《マッカーサー銅像ミーティング(オンライン)》 

2021   ビデオ、モニター、机、椅子

Meeting on McArthur statue (online)  

2021, video, monitor, desk, chair


1949年頃に浜離宮にNYの自由の女神と同じくらい大きいマッカーサーの銅像を建設する計画があった。この作品は、このマッカーサーの銅像建設を依頼された架空の彫刻家と皇居周辺の銅像の作者たち(高村光太郎、後藤貞行、藤田文蔵、大熊氏廣)の架空のオンラインミーティングを演じたビデオ。計画と該当する彫刻家のリサーチを経たのち台本などは書かず即興的に演じた。1人目を演じ、それを見ながら2人目を演じるやり方で制作した。

今でこそ冗談のように聞こえるが、銅像建設計画があったことは事実である。もし計画が実現していたとしたら、誰がどのよう制作したのだろうか。最初、朝倉文夫あたりが想定されているのかなと考えていたが、その後、別のリサーチを経て、清水多嘉示がやった可能性の方が高いと思うようになった。清水の資料にマッカーサーの銅像計画と関連すると思われるスケッチがある。

この作品はトーキョー・アーツ・アンド・スペースでのアーティストインレジデンスの滞在中に制作したもの。普段は様々な国のアーティストで賑わっているレジデンス施設であるが、私が滞在した時はまだコロナ禍の最中で滞在期間中のほとんどを1人で過ごすことになった。数名のスタッフの皆さんの他には警備のおじさんしかおらず、ガランとして誰もいない施設には、ただアーティストの気配だけが曖昧に漂っていた。アーティストが滞在のために購入したボディーソープやシャンプーや歯磨き粉が、まだ使えるからという理由で何となく残されていて、それが不在のアーティストの身体を暗示しているようにも思えた。そもそも私は東京の公共彫刻やモニュメントについてリサーチすることを目的にしていたのだが、コロナ禍という普通ではない状況が作り出したアート関係施設のアーティストの不在は、作品や作品を作り出すアーティスト、そしてそれを取り巻く環境について考えさせられるものだった。誰もがアーティストたり得ると言っても、誰もがアーティストではない。そこには評価があり基準もある。国際的なアーティストインレジデンスが想定するアーティストとは一体どんな姿をしているのだろうか。その集合的無意識が作り出すイマジナリーアーティストを空想した。私は試みにスタッフの皆さんに施設に残された遺物になりきってもらい、アーティストについてインタビューすることで、イマジナリーアーティストを結像させようとした。しかしそれは曖昧なまま輪郭をもたなかった。そもそも幽霊は曖昧なものだ。

そうした中で浜離宮のマッカーサー銅像建設計画の不在のアーティストをめぐる作品を制作したのだった。もしもコロナ禍で一人ぼっちで滞在する特殊な状況でなければ、オンラインミーティングと架空の彫刻家を扱わず、作品はまた違ったものになっていたのではないかと思う。印象深い滞在と制作だった。

他に関連する彫刻家の一人語りのビデオと架空の彫刻家とインタビューに関するビデオも制作した。制作した作品は、数日間のオープンスタジオで展示し、その後2022年にTokas本郷で開催された「水路から柔い空へ」展で再構成し展示した。


マッカーサー銅像建設計画について                                                                             (Tokasの展覧会で掲示したもの。テキスト:Uchiyama Fumikoさん)


1949年末頃、東京で「マッカーサー元帥銅像建設会」が発起された。ニューヨーク港にある自由の女神と同じ高さのマッカーサー像を作り、それを浜離宮の一角に建て、東京湾を出入りする船から見えるようにするという計画だったと言われる。しかし、この計画は1951年のマッカーサーの連合国軍総司令官解任により立ち消えになったと思われる。集められた資金がどうなったかは不明。

占領期を通じて、日本人はマッカーサー及び総司令部(GHQ)に宛てて、推定50万通もの投書をしている。その内容はファンレターから陳情、請願、批判、密告まで多種多様であったが、「元帥の銅像を建てたい」という内容を含んだ手紙も何通も見られる。

 

その一方で2014年、環状2号線 新橋-虎ノ門間のいわゆる「マッカーサー道路」が計画決定から68年を経て開通した。この「マッカーサー道路」という名称は、環状2号線の建設が決定された1946年当時、GHQが虎ノ門の米国大使館と東京湾の竹芝桟橋を結ぶ軍用道路の整備を求めたという俗説などに由来する。その後環状2号線は1993年に新橋-有明区間の延伸が決定された。2015年に全線開通予定だったもの、築地市場の豊洲への移転が難航したことから、今も築地―新橋間は工事中で、現在は、築地市場跡を通り抜ける暫定道路が供用されている。この延長された「マッカーサー道路」は、奇しくも今年開かれるオリンピック/パラリンピックにとって、晴海のオリンピック選手村と各競技場を繋ぐ大動脈の役割を果たすこととなった。