Step②「世界観を知る」概論
「自然」とはなんだ?
Step②「世界観を知る」概論
「自然」とはなんだ?
私たちは普段、何気なく「自然」という言葉を使っています。
けれども、この「自然」は、一つの意味だけでは語れない、たくさんの意味を含んでいます。
たとえば「自然に涙が出た」と言うときと、「自然破壊が問題になっている」と言うとき、
同じ言葉を使っていても、そこに込められた意味はまったく異なります。
ここでは、「自然」という言葉を構成する三つの意味を考えてみましょう。
自然 as オートメーション(automatic)
まず、「自然」という言葉は「みずからしかる」と書きます。
つまり、人為を加えなくても、自動的にそうなるもの。
これは「オートメーション」の自然。
つまり「おのずとそうなるもの」という自然です。
この感覚は、仏教や道教にも見られる「無為自然」に通じます。
たとえば、老子は「道は何も為さないが、すべてが成り立つ」と語ります。
ここでの自然は、他から影響されず、そのようにようにあるがままの世界のこと。
この自然は、「しくみとしての世界の動き」を意味し、
その動きに従うことで、人もまた調和の中に生きられるとされました。
自然 as ネイチャー(nature)
自然とは「森や海、動物、風景、気候のこと」
これもまた自然の意味ですよね。
しかし、東洋における「自然」は、決して外側にある環境ではありません。
人間とは別の存在としての世界としての自然ではなく、「共にある自然」をさします。
ともすれば、あまりにも人間的な視点は「対象としての自然」を生み出し、
ここに分断が起こってしまいます。
人間と自然が切り離されると、
自然は「守るべきもの」であり「利用すべき資源」になってしまう。
自然は、科学され、測定され、コントロールされるものとしても扱うことができる。
この考え方を深めると、
自然という予測不可能なものを排し、人工的なリズムで暮らす都会と同じように、
自然派、オーガニック、エコなどのスタンスも、
人間社会の外側に「自然」を見い出している表裏一体の価値観である、ということが浮かび上がります。
しかしそうではなくて、人間(人工)は自然と一体なもの、とするのが東洋の自然観です。
人工物それすらも自然界の中のものであり、
自然のなかに不要なものであれば、そもそもなくなる。
「今、ある」ものが「自然」なのです。
自然 as セルフ(self)
もう一つの自然、それは「自分らしい在り方」としての自然です。
「自然体でいる」「無理をしない」「自分の意思で決める」
こうした言葉には、人間の内側にも「自然」があるという感覚が含まれています。
考えてみれば、人間の暮らしは、そもそも不自然なもの。
意思を持って動作するのが当たり前で、無為自然は原理的に無理なもの、でもあります。
では、自然ではないか、と言われれば、そんなことはない。
例えば、習慣。
はじめは、不自然つまり作為的に行動したとしても、いつしかそれは習慣となり、とても自然な行動となる。
日々の考え方、所作、マナー、
そういったものは、人工的な行動はあるけれども、いつしか自然のものとなる。
自然とは「わたしの在り方」そのもの
そういった側面が、セルフとしての自然です。
四柱推命は、自己の「自然」を読む方法
この三つの「自然」の見方を重ねると、四柱推命の「自然」が見えてきます。
オートメーションとしての自然:宿命や運命を知る
ネイチャーとしての自然:生きやすい環境を読み解く
セルフとしての自然:その人らしさ、個性を活かす
四柱推命とは 「わたしに宿るもの」として自然を観る、東洋の知恵とも言えます。
自然とは、私たちの外にある景色であると同時に、私たちの中に流れる「らしさ」でもあります。
四柱推命は、その「らしさのかたち」をとらえる術。
自然を見る目と、自分を見る目が、ここで一つになります。