現在、地球は新たな地質時代である「人新生」にあると言われている。この命名は、人間活動が地球規模で甚大な影響を及ぼすようになったことに由来している。人間活動の影響は気候変動などとして顕在化し、生態系のみならず、私たちの生活も脅かされている。なかでも農業の影響は顕著である。一方、世界人口は依然増加しており、食糧生産の重要性は増すばかりである。そうした中、「生態系の保全を通して、持続的な農業の実現」を目指す生態学的集約化(Ecological Intensification)という概念が注目されている。
こうした視点は、農業生産に関わる送粉者や天敵などの生物の多様性を基盤として発展してきた。それと同時に、作物の成長や気候変動耐性を強化することで食糧生産の維持を目指してきた背景もある。しかし、こうした圃場の中の現象と、圃場の外の現象は別分野として発展し、乖離が大きい状況にある。真に持続的な食糧生産を実現するためには、これらの視点を統合する必要があるはずだ。
私は幼少期より昆虫好きのため、特に生物多様性の機能に関して研究を進めており、植物と昆虫の相互作用に関心がある。なぜなら食糧生産が送粉昆虫に支えられているだけでなく、送粉昆虫は圃場外の自然環境に支えられているからである。また、圃場外では多様な植物と多様な昆虫が相互作用することで、系としての植物ー昆虫相互作用が維持されている。ただ、これらの相互作用は常に一定の関係ではなく、昆虫の行動といったさまざまな要因によって時空間的にダイナミックに変動する。そのため、送粉系を対象として、行動生態学ー群集生態学ー農地生態学を横断する研究領域に興味がある。さらに、こうした生態学的視点と作物応答などの農学的視点を統合することで、「基礎科学的に面白く、応用科学的に役に立つ研究」を目指している。
送粉サービスにおける生態学的集約化
緑の革命以降、集約的農業(過剰な農薬投与や圃場整備など)は短期的・局所スケールに作物生産向上を実現してきました。その一方で、土地利用改変や生態系の劣化を通して農地の生物多様性は急速に失われています。そのため中長期的・景観スケールでは、生物多様性の損失を介して作物生産にマイナスの影響を与えていることが分かりつつあります。作物生産の持続可能性を高めるために、現在主流の集約的農業から持続可能な農業へ転換する必要があります。近年、農薬などに変わり生態系サービスなどの潜在的な生態系機能を十分に引き出すことで持続可能な農業の実現を目指す「生態学的集約化(Ecological Intensification)」という概念が注目されています。送粉サービスにおける生態学的集約化の研究はヨーロッパを中心に盛んに行われていますが、その効果は時空間的な違いが大きく、状況依存性が高いのが現状です。また今後、生物多様性保全と作物生産の重要性が増すと考えられている小規模農地景観(東アジアや途上国)での研究はほぼ皆無です。このような背景を受け、日本の小規模農地景観において、① 生態学的集約化の概念を実現する人為管理の探索と② その効果の発現メカニズムの解明を目指して研究を進めています。
関連論文
Nagano et al. (2021) Diversity of co-flowering plants at field margins potentially sustains an abundance of insects visiting buckwheat, Fagopyrum esculentum, in an agricultural landscape. Ecological Research, 36: 882–891
Nagano & Miyashita (2025) Contribution of nocturnal moth pollination to buckwheat seed set. Arthropod-Plant Interactions, 19: 11.
Nagano et al. (2025) Set-aside of grassland field margins enhances buckwheat pollination services in small-holder agricultural landscapes. Agriculture, Ecosystems and Environment, 387: 109628
植物ー送粉昆虫ネットワークの時間的動態
植物ー送粉者相互作用は、陸域の生物多様性や生態系機能の維持に非常に重要な関係です。そのため、植物ー送粉者相互作用(送粉ネットワーク)の安定性などが多く研究されてきました。しかし多くの研究では時間的にスナップショット的なアプローチがとられており、時間的な変化はあまり注目されていませんでした。送粉ネットワークの時間的な変化は長期的なネットワークの安定性・動態に大きな影響を与えるため、そうした時間的な動態を理解する必要があります。近年では、送粉ネットワークの時間変動が報告されていますが、季節や年に着目した研究ばかりです。しかし、採餌や送粉はそれよりも小さなスケールで生じるため、微細時間スケールでのネットワーク動態を解明する必要があります。そこで、1日の中で植物ー送粉昆虫ネットワークがどのように変化しているのか、その変化の駆動要因は何なのか、送粉ネットワークの中長期的な安定性にどう影響するかなどについて研究しています。
関連論文
Nagano (2023) Changes in pollinators' flower visits and activities potentially drive a diurnal turnover of plant-pollinator interactions. Ecological Entomology, 48: 650–657
同種内での採餌行動のばらつき
送粉昆虫の採餌行動に関する研究は古典的でありながらも、種差や性差に注目するものがほとんどです。その一方で、同種内においても個体の示す行動は大きく異なります。この個体間の採餌行動のばらつきは送粉昆虫の生活史理解だけでなく、送粉生態系の維持機構の理解にも重要な示唆を与えると考えています。主にハナバチ類を対象として、資源要求性や採餌経験による影響を研究をしています。
1)ハナバチ類のほとんどは単独性であり、単独性種のメスは造巣から採餌、産卵までを単独で行います。そのため生活史の各ステージによって必要な資源が異なり、それに応じて採餌行動も異なると予想されます。またハナバチ類の採餌行動は、自身の採餌経験の影響も受けることが知られています。しかし、これらの採餌行動に関する諸要因を統一的に調べた例は少なく、ハナバチ類の採餌行動がどのように変化するかはよくわかっていません。そこで単独性ハナバチを対象に、資源要求と採餌経験が採餌行動に与える影響について研究を進めています。
関連論文
Nagano et al. (2023) Female solitary bees flexibly change foraging behaviour according to their floral resource requirements and foraging experiences. The Science of Nature, 110: 1–8
2)花粉運搬を行わずに花蜜を摂食する"盗蜜"という行動は、植物の適応度に負の影響を及ぼしますが、送粉共生系においてなぜ盗蜜行動が普遍的にみられるのかは古典的な疑問の1つです。既存研究では形態的特徴やエネルギー収支の観点から、盗蜜頻度の種間差が説明されてきました。一方で、種内の個体差についてはほぼ未解明の状況です。そこで、ハナバチ類の採餌行動を規定する採餌経験に着目した研究を進めています。
関連論文
Nagano (2021) Nectar robbing behavior on comfrey, Symphytum officinale L., (Boraginaceae) in Japan. Proceedings of the Entomological Society of Washington, 123: 262–266
Nagano & Yokoi (2022) Honeybees with extensive foraging experience rob nectar more frequently. The Science of Nature, 109: 11–14