橋元です。
私の趣味について少しお話しさせて下さい。
私はもともと本当に無趣味な人間で、寂しい老後のことを心配した家内の薦めもあって、30代からピアノとヴァイオリンを始めました。当時、公務員の合同宿舎に住んでいて、つきあいのあったご家庭の子どもさんが、プロから個人レッスンを受けている、というので、それに便乗しました。ピアノの先生は東京音大講師、ヴァイオリンの先生は東京シティフィルの第2ヴァイオリン奏者です。先生は一流なのですが、いかんせん、音楽的才能がゼロなものですから全然進歩なく、今は休止状態です。ピアノの先生(女性)は非常にきびしくて、私が10時間も練習した翌日のレッスンで「どうなさったのですか。ピアノも何も練習しないと上達しませんよ。年を取っているからといって甘えてはいけません」などと、叱られてばかりいました。逆にヴァイオリンの先生(男性)はとてもやさしく、「いいですね。いいですね」というのが口癖でした。ただ「音ははずれていますけど」などと小さな声でつぶやくことも多かったのですが。。。結局、ヴァイオリンは「発表会」でパッヘルベルのカノンを宿舎仲間と合奏、ピアノはソナチネアルバム2、ドビュッシーの「月の光」のさわりが到達点でした。
運動では月に数回、プールで泳ぎます。生後まもなく、高熱か何かのせいで、私にはずっと鼓膜がほとんどありませんでした(今でも難聴です)。そのせいで、大人になるまでずっとプールに入ることすら禁じられていました。泳げる人がうらやましく、小さいときから、水の中で自由に泳いでいる自分の夢ばかり見ていました。中学・高校で水泳の授業ではいつも見学(私の中高では水泳の元日本代表が体育教師にいて、とくに水泳に力を入れていました)、そのため体育の評価は5段階で3をつけられ続けたことにもル・サンチマンをいだいていました(その教師はMです。宮崎先生すいません。もっとも水泳がなくても、「運動神経がちょん切れている」といわれた人間ですが)。
33歳のとき、両耳の手術を受け、はじめて自分に鼓膜というものがつきました。医者から水にもぐってもいい、という許可を得て、その足で区民プールに直行しました。もちろん、最初は泳ぐどころか、潜るのも怖かったのですが、時間があるかぎりプールに通って練習しました。日本で刊行されている水泳の本、ビデオはほとんどすべて熟読・熟視しました。おかげさまで、独学で1年半ほどで4種目をなんとかマスターしました(「畳の上の水練」も有効です)。今の住居を選んだ最大の理由は、歩いて2分のところに区民プールがあったからです。
とはいえ、最近は水泳しても疲れが後にひくので、さほど熱心に泳いでいるわけではありません。だんだん、元の無趣味人間に戻りつつあります。また何か、燃える対象を見出さねばと思っている今日この頃です(「そんな暇があれば、もっとまともな研究をしろ」という声が聞こえてきそうですが。。。)。