國學院大學神道文化学部 教授
ご専門:日本考古学・日本宗教史
日本文化の形成と宗教:
—文化進化論の視点からの再検討(試論)—
近年、ジョセフ・ヘンリックは、⽂化進化論の視点から、世界的に⾒て特異な⻄ヨーロッパの⼼理が形成された要因に、8・9世紀以来のキリスト教との密接な関係を指摘している。このような⼼理に基づく⽂化の形成と宗教との関係は、他の地域でも認められるのか。本講演では、東アジア、⽇本列島の古代の事例から検証し試論を提⽰したい。
⽇本列島では、律令制による古代国家が7世紀の末期に成⽴すると、世界宗教である仏教による国家鎮護の政策を進め、8世紀にかけて地⽅に郡単位の寺院や国分寺が建⽴され、仏教の拠点施設として機能した。千葉県北部では、考古資料から9世紀にかけて寺院間を結ぶ布教ネットワークが形成され、集落内まで仏教の個⼈信仰が浸透したことが判明している。個⼈単位の信仰は、⾎縁集団・⽒族を基盤とする5世紀以来の伝統的な古代集落にはなかったもので、その浸透は10世紀における古代集落が解体する要因の⼀つとなったと考えられる。
⼀⽅、⽇本列島では、9世紀後半から10世紀にかけて、旱魃と洪⽔が頻発する不安定な気候環境となり、河川周辺や海浜の環境が⼤きく変化し、11・12世紀には⽣産・交通インフラの再編成が進む。並⾏して⽇本列島は、北宋を核とした広域の交易圏に組み込まれ、10世紀から12世紀にかけて貨幣経済へと移⾏した。
以上のような10世紀を画期とする精神⾯・環境⾯の変化を受けで、⽇本の神々は世界宗教の仏教に組み込まれ、「国⾵⽂化」と呼ばれる⽇本⽂化の原形は形成されたのである。
ご講演に対するQ & A
ご講演に対して以下の2つの質問をいただきました。
ヘンリック自身は日本は明治期以降キリスト教が広まりWEIRDになったと言っていたのですが、確かにEIRDの部分での近代化は明治を転機に生じたかもしれませんが、Western部分、特に現在の日本でのキリスト教の受け入れについてはそうでもないように感じます。笹生先生の提示された仮説と、日本も明治期以後の欧州で8・9世紀に生じたことが起きてWEIRD化したというのは、両立するでしょうか」
ヘンリック本ではキリスト教が親族・血縁社会の価値観・世界観から普遍的合理的価値観への変換をもたらしたという主張だと思いますが、日本では先生のお話で、伝統的な氏族的神の信仰から世界宗教としての仏教が入り込んだというお話だったと思います。しかし同じ世界宗教といっても仏教に、キリスト教と同等な普遍的世界観をそれほど強く持っていなかったような気がします。時代は下って江戸の思想の中心である朱子学などは国家自体を家族とみなして一元的に捉える政治思想が支配的だったと思うのですが、日本の文化では合理的普遍的な世界観、価値観が、宗教によって変換したという歴史を経験していなかったのではないでしょうか
これに対して、笹生先生から回答をいただきましたので共有します。
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いただいた2つの御質問は、日本におけるWEIRD的変化は、明治時代の欧米化(キリスト教的な価値観も含めて)が直接の背景として想定されてきたが、それと、今回の私の発表とは、いかなる関係になるのかという点に集約できるかと理解しました。これに対して私の考えとしては、以下のように考えました。
まず、「罪」からの個人救済を明確に打ち出す仏教信仰が、民間レベルで浸透した結果、古代的な社会の基礎単位として機能してきた血縁集団を解体させ集団の流動化が起こり、9世紀以降、活発化していた東アジアの広域流通ネットワークに組み込まれたことが相乗効果となり、中世的な集団と市場・貨幣経済を基盤とする中世的な物流ネットワーク体制へと変化したと考えました。つまり、①個人救済信仰の浸透→②古代的な血縁集団社会の解体→③新たな社会集団(この典型例としては、古代日本の場合、商・工業でつながった11世紀以降の平安京の都市民が考えられます)の形成→④新たな社会集団を維持・拡大させる広域の物流・市場ネットワークの形成、という形で進んだのではないかと考えています。これは、①~④の要素が整えば、WEIRD的変化に近い状況が起きるという類型化ができないかと考えたわけです。
ここで重要なのは、個人救済が、どの程度、民間に浸透していたのかという問題で、古代の供献用の墨書土器では、多数見られるのは女性の個人名であり、現在の我々が想像する以上に、8・9世紀の古代社会においては個人救済信仰のインパクトは大きかったのではないかと推定しています。同時期の仏教布教テキストの『日本霊異記』(9世紀初頭成立)でも罪による悪死と、それからの救済が大きなテーマとなっており、これと整合的かと考えます。
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