3.9.2025
あとの祭り
一週間ぶっ通し祭りで使った野菜のほとんどは、島本町の畑で取れたものであった。万願寺唐辛子、ナス、えごま、ニラ、玉ねぎ、にんにく、きゅうりなどなど、祭りも自給自足的になった。後朝祭も終わり、最後に、それも島本町で取れた紫蘇を2階のベランダにつるしておいてくれた。乾燥しきった紫蘇を今朝取り込んで、しばらくはへそでちゃでの「お茶でもしませんか?」の誘いかけは紫蘇茶になりそうだ。去年作った、赤紫蘇のシロップもまだあるけど、これも熟成されていて美味しいので、へそちゃに来た際は、今年の紫蘇茶か、去年の赤しそシロップか、どちらでもお好きな飲み方でいただけます。紫蘇やえごまの残渣は、へそでちゃのコンポストで分解するのは難しそうだから、富田の家に持ち帰り土のある所に漉き込んだ。これでまた時間が経てば、循環していくだろう。覆水盆に返る。
26.8.2025
働かない前夜祭
それぞれにもできていないことは山ほどあると思うが、やらなければと責めたり、できていることを羨ましがったり、できないと開き直ったりすることなく、できないことをできないままに交流することはむずかしいことだけど、大事なことだ。祭り前夜にして、、、
25.8.2025
扇風機2台の修理をしたが、1台は故障の理由もわからず、再び動き出すことはなかった。「安物買いの銭失い」とは云うが、扇風機の場合そんなこともなかった。安物の方が構造が簡単なので修理しやすかった。メンテナンスやリペアができない物を使うのは考えもんだけど、気づけばそんな物たちに暮らしは包囲されてしまっている。
21.10.24
五太(ゴン)と通茶、短い時間だったが、訪れる人はなく、かかってきた電話の要件を一つこなすだけの、時間を過ごした。やらなければならないことをやるともなしに、本を整理する気にもなれず、のんびりするというより、間延びした感じ。季節の変わり目だからか、身体が重く感じるのは私だけか。というか、秋はどこへいった、今は秋か?今日も蚊に刺された。能登ではアブに刺されて、手首が倍くらいに腫れあがった。あまり痛くも痒くもなかったのだけど、それを見てずいぶんと心配してくれた女の子がいて、大丈夫だよって応えていたのだけど、過度に心配してもらうことなのか、そういうやり取りが懐かしく感じた。普段は彼女がお母さんに、そうやって心配してもらっているのだろうか。でも、そこが被災地なので、それ以上の意味もあるのかもしれない。というか、最近のすごく暑い日々には、蚊を見なくないですか?まじまじと見た、蚊の動きの遅さで、秋を感じた。
13.9.24
昨日の夜遅く珠洲市の三崎公民館に着いて、朝起きて散歩する。海の近く。ツクツクボウシとコオロギが鳴いている。暑いというか湿度が高い。気温は大阪よりも低いが、こちらのほうが行き場のない暑さを感じる。能登は遠い。大阪から金沢まで車で3時間、金沢から能登まで車で3時間。阪神・淡路大震災のとき、電車で30分ほどの大阪でも神戸とは別世界のように感じたが、同じ石川県でも車で3時間も来た能登は、金沢とは全く別の世界になる。まずこの距離感があまり伝わっていない。石川県や加賀ではなく、今回は主には能登が被災している。今の行政区分で支援など考えるのに無理がある。
今日は寺家の祭り、須須神社でポテトフライの準備をしたり、三崎公民館で行うこども食堂のご飯の準備をしたりする予定。
5.9.24
昨日は通茶せず、左の展示場へ行ってきた。かつて「人」を展示した「人類館」の背景や、関連資料などをカウンター展示する興味深い催しだった。博覧会、復興、殖産、衛星、クリアランス、人権という言葉を、植民国の日本がどのように利用したかも分かる。まあ、あまり今と変わらないのところでもあるけど。
中でも1904年大阪の第五回内国勧業博覧会のことが今回のメイン展示である。20年後東京の人口を超えて大大阪と呼ばれるようになる500万人くらいが訪れた博覧会に、人類館はあった。120年後、都構想に粘着しながら、似たような万博を企てている今の大阪の姿を、「未来館」として当時の博覧会に展示できたら、たぶん信じる人は一人もいないだろうな。
31.8.24
老いについて:あまり言いたくはないけど、じゃあ言うなって話だし、そういうことって言わないでおくことの方が賢明だったりするわけだけど、懸命かもしれなくても賢明には生きてはいないし、それで言いたいことってあるよねって、でもなければこんな日誌なんて書かないわけで、いや何の話しかと思えば、老いについて。私は、まあ認めると老いが始まっているのだけど、体力が落ちたり老眼になったり朝が早くなったり痛いところが増えたり、いろいろと今までの身体とは違ってきている。そういうことを、どこかに記録しておきたいのだけど、個人的な日記に書いて墓まで持ち込む事でもなければ、友達との与太話しくらいなものなんだけど、もう少し広めに共感してもらえるかなとは思って。なら、早く本題を書けよって話しだけど。そう、昔子どもの頃、夏休みの日誌を書かなくてはならなくて、書きたくもないから字数を稼がなくてはならんのだけど、だからこういった前置きを長くして、字数を稼ぐようなことをやっていたなあと。こんなことを書いていたら字数が増えてしまいました。というようなことを書く。というようなことを書いてしまった。とか書いて内容はなくどんどん字数が増えていく。でも今は字数なんて稼がなくてもいいのに、むしろ最近は新聞の編集なんてやっていたら、どれだけ文字数を削るかってことをやっているもするわけで、でもいいよね。こうやってなんぼでも書けるの。解放されるわ。読む方はたまったもんではないか。で、なんだっけこんなメタ話しではなくて、そう老いについて。何回言うねん、そう老いについて。もうええわ。老いてないな、私。いやこういうのをボケというのか。ベタ話し。
最近、もう3か月以上も前になるのですが、骨折をしたのです私。骨折をしたこと自体も、骨や筋肉が弱くなっていたり、運動神経が衰えていたりと老いにも直接関係すると思うけど、今回つくづく思ったのは、老いってそういうことじゃなかったんだと。簡単に言うと、まだ老いに差しかかってもいない若いときは、骨折もするけど骨折をした時が身体的な危機のピークであって、そこから徐々に回復していく経過が一般的には描ける。だけど、老いるとそうはならなくて、骨折なんかケガをして一つが悪くなることで、できないことが増えたりそのことで身体のバランスが悪くなって、普段悪いところが表に出てきたりして、そこからもっと身体が悪くなる。けがをしたのが始まりで、そこからどんどん身体に異変が生じる。一か所を骨折しただけで、身体のすべてのメンテナンスをしなくてはならなかったり、治している間だけではなく不可逆的に生活を変えたりする必要もでてくる。そういうことが老いなんだってことに気づかなかった。まあでも、そういうのを若いときの自分に説明しようと思っても、まあ難しいと思う。でもまあ、大丈夫、今のところは、しっかりと老いているから、まだ何段階かはあると思うし、骨折はおかげさまで治りました:へそなし草田男
30.8.24
平昼問題:目前に迫る台風を尻目に、定期的に通茶(へそでちゃに通うことを)し始めた今日、スタートダッシュで3時間もの間、本の整理に勤しんで、活字に疲れた。一つの本を読むのでもなく、目的なくランダムに入ってくる言葉は、あっちゃこっちゃと脳が揺さぶられて、酔う。へそちゃに来たことのある人は分かるが、ここは通りに面していて一面がガラス張りの店舗で、外から中が良く見える。天井も高い。中にいたらあまり意識しないものだが、しばらく座ってボーと通りを眺めていると、檻の中にいる動物の気持ちが分かってくる。へそちゃの中に入らなくても外から、平昼に本棚の整理をする中年の男を今なら鑑賞できる。我ながら、なかなか珍しい生き物だと思うのだけど、観賞料でも取ろうかしら。まあ、誰も観たくはないのは、承知していますが。だけど、このことは実は私がこのような場所を開けようと思ったことに、とても深く関わっている。いわゆる平昼問題だ。仕事というか就職でもしていなければ、会社や学校などに所属がなければ、平日の昼間に行く場所がない。地球環境や節電のために、人が集まるところに涼みに行っても、店で金を払わなくてはいけなかったり、考えることは一緒で図書館なんかでは人も多くゆっくりと休める場でもない。考えることは一緒なのに、当たり前のように人々は会話もしない。だんだん居心地が悪くなるので、結局は部屋に引きこもるしかない。クーラーをつけて罪悪感だけが残る。中年の男なんかであれば、平昼に公園でのんびりすることもできない。近所の子に挨拶でもしようものなら、PTAの連絡網で不審者扱いされかねない。非常勤や夜勤など雇用形態も変わり、通信制や夜間など通学形態も変わったはずなのに、まだ平日の昼間は会社や学校のためにあるのだ。平昼からプラプラしていたり、酒など飲んでいようものなら、通報されるのも、そう遠い日ではない。もちろん法的には全く問題ないわけだが、なぜか怪しいのである。そういった存在が、不穏なのだ。都会へ行っても、皆がどこかへと目的に向かっていて、平昼はそこかしこに留まっているものもいない。ぶらぶらとブラウン運動をしているような輩もいないわけで、私たちはそれでいて生命体なのだろうか?と疑問に思うくらいもっと大きな生命体らしき人流がある。それでは直立したら逆らうことになる。流れから離れたところに溜まっていたら、変な目で見られる。もっと若い頃は、自意識過剰なのだと自らを諫めた。それで、留まったりぶらぶらしているのがおかしいのだと思わされた。世間の目というやつだ。次にはぶらぶらしている人がおかしいのではないことに気づくと、なぜ世間はぶらぶらしている人を容認できないのだと社会に不満を持つようになった。そして、自分が留まったりぶらぶらできるようになると、どうやったって居心地が悪いものだと諦める。それで、仕方がないからこういう場所を作った。さらには、留まったりぶらぶらするだけでなく、これを観てもらうことが大事なんだということに、今気づいたのだった:へそなし草田男
28.8.24
台風が近づいている。いや、近づくのが遅くなったことで、週末に予定されていた地域の祭りが、中止となった。もっと早く、もっと東寄りに上陸する予定だった。大量の赤紫蘇シロップを仕込んだところだ。まあ、一年熟成させれば今より美味しいものになるだろう。最近は、ちょこちょこ通っては大量に持ち込まれた本の整理をしている。先日、へそでちゃ自治会の寄合をやった。組織でもなく、会議で意思決定するのでもない、場はどのようにして可能か。へそなし草田男
19.8.24
へそでちゃオープンイベントをした後、へそでちゃを実質、閉めるような形で東京へ行ってきた。東京へ行くのは久しぶりで、小さなコミュニティーに宿泊させてもらい、5日間ほど他にも様々なコミュニティーをめぐり、交流ができた。行く先々で歓待をしてもらった。こういう形で、人が行き来して、今度は少しでも迎え入れることができる場を、こちらでも作っていくことに、希望が持てる。ソリダリティ。メキシコ、韓国、フランス、中国、ドイツ、スペイン、アメリカ、8月の祭りから数週間の異言語交流で何度か、登場した言葉である。今日から、少しずつ開けていこう。へそなし草田男
7.8.24
3日「大風呂敷」と題したへそちゃの夏祭り、風呂敷を広げることができたかはわからないが、たくさんの人が来てくれた。夜18時以降は歩道にも広がって、へちゃ空間は解放され、前日に導入されたクーラーも吹き飛んでしまうほどの、熱気に包まれた。
一人で考えることや、何事にも依らず考えていくことは、とても困難なことだと思っていたが、自分たちで考えていこうとする自治は、何が正しいとかそういうことではなく、そのムードは伝搬していくものだと、今回はつくづく思うところがあった。また、祭りをしよう。
4日カフェ放送「てれれ」の再開イベント。2003年からその活動が始まり、10年して活動は中止、その後また10年して再開した。
今まで、さまざまな場所でインデペンデント映像を放送する活動をしてきた。私は、中崎町「天人」から始まって、富田「カフェコモンズ」、滝畑「てれれ」などで、その活動に関わってきたので、その再開に立ち会えたことは嬉しかったし、今度は「へそでちゃ」でできたことも良かった。素晴らしく「てれれ」だなと思う作品たちで、集まりも楽しかった。映像とか編集とか、とてもデジタルなものを扱っているのに、このアナログ感。20年前から変わらないが、今の時代、より大事な活動だと思います。季節ごとに上映予定。
へそなし草田男