも、ジャストなタイミングからかな? 日本女性の比喩を使ったついでに一言加えます。日本女性は支えられる存在のみ、ではなく「いざと言う時に世に出る時を図っている存在」。臥龍鳳雛と言えば大袈裟ですが、その覚悟を持って伏し、その時は表に立ち引率する存在で、もちろん日本男児は、表には出さないようにする努力人。これが日本男女の構図。現代は日に日に色薄くなりつつあるが、何時の世も、世の濁りを見て、純連を取り戻す時、浄化する時に現れる、のが女頭なのである。
令和7 25年10月24日
ヘッドライン *日本笑顔が遠くに成りにけり!
江戸庶民文化の中心は、もちろん庶民だし、この時代に庶民が創り出した芸事も多いし、相撲にしたって神事から、庶民に広まった事を思えば、生活の余裕と共に日本中に笑顔が一杯だった。それを作った江戸幕府と庶民の統制、この笑顔の量は世界的に見ても誇れるほどの立派な事だ。と、言うのもこの笑顔を含めて、喜怒哀楽と言うもの、一つ間違えば、争い事にまで上り詰めるデリケートなもの冗談にしても、比喩慰めにしても、激励にしても、お悔みにしても、TPOが有って言えばいいと言うものではなくて知的レベルや、価値感レベルが違った中では、使えない冗談、使えない比喩、、、有るのである。そんな中で出来上がった江戸庶民のエンターテーメントは日本人は誇るべき文化だと思う。この当たり前を馬鹿にせず聞いて欲しい。たかが笑いと言っても、「一人では笑えない」一人で笑えば馬鹿の称号。「笑い」にだって知的にも価値感的にも共有が要るのである。日本人の笑い一つ取っても、底に平等感も有れば、平衡レベルも持っているから笑えたのである。そして日本エンターも発展させて来た。片や世界はどうか?笑いと余裕は向上は貴族以上たちもの。中国に於いてエンターは、下位層を含めて「騙し」に使われて来て、近代は特に酷い。そして世界の波及させようともしている。ここで何を指摘したいか?を言えば、それは、世界を含めてでは有るが、笑顔が増えるか?では無くて、減る傾向の風波が来ていると言う事。「遠くに成りにける」は、弱者擁護の社会に変化して来てからである。社会の勢いとは?見えていなくて実は有ると言う幻のようで、かつて男社会だった頃は、女性は、常に男補佐側に居た。それは、俗に言う「働き手」と言う尊重からだ。いろんな勢力主役と言うのが有って、強い者が主役で、弱者は助演者、まるでドラマの様な配役が社会には有ったものだ。ドラマの秩序と同様に、役をこなす事で皆、平等で、人生も喜怒哀楽も協和もそこに有った。社会に更なる平等が進んで、行くのは時代の流れだけど、、でも此処からが迷境地に成った。主役を沢山作るものだから、役割が軽くて責任も軽くて、是正も改善も効かない。と全に人と人との繋がり糸も細くなって心の通じない世に代わってしまっている。(まだ途中かもだが}世のキャスティングは、その社会が人を選んで主役の座を作って、人々は座を目指した。これは「暗黙のルーチン」だった。まあ抽象的でピンとこないでしょうが、人種にしても、素養にしても、育ち方にしても、もっと言えば価値観に於いて「様々な種とレベルの昆同した社会では「冗談も無ければ、皮肉も言えない和ゴミも無ければ互いの笑顔も無いと言う事。そして今、世界のブローバル趨勢の世に於いて、犠牲に成っているのは笑顔やエンターです。気楽に物が言えない様は、「何でも言える仲」がドンドン崩れて、特に日本の様な単独民族が作って来た笑い、エンターは、ドンドン使えなくなっている。漫才も、落語も、ギャグ、コントも、ハラスメントだ、ヘイトだと吊るし上げられる。これで良い物なのか?日本ほど能力の均等が成っている国は無い。その証明は教育だ、素養だ、育て方、からも言えるけれど、要は言いたい事を言い合って、言い合うと言い過ぎ部分をどう?心で補うか?それが有って初めて笑える、「そう、俺を傷付けるなョ」と笑う。「鍛えないとネ」とまた笑う。ね~、今、TVコマーシャルだって笑いが無い。皆、何処かで、昭和笑いを懐かしく思ってる。気付いている人は、多いと思うけど、日本の笑いは日本特有でした。世界の多くは、その殆どが身分制度の過去を持っている為に、人の上下比較からの嘲笑い、が圧倒的に多い。裕福だとか?成りあがっただけだとか?もっと絶望的なのは、貧乏を下見で笑う、低能力を下見で笑う、更には生活の低さを人間を下級として苛めて笑う。日本にも無い訳では無いが、有っても是正が効く状況で戒めて、笑いや笑顔を無くす事には至らなかった。笑顔が作れる社会とは?色んな笑いが生まれる事。それはある意味、人間が熟成しないと出来ない笑顔と新しい笑い。が」モノですよね?「笑い」です。その側面を見ると、笑顔を作れる事は、笑える人物になる事は、人としても包容力、その裏に潜む気遣い。気遣いが無いと笑顔も笑いも成り立たない。樋地が熟成するともっと高度な笑いを手にして結高菜笑いを掴む。反して今はどうだろう?「人を傷付けてはいけない」それは同意でも、小さな事に傷付く人、そのまま弱いままで良いのか?そのままの延長上を考えを伸ばすと、弱い人は殿様?で強い人は家来?一個の人間、切ってわれるほど単純では無い事も解かるが、では笑顔と笑いで関係を作って笑い合うか?弱い人、傷付く人と、強くて傷つける人、の隔離関係で人と人の関係が行く成って行くか? 私は、日本人の笑顔、笑いの参加にこそ、今、学びが含まれている事を言いたいし、お互いに成長しつつ解決する要素が含まれていると思う。ダメダメと隔離した関係造りでは、「弱く、傷つく人を装った人が得」になり、被害妄想だらけの社会に成ってしまう。その社会が何を生むか?それはここでは言わない。それに似た主義国が有るとだけ言って置く。
令和7 25年09月03日
ヘッドライン *日本人違反、日本人失格者 の増加*
令和も7年になって、日本にも「日本人ファースト」の言葉が発生して内々心で喜んでいる。数年も前から街で見た「自衛隊反対!憲法改正反対!反対!」市民団体とその後の「迷惑居座りやら、マナー」やらで、抱いた言葉が「てめ~ら日本人違反」日本人失格」の対抗言葉。なかなか対抗力ある言葉、だと自画自賛の気に入りでも有り、彼等の他人に対して正義、善意を言いながら、一つのマナーも守れない未熟か?横柄か?の人間資質に対して立派な対抗言葉として威力も有る。 そうこうしている内に、選挙で「日本人ファースト」が流行出し、誠意の無いつまりは偽善論、ただの自分勝手の正義に対抗できる時代に、この二つの言葉にも時代が来た!そんなタイムリーな「軽薄善意と正義に勝つ為のモード突入」ここで生かさなきゃあ、何処で生かす? さて、相手はどう言って来るか、その言葉、差別だ!時代逆行だ!と攻撃してくるだろう。確かに精度を切り詰めれば、排外でも有り差別要素みあるだろう。けど、もう「相手にしていられないと避けて礼節を守り品位を守る時期は過ぎ去った。グローバル時代に合わせるのが日本人か?違うでしょう。民主の法国家は、法を守る事で法の下の個人が守られる。つまり、法を守れない素養の無い者は民主主義国民では無い、資格すら持っていないと言う事。民主国国民の素養レベルはそれなりに高いから。(まあ、こんな偽善、偽正義、欺瞞を言う正体は、拝金主義者だけなんだけどネ)、 これだけ論理的を通しても。神聖な「善」に対して気高い「正義」を悪辣に汚して、「嫌がらせて勝てば良い」の材料にする偽善分子、偽正義分子の社会主義独裁の下僕たちは、言って来るだろう。排外主義、排他主義、理想破壊と。更にヒートアップも次の言葉を用意しておこう。筋論壊しの「地球人失格、人間違反」と。 ここでちょっとクールダウンして、何を基準にして「日本人違反、日本人失格と反転するか?」だが、それは今や日本人にとって道徳と言って良い程に、生まれたばかりの新生児の心にまで宿っているもの、心の底に敷かれているもの、それは「十七条の憲法」だ。この先、戦後憲法が改正されても、代わりの新憲法が制定されても、そんなものよりも、心の底の鏡に何時も写っている「十七条の憲法」。この違反者が、「日本人違反、日本人失格者」と言う訳だ。言い得て妙、では無くて、こんな輩の増えた訳は、民主主義ともう一つの自由経済の絡みで拝金主義者が増えた事と比例はするが、最も強力な拝金主義達は、言わずと知れたロシア、中国、イランの独裁国家。この配下の流れは、「すれ違いの偽善、偽正義などでは無くて、彼等の呼吸が「嘘呼吸」で決して直らない「呼吸するように嘘を言う」なのだから、反論も品位を保つようなべデートは通用しない事を知れ!とも言って置きたい。
令和7 25年10月08日
ヘッドライン *「嘘つきは政治家の始まり」は、今も昔も
子供の頃の話で、もう忘れたが、全ン日本国の流行言葉だったか?子供世界の流行語だったか?確か当時、総理大臣の「私は嘘は申しません」の最初は物まねだった。覚えだけど、それから、少し間を置いて、傍目には、真摯の評価だったこの言葉は、高度成長時代を懐かしむ言葉で使われ、そこからまた間を置いてから、今度は反対の「嘘つきは政治家の始まり」などの政治家の揶揄に使われ始めた。あの高度成長で、国が豊かになれて、出て来た言葉は真逆の「嘘をつかない政治家が、嘘つきが政治家」に成ってしまった訳だ。、、、これ以降と言うのは、どんなに政治家が信念真摯を貫こうが、悪口しか言われない職業に成った。全くの処、国のふくよかな財政を吸い取るのが役職、の政治家、の言われ様で有ったが、実際、豊かになってからは、政治家仕事に重目標が無くなってこの体たらく。実際多くの職を汚すような事件も多かった。、この様子を前にしても、「選挙では投票を!」と促して「一票は、国政参加の一票だ」「清き一票を我に!」でも一度汚れたものは、どう言葉で繕っても汚さは消えない。清くするにはどうするか?この頃と言うのは、我も、屁理屈盛りの、中、高生時代方んって「清き一票、誰にもやらぬ!」って冗談返ししていた。次いで「清き一票、投票しようにも清き人居らず」こう切り返して更な風潮は「政治は綺麗ごとでは済まない」の肯定きり返しを食らう。政治を知ると皆、悪になる?「清き一票は嘘?」にまで遡及する。このまま月日も経っても。昔も今も変わり映えしないが、今度は「本当に汚れて汚いと、今度はきれいに掃除がしたくなる」のが心理。 でも此処は、短編意見の場、だから先を急ぐと「我ら有権者を、有権放棄者のように下見をする、行政、政治家、メディア、そんなに我らは下見される体たらく者か?「違うでしょう?」「選挙で選ぼうにも、選ぶ人材ではない」「政治理念は立派でも経歴は立派でも、何も自分に有利な事は無い、百歩譲って社会の為に?選ぼうにも紐付き、後継ぎ人材ばかリ、投票したところで言う事はタダの台詞に過ぎない」「良い事?は、選挙の無い国よりも有った方が良い」だけ。庶民の声?と言っても、我らの声ではない。だって我らが望む人材がどれだけ待っても出でる事の無い候補者システム。先に「政党、その配下の候補者?人物は、心持つ人格さえ党では、消さないと党員にではない」総じて、投票に価する有言が無い、志ある人間も一年生から修行ともなれば、選べ!投票せよ!、空しくて空しくて有権者は溜ま乱のゼよ!改革を言うなら先ずこれを改革しせよ!この主張は、「、有権者を投票しないと揶揄する前に、政党利、政治家個人利が基本行動と見えている事の助長にしか見えない、欲のツッパリにしか見えない事の改善をしないと、(嘘つきは政治家の始まり)を拭えない。有権者は、「政治家が政党が、高額報酬を頂いて、尚且つ、もっと頂く権利が有る」現、与野党全議員にそんな雰囲気を有権者は感じ取っているのに、何時まで待っても、欲のツッパリは止めないのか?止められないのか?選挙を民主の基本と言うなら、改革の一番は、候補者じゃあないのか?昔「おらが先生と言われた代議士も、今じゃあ、困った時の便利屋で使いッパシリ」 何が言いたいか?って言うと、実は代議士全員ではなくて、その他大勢に入った代議士らのレベルが落ちっぱなしで、それが大勢化に進んでいる、底下げ状況と言う事、と成れば、候補者選びの「出たい人より出したい人」さえ叶わないと言う事だ。現実、庶民は口にはしないが、代議士を煽てりゃあ踊る普通人、としか認識していない。まだ続きが有って、この世間ズレした代議士が、以上にマスメディアを恐れ怖がる事によって、逆に対比を間違えて、勘違いで、自分の力を過信して、代議士と政治家の上身分と舞い上がり、思い上がったのが、現代のマスメディア達の仲良しこよし達」これら達の態度は特権貴族の振る舞いをするようになって来た、たかがカワラ版屋がだ。この驕りは。SNSでもう終焉した事にも気付かない独裁国家のチンピラ風情だ。思い返せば、第二戦前も政治行政が実力不足から、行き詰って、代わりに台頭して来たのは軍部だった。平成、令和に政治家代議士界隈の能力が落ちて、調子者で台頭して来たのがマスメディア。世は弱きが現れると成り上がり強きが現れるもの。まあ、現代は、真情報はSNSで確認できるから、これ以上の暴走には至らないと信じるけれども、、もっともっと政治家レベルを上げないと、マスコミに馬鹿にされ、省庁に馬鹿にされ、庶民レベルに馬鹿にされる、もっともっと人間力を上げて行かないと、ゴミ以下の生ごみで腐る。 腐るって言えば、ついでににもう一つ言って置こうか? 補助金と言う名の付くところに群がる代議士たちは、悉く腐る。補助金が無くなっても腐った文化として残る、これも大問題だ。
令和7 25年10月04日
ヘッドライン *至急セキュリティ
ん~、毎日、毎日、毎日、迷惑メールの仕分けと削除。SNS社会の危機なんて大袈裟を訴える子は無いけど、ただただ悔しい、買ったばかりの家が、白蟻が住み着いていた。そんな感じが今のSNSネットも少し前までは、安全便利のネットアイテムだったが、今は、毎日の毎日の仕分け削除の無駄作業。「誰か、この状態を何とかしてくれ~!」皆々思い願っている事だろう。そう言えば、今、捏造、偏向報道と悪名高い「オールドメディア」も昔は、今よりも信頼に足るものだった。隠され続けただけだったのかも知れないが、「知らぬが仏」のことわざ通り、知らない方が善人で居られた?かも知れない。民主主義は生善説で回る機構だと言うのは、子供の頃の教育で授与されたもので疑いはしないが、この社会で金を得た者達を眺めると、生悪者の持つ、嘘、捏造、裏切りなど使い熟した方が身が立って、経済も立つ。この狡さを使うも使わないも本人次第と言ったら次第なのだけれど、ここにはリスクが有る。その罪は償わないと戻れないと言う事だ。でもここに「逃げ得」を持って誘って来る輩も多くなった。多くは、社会主義の覇の手法と社会そのものが「薄で回っている」から平然、でその平然が、「罪に当たらず、逃げ切れ得が出来る」を暗示する。いずれにしても民主社会の敵の嘘、捏造、詐欺目的の多い事がSNS世界にも増加の増加だ。 日本人はその道徳観から嘘を嫌う。一方の社会主義、特に独裁者社会下は嘘で社会も周り口も周り、対応も回る。ロシアの嘘は、洗脳は一応にはエリート知識層をターゲットにするが、中国は、低知識層が得意ターゲット。社会そのものが嘘と対策だから、拙僧が無い日常姿でもある。ロシアは、それでもバレないようにやる。中国はバレても嘘で返して無に返す。ところで世界の一般向けメール詐欺、ハニトラ、マネトラ、それら殆どが、中国発である事が言われるが、それは中国国内から解る。中国発の詐欺に一番に被害を出しているのは、中国人。根深さは世界一。発生数も世界一。被害者も世界一。何故に解る?言い回しが「起承転結パターン全部が一緒」損得、早い者勝ち、現状馬鹿、成功者が出るとカラスのように群かって食い尽くす。多勢無勢で対策が取り難い。このままメールが使われるとメールは使用不可迄、と限度無しで遣り尽くす。メールシステムはそれでも残らなきゃあ、いけないので、負けない程の対応策を作らないといけないのだが、民主の「纏まりの悪さ」そこをキチンと押さえているのも中国製だが、そうそう負けても居られないのだが、、、。この意味では、中国は、世界を制覇して、変えてきた存在と言えるが、我らには、分厚い騙しの警戒心を!しかしながら自分の国も国民も相も変わらず「騙し騙され」から抜け出せない。そりゃあ、騙した人間の数を武勇でにしたら、目指すは詐欺師。これ古くから華僑によって世界波及したが、影響を受けた国と、受けない国が有る。真っ先に影響を受けるのは、貧しかった国と心貧しい民の国。日本?昔の日本は富裕と幸せ感は違っていて、影響は受けなかった。民主で西洋文化がこういう賄賂文化を連れて来て、それが中国発、と思わずに現代では、日本も、思いっきり、どっぷりと、賄賂文化を吸収して、詐欺商法にも手を汚すようになってしまっている。グローバルで、世界各国から輸入されている感は有るが、元を質せば、政治家から庶民をも腐らせるこれは、中国ただ一国からだ。今日もまた盛んだ、SNSの中のCM、新アプリ、新薬、新製品の過大誇張CM。内容は「今だけ、早く買わないと損、二度と無い、古臭い物を選ぶは馬鹿、有名人が、これを選んで賢い人、損得ハッキリ、損を選ぶは馬鹿な人」この雰囲気が盛り込まれていたら、そのCMは中国制作だ。そう言えば、TVでもSNSでも、本当の意味で「クスッ」と笑え、涙も誘う日本製作はで出会えなくなってしまったなあ?有っても、殆どが、お笑い芸人の嫌味CMだけだ。昭和CMが懐かしい、のも懐かしいが、あの、人を疑わないで良い健話な世界、が、尚も懐かしい。
令和7 25年09月03日
ヘッドライン *人間社会で同情心は基幹、被害者ぶる輩は、
人間が社会を営む事が出来るのは慈しみ合う同情心。ルールを億万造っても同情心が無ければ、ルールを悪利用されるだけ。慈愛だ、公平だ、自由だと言っても同情心が人と人を結ぶ。だけれどもこの同情心を利用して自分の利、自分達の利を目論む輩が、多く生まれているのも事実と史実。同情心は社会において人と人を硬く結ぶ心とすれば蔑ろに壊そうとする者どもは、社会の悪鬼そのもの。で有り卑怯そのもの。それはいつも「被害者ぶる事で、人の同情心にまで疑念を持たせ内部崩壊させてくる。社会の悪鬼と言ったが悪鬼と言うより、人間として腐っていて、腐敗菌をバラ蒔く、心を破壊、社会を破壊する程の極悪だ。本来ならば、社会に居てはいけない寄生菌も、この現実社会では、「被害者です」と名乗り歩くから更の「腐敗神」と言って良い。この人種の発生は、真実の処、貧困の多さと富裕の少なさの、貧困格差から生まれる事も解っているから、ついつい同情心も働き「甘い処遇」をしてしまうが、これを使った時点で「腐敗した者は同情心を戻せない」、重く思った方が良い。もう、文化として残してしまった、中国や韓国はこれが生きる糧、ビジネスにも形どる。 今、民主を破壊しようと台頭して来て、正論ぶって主役に居るが、見誤りは民主の崩壊、善意の崩壊を招く。見破りは簡単だ、「実生活を見れば良い、強烈な富裕と威厳の志向と仲間作りが有る」 「輩たちは、悲惨な被害者に寄り添う事は、決してしない」
令和7 25年09月20日
ヘッドライン *この世界、正しい事も、正解も無い。
有るのは、「正しいらしい」、と「嘘と捏造が闇の如く深く有る」だけ。これは我が、哲学にしている一つだが、何故?「正しいも正解も無い」と言うか?と言えば、例えば歴史と言う過去、書籍に遺されようが、言い伝えがあろうが、真実は解からないと言う事。数学、物理のように法則発見で、かつ積み重ね学問になる分野も有るが、伝えられる史実は「また聞き情報」に過ぎず、正しいと信じるに値しない。大事な事は、我ら現代に生きる者達は、流動の中で生きて居て、平和感覚で見つめる歴史、物事の正しさ、戦時下の生死感覚で見つめる正しさ、違う筈だし、見つめられるとしても時代が下った誰かが記録と生きる時代と対比して遡及ストーリーの流れとを照合して理解したり、仮想してみたりし、結果現代と言う結論で「正しいらしい、正解らしい」を見付けるのが精一杯。正しさ、正解に、近いかも知れないまだ遠いかも知れない、この世界はこんな足元地盤の無い処に居て、正論ぶって突き進んでは改稿して、また歩む人間。人間は正しいとか正解を歩んで、この世を造った訳ではない。嘘に塗れ乍ら、この世と言う現実社会に生を宿す。現在は歴史の結果なのである。 その結果が自由やら平等やら権利公平社会までに辿りついた、とすれば、歴史上どの心で勝ち取って来たか?一つの判断式が歴史には含まれていると言う事。この点を論の発生とすれば、社会への物言いも、学者、研究者、いわゆる玄人、素人、均等に物を言う事が出来る免罪符と言えまいか?何処まで解明しようとも、「正しいらしい」「正解らしい」止まりなのだから、知ろうと言う事なんかに価値が無い、このような事は言えない筈なのだ。自信を持って言い、現在社会と整合しない時は「間違えました」で本来は、良い筈なのだ。正しい、正解と言う事も、思慮の構築で正解は未来人が不変に取り入れたものが、最も正しいらしい、正解らしいだ。そう思った方が、「正しい?」ではなくて「間違いが小さい」これを考え方にしている。有るのは、「不穏な正しさ、正解から生まれた、嘘と捏造の方が遥かに遥かに多くて、不穏な社会を造っている、とも言える」 けど、その中で「正しいらしい、と正解らしい」を選んで、現代社会が造られているとしたら、まだまだ未熟とは言え、この社会は、嘘や捏造に負けて居ない「人々の良心の結晶」善良の輝き」と評する事が出来る。 だから、何をすべきか?「正しいらしい、正解らしい」を追求して、良心、善良を磨き込むしかない。と思っている。逆の「これが正しい、これが正解」を声高に言う人間は、魂胆を探ると悪鬼でしかない。事、物書き人、言論人に近付こうとする人は、決め付けは、成さぬように、心掛けた方が良い。これで正しいは頭退くのか?正解は遠退くのか?いいえ、思考変遷が善良の正しさの世界に留まらせてくれる。まあ、こう思わないと進めない、が本音だけど。善良の中に居れる事。例え。間違い情報を食らって、一刻、逸脱しても戻れる事、喜びにしないとね。 AIが発達して来ても、所詮、人間が作ったもの、真偽不明をどう処理してくるのか?可害と、被虐で見解も異なる、またイデオロギーで国見解も違う。空極、統一出来たら、同じ価値観共有で平和、と言えるのだが?現在地は、未だ一歩二歩の途中に過ぎない。
令和7 25年09月10日
ヘッドライン *日本の若い才能、子供の才能が、今、世界へ飛翔
飛翔して行く姿も誇れるが、もっと前から、日本の音楽ファンの慧眼が世界の音楽を支えている、それに近い優秀性を言いたい。音楽なのに音楽関係者の慧眼が落ちてきた?。この話は、ポップスの話だが、昔の流行歌も青春歌謡もしっかりした作詞作曲家が時代も見極めてつつ、ソングの魅力を造って世に出してきた。もちろんエンターとして大きな金額も動いた事だし、でもその前に時代と歌謡のマッチングも慧眼の一つで、そこには今の人達の喜びが解らないと押し出せないものがあったと思う。つまり皆々真面目に楽曲づくりを果たして、GS時代、フォーク時代、ニューミュージック時代そこからは、音楽も時代を先駆ける難しい時代に成って来た。これは世界の風だ。そうなった時に何処の国が先駆けるか?それぞれの国の音楽ファンの持つ慧眼の優劣だと思って来た。そこに優秀性を保って来たのは、アメリカと言う国と日本だろう。先駆けるミュージシャンにファンが付いて行く国と行けない国、が出てしまって、没落分野も出してしまう始末。ソールロックなどは底支えがあるとはいえ、比較では下降一方だった。ミュージックエンターが変わったのは、楽曲だけでなくて、レコード、CD,ダウンロードと言うメディアの変遷も有るが、1曲1曲が浅い流行で稼ぎも小さくて金額を求める音楽企画をスタッフの質が落ちてしまった事が一番。純粋に音を楽しんではいないのだ、音を楽しんでいる人達が、ランキングに成っている。アメリカ、日本、、、、イギリス、、日本の音楽ファンは本当に優秀だと思う。芸術素が違う。アメリカで受けたら一流!が、今、日本のファイに師事されたら実力保証書付き、くらいの評価になる。今世界に飛び出しているミュージックタレントたちの力もファンが作ったものなら、世界行き、切符もファンが与えたものでは無いかと思っている。 私は常々、その国から才能人が次々と輩出する国が、実質、本当の、民主国家を営んでいると思っている訳だが、民主主義国家ならば、その自由の教養と慧眼で上へ押し上げれなければ、嘘の民主主義国と思ってる。だって民主って自分達が表立って活躍する訳で、代議士選挙も自分たちから出でる訳で、その中で人物を選ぶと言う慧眼が、民主市民の資格と言って良いくらいだ。で、無ければ民主選挙が成り立たない。我々は全てを時代の推移に合わせて慧眼を進化させて「民主市民」それが嫌なら社会主義独裁国に行くべき。今の話は、小さなスケールのポップスの話だが、慧眼の意味は、これは何もポップスだけではなくて、クラシックでもその他の芸術でもスポーツでも学術でも治政でもスポーツでもそうだ。そうは言っても国が金を注ぎ込んで人材輩出も出来るが、縛られた人間は低能で、世に影響を与えて、世を動かす人材には成らない。これ一つを見ても日本は、立派な先進の民主国家を営んでいると言える。反日国、反日分子は「日本は遅れていると言うが、」反日らの足りない頭脳の愚かは、人物を見る慧眼より、金の輝きしか見え無い眼しか持っていない。口は、その為に働く速射ロボットマウスだ。
令和7 25年09月06日
ヘッドライン *ウクライナが戦争勝利で終えたら、工業先進国に*
ロシア侵攻戦争をウクライナは、勝利で終える可能性がを高くした現在。その戦争の仕方や戦略、物と物量、人間の配置や対応、何より圧に押されない精神力は、世界の過去の戦争でも特筆されるほど、と思う。ウクライナと言う国は、弱小、弱小と言われるけど、また、旧ソ連の属国として下げた見られ方をしているけれど、旧ソ連連邦の中では、工場として、加工技術を背景に高度工業生産を受け持って来た国である。なのに、なぜか?評価の低い差別的評価しかされてこなかった。この事は、今になって解る事として、モノづくり精神の中で必要な謙虚な心根で、低い評価が解る。旧ソの様な腕力とハッタリ社会では、謙虚は負け組にしか思えないし、浅はかな眼では従順馬鹿の国にしか映らなかったのだろう。この点は、開国前の日本の評価にも似て、理屈を貫くもの造りでは、必要不可欠の資質であったものを、見逃してきた世界。改めて旧ソで行って来た製造物を見て見ると原発、大型ジェットアントノフ、造船から、ミサイル、銃火器。旧ソの重要かつ高度な技術工業品を造って来た国であった訳で、ここに低評価はあり得ない。国民の力、頭脳の凄さ、今この戦争でまざまざと見せつけらるに至っては、侮っただけで戦争には負ける。そして今その結果が近づいて来ている。 侵略戦争に勝つとは?どう言う事か?これは守っただけですでに勝ち。だって力で勝っても、征服には成らないのだから。もっと西洋リアルな話は、仲介と言う漁夫の利を得ようとして曖昧結果の線引きが、これまでの歴史だが、このまま、ロシアが意地だけの無謀を続ければ、ロシアと言う国は、世紀末世界迄、落とされた浮上を図らないといけない。ある意味、こうした輩には手加減しない徹底敗北の方がロシア国のためかもしれない。 当然ウクライナは世界の評価と自国自尊が高まり高いプライドを持つようになる訳だが、そこに関しては、余りにおだてて搾取を目論む者と付き合わない事だけが注意点になろうかと思うが、その懸念は、この戦争で見せた技術と開発力の裏に見る国民の「素直さ、正直さ、実直さと助け合いの精神」による。これは、物量で敵わなくても頭脳で勝った、唯一の戦争になるかも知れない。それを実現した、ウクライナの人民と性格はこの勝利を呼び寄せた。これが出来た国は歴史上も稀だ。そして実現した工業頭脳、技術の資質は実に立派で気高い。一般に西洋人は力のみを頼って諦めが速い傾向を持つ。けれども、この戦争で見せて貰ったものは、かつての日ロの戦争よりも偉業と言える。それを造った工業頭脳、技術の尊厳は、ウクライナは農業国?いやいや、立派な工業立国になり得る。農業にしても工業、それらの技術は、人の正直さが無いと空回りする。素直な追求心だけが栄養素だから、この戦争が終わって落ち着いたなら、直ぐに西洋先進国、英、仏、伊、独を越えてしまう国になるだろう。課題が無くもないが、ただ技術進歩発展は先歩の述べたように正直が全て、しかもこれまで、アントノフや、空母艦を、現発迄設計施工している、こうした自信と自意識とで、技術発展は、ドイツを抜く勢いを見せるかも知れない。世界で高難度のジェットエンジン、大型タービンを造れる国は、独、英、米、日の4カ国のみ。戦争に勝った自信と勝てた理由を自分らの「正直さ」と理解したなら、一気に駆け上がって5カ国目になるかも知れない。技術畑に居られた人、学術の向上に携わった方なら解かると思うが、高度な工業技術の発展の裏は、その人々の真摯、探求、理念、嘘を嫌う正直さの結果と言える。ウクライナは基本正直人間の集まりなのだろう、その証明の戦時中の兵器開発、見せて貰ったコザック魂、嘘つきで、ポンコツ兵器の、ロシアを凌駕、独裁を粉砕せよ!
令和7 25年08月31日
ヘッドライン *慶長・キリシタン禁令 令和・媚中信仰禁令*
SNSが日本人ファーストから、「日本人違反・日本人違反」を、日毎に暴き出してくれて、政治の裏を知るにつけ、今までの不納得の理由が解った、と言う人が増えている状況。もうネットを人は手放さないだろう!。でも願わくば、SNSはこの時期に、誹謗中傷など悪質を自浄できるシステムと清廉潔白イズムの場所に、と大勢を造って行きたいもの。 例え、玉石混同のネットとは言え、所詮は、人間社会か?と、がっかりする。それは理知で優劣を付けてしまう社会感覚。私自身は、余り固定感を抱えないように知識を最低限にしか普段は取り入れないスタイルを取る。あらすじ概念で普段は結構とのスタイルを取っている。特に歴史の話と言うもの、何が正しいか?本来的に解るものでは有りません。伝えた所が、意図した捏造かもしれない?熱烈ファン心理でその人を記したかも知れない。自分の成長でも解釈は変わる。子供のころ信長和怖いと思い、この歳で今は優しいと思う。こんな事はいとまなく変化変遷するのが話であり記録書でも有る。では、どうやって真実を近くに呼ぶか?私の感覚では史実に近付く為に、資料知識を入れれば入れる程、自分に固定感が出来て迷宮で踊らされる。と言う考えで、史実、記録はそう、重要視はしない。あくまでも歴史が残した物、心から紐解こうと思って来た。日本人は「思いやり」。習慣付いた気持ちや行動は、折々に出てしまうもの。ん~歴史で何か例を挙げると、「島原の乱」。中国はもう直ぐ経済破綻でしょうから。反日思想も消失するとは思うけれども、、「令和 島原の乱」を避ける対策行動を早めに着手して置かないと。
令和7 25年08月30日
ヘッドライン *「戦争と平和」反対語関係を改訂論*
トルストイの作品、「戦争と平和」のタイトルが、この時代、対義語として使われ対峙論戦にもテーマ的に登場させられる。けれども、これは、ただ有名知名度で用いられて、もっと言えば、言葉のゴロの良さで、今では一般化して来たに過ぎないのではないか?「平和と言う言葉は包み込むような大きな言葉で有り。理想の概念から求める現実に使われる。理想概念語とするなら、一方の「戦争と言う言葉は現実の土に生えた具体語で有り、名詞言葉である。言葉上でこの格差をの有る状況は使われ方にも、とても違和が有って、同じ土俵に上げても前進に繋がらないどころか、沼に嵌って足掻く姿っしか得られない、罪の深い対義語と思って来た。それと明確なところ、「戦争」を対義語にしてしまうと限定固有名詞っぽくてその人その人の立場や思いを分断しかしない事も問題だ。全部を言うと紙面積が足りな過ぎだから一つを言えば、「個人の戦争感覚」と「国過繁栄の立場の戦争感覚」は余りの解離に話を避けたくなる。もっと大事な、事の理(あや)は、平和と言う言葉の下支えは「争い」が有ると言う事。つまり、平和を造る、も「争い」の結果、平和が遠のく世界もまた、「争い」からだと言う事。この状態で何を言っても、時に名を借りたまやかししか結果が無いし、当然、平和と言う「大きくて広い理想などに近づける事も無い。結局、「平和と戦争」と言う言葉に遊ばれて来た、民主主義とも言える訳だ。「平和を創るにも力であれ心で有れ闘争の後だ」この念頭がズレると、偽善者の思うつぼで国も個も乗っ取られる。単に言葉では有るがこれを変えない事には全員で平和に近づく、これさえ出来ないままになる。そしてこれが新民主主義の第一歩になる筈だ。もう80年から100年に近い歴史で、成し得たものは、近代技術による文化生活。社会では、これまでより増して、不調和、闘抗争がメガ大きな火種で存在している。さて平和の敗退後、研究されても来たようだが、未だ適当語が見つからないみたいだ。まあ、「平和」は確定語として、戦争に代えられる言葉「破壊」。自棄の心、破壊の利得心が平和を消す。悪しき蛇の力と武には対抗の刃を持たないと平和が消える。全ては利己の心が平和を消す。平和も一人一人を達観訓で覆う事が平和を維持する心になる。平たい認識を表せば、「国家は100年の体系と国民の安全、国民は、その日その日の安寧」そりゃあ、平和感も違うよね?
令和7 25年08月28日
ヘッドライン *筋が通る話は、小学生でも分かる話
このブログは筋論運営と言う事で、、 小学生低学年だって、アニメや、特殊撮影勇者ドラマを見ているから、そのセリフスタイルでさえも「良い者・悪者」を判断している。事実、拙者でさえ小2,3年生で辞書を片手に新聞を読んで、「変?」とは良く出会って来た。その「変?や違うんでは無いか?」を言えるだけの知識が無いだけで、でも判断的には着けている。子供がそれでも騙されやすいのは、それこそ「勧善懲悪の結末が、今、自分が育っている社会だと、信じたり信じたいからだ。子供は騙し易いと言っても、実社会では、大人、年寄りの方が多く騙さているのが本当の社会。我が子供の4年生時だって「民主主義や、個人主義や利己主義を日常に話して来た。子供の為の政治だとか社会だとか、反日プロパの自然環境、ヘイト、ジェノサイドの方々、子供とて、舐めてはいけません。皆、子供さえ解っています。声が大きいのが悪い人、減らず口数が多いのが悪い人。人の話を聞けないのが悪い人。ただ例外が居ます。貴方方のお子さん達は恐怖で従っています。小学高学年以上は、全マスメディアが中国や韓国の反日の手下って事は、解っている。ただ、やはり律義に証拠が無いから言わないだけ、中には天邪鬼の賛同子も居るだろうけど。その天邪鬼の成長大人が貴方たちですが。、
令和7 25年08月28日
ヘッドライン *失われた30年の「ロシア」
「失われた30年」はズーと言われ続けた日本経済の代名詞でした。そこから、漸く「抜けれたかな?の2020年代。落ち着いた平常心と均等な眼で世界を眺めれば、日本は「失った30年で、何を失ったのかな?今となっては、日本経済の物価を押さえ込んで、不況トンネルを向かえ打つ実績づくり、を果たした、大きな遣り遂げ実績。これにより、日本は産業構造を大きく変えずに、力を持つ続ける事が出来た。この事が、25年以降の世界経済下で主導権迄取れて主役的地位も摂れそうな勢いを持つに至った。片や他の先進国はどうか?皆々、失われた30年の間、自国の産業構造を大きく変えて、サプライヤーを失って、移民を増やして国力を落としていた。アメリカもヨーロッパも。中国に至っては、バブル経済との崩壊に直面。バブルの財産は。何一つ残せない奴貧民経済が直前に迫っている。結局の処、日本は失った20年に失ったものは然程も無くて、結果論で以外の国は、これから降遺産を払う事になりそうだ。一言、世界が失った30年の蟻地獄に嵌っている。今回、良いたき事は、全部が、30年間を総括してみて、一番の愚かな国に「ロシア」を上げて見解を申し上げたい。庶民感覚で高収入程、幸せ感充福になろうかと思うけども、国民庶民が豊かが過ぎると「国の100年」が心もとなくくなる。大和の政治は昔から、そこを微妙に潜って来た。一つの理由は、日本にはいつ起こるか解からない大災害が有ったからだ。西洋はどうか?農奴制度で国を保ってきた。フランス革命までは、だ。人類が民主主義を造ってからは発展と繁栄を叶えこれで旧強化?って言えば、送に有らずで、社会主義独裁と解れてしまって、冷戦を経て、決着がついたかに見えた。そう、その主人公がロシアだ。独裁者社会主義の行き着く先は、言う事とは真逆の農奴制度を更に色濃くする事。つまり時代逆行!。その機会が1988に来た訳だが、その3年後に日本のバブル経済の崩壊と言う経済難。日本、ロシアともほぼ同時に経済奈落に落ちたと言う事だ。今事実を世界覇なのも見て居ないし、日本界隈でコザかく叫ぶ反日連中こそも何も見ない。日本は経済大国を守りロシアは、88年が再出発で来たのに、また独裁を選んで、ウクライナに叩き潰されようとしている。何を言わんやである。日本は大国を維持しつつ、技術は世界を引っ張る技術大々国酷化した。一方のロシアは、破綻の上の破綻、同じ事を繰り返す事を「馬鹿」て子供も言う。負けても崩壊しても破綻しても、認めない頭は又おマジ轍を踏む。それほどまでに独裁と農奴を好むなら、もうこの世では遣らずに、あの世、仏教の閻魔大王の前で行ってくれ!犠牲が余りに大き過ぎだろうに!
令和7 25年08月28日
ヘッドライン *江戸の「士農工商」の意味合い
GHQが持ち出して来て拡散した。この「士農工商」前々時代の封建社会の身分制度として「象徴」的に使われて来たけど、こんな丁寧な言葉は世界には無い。そして、上から順番と言うなら、何より無い物がある「それは宗教(神)だ。身分だと言うなら日本だと「天皇が位置される筈が無い?」これは、身分制度ではない。GHQは戦勝国として統制する進国家を演出し威厳を保つ為に色々に劣に、利用できそうな事を穿っては利用して来た。正直、GHQ自身も自国への報告書と施行、各国への報告と施行、この大役を果たさんが為、、穿っても「疑問の方が膨らんだと思う。そうした事例は、この「士農工商」以外にも沢山ある。でも最終的に事を鎮静、落ち着かせる為、これらを使ってプロパもして来た。さて、「士農工商」に戻ろう。じっと見続けて拙者の考える処、これは、国家(当時、江戸初期)の、国家大切の順位であり、宣言に思えてきた。これ、天皇と幕府を除いて、第一に国と言うもの法の警備と防衛が大事と言う「武士の士」第二に国は、職の安定が大事の「農業」第3は国や民の進歩を伺える職工のもの造りからエンタメ迄、の職人芸の極みを見せる「工」最後4番目は、働きの報酬、幸せ競争、欲求を満たして自分達へご褒美をくれる「商」言葉で行ってみよう。安心して、、不足なく食べて、、自分らの成長を見て楽しめて、、自部の労働の証に欲しい物が買える鎖国日本を個の様の経済回転して行く、と言う事。立派な経済論だ。同時代に、このような経済の回し方をした国は世界に無かったのではないか?これを庶民文化の開花と言う。この言い方ででもおそらくは世界唯一の筈。更によくよく眺めれば、これは当時の稼ぎの少ない順でも有る。{武士は実は貧しい」農業漁業は、民への食を安価安定の為に敢えて収入を押さえ、「職工」は積み重ねた技術継承の為と技術保全の為に高額収入、日本の商いも他国の商いも基本、物欲、購入欲の本質から、そもそもが儲かってしまう性質の「商い」が竿後と言う訳だ。注目は「武士が本当に慎ましい収入で頑張ってくれて江戸幕府が続いたと言う事、それを解って武士を尊敬して大事に讃え、支えた庶民。その尊敬の表れか?百姓も職人も商人も、「丁髷と言う頭を成し、奥方の振る舞いを賢母とした。と言う事だろう。
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プロシード研究所 山岸 の趣味HP2です。
当初は、視力の維持と体力維持を目的に歩き、鳥たちの囀りからレンズを向けたのが始まり。毎日、鳥たちのフィールドに入り、歓迎されるように出会った写真も増えて参りましたので、ここに日誌ホームページとして発足した趣味、経緯です。
鳥の存在は、花と同様の「癒し」ですし、その土地の自然環境の良さ証明でもある。鳥の「生き生き」は町の「生き生き」住民の「生き生き」ご来訪の皆さまには、近くを通った際、鳥フィールドに立ち寄って頂けたら幸いに存じます。あのジュラ紀の恐竜のDNAを受け継いでいると言われる鳥類、鳥を観察して特徴的なのは「汚れた、汚い鳥が居ない事」「皆々、清潔で美しい事」・・ほんの少しでも、皆さまの御身多忙と眼の保養に成れば幸いです。
住所・新潟県上越市大潟区九戸浜492-12
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