占いが当たる科学的理由とは?

 さっそく本題に入りましょう。なぜ占いが当たるのか。当たる条件とは何か。はたまた外れる条件とは何か。そもそも占いは当たるものなのか。それは偶然なのか、必然なのか。この問いについて、所長さむの見解を述べておきます。(※この文章は、雑誌「近畿化学工業界」2023年11月号 寄稿分「占い師から化学者への手紙―余興として占いが当たる理由―」のリライト版です)

占いが当たる理由としての「人間の認知」

 前提の第一。人間の認識力は、存外にガバガバです。たとえば、点が三つあれば、顔にみえてしまう。誰にでも経験ありますよね。同様に、偶然が3回続けば、人間はそれを偶然では片付けられなくなってしまう。われわれは、そこに偶然が続いてしまう理由――必然性をみつけたくなってしまう。いいかえれば、偶然はいつも人間の外にあり、必然は人間の内側にある。人間は、勝手に点をつなげて線を描き、その線が顔にみえる、そういった根源的な認知のバグを持っている。この誤認が、占いの大前提となっている。

 少し考えてみましょう。たとえば明日、皆さんの仕事の帰り際、自宅から100mの地点で1万円がひらりと落ちてくる。周囲を見渡しても誰もいない。届けるには面倒だし、本当に誰もいないので、思わず持って帰ってしまった。そう考えてみましょう。

 翌朝になりました。今度は仕事へいく途中、あなたの自宅から50mのところで、再度1万円が落ちてくる。いぶかしむけれど、周囲には誰もいない。車も通っていない。何か気持ち悪い。どうにもオカシイ気がする。いったい何なのかと思って、とりあえず拾わずにやり過ごす。

 次の日、今度は家から25mのところで、同様に1万円がひらりと目の前に現れる。一体これは何なのか。不気味さを感じて無視して通過する。かなりイヤな気がするはずです。

 さらに翌日。今度は、玄関のドアを開けた瞬間、1万円札がひらりと入ってきたらどうでしょう。あなたはどう思うでしょうか。合計4万円のラッキーだと感じるか。それとも恐怖を感じるでしょうか。多くのひとが後者、恐怖を感じるはずです。仮に一万円で考えていますから、これは単なるラッキーと思えなくもない。では、もしこれがネコの死骸ならば、どうでしょう。かなり不気味です。普通に警察に通報します。ちょっと敏感で繊細な人、被害妄想強めの人ならば、呪いをかけられいると考えるかもしれない。

 こうして一度感じた恐怖は拭い難いものとなっていく。ネコを見るたびに、何か不穏な気持ちになる。このような不穏さが続くと、人間はノイローゼになるんです。または統合を失調してしまう。しかし恐怖を拭い去る方法がひとつある。

 じつは、それが、その恐怖をもたらすものを信頼することです。いわば不幸は次なる幸福のためであると反転させて解釈する。いまの不幸は後の幸いのためのプロセスなんだ、そう逆転させて考える。簡単にいえば、この逆転の仕組みこそ宗教的信仰です。

 本来は、すべて偶然に過ぎない。しかし連続4回1万円が降ってくるのは、多くのひとにとって、偶然とは言い難く感じてしまう。たとえば旧約聖書のノアは大洪水のあと、天気に過ぎない虹をみて神の約束の印だと信じた。いわば虹は、超常現象だと考えた。

 もちろん虹は、あくまで自然現象です。特定の条件がそろえば、いつでも出現するものです。ナイアガラの滝では天気さえよければ、いつでも虹が出ています。または沖縄の離島の海岸には、ある時期、毎朝虹がかかります。特定の地形や気候が虹を出現させているのです。そこに超常を認めなくても説明可能です。自然現象にしか過ぎない虹を神の約束の証だと考えるのは、あくまで人間側の解釈の問題です。

偶然は人間の外側に、必然は人間の内側にある

 すなわち、偶然は人間の外側にあり、必然は人間の内側にある。もっといえば偶然を必然化する認知能力、ただの偶然を必然と誤認することこそが、われわれ人間の言語や知識、世界を認識する力、意味の基礎となっている。

 では、この誤認の力はどこから来たのか。

 おそらく点3つを見つけて顔だと誤認するわれわれの機能は、進化の過程において、その「顔」の危険性を判断する必要から得たものでしょう。暗闇で、森の中で、こちらを見つめる動物、人間、何者かの顔を見つけたとき、人間は不安にならざるを得ない。捕食される側である人類は、即座に顔認証し敵味方の判断をせずにはいられなかったのです。同様に、その恐怖が、曇り空や水面、嵐で揺れる木々や岩の表面に、人の顔にみえるが人ならざるものを見つけてしまう。

 いわば、そこに人類の宗教心の萌芽が見てとれるわけです。点が3つで顔になり、偶然3つを必然化してしまう。この認知機能のバグこそが、言語という人類だけがもつ特長の基礎であり、占いが当たる前提になっている。いいかえれば占いは、この人間の認知のバグを基礎に成立するコミュニケーションだとも言えます。

占いが当たる理由としての「自己成就」

 なぜ占いが当たるのか。第一の前提、当たる理由は、人間の認知のバグです。では第二の理由に移りましょう。なぜ占いが当たるのか。占いには「自己成就」の側面が必ずあります。たとえば、多くの若い男女は、いつも性的ですよね。伴侶となる異性を意識的・無意識的に探している。

 研究所にも20代女性からの恋愛相談は多いです。先日、感謝の報告がありました。「さむさんに言われたとおり、8月になってすぐ出会いがあって、すごく惹かれる男性でお付き合いすることになりました。本当にありがとうございました」と。

 じつは私さむの占断は外れていました。なぜなら彼女がいう、その男性は、占断結果とは違う相性の人物だったからです。占いとしては、別の相性の男性に出会うはずでした。つまり占いが当たったのではなくて、彼女は努力して、良いと思う男性と恋仲になったのです。

 つまり占いが当たるとき、こういう願いの自己成就がある。では自己成就とは何か。

 少なくとも依頼者は占断を頼んだ際、希望が欲しかった。そして占い師は「8月に入ってすぐよい出会いがある」と希望を提示した。依頼者は、それが嘘か本当かは別にしても、希望がほしいから、それにすがる。すがる程度には出会いを求めているので、占いが当たるか否かは別にして、良縁を求めていくことになる。そして数か月経ち、夏になる。たまたま7月初旬、何かしらのタイミングがあって、依頼者はよいと思える男性に出会い、ふと占い師の語った言葉を思い出す。「7月頃には出会って、8月には付き合っていてもおかしくない」と言われていた、やっぱり、そうだったんだ…!

 いうまでもなく、私が占ったから出会ったのではありません。依頼者の出会いを求める願いと行動が、彼女の求める結果をもたらした。

 何が言いたいか。

 私が占断した相性の男性と彼女が出会っていれば、たしかに私の占断は「当たる」といってよい。しかし今回のケースは、彼女の自己成就だった。目に見えない未来は、勝手に来るものもあります。しかし自分から作っていくものもある。彼女の自己成就は、そういう一般的で常識的で、ありきたりな結果だった。

 すなわち、占いは、〆切と作家に似ている。原稿を出さない作家に対して、編集者がいう。間に合わなければ、もう今後はないですよ、と。作家は、さすがに本気になって、〆切までに意識的・無意識的に作品を提出するために動き出す。動き出した結果、〆切に間に合ってしまう。占い師と依頼者から神秘を捨象すると、〆切と作家の関係に似てくる。〆切と占いは、抽象的には等価物といえる。

 つまり、占いが当たるための前提条件に、人間の欲に基づく行動、願望の自力達成がある。腹が空けば食う、眠ければ寝る。同様に、異性との出会いを求める人は、やはり自ら動いていく。結果、占断内容を自己成就する。そういった側面が必ずあるわけです。これが当たる理由の第二、前提です。

当たる占いの定義と言い方の問題

 なぜ占いが当たるのか。まず認知のバグ、次に自己成就。この二つの前提条件を踏まえると、当たる占いの成立要件がみえてくる。つまり自己成就可能であり、かつ、占いのせいだと誤認し得る内容を語れば「当たる」ことになる。これが一般的な占いが当たる理由であり、多くの占い師がふわっとしたことしか言えない、言わない理由です。

 しかし問題がある。もし固有名詞や日付を当てる占い師がいたとしたら、どうか。情報を開示していないのに、祖父の名前や土地の景色を突然言い当てるような人間がいたら、どうだろうか。

実験してみた

 実はいたんです。2022年4月から約1年間、私さむは占い師を副業とするのと同時に、本物の占い師がいるのか否か試そうと15万円ほど使いました。SNSの占い師を見つけては、答えをもっている何種類かの質問を片っ端から投げてみました。

 結果、大変残念ながら、99%以上が嘘つきです。それらしい、ふわっとしたことしか言わない人々でした。ところが、約1%未満、先に述べた占いが当たる一般的な理由では説明できない人々がいました。彼らは、固有名詞や日付を当てにきた。そんなまさか…?!と思うわけですが、実際にカレンダーを渡してきて「この日とこの日には連絡があります」といい、事実5回連続、その日付に連絡があった占い師がいました。または戸籍や土地台帳を見なくては知り得ない事実を言い当てる霊能者もいました。結論は二つ。彼らは、本物の異能力者か、または究極の詐欺師か、です。

究極の詐欺師?本物の異能力者?それとも...?

 さすがに固有名詞や日付を当てに来るのは異常です。すなわち超常の一部といってよいでしょう。では、その超常はいかにして説明可能なのか。

 たとえば天才アインシュタインを考えてみましょう。相対性理論が、いまだ発表されず、彼の脳内にあるだけのとき、彼が見つめている宇宙の姿は、一般人にとっては完全にオカルトであり、意味不明な言説でした。しかし実際は、ほぼ的確に宇宙の姿を捉えていた。ご存じのとおりです。緻密な論理的推論、厳密な観測、また科学的予測も、一見、ただのオカルトにしか見えない/聞こえないことがある。しかし、それらが事実なり実態なりを適切に説明し得ることがある。同様に、固有名詞や日付を当てにくる占い師/霊能者は、似たような事例として説明できないか。

 たとえば人類の中でも視力8.0が確認されるという。環境と遺伝的素質が整えば、日本人にとっては異能としか言い得ない視力に、人類は到達することがある。または、多くの動物が人間よりも相当にはやく地震を察知する。または犬の嗅覚を人間がもっていれば、それは完全な超能力となる。または熟練した精神科医が、統合失調の段階を患者の顔を見ただけで、ある程度まで判断できる話は、ほかの人間からは異能であるが、診断の量が質をもたらした達人芸ではないのか。

 すなわち、異能としか言いようがない、占い師や霊能者が何かを言い当てる事例は、個体の差や他の動物に見られる生物学的特性との類比で考えることはできないか。

 これが固有名詞や日付を言い当てることのできる人々について、偶然、病気や妄想を除く説明可能なひとつの道です。

霊能者と占星術師

 なぜ占いが当たるのか。一般的な理由は、人間の認知機能の特性、次に、自己成就でした。では他に理由があるか。少々オカルトで特殊な理由をあげれば、人類の中には、謎の認知能力をもつ人々がいる(仮説)からです。この謎の認知能力を持つ者を、わかりやすい一般名詞として「霊能者」と仮称しましょう。

 では霊能者は実在するのか否か。個別具体的な氏名や日時を言い当てに来る人間がいるとしたら、一体彼らは何者なのか。

 実は、私が幼少期より不思議に思っていたことがあります。それは天体と星座の関係性です。点が3つあれば顔とみなせるのに、どんなにクリアな夜空をみても、天の川が見えていたとしても、星座図で描かれているような神々や動物には見えません。どう見立てても、たった数個の星をつないだだけで、オリオンには見えないのです。

 ところが占い師になると同時に、占いの研究を始めて思いついたことがあります。もし霊能者が実在し、もし彼らが何かしら特異な視力ないし、それに準ずるイメージを受容する力があるならば、夜空の星々は、まさしく星座図のようではなかったか。

 すなわち霊能者だからこそ、本来もっている人間の認知バグが強化されるかたちで、星を見上げるとき、そこに彼らは神々や動物や物を見出したのではないか。

 そうなると占星術への見方が多少変わってきます。古今東西、世界中に占星術は存在しますが、仮に、本物の霊能者/占い師が実在したならば、彼らは文字通り、夜空に「意味」を見出していたことになります。そこには神々や英雄がおり、動物や物が描かれており、日々動いている。そして気づいてしまう。誤認してしまう。あの大きな星が動くとき、天変地異が起きた。そんな伝承がある。古伝によれば、あの星とこの星が近づくとき、災禍のときが多い。それゆえ古代・中世の霊能者は占星術師になり得たし、日本では陰陽道の天文博士になれたでしょう。

 こうして当時の霊能者(占い師、占星術師)は、王朝や政治家、軍隊の参謀・諜報部隊としての機能を強め、社会的地位を向上させていく。そして王や貴族が占い師や霊能者の話を重く受け止めることで、国家・社会・地域の規模で、夜空に展開される星座物語と人の世の動向の関係という誤認のバグが共有される。

 いいかえれば「誤認」は霊能者を介在することで、社会的に国家規模で共有される。占いは人間の認知に深く関わるがゆえに、文化の基層に含まれて「当たる」と解釈される。霊能者の異能は神秘と解されて、宗教が必然的に要請されるわけです。

宗教と占いの切っても切れない関係性

 たとえばキリスト教の聖書に、このようにあります。

『新約聖書 マタイによる福音書

 ……東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた』

 キリスト降誕の記事、東方の三博士の礼拝の様子です。古代バビロニアの占星術師たちが、星をみて、キリスト生誕地の座標を特定し、彼の生涯まで言い当てて(予言して)供え物をもって馳せ参じたのです。まっすぐに読めば、キリスト教は、その根幹に関わる物語において、占星術を認めている。神は星々の運行に人間の生涯に関するGPS座標、その人物に関する「情報」を埋め込んでいる。キリストはユダヤ人の王、救い主として生まれること、生誕地までが星によってわかる。それがキリスト降誕記事の意味です。

 何が言いたいか。認知のバグ、自己成就、謎の異能への恐怖と信頼、これらの社会化によって、基本的に占いは当たってしまう。少なくとも、多くの人がそう感じてしまう。それゆえ「当たらない」占いの条件も定義される。

占いが当たらない理由とは?

 なぜ占いが当たらないのか。まず占い師が稚拙な言語能力しか持たない無能であるからです。次に、人間の努力(自己成就)が占断結果を遥かに超えていくからです。そして、これは現在調査中ですが、謎の異能によって占断結果に歪みが生じる場合もあるようです。あまりにもオカルトな話ですから、ここでは措きます。

 なぜ占いが当たるのか。または当たらない理由は何か。当たる占いの条件とは何か。霊能者と呼ばれる異能者は実在するのか。実在するとしたら、彼らは一体何者か。病気なのか進化のためのバッファなのか。

 さて皆さんはどう思われるでしょうか。


 以上、占いが当たる理由について、所長さむの見解を述べました。この仕組みを把握しておけば、皆さんが占い師に騙されることはないでしょう。皆さんのために申し述べておきますが、35才を過ぎて占いをしている人間は、もれなくガチかキチガイか詐欺師のどれかです。どうかご注意ください。ところで、私さむの占い、どうやら当たるんですよね。皆さんのお申込み、お待ちしております。