新年あけましておめでとうございます。
皆さまにおかれましては、健やかに、新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
旧年中は、多くの皆さまから激励や応援をいただき、本当にありがとうございました。本年も皆さまの声をもとに、市民生活の向上のため微力を尽くして参りたいと存じます。
<ニューリーダー誕生>
さて、昨年は、県政・市政の変革・刷新を望む県民・市民の想いから、新たなリーダーが誕生しました。行政では継続性も重要ですので、トップが交代したからと言って、なにもかも急に変わってしまうようなものではありませんが、風車事故や市街地への熊の出没など突発的な問題では、迅速な行動力や的確な提案力を発揮し、また、県政・市政の課題についても、一発大逆転ではなく、柔軟かつ地に足のついた取り組みで、着実に前進させようとしているものと私は評価しています。
<沼谷市長とは県庁同期>
ちなみに、ご存じの方も多いと思いますが、沼谷純秋田市長と私とは平成7年秋田県庁採用の同期です。20年ほど前には、同じ総合政策課で向かい合わせの席に座り、秋田の将来を語り合った仲です。市長と議員とに分かれて、秋田市議会の本会議場で質疑応答をすることになろうとは、あの頃には全く想像もできませんでしたが、かつて語り合った未来の実現に向けて、是々非々で議論を重ねながら、市長公約の実現に向けてもサポートしていきたいと思います。また、鈴木健太知事とは、お互いにPTA役員だった十数年前からの付き合いです。知事とは同じ野球チームですので、折に触れて県政についても語り合っています。秋田市政に限らず、県政についても、ご提案やご要望がありましたら、ご遠慮なくお申し付けください。
<スタジアム整備>
スタジアム整備は、いよいよ大詰めです。県・市・ブラウブリッツ秋田の3者での協議がどのように進展するのか、スタジアムは実現するのか、多くの市民が注目しています。しかし、本来は、この3者だけで進めていくべきものではありません。大きな財政負担を伴うものであり、本市の将来像に大きな影響を与えることから、民間企業やサポーターが整備・運営にどのように関わっていくべきなのか、サッカーファン以外の一般市民が関われるようなスタジアムとはどのようなものなのか、そうした議論が他人任せであって良いはずがありません。皆さまからのご意見やご提案をお待ちしております。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
令和8年 新春 秋田市議会 フロンティア秋田 幹事長 藤田 信
沼谷市長が就任してからこれまで、新設案とASPスタジアム改修案の2つの案について、「Jリーグのスタジアム基準を満たすことができるか」、「新設よりもコストメリットがあるか」、「新設と同程度のスケジュールで整備できるか」という観点から、比較検討が進められ、昨年の11月定例会で議会に説明がありました。
具体的には、5千人、7千人~8千人、1万人という3通りの施設規模について、新設と改修のそれぞれの場合の配置案を作成し、Jリーグと協議しながら、概算事業費や整備スケジュールなどを整理したものが示されました。
<改修を選択する合理的な理由はない>
ASPスタジアム改修案については、周囲の地下埋設物の移設等を行わずに、最大で約9千席程度のスタジアムに改修することが可能であるものの、整備費用は新設の場合とほぼ変わらず、国からの交付金などの財源の面からも、改修を選択する合理的な理由はないものと判断されました。
<5千人規模でも整備費はこれまでの想定を上回る>
一方で、新設の場合でも、設計費や八橋運動公園第2球技場の代替地整備などの関連経費も含めると、整備費用は5千人規模であっても、これまで想定していた90億円程度を大きく上回る約142億円となる見込みです。
<市が単独で整備した場合の財政負担>
仮に、県とブラウブリッツ秋田の負担なしで本市が単独で整備するとなると、建設中で毎年約4~8億円、建設後15年間は、維持管理費と公債費(借金の返済)で毎年約5億円程度の負担増となる見込みです。本市では、毎年度、財政調整基金などから一般会計へ補てんして予算の不足を補いながら、年度末に残った予算から、補てん額を上回る額を基金へ積立て・積戻しを行うこととしています。
本市が単独でスタジアム整備を進めた場合、基金への積増し額よりもスタジアムにかかる将来負担額が上回り、基金は減る一方の見通しとなってしまいます。財政健全化の観点からは、長期間に渡り毎年約5億円を負担することは難しいと言わざるを得ません。
本市では、ごみ溶融炉など市民生活に直結する大規模施設の更新や老朽化に伴う小中学校の校舎改築等も控えていることから、これまで県、市、ブラウブリッツ秋田の三者で議論されてきた1/3ずつの負担であっても、大きな財政負担になります。よって、仮に、公設で整備するとしても、本市が単独で事業主体となるのは無理があります。
<市の歳入の見通し>
本市は、人口が30万人を割ったために事業所税を課税できなくなります。その減収分は地方交付税交付金で一部賄われますが、差し引きすると約4億円程度の減収となる見込みです。また、地方交付税交付金は人口の数を加味して計算されるため、人口減少が続く見通しの本市では、地方交付税交付金は徐々に減少していきます。
<維持管理費>
ASPスタジアムは、改修という選択肢がなくなったことから、施設の耐用年数や現在の利用状況から考えると、これまでどおり使用していく必要があり、ASPスタジアムに加えて、新たなスタジアムの維持管理費までも本市が負担するのは、現実的ではないと考えられます。
<3者協議に臨む市の方針>
こうした検討結果を踏まえ、市としての方針が次のとおり示されました。今後、この方針に沿って、県およびブラウブリッツ秋田と協議していくことになります。
・整備費用がほぼ変わらず、国の交付金等も新設の場合が有利であることから、ASPスタジアムの改修は行わず、今後も維持する。
・五千人規模であっても財政的な負担が大きく、仮に公設で整備するとしても、本市が単独では事業主体とならない。
・ASPスタジアムについては、これまでどおり維持していく必要があることから、新たなスタジアムの事業主体とならない場合、原則として、新たなスタジアムの維持管理費は負担しない。
協議の行方を見守りますが、スタジアム整備が実現するような結論に至るのは難しいのではないでしょうか。
一般質問への答弁によれば、それぞれの無償化に必要な財源は、学校給食費が約14億円、保育料が約5億円、子どもの医療費が約4億円の見込みで、沼谷市長の任期中(この4年間)に順次実施するために、市の事務事業の見直しを行い、財源を捻出していきたいとのことでした。
学校給食費については、令和8年4月からの小学校での無償化に向けて、準備が進められていますが、具体的にどのような制度になるのかはまだ示されていません。
この先も、食材の価格が高騰していくことが予想され、学校給食費無償化の実現にこぎつけたはいいが、財政的に制度が維持できなくなったり、財政の制約から給食の質や量が低下するようなことがあってはなりません。
私としては、保護者には一定の負担を求めた上で、地元の食材を豊富に使った地元ならではのメニューを増やすなど、充分な質と量を確保しながら、今以上に給食費負担が増えないように上限を設定し、それを超える部分には公費を充てていく方が持続しやすいのではないかと思います。
卸売市場の再整備については、建設コストが使用料に反映されることから、建設資材の価格高騰による事業費の増大に対して、市場内事業者の理解を得ることが難しい状況となっていました。
市では、全ての施設を建て替えするのではなく、建て替えと改修を組み合わせた案をいくつか(案1~案3)検討してきましたが、市場内事業者からはさらなる事業費の縮減や売り場面積の確保を求められていました。
・農林水産省基準の売場面積では狭くて営業に支障が出る。
・現在の市場使用料の2倍を超える使用料では負担が大きすぎて容認できない。
・整備に伴う移転の回数は1回で済むようにしてほしい。
・青果棟および水産棟は同じ手法で整備するべきである。
これらの意見に対応するため、新たな案(案4)が示され、概算事業費は約14億円縮減され、使用料も1.5倍程度に抑えることができる見込みとなりました。
この案4は、市場内事業者との協議を踏まえ、それぞれの要望を反映させたものであり、「事業費の縮減と市場内事業者の使用料負担を考慮すると、市としてはこれが最善の案と捉えており、今後は案4をもとに平面計画の調整や機能向上のあり方等、具体の検討に進みたいと考えている。」とのことでした。
この案4にもまだ納得していない市場内事業者がいるそうですが、もうこれ以上は無理だと思います。市場内事業者の方々に対して丁寧な説明を繰り返し、納得してもらうしかないのではないでしょうか。
本市では平成24年7月から、家庭用ごみ袋1リットルにつき1円の家庭ごみ処理手数料を市民が負担しています。
令和6年度は、一人1日当たりの家庭系ごみ排出量が476gとなり、減量目標(令和7年度までに480g)を下回ったことから、ごみ減量が一定の成果をあげてきています。
こうした中、社会経済情勢の変化などを踏まえ、市民負担の軽減を図るため、市では家庭ごみ処理手数料の引下げを検討しています。
循環型社会の形成を目指すため、有料化による経済的動機付けは維持しながら、手数料水準を引き下げることにより家計への負担軽減を図ろうとするものです。
引き下げ額については、有料化を実施している東北の県庁所在市と比較し、本市のごみ袋価格が最高額であることを踏まえ、手数料の引下げ額を決定することになっています。
ただし、ごみ減量にゴールはありません。さらなる減量を進めることが重要であり、今後は家庭ごみの中から重点的に削減すべき対象を絞り込み、一層のごみ減量を進めることになります。
大森山動物園の入園料については、令和5年11月定例会において条例案が否決されたことから、動物園を将来に渡って安定的に維持運営し発展させることと、市民負担の適正化とのバランスをどのように図るべきか検討が進められてきました。
その結果、次のようになりました。
・高校生以下の子どもは、市内市外の区別なく、現行の無料を継続する。
・大人料金は、他の公立動物園の料金等を参考に1,000円とする。(旭川市旭山動物園、盛岡市動物公園と同額)
・70歳以上の市民については、本市の「老人保健福祉月間(9月)」は無料期間とする(現在は通年無料)
また、年間パスポートは、平成14年度に年間パスポートを設定した当初と同様の比率である当日券の2.4倍の2,400円となります。現在ほとんど利用されていない回数券は廃止されます。
この改正は、令和8年4月1日から実施されます。それ以前に購入した入園券や回数券は、4月1日以降も使うことができます。
今年度の教育産業委員会の先進地調査の中から、大阪府八尾市の「みせるばやお」についてレポートします。
「みせるばやお」は、これまでBtoB(企業が企業に対してモノやサービスを提供するビジネスモデル)を中心として培ってきた八尾市内の中小企業のものづくりを地域住民に知ってもらい、ものづくりの魂を次世代に継承していくため、また、地域の魅力を後世の子どもたちにも伝えるため、地域の中小企業の叡智を結集した「魅せる場」として設置されたものです。近鉄八尾駅前の商業ビルの一画で、市が負担する年間賃料は1,900万円です。
人材や設備、資金、情報、知的財産などのリソースが限られる中小企業が連携・共創する場としても機能していて、先輩企業家が次世代の企業家を支える好循環を目指しています。
商工会議所など中小企業が集まる場はこれまでにもあったそうですが、みせるばやおは、BtoBで培った技術力で会員企業が連携して自社オリジナル商品を開発するための「出会いが加速する場」として機能しています。また、一般市民も来訪する場となっていることから、たまたまプライベートで来場した研究者が、会員企業に就職して新商品開発を行ったという事例も生まれています。
シリコンバレーの起業家を輩出しているスタンフォード大学では、お金よりも「出会い」を重要視し、コリドーと呼ばれるスタートアップが格安で入居できる小屋や、起業家が投資家に対してプレゼンテーションするアクセラレータープログラムを提供しています。
(注)スタートアップとは、先進的な独自のアイデア・技術を強みに、新しいビジネスモデルを考えて、新たな市場を開拓し、社会に新しい価値を提供したり、社会に貢献することによって事業の価値を短期間で飛躍的に高め、株式上場や事業売却を目指す企業や組織のことです。
ケンブリッジ大学などその他の大学も起業家や研究者、投資家の「出会いの場」を上手に設計することで、ベンチャー企業設立を促しています。
大化けする投資先を探している投資家は、起業家や研究者が集うパブのような場所に出かけ、酒を飲みながら起業家たちの熱い議論に聞き耳を立てています。我が国のように、役所や銀行に事業計画を説明して補助金や融資をしてもらうのではなく、投資家にアイディアを気に入ってもらえれば大きなチャンスをつかめるのです。
本市にも、大学や公設試験研究機関がいくつもあります。スタートアップとまで行かなくても、ビジネスマッチングを促進して起業を増やしたり、既存企業の新商品開発を促進するために、大学や試験研究機関を巻き込んだ「出会いの場」づくりをしたり、重点的に力を入れていくべきなのではないでしょうか。
9月定例会の一般質問に、藤田幹事長が登壇しました。
この4年間の任期中は、人口減少対策と人口減少下のまちづくりにテーマを絞って質問することにしていますので、2月定例会の代表質問に続き、今回も人口減少下のまちづくりに対する市長の政治姿勢について質問いたしました。寛容な風土の醸成、憲法の地方自治に関する規定の見直し、企業の輸出・海外展開、インバウンド誘客、二地域居住・移住、地域外人材や外国人材の活用、最低賃金上昇に向けた支援、秋田市人口問題・まちづくり研究会の設立、予算編成方針の改善について取り上げましたので、その中から一部を掲載いたします。
<この坂を越えたなら 幸せがまっている>
「この坂を越えたなら 幸せがまっている そんなことばを信じて 越えた七坂 四十路坂」
今から41年前、1984年9月30日に発売された都はるみのシングル「夫婦坂」の1番の歌詞です。冬の木枯らしを笑顔で耐えながら、坂を登り続けてどうなったのか。3番の歌詞の最後はこうです。
「いいの いいのよ 振り向かないわ 曲がりくねった 坂道だけど ついてゆきます 夫婦坂」
まだ幸せはやって来ない。それでも、振り向かずに登り続けています。
この歌が発売された1984年の我が国は、オイルショックによる景気低迷から立ち直り、経済成長率は年平均で4%前後と、人口の伸びが鈍化しつつも、経済は成長を続け、国民は将来への明るい希望を持てていました。だからきっといつか幸せをつかめる、そう信じることができたのではないでしょうか。
<幸福になる道ならば、歩くこと自体が幸福>
日本で初期仏教の伝道を行っている上座仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラは、こう言っています。
「幸福になる道があるとします。それが苦しい道なら歩む気はしませんし、「はたして幸福になるのだろうか」と心配になります。お金持ちになる道を歩んでいるうちに、お金がなくなるのなら心配です。幸福になる道ならば、その道を歩むこと自体が幸福でなければなりません。」
頑張って働いたら給料が上がり、生活が豊かになり、明るく楽しく幸せな家庭を築ける。そう信じられるのであれば、目の前の自分の努力が、一歩一歩幸せに近づいていく、それ自体が一つの幸せです。
<若者が登る坂道は・・・>
でも、そのような希望が持てないとしたらどうでしょうか。
現在の我が国は人口が減り、少子高齢化で社会保障費負担が若者の肩に重くのしかかっています。非正規労働が増え、奨学金を借りてまで大学を卒業しても、親が自分にしてくれたような子育て・教育を自分の子にはしてあげられるのだろうか。テレビや新聞を見れば、少子高齢化対策だ、人口減少だと言い、みんなが地方はこれから衰退していきますよと言っているように聞こえる。地方で働いて、結婚して子育てなんてできるのだろうか。自分の親が生まれた時代はいい時代だった。自分は不幸な時代に生まれた。そんな気持ちで、目の前の坂を登っていくことができるのでしょうか。いつまで登ればいいのか分からない、本当にこの坂にてっぺんがあるのかどうかも分からない。そう思いながら坂道を登らされている、それが今の若者なのかもしれません。
私たちは、若者が希望を持てる地域社会、すなわち、この坂を越えたら幸せが待っていると思える地域社会、そして、その坂を登ること自体が楽しく感じられる地域社会を作らなくてはなりません。そのためには、若者の声をよく聞く必要があります。そして、どうしたらその声を生かせるのか、真剣に考えていかなければなりません。
<米国の豊かさの源泉は、異質なものへの寛容と多様性を認めるところ>
そのために必要なのは「寛容性」ではないでしょうか。
地元新聞の秋田魁新報でも、「若者のミカタ」や「地方創生 失われた十年」という連載の中で、寛容性が大きな論点の一つとして取り上げられていたので、お読みになられて、寛容性について考えさせられた方も多いのではないでしょうか。
経済学者の野口悠紀雄氏は、「米国の豊かさの源泉は、異質なものへの寛容と多様性を認めるところだ」と言っています。
米国エール大学のエイミー・チュア教授も、他民族を受け入れる「寛容性」こそが覇権国にとっての最も重要な条件だとして、米国は、世界で最も寛容な国であり続けたことにより、世界中から優秀な人材を呼び寄せることができた。そして、彼らを活用する能力に秀でていたため、経済、軍事、テクノロジーの各分野で圧倒的な優位を築くことに成功した、と言います。
<米国では移民が積極的に創業している>
少し古い記事になりますが、2019年7月にニューズウィーク日本版WEBサイトに掲載された記事で、ニューアメリカン経済研究基金のレポートが紹介されていました。
そのレポートによると、米国の大企業番付「フォーチュン500」にランクインする企業の半数近い223社が、移民または移民2世によって創業されています。また、2011年以降に米国で創業された企業のおよそ3分の1が移民によって創業されていました。この傾向は、特に、エヌビディアに代表されるIT産業において顕著で、IT革命は、インドや中国からの移民によって実現されたと言われています。
外国生まれの優秀な人々に、能力を発揮できる場と機会を提供してきたことが、今の米国の強さの最も基本的な要素になっているようです。
<米国が参考にしたのはローマ帝国、多様性を捨てると衰退する>
その米国が、建国の際に参考にしたのは、ローマ帝国だと言われています。
ローマ帝国は、征服した異民族にもローマ市民権を与えられる制度を構築し、1世紀末から2世紀後期の黄金時代には、ヒスパニアやガリア出身者が皇帝を務めるなど、ローマ帝国の安定と繁栄のために、ローマ市出身ではない、異民族が活躍できる社会を築き、長きに渡り繁栄しました。
しかし、西ローマ帝国では、4世紀末から経済が低迷し、政治が混乱する中で、ローマ市民は不満のはけ口を異民族に向け、外国人排斥運動が起きたと言われています。異民族を取り込む「ローマ人」という寛容の精神が失われ、西ローマ帝国は内部崩壊していったと分析する研究者が多いようです。
野口悠紀雄氏は、「トランプ大統領は、強いアメリカを再現すると言いながら、多様性を捨て去ろうとしており、逆にアメリカを弱くしていく」と指摘しています。
歴史を見ても、現代を見ても、豊かな社会を築き、守り続けていくためには、多様性を認める寛容な風土が必要となるようです。
<そもそも寛容とは何か>
ところで、「寛容」とは何でしょうか。
私自身は、「不寛容は敵だ」とばかりに、不寛容な人に対して、寛容性を押し付ける人たちは不寛容なのではないか、と疑問に思っていました。
東京女子大学の森本あんり学長は、「寛容になれ」と言われると、「相手を100%受け入れて愛しなさい」と言われているように感じてしまうがそれは無理だ、と言います。
100%受け入れられる、全面的に肯定的な評価ができるということは、それは是認であって寛容ではない。肯定的評価と否定的評価が混在している、つまり、受け入れられる点も受け入れられない点もある、好きなところもあれば嫌いなところもある、そうした中で、本当は嫌だけれども許容する、受け入れる、ということが本当の寛容なのだそうです。
そのためには、礼節をもって相手の話を聞くことが必要だと言います。どうしても受け入れることのできない考えを聞くときの苦しさはある。それを聞く難しさはある。それでも、受け止めて一度持ち帰る。それでもやはり受け入れられないのであれば、次の機会に礼節を持って伝えたらいいのではないか。それで解決はしないが、共存はできる。共存できれば、次のステップに進める可能性は残される、と言います。
地域振興と言えば、昔からよく「よそ者・若者・ばか者」と言われてきましたが、これは、外部からの視点や未来志向のアイディアと行動力、常識にとらわれない発想、そうした多様な価値観とそれらを受け止める寛容性の大切さを表したものではないでしょうか。
<知事は秋田県出身者がいい?>
今年の春に行われた秋田県知事選挙では、候補者の出身地を問題視する有権者も多くいました。
ふるさとを愛する心から、地元ふるさと出身の候補者を応援したい、そういう気持ちは誰でももっていると思います。しかし、選挙公約そっちのけで、県外出身だからダメだ、というのはどうなのでしょうか。
県外からの移住者を増やします、そう言っても誰も文句を言わないのに、移住してきた人が知事になるのはけしからんというのはどうなのでしょうか。秋田に移住してくるのは歓迎するが、よそ者だから出しゃばらずに大人しくしていろ、そう言っているようなものではないでしょうか。そのような排他的な考えを持ち続けているようでは、移住者だけではなく、本市、本県で生まれ育った若者にもいつか愛想をつかされるかもしれません。
18世紀のイギリスの政治家、エドマンド・バークは、「保守するための改革」と言いました。本市で生まれ育った人でも、移住してきた人でも、高齢者でも、若者でも、女性でも、男性でも、その持てる能力を発揮し、先頭に立って活躍できるチャンスがある、変革を起こしていくことができる、そのような地域でなければ、守るべき大切なものも守れなくなり、衰退していくのではないでしょうか。
<日本の戦後復興と高度経済成長は「画一性」に起因>
政策研究大学院大学名誉教授の松谷明彦(まつたに・あきひこ)氏は、戦後日本の経済社会を一言で言い表すとしたら、それは「画一性」だと言います。
地方交付税や国庫補助金により、全国で同じような公共政策が進められ、企業は輸入技術と大量生産による薄利多売に走った。戦後日本人の価値観も画一的になった。それは、中央集権的に進められた戦後復興において、大都市で成立した価値観である。画一的な雇用制度、画一的なライフスタイル、画一的な消費需要で、一億人もの人間が画一的な行動をしたからこそ、我が国の戦後復興と高度経済成長が実現した。
<多様化で社会問題を解決すべき>
そして、現代の社会・経済において進行中の問題の多くが、画一性に起因するものと考えられ、これからは多様化を目指すべきである。そうすることで、大都市と地方がそれぞれ豊かになり、大都市と地方との間を、人々が自らの意思で活発に行き来するようになる。最も自分らしく過ごせる場所を求めて、ときに、自分が所属する地域から離れ、他のエリアを訪ね、他のコミュニティーに溶け込んで時間を過ごし、あるいは移住をする。そうした人々の動きがさらに、大都市も地方も共に豊かにしていく。
そのためには、様々な価値観に対して寛容にならなければならない。地方は多様性があることにその価値があり、中央主導の振興策に迎合するのは自らを都市の従属物にするものである。地方にしか実現できない価値とは何であるのかが問われなければならない、と指摘しました。
<我が国の地方自治に多様性はあるのか>
我が国の地方自治はどうでしょうか。
憲法第92条には、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。」
残念ながら、地方自治の本旨は、憲法にも地方自治法にも規定されていません。そして、地方自治と銘打った章でありながら、「地方自治体」ではなく、「地方政府」でもなく、「地方公共団体」という言葉が使われています。
では、地方公共団体には何ができるのでしょうか。
第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
地方で公共事務を執行する団体でしかなく、国が決めたことに従うことを前提として、その範囲内ならちょっとだけルール変更してもいいよという、強固な中央集権による画一的な体制となっています。このような限定的な権限で、各地方が創意工夫と責任を持って、多様な地方創生に取り組めるのでしょうか。
令和7年6月13日に閣議決定された「地方創生2.0基本構想」には、反省点として、「市町村では、法令に基づく目の前の事務処理自体に大半のリソースを割かざるを得ない状況であり、地域と向き合い未来のビジョンを議論し、地方創生の取組を進めることに、十分注力できていないという指摘がある」との記述があります。今後、法定受託事務の見直しも避けて通れないと思いますが、大前提として、地方が自らの創意工夫と責任でまちづくりに取り組むために、憲法の地方自治に関する規定を見直すべきだと私は考えます。
<これまでの地方創生は「矛盾に満ちた壮大な無駄遣い」>
地方創生2.0基本構想には、「これまでの地方創生10年の成果と反省」が記載されています。
中には的を射た指摘もありますが、よく読むと、国が責任を地方に押し付けようとしているようにも感じられます。
私自身は、これまでの地方創生は「矛盾に満ちた壮大な無駄遣い」であったと思っています。
国全体の人口というパイが減る中で、限られた人の奪い合いというシェア争いを地方に強要したものでした。パイを増やす努力をすべき国がその責任を放棄する中で、地方が繰り広げる人の奪い合いに交付金を提供し、税金を無駄にしました。中央集権型の画一的な制度により、全国に画一的な総合戦略があふれ、各地方が画一的な人の奪い合いを繰り広げた、不毛な取組でありました。
竹内まりやのヒット曲「けんかをやめて」には、「二人の心 もてあそんで ちょぴり 楽しんでたの」という、昭和の男性として少し悲しい気持ちになる歌詞がありますが、これまでの地方創生で国は、この歌と同じように、地方に争いの火種を投げつけて地方をもてあそび、地方に競争させ、高みの見物を決め込んだと言えるのではないでしょうか。
国が本当にやらなければならなかったのは、未婚化や晩婚化、出産、子育てに対する社会の変容への対応で、国内の地域間競争をあおることではありませんでした。各地域が、地域資源に磨きをかけ、人口減少下でも自立できる地域経済を目指すための支援が必要だったのではないでしょうか。
<また人の奪い合いをさせようとしているが、これからは人材シェアの時代>
基本構想には、「ふるさと住民登録制度」の創設という項目があります。内容は省略しますが、当面の目標として、今後10年間で実人数1,000万人、延べ人数1億人を目指すと記述されています。これは誰が作った目標なのでしょうか。誰がこれに取り組むのでしょうか。また、地方に人の奪い合いをさせるつもりなのでしょうか。行く先が案じられます。
地域の人材には限りがありますが、人の奪い合いではなく、人を共有する視点がこれからは求められます。大都市圏の人材の専門知識や経験・ノウハウを、副業や兼業で市内企業や本市に活かしていくべきです。
<単なる労働力ではない外国人材活用を>
外国人材の活用も必要です。元全国知事会会長の山田啓二氏が、「外国人を労働者としてしか扱っていない政策の貧困」を指摘し、労働力を補うための存在としてではなく、「真に地域社会に必要な住人はどういう人か」という観点から対応しなければならないと述べています。世界各地の移民問題や国内各地の外国人排斥問題の二の舞とならぬよう、外国人材を活用する方策を練るために、外国人を活用することも必要なのではないでしょうか。
R6年11月の左手中指の剥離骨折ですが、R7年1月に折れた骨を固定していたピンを抜き、その後3カ月ほどのリハビリを受けて治療は終了しました。完全に元どおりとまではいきませんが、日常生活や野球、バレーボールなどのスポーツには全く支障はありません。そのせいか、今までの会派広報で最も多い分量になってしまいました。
ちなみに、ピンを抜くときは麻酔をしないと言われていたので、正直怖かったのですが、気が付かないくらいの一瞬で引っこ抜かれました。でも、その後は痛かったです(笑)