建国期

デュイン史の建国期はヴィッセンスタンツ王国とワラシャリト国が建国されたおおよそphil.100年頃からphil.200年頃まで指す。

ヴィッセンスタンツ人の移住と建国

ヴィッセンスタンツ(viccenstanz)人の祖先は、デイシェス(deixes)の東に存在する暗い森よりもさらに東側から来た民族だとされている。

phil.120年頃には、現在のデイシェス(deixes)のアルマート(almart)川河口東側付近にヴィッセンスタンツ王国を建国しデイシェス周辺を統治していたことが分かっている。

ヴィッセンスタンツ王国の初代国王であるエヴィルフィーア(evirfiia)は王族領を除く領土を直下に属する貴族に分割して統治させ、代わりに税を納めさせるという方式をとっていた。

その後もヴィッセンスタンツ王国は領地を拡大し、phil.170年頃には現在のデイシェス東部やイェテザル・ポルトジャール(jetesal poltdzarl)の北東部を統治下に含めていた。

ファーシュヴァーク人の移住と建国

ファーシュヴァーク(farxvark)人の祖先であるワラシャリト(waraxarito)人は、南方の大陸から船を使用して移動してきた民族とされている。

phil.150年頃には、現在のサニス(canis)北西部付近で氏族ごとに村を構成し生活していたと考えられており、何か有事がある場合にはそれぞれの村の長が集まり会議を行い決定していたとされている。

ヨサトカドの侵攻とワカテ・スラド朝の成立

phil.200年頃にヨサトカド(jocatokado)が議会の決定を無視し他の村に侵攻した。この侵攻によりヨサトカドは他の村を支配下に置き、ヨサトカドの長であったワカテ・スラド(wakate culado)を王とするワラシャリト(waraxarito)国を建国した。この時の王朝名をワカテ・スラド朝という。

ラッビヤ人の移住

ラッビヤ人の祖先は、現在のサニス(canis)の南方から陸地経由で移動してきた民族であるとされている。

ラッビヤ人が生活していた最古の痕跡はphil.200年頃にサニス南部からイェテザル・ポルトジャール南部で発見されており、当時は文字を持たず物々交換による交易を行う狩猟採集民族であったことが分かっている。