正常形而上学論考

世界

世界に関するものすごくたくさんの真なる信念の中で、初めて「偽」というものが存在しうる。

言葉

言葉を通してこそ我々は誤りうる。

世界

皆がある程度信じている世界は確かに存在する。

アリストテレス的な、デカルト的な、確かな何かから出発する哲学。

「我々にとって明らかなことから、事柄の本性にとって明らかなことへ。」

無意識に間隔・知覚していることがヒトにはたくさんある。それは正しい。だからこそ環境に適応して生きていける。

デカルト

わたしとは魂だ

アリストテレス

それは違う

世界が作用するdynamis私は作用を受け取るdynamis そうして初めて「感覚」が成立する。

 感覚派「心」ではなく、世界を巻き込んで成立するものだ。

「感覚」生きることを可能にしている能力。

「思考」生の一つの発現形態。

自己というのは他のものと同じ仕方で知覚されるのではない。

自己というのは外の世界を知覚するときに含まれる情報である。

Ontologiaあるいは第一哲学は、ens一般についての、あるいはそれがensであるかぎりでのensについての学である

ontorogia ガンマ巻(ここではあるを、存在の「ある」(~がある)ではなく、~であるという意味を中心であるとして理解するべきである。)


 あるものをあるというかぎりにおいて考究し、またあるものそれ自体に属するもの(「あるもの」ないし「あるそれ自体」に付帯する属性)を考究する或る学問的知識が存在する。この知識は、「部分的」と呼ばれる知識(様々な専門知識)の内のいずれとも同じではない。

 なぜなら、

 1.それ以外の知識はそのどれもがあるものをあるというかぎりにおいて普遍的に考察するのではなく、むしろ、その特定の部分を切り取ってそれについて付帯する事柄(それ自体に付帯する事柄)を考究するのである。たとえば、諸々の数学的な学的知識(算術、幾何学など)がそうである。だが、

 2.我々が探求しているのは諸始原archeつまり究極的な諸原因なので、それらの原因はある実在的本性それ自体の原因でなければならないことは明らかである。そこで、諸々のあるものの基本的要素を探求している人々もこのような資源を探求してきたとすれば、その基本要素も、付帯的でなくあるというかぎりにおけるあるものの基本要素でなければならない。だからこそ、またわれわれも(先行する探究者たちと並んで)、あるというかぎりにおけるあるものの第一の諸原因を把握すべきである。

実体 οὐσία ウーシア の内実

(語源はεἶναι エイナイeinai

カテゴリー論(従来の説)

具体的な個物、主体を指す言葉


日常の語法的



形而上学(従来の説)

「何であるか」を示す「本質」、

形相という意味をも加えている

神的

である

ギリシア語、ウーシアーの元の語εἶναι (einai)

英語、be動詞

日本語 「ある」語と語をつなぐもの。コピュラ。述定


がある

存在

存在論的には、

「主語・述語」=「実体(基体)・属性(性質、量、関係、…)」=「個物・普遍」


プラトンの『パイドン』的ウーシア

 ソクラテスに「何であるか」と問われて「まさに〇〇であるもの」と答えられるもの。

新アリストテレス派 「経験だけでは何がactualであるか決定できない」

アリストテレスにとっては、基本的に活動実現態エネルゲイア・エンテレケイアが力能デュナミスに先行・優先する。

 世界の認識の仕方である、具体的な個物と普遍的な本質という二つの見方を合わせたものがウーシアだ。

DO, EOとは

dynameiはdynamisの与格(ドイツ語の三格)で「〜に、〜によって」、あるいは前置詞ἐν(en)に支配されて「〜の中で、〜において」になるので、DO(δυνάμει ὄν)が「dynameiにおいてにおいてある」になるって言う文法的説明はできる

事象は、作用のdymamisとそれを受け取るdynamisの両方があって初めて成立している。

dynamisとenergeiaの共同性

dynamisとenergeiaは、分野横断的な性格を持つ(どんな領域でも適用できる)概念である。

dynamisとenergeiaは、「どこからが人間であるのか」といった部分にかかわっていて、規範的性格を持つ。

dynamisとenergeiaによって、自然学的事象全般の基本的な運動変化が表現された。

dynamisとenergeiaという概念を通じて、DOとEOという観点から、多様でありながら世界全体のある統一的なあり方を見てとることができる。

dynamis的あり方も、energeia的あり方も、とあるものの2つの在り方として理解できる。

dynamisとenergeiaの対比

powerないしcapacityをdynamisとenergeia

dynamis

可能態/機能/作用/力能

彫刻なら、元の材木。

感覚ならば、睡眠状態。(覚醒(感覚)できるがしていない)

何かを行うある能力powerを持っていること。

プラトンの言う「ある」。「力を自然本来的に備えているものはほんとうにある」ただしプラトンはdynamisを否定的にとらえている。


アリストテレスの言う、ある事象Xが起こる始原(原因)。




energeia

現実態/活動実現態

彫刻なら、出来上がった作品。

感覚ならば、覚醒(感覚)状態。

何かを行うある能力powerを行使ないし発揮していること。

神は常にenergeiaの状態。

ousiaはenergeiaによって特定される。

entelecheia

完全現実態/ 完成態

アリストテレスのいう魂。

エンテレヒー(万物は拡散するという現象法則を破る生命の特質)に変化したが、それも現代に十分に受け伝わってきたとは言えない。

人間の思考を形作ったアリストテレス的概念

eidos/hyle → form中身/matter, material形式

ousia実体/pathos → substance, essence/attribute

hypokeimenon/kategoria → subject主語主体主題/predicate

theoria見る/praxis → theory/practice

ヒポクラテスにおけるdynamisは、反還元主義的なものであった。例えば食物の摂取が身体に与える影響を、食物と身体それぞれのdynamisの共働であると考えた。

この世の全てを分類した、最高の類概念であるカテゴリー

〈実体・量・性質・関係・場所・時間・位置・状態・能動・初動〉

語源は、実体→ousia(einai)「この」「ある」「これ」。量→「どれだけ」(疑問詞)などである。

アリストテレス的ousia概念

イデア論批判においてカテゴリーの理論が言及される。

経験される「それぞれのもの」のある統一性の根拠