ひたちなか市仏教会(19ケ寺・会員数24名)を多くの方々に、知って頂きたく事務局を中心として会員の皆さまの協力により、ホームページを立ち上げました。
ひたちなか市仏教会の事業としては、万霊供養灯籠流し、歳末助け合い、また常陸海浜広域斎場や民間斎場・墓地霊園の市当局へ改善願い等をしてきました。
歴代会長、会員の築いた歴史実績を重んじ、皆様の声を聞きながら事業を進めていきたいと思っております。ネットを通して仏縁を深める、良き機会となって頂きたく存じます。
2022(令和4)年7月25日
ひたちなか市仏教会会長
浄妙寺住職 那須 信彰
宗派を超えた組織として、戦前にはすでに「三濱佛教紹隆会」(大正元年・1912年設立)、「那珂佛教護国団」(大正8年・1919年設立)があり、それぞれ三浜地区、旧那珂郡の各宗派寺院が属していたという記録が残る。これらの組織は後述(補記)のように、免囚保護を目的とする組織であった。
戦後まもなく(昭和20年頃)那珂佛教護国団は「那珂郡佛教団」と改められたが、国による保護事業の制度化を受け、目的や役割が変化していき、また各地の市制施行・町村制移行にともない、各地域独自の団体に移行していくことになる。
那珂佛教護国団総会資料・免囚保護部規定(華蔵院所蔵・現在非公開)
1954年(昭和29年)3月、旧那珂湊市内の12ヶ寺によって「那珂湊市仏教会」が発足。
初代会長は榎本実範師(華蔵院)。歳末助け合い托鉢の中心となった。
1964年(昭和39年)6月13日、会則を定め、体制を整える。
<歴代会長>
榎本実範師(華蔵院) 昭和29年3月
檜山潤道師(専光寺) 昭和39年
牧田実榮師(華蔵院) 昭和44年
藤本恵性師(常教寺) 昭和51年
1994年(平成6年)、旧勝田市と旧那珂湊市が合併し「ひたちなか市」となったことにともない、旧勝田市内7ヶ寺の賛同を得て「ひたちなか市仏教会」として新たに発足。
発足総会は1995年(平成7年)4月28日、華蔵院で行われた。
初代会長は菊巒一哉師(聴法寺)。現在に続く組織を整えた。
<歴代会長>
菊巒一哉師(聴法寺)
宍戸荘一師(湊泉町・光明寺)
藤本博英師(常教寺)
枝川重樹師(浄光寺)
那須信彰師(浄妙寺・現職)
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現在のひたちなか市仏教会は、仏教精神に基づき、宗派を超えた連携の場として、灯ろう流しや募金活動を行うほか、他の地域団体や行政と協調し、地域福祉に貢献できるよう努めています。
発足総会 1995年4月28日 華蔵院
旧那珂湊市 全戦没者50回忌追悼法要 那珂湊市立体育館
現在の保護司活動が国の制度として確立したのは昭和24年(1949年)であり、昭和25年(1950年)には「保護司法」が制定されている。国の制度として成り立つより以前は、民間の篤志家や関係者の善意と努力によって進められたが、当地域におけるこれらの事業には、ひたちなか市仏教会寺院が深く関わっており、宗派を超えた組織作りにつながっていることから、歴史として記すもの。
<更生保護事業のはじまり>
日本における民間の更生保護事業は、明治21年(1888年)に金原明善、川村矯一郎らが静岡県知事の許可を得て「静岡県出獄人保護会社」を設立し、免囚保護事業を行ったことに始まるとされる。明治30年(1897年)、明治天皇の母崩御に伴う恩赦によって放免者が1万5000人にも及んだことから、全国的に機運が高まり、各地に更生保護事業が誕生していった。
茨城県では明治32年(1899年)に「茨城県保護会」が設立したとされる。
<大正時代の茨城県北の状況>
明治天皇の崩御に伴う恩赦令(大正元年・1912年)が発せられた際、全国的に仏教者による免囚保護活動が活発化した。県北地域では、大正元年に 河北三郡(那珂・久慈・多賀)の各宗僧侶が「佛教傳道会」を組織し、「河北免囚保護会」が発足した。
大正2年(1913年)には県内の免囚保護組織が22団体となり、統一を図るため「聯合保護会」が設立され、事務所が水戸市上市北三の丸に置かれたという。
<大正時代におけるひたちなか市地区の状況>
大正時代には「三濱佛教紹隆会(事務所:湊町・華蔵院)」、「那珂佛教慈善会(事務所:菅谷村・不動院)」の2団体が存在していたという。華蔵院所蔵の「茨城県出獄人保護団体一覧表」(非公開)によると、「三濱佛教紹隆会」の範囲は旧那珂湊市と旧勝田市の一部とされ、のちに「湊佛教保護会」に改められ、現在の「東保護区」を形成する基盤となった。「那珂佛教慈善会」は現東海村と旧勝田市の一部が範囲となっていたようだ。
三濱佛教紹隆会は大正元年10月に設立。三浜(阿字ヶ浦(前浜)から大洗海岸周辺の総称)地域の23ヶ寺で構成され、会長に安中純良師(華蔵院)が就き、大内浄法師(湊町・光明寺)と檜山一道師(専光寺)が主事として出獄者の保護にあたったという。なお、三濱佛教紹隆会と先述の那珂佛教護国団との関係は残念ながら不明であるが、まず三浜地区の組織として三濱佛教紹隆会が設立され、のちに各地で同様に発足した団体(那珂佛教慈善会等)の連合体が那珂佛教護国団(大正8年・1919年設立)であったのではないかと想像されるところである。
<昭和初期>
昭和13年(1938年)になると「司法保護委員会制度」が成立し、公的な活動が開始された。これを受けて茨城県では昭和14年(1939年)2月11日、茨城会館で182名の保護司に司法大臣の辞令が伝達され、那珂郡では15名の司法保護委員に辞令交付された。このうち少なくとも菊巒庸師(聴法寺)と櫻井広闡師(専照寺)がこの任を受けた記録が残る。
「茨城県更生保護事業点描」(茨城県保護司会連合会編纂)にはこの時期の状況について「那珂郡下司法保護委員は(中略)那珂佛教護国團と一体不可分の任務であるとなし(中略)同團に所属管理することとなり」と記されている。当地域における更生保護事業の母体となったのが上述の組織であったことが知られる。更生保護事業の草創期には、ひたちなか市仏教会寺院が大きな役割を担っていたといえるだろう。
これらの活動がやがて宗派を超えた組織(仏教会)作りにつながっていったと思われる。
こういった歴史を踏まえ、現在でも更生保護や矯正教育にあたる住職は多い。
ひたちなか市仏教会員で保護司を務める者は4名、教誨師(刑務所等の刑事施設で被収容者と接する活動)を務める者は3名(2022年現在)となっている。
(協力:東地区保護司会 水戸刑務所教誨師会)