2025年12月5日 作成・公開
日本では1980年頃からシカが増加していると言われています。「なぜシカは増えたのか?」「オオカミがいなくなったことが原因ではないか?」といった質問がよく聞かれます。
過去から現在にかけての個体数の変遷を、その理由とともに解明するのは至難の業です。しかし、最新のゲノム研究によって、「おそらくこうであろう」という確度ではあるものの、一定の事実が明らかになりつつあります。 このページでは、代表的な論文である Iijima et al. (2023, The Holocene) を紹介し、日本におけるシカの個体数増加について解説を試みます。
※注意:この記事はプロジェクトメンバー(九州大学・阿部、京都大学・松岡、東京大学・西澤)が論文の論旨を独自に日本語で解説したものです。解説にあたり、情報の取捨選択や一部改変を行っています。そのため、引用にあたっては必ず出典元を確認してください。なお、このページに掲載している図は該当論文のGreen OA先から取得しました。
引用元:
Iijima, H., Nagata, J., Izuno, A., Uchiyama, K., Akashi, N., Fujiki, D., & Kuriyama, T. (2023). Current sika deer effective population size is near to reaching its historically highest level in the Japanese archipelago by release from hunting rather than climate change and top predator extinction. The Holocene, 33(6), 718-727. https://doi.org/10.1177/09596836231157063 (Original work published 2023)
タイトル和訳:
現在の日本列島におけるニホンジカの有効集団サイズは、気候変動や頂点捕食者の絶滅ではなく、狩猟からの解放によって、歴史的な最高水準に近づきつつある。
論旨:
この論文は、北海道および兵庫県で実施されたニホンジカ(以下、シカ)のゲノム解析に基づき、過去10万年間にわたる個体数変動の主要因が、気候変動や頂点捕食者(ニホンオオカミ)の絶滅ではなく、人間の狩猟活動の強弱であることを主張しています。シカの歴史的な有効集団サイズ(Ne)を推定した結果、両地域の個体群は明治時代にあたる約100~250年前に深刻なボトルネック(個体数の急減)を経験し、Neは北海道で10分の1、兵庫県で100分の1にまで減少したことが示されました。この減少は、当時の銃規制緩和や戦争に伴う毛皮需要の増大による乱獲と強く関連していると考察されています。 その後、厳格な狩猟規制により個体数は急速に回復し、現在のNeは過去10万年間で最高水準に迫るレベルに達していることが分かりました。この歴史的な高水準が、現代における農林業被害や生態系への影響といった問題の背景にあると推測されています。
シカ個体数の増減を決定づける要因として考えられているのは、大きく分けて以下の3つです。
気候変動
捕食者の絶滅
人間の狩猟活動
歴史的に生じたシカ個体数の増減が、これら3つの要因のうちどれと強く連動していたのかが分かれば、増減の主因を特定することができます。
図1 これまで予想されてきた個体数変動要因
シカの個体数は通常、一定区間・面積にいるシカのカウント(例:ライトセンサス)や糞の密度などで推定されます。しかし、過去に遡ってこれらのデータを得ることはできません。 そこで本論文では、シカのゲノム情報から過去の個体数変動を推定しています。ゲノムから個体数を推定する原理の詳細な解説は省略しますが、ゲノムの特定領域を解析することで、有効集団サイズ(Ne)という個体数の指標を得ることができます。 こうして推定されたNeの変動と、古気候データ(年平均気温、年降水量)や考古学的・歴史的記録(人間の狩猟活動)とを比較し、個体数変動の要因を考察しています。
この論文では「北海道」と「兵庫県」のシカについて、歴史的なNeの動態を明らかにしています。
北海道
北海道のNeは、過去10万年から約3000年前にかけて徐々に減少し、その後2000年前にかけて急増しました(図2の右側)。
その後、約100~150年前に急激な減少(ボトルネック)が生じ、Neは10分の1にまで減少しました(図2の左側)。
現在のNeは、この最近のボトルネックから回復し、過去10万年間の推定期間においてほぼ最高レベルに達しています(図2の左側)。
図2 北海道のシカ有効集団サイズの変遷(論文Figure 3から引用改変)。グラフは現在(0年)から400年前までの有効集団サイズ(Ne)の動態を示したもの(左図)と、10万年前までの動態を示したもの(右図)。各グラフとも、上辺の横軸に書いてあるのは推定されるシカの世代数。0が現在の世代、100は現在より100世代前の祖先集団を意味する。GLは世代長(シカの推定寿命のようなもの)で、このグラフは1世代4年を仮定している。世代長の仮定によって、ボトルネックが生じた年代はズレる。ボトルネックの時期はGL = 4年では100年前頃だが、GL = 14年を仮定すると250年前頃となる(詳細は論文参照)。
兵庫県
兵庫県のNeは、約8万年前と約1000年前に2度の増加が見られました(図3の右側)。
約100~250年前に急激な減少(ボトルネック)が生じ、Neは100分の1にまで減少しました(図3の左側)。
現在のNeは、このボトルネックから回復し、推定期間中(過去10万年)で最高レベルに達しています(図3の左側)。
図3 兵庫県のシカ有効集団サイズの変遷(論文Figure 4から引用改変)。グラフの見方は図2と同じ。
Ne(有効集団サイズ)変動の主な要因
今回推定されたNeの増減は、主に人間の狩猟活動の強さの近年の変動によって引き起こされた可能性が高いと結論付けられています。
近年のボトルネック(減少):
北海道と兵庫県のシカのNeが減少したのは、明治時代(1868-1912年)の乱獲とよく一致します 。この時期には、市民への銃の使用制限が撤廃され狩猟圧が増加し、さらに日露戦争(1904-1905年)や第一次世界大戦(1914-1918年)により毛皮の需要が増加しました。
近年の回復(増加)
ボトルネック後の近年のNeの回復は、その後の政府および都道府県によるシカの狩猟の厳格な禁止と一致しています。
気候変動の影響の低さ
Neが急激に増減した時期に、気温や降水量の明らかな増減は観察されておらず、気候変動はNeの動態を説明できないことが示されました。
捕食者の影響の低さ
オオカミの絶滅は20世紀初頭に起こりましたが 、シカのNeはオオカミ絶滅以前に大きく変動していました。この結果は、オオカミの捕食がシカの個体群動態に明白な影響を与えていないことを示しています。
この論文は、ニホンジカのNeが主に人間の活動によって影響を受けてきたことを実証しました。過去の乱獲による個体数の激減(ボトルネック)と、その後の狩猟制限による劇的な回復(現在のNeは歴史的に最高レベル)という経緯が、ゲノムデータから裏付けられました。
ただし、この論文によって日本のシカの個体数変動が全て明らかになったわけではないという点に注意が必要です。 今回のデータは一部地域の限られた頭数のシカのゲノムから得られたものです。他地域では異なる挙動を示す可能性もあります。今後の研究によるさらなる検証が期待されます。こうした研究の限界が存在するものの、本研究が特定した人間活動(狩猟)のインパクトは、他地域でも同様に生じていました。このことを鑑みますと、後続の研究においても、得られる個体数の増減パターンの傾向自体は大きく変わらないと予想されます。そのため、「人間活動が主な要因である」という結論は、おそらく揺るがないと考えられます。