伊達東 暮らしと歴史
箱崎と伏黒
箱崎と伏黒
伊達東地区は、伊達市合併前の旧伊達町の東部に位置します。
旧伊達町の西地区(地図で緑線の範囲)は、阿武隈川の西側で国道4号線と東北中央自動車道の結節点で、JR伊達駅があります。ほとんどが市街化区域になっており、現在イオンモールや工業団地などの建設が進むなど、伊達市で唯一人口が増加している地域です。
一方、東地区(赤線:箱崎、青線:伏黒)は、平地に果樹園が広がる郊外地域です。大型商業施設や医療機関が車で数分の距離にあり、公共交通へのアクセスも便利です。農村地域でありながらコンパクトで利便性の高い住環境が特徴です。
市街化調整区域ですが、一部は開発可能な地域となっており、近年住宅建設が進んでいます。
・伊達氏の支配から平成の合併まで →歴史
伏黒・箱崎地域は、平安時代末から約400年間は伊達氏の領地でした。江戸時代に約70年の会津・上杉家の支配を経た後は、幕領や大名の飛び地などに度々変わり、明治まで支配者は一定しませんでした。
明治になって、伏黒・箱崎地区は伏黒村となります。
1956年(昭和31年)伏黒村は伊達町と合併し、その一部となりました。
2006年(平成18年)伊達町が他の伊達郡4町と合併し伊達市となり、現在に至っています。
・養蚕・蚕種から果樹王国に
伏黒・箱崎地区は水利の関係で稲作には向きませんでしたが、室町時代から養蚕・蚕種(蚕の卵の生産販売)が盛んになります。江戸時代には京都・西陣からも注目されるブランドになりました。その結果、この地域は東北の農村でありながら、早くから全国規模の商品経済の中で発展してきました。
養蚕が衰退した戦後は、いち早く商品作物を果樹に転換し、果樹王国・福島の一翼を担っています。