祈年祭(きねんさい 3月)
「年」の一字には、「一年、二年」「年齢」という意味のほかに「禾(のぎ)のある穀物、特に稲。稲の稔」という意味があります。春の農耕始めにあたり、秋の豊穣を神々に祈る祭です。農耕が生活のすべてであった時代、稲が育ちその収穫を得るという一巡こそが日本人にとっての一年でありました。収穫が無ければ直ちに人々は飢え、治安は乱れ、国は治まりません。祈年祭は、すでに古代において国家の祭祀として行われていました。現代では、農業生産は勿論、工業、商業、あらゆる産業における生産、さまざまなかたちの稔りを祈る大祭として斎行されています。
例 祭(れいさい 9月)
一年に一度、氏子を挙げて神々の恵みに感謝するお祭りです。近年は9月第三日曜日を本祭、その前日を宵祭としています。神事や奉納演芸にかかわる主要な役目は、氏子の南割区、町1区・2区・3区、新田区、大田切区が年番制で担っています。姫宮神社の例祭は提灯祭(ちょうちんまつり)ともいわれ、氏子各区の掲げる提灯が境内を明々と照らすなか、大田切の獅子舞、浦安舞などが奉納されます。
浦安の舞は、昭和天皇がお詠みになられた御製(和歌)に曲と振りをつけたものです。各地の神社で奉奏されていますが、姫宮神社では主に年番地区から選出された女児が舞姫となり、平成18年頃から舞われています。
平成21年、子供たちには地元の神社でお参りをと、村内の保護者等が自ら企画し、姫宮神社にて合同の七五三詣でが行われました。翌22年からは宮田村氏子総代会が引継ぎ、姫宮神社を会場に「宮田村の七五三」として開催しています。チラシを配るなどしてPRに努め、約10年をかけて宮田の年中行事として定着しました。
新嘗祭(にいなめさい 11月)
収穫された新穀を神々に供えるお祭りで、豊穣を願う春先の祈年祭と一対と捉え大祭として斎行されます。11月下旬という時期は、新穀の時期としてはだいぶ遅いと感じます。しかし、これは農業技術の進化によるもの。つい数十年前まで、ハザ掛けした稲に初雪の積もることも稀ではなかったと。新しいお米を神々に供えて後に、人間も初めてこれを口にしたので、新嘗祭は新穀の解禁日とされてきました。また、旧暦では11月に太陽の力が一番衰える冬至を迎えました。冬至を境に太陽の力は復活してゆきますが、この時期に神さまから賜った新しいお米を口にすることで、我々の生命力も復活、再生するという願いも込められていました。地域で得られた収穫は、地域の神々のはたらきがあってこそ。祈年祭(きねんさい)同様、今は農業に限らず、全ての産業の稔りに感謝して、神々をもてなします。
二年参り(大晦日~元旦)
元旦0時を境にその前後に参拝し、行く年の御恵みに感謝し、来る年に願いを込める「二年参り(にねんまいり)」。実はこの言葉、長野県、新潟県では通じますが、他県では通じないようで、深夜のお参りも他県ではただ「初詣(はつもうで)」と呼んでいます。当地の二年参りでは、0時前、一年を過ごせたことに感謝しつつ、まずお礼参り(一度目)。0時を過ぎ、新年もどうぞよろしくお願いしますと再びお参り(二度目)をします。神さまへの「お願い」よりも「お礼」が先にくるあたり、人間どうしのつき合いにも通じるものがありそうです。姫宮神社では例年、甘酒や破魔矢、熊手などでを用意して参拝者を迎え入れています。