北神英語コーチ 林 俊一(はやし しゅんいち)
プロフィール (キュッと簡潔に)
神戸市北区在住のグローバルコミュニケーション コーチ、英日通訳者
2021年、TESOL(英語教授法)認定を取得
2004年から2023年1月まで香港にて、英語 家庭教師、通訳などに従事。家庭以外、あらゆる場面で英語で生活
セミネイティブ:中学2年~高校1年の2年半を米国シカゴで、100%英語漬けの現地校に通う。英語で考えて話す英語脳と日本語脳を併せ待つ。
小学4年~6年の3年間を香港で日本人学校に通う。
慶応義塾大学 経済学部 一般受験で現役入学、卒業
東京都立国際高校 帰国子女枠で9月編入学、卒業
資格・学歴
Advanced Certificate in TESOL (Teaching English to Speakers of Other Languages 英語教授法) 認定を取得(2021年)
TOEIC 950点
香港政府 司法機構のパートタイム通訳者(日英・英日)・翻訳者(日英・英日)採用試験に合格(2012 年3 月)
クロックワークハウス株式会社提供の「在宅翻訳者養成のための金融・ビジネス通信講座」修了
慶応義塾大学 経済学士
プロフィール (ダラ~と詳しく。お時間のある方 専用)
父の米国ロサンゼルス駐在中に生まれました。3歳くらいで英語のアニメソングをきれいな発音で歌い上げていたと言います。3歳半で帰国し小3まで日本に住んだため、英語はきれいさっぱり忘れました(涙)
再度、海外転勤が予期されたため、小学校の1-2年間、ECC英語教室に通わせてもらいました。日本人の先生と英語を楽しく学んだかすかな記憶があります。
小4の時、予想どおり、香港転勤となり、小6まで日本人学校に通いました。日本人学校での英語の授業やネイティブ家庭教師によるレッスンで英語をいっぱい学んだという印象は薄く、むしろ英語を話す友人、隣人、タクシードライバー、レストランスタッフなどとの日常会話で若干練習したという印象です。
でも、生活のほとんどが日本語一色だったため、「英会話ができる」というレベルには達せず。公文で英語の基礎を練習した印象は強いです。学んでいる実感がありました。
中1の1年間は東京の公立中学校に通い、3人称・単数・現在形のsが分からず、学期の途中で塾に通わせてもらいました。ちょっと英語ができる帰国子女が英語学習の大変さを味わい始めました。
中2の時、米国のシカゴへの転勤で、現地の公立中学校・高校に、2年半通いました。Where is the next classroom?とWhere can I get some drinking water?というサバイバルフレーズ2つを暗記して初日に臨んだ記憶が鮮明です。小4だった弟は半年ほどのアジャスト期間を経て子供なりの英語を話し始めましたが、私は既に中2で日本人としての脳が確立しかけていたので、苦労しました。
バスケなどスポーツをして一緒に遊びながら話す練習をする一方、授業と宿題では人生で一番英語を勉強した時期です。コンパクト英和辞典を肌身離さず持ち歩きボロボロになるまで引き続けました。外国人が英語を学ぶためのESL授業は助けになりました。この時期、英語で考え、英語で話すことができるようになりました。
米国の高1課程を修了して、帰国子女枠で、都立国際高校に9月編入学できたのは幸いでした。帰国子女が多く、馴染みやすい環境でした。
今もあまり変わりないと思いますが、日本の私立大学の入試は英語偏重でした。英語で足切りし、残りの1-2科目で合否を決めます。私が難関私立大に一般受験で現役合格したのはそのためです。
大人になって2004年に香港に移住してからは、毎日英語を使って仕事や交流をしました。ずっと教育系のボランティアをしていますが、これまで香港、中国、ネパール、フィリピン、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、インドネシア、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、ガーナ、米国、英国、フランスなど、数えきれない出身地から来た人々と交流してきました。コミュニケーションは全て英語です!
2009年からは妻と共にネパール語を学習し、妻は楽学の末、私は苦学の末、マスターしました。あらゆる背景の人と、その母国語ないし第1-2言語で会話し、その人の世界を垣間見れるというのは素晴らしい経験です。文字どおり、世界が広がります!
外国語の学習が趣味だということに最近気付き、それなら、一番つながりの深い、英語を教える仕事をメインにしようかとなりました~