Story/物語
東京都新宿区・高田馬場。
春には桜で満開になる神田川沿いに、「ふじや染工房」はあります。
戦前、中村家は吉原大門の脇で炭屋を営んでいました。
戦争で吉原を引き上げ長野へ。
昭和27年(1952年)、東京へ戻ってきた重年が高田馬場で着物を染める染屋を始めました。
当時着物は町にあふれ、同じ色の着物を何十反も染めていました。
仕事は順調でしたが、46才の時に病死します。
2代目 博幸 が18才で家業を継ぎました。
博幸が継いだ後も、大量に着物を染めていました。
時代は進み洋服が当たり前になり、着物はハレの日に着る特別なモノになりました。
仕事の内容も大量に同じ色を染めるのではなく、お誂えの着物が増え、技術を磨く毎日でした。
その頃、私(3代目 隆敏)は、家に家族がずっといる自営業が息苦しく感じていました。
高校では海外ホームステイを経験しましたが日本の紹介をする場面で、
着物がすぐに思いつかないほど稼業に無関心でした。
そして、一人暮らしに憧れて、家を出て地方の大学に行きます。
卒業後も、東京に戻ることはなく、日本中を点々とする現場監督の仕事に就きました。
しばらく東京から離れたことで、家業や家族のことが客観的にとらえられ、
自分の育ってきた環境に興味を持ち、23才の終わりに、実家に戻りました。それは実に6年ぶりでした。
それから20年、伝統的な技法である「引き染め」を身につけました。
今、「自分にもできることがある」という想いから、この文章を書いています。
2021年8月31日