2025年12月7日に実施したプレ40周年イベントの内容を掲載しています
(プロ野球ファミリースタジアムの発売日:1986年12月10日)
2025年12月7日に、ファミスタ生誕プレ40周年オンラインイベントとして、きっしーさんの無料講演と初代ファミスタ東西対抗戦を実施しました。(共催:ファミスタ東京・ファミスタオンライングループ)
【講演】
・時間:18:00~19:30
講演者:“ファミスタの父” きっしー
内容:ファミスタはこうして生まれた―1980年代の野球、ゲーム、そして開発者の思い―
*愛好家団体(ファミスタオンライングループ、ファミスタ東京、初代ファミスタ大阪交流会)も活動内容、アンケートデータ、対戦データの紹介等の発表をしています
【オンライン大会(初代ファミスタ東西対抗戦)】
*プレイヤーが東日本・西日本エリアにわかれて、1試合の勝ち抜き戦を実況つきでライブ配信
・時間:15:00~17:30(夕方の部)
録画アーカイブ:https://www.youtube.com/live/IvXt_AS6cTo?si=XpKXPn8UtYyXZGj3
・時間:19:30~22:30(晩の部)
録画アーカイブ:https://www.youtube.com/live/q35SwYK5k7M?si=JQfMh8s4CIKfsVVX
きっしーさんの講演の一部をダイジェストでまとめています
ファミスタ誕生の意外なきっかけ
初代ファミスタは、実は仕事がない時間から生まれた。前作の仕様書がなかなか届かず暇になってしまったため、きっしーさんは上司と一緒に、一日中他社の野球ゲームを遊び倒していたという。その時間が結果的に、ファミスタ開発のための基礎研究になった。
開発期間はわずか6ケ月。1986年5月に開発が始まり、その年の11月にはマスターアップするという驚異的なスピードで完成した。
205万本の大ヒットと初の「社長表彰」
初代ファミスタは205万本の大ヒットを記録し、ナムコ初となる開発考案賞として、社長から現金100万円の報奨金が贈られた。
しかし、なぜか社長室に呼ばれたのはきっしーさん一人だけ。現金を直接手渡されたものの、自分だけの功績ではないと考え、お世話になった上司やグラフィック担当に現金を山分けしたという。
開発初期の秘話とこだわり
開発初期、ゲームタイトルは“ファインプレイ”という名前だった。きっしーさん自身がロゴまで自作するほど気に入っていたが、権利関係の問題で使用できず、最終的に上司の提案で“ファミリースタジアム”というタイトルになった。
また、きっしーさんには「川崎球場にファンを呼びたい」という強い想いがあった。当時は閑古鳥が鳴くような状況だったが、その情熱が開発の原動力になったという。一方で、ゲームとしてはつまらなくなる“エンタイトルツーベース”を避けるため、球場デザインはフェンスの高い横浜球場をモデルにした。
仕様・バグの真実
ファミスタの名曲として知られる音楽は、実は完成したのはマスターアップのわずか1ケ月前だった。サウンド担当が別ゲームの制作に夢中になっていたため、それまでは仮で他社のゲーム音が入っていたという。
また、後に裏技やバグと呼ばれたものの多くは、実は意図的に残されたものだった。雑誌に取り上げられ、ユーザー同士の話題になることを期待して、あえて修正しなかったという。
今も遊び続けるファンへの深い感謝
きっしーさんは、「39年間も遊び続けてくれているゲームは、他にない」と語り、長年変わらず遊び続けてくれるファンの存在を奇跡だと表現した。
そして、「ファミスタを作って一番よかったと感じる瞬間は、まさに今。ファンの活動を見たり、直接お話しできたりしているこの瞬間です」と、深い感謝の言葉で締めくくった。